暗殺命令



 少女の裸体に興味があった訳ではない。だけど勉強の意味合いでもって彼女に服を脱いでもらった。僕が手にするのは黒いチョークと深緑色の黒板だった。ミニサイズで玩具みたいなものだ。
「恥かしがらないでください。もっと胸を反らして」
「はい、骸さま」
 両肘を頭より高く上に、片足を前に出して、小ぶりな双胸を突き出す。少女は顔を真っ赤にして小刻みに震えている。下唇を軽く噛んで、自分の足爪を見つめていた。
 チョークで少女の持ち得る流線を記録する。肩の細さも胸のふくらみも腰のくびれも全てを黒板に写生する。一通りのラインを描き終えてから、少女をじっと凝視した。少女は震え上がって肘をぶるりとさせる。
「…………。気に入ってもらえました?」
 やがて、躊躇いがちに尋ねてくる。
 頷いた。要求に従い、期待に応えようとする子猫を邪険にするはずがない。素直に僕を盲信するならば尚更だ。
「バストとヒップは?」
「…………」
 消え入るほどの声で応えてくる。
 写生の傍らに書き入れた。
「では後ろを向いてください。ゆっくり、回るんですよ」
 腕をあげたまま足の向きを組替え、回転を始めた。窓にはカーテンがかけられ、室内には蛍光灯の白光が満ちる。明明した中で浮かび上がる肉体は果物のようにつやつや光る。交通事故に遭い、生命維持に致命的なダメージを負った肉体には見えなかった。身体中に走る裂傷を僕が美しいものと感じているせいかもしれないが。
「……そのお尻、自分で小ぶりだと思いますか?」
「わかりません」
 少女が背中を戦慄かせる。思わず笑みが漏れた。
「すいませんね。甚振ろうってわけじゃないんですよ」
 しゃっとチョークを走らせる。目を閉じれば、髪の硬さも肌の柔らかさも想像できるので、頭の中でひとつの像へ収束するのがわかる。僕はクローム髑髏になって黒曜中の女子制服を着込んでブーツのカカトを鳴らしながら駆け回っていた。手には三叉槍がある。笑い声も、声質も、手に取るようにイメージできる……。黒板の写生へと視線を向ける。人差し指と中指、その指の腹を押し付けて、髪から首筋、胸から腰、尻、太腿、足首、爪先までを撫でた。後ろ姿の写生も同じように撫でると指先が熱くなる。手を握りこんでいた。こういうとき、僕は、自分が完璧であると核心するので気持ちよくてたまらなくなる。
「わかりました。ありがとう、クローム。もういいですよ」
 さっと自分の胸を両手で隠して、しかし、クローム髑髏は尋ねた。耳を赤くして、両目を潤ませ、気まずげに背中を丸める。
「骸さま。触らなくても、いいんですか」
「ええ」
 黒板に描いた裸体を消しつつ、椅子から立ち上がる。傍らに投げていたブラックジャケットを拾った。
「イメージには視覚が何より重要なんですよ」
「そうなんですか……」
 パンティーを穿きながら、クロームは目線を泳がせる。
 不意に面白くなって自らの前髪を掻き揚げた。
「触覚の重要さも否定しませんけどね。でもクローム。僕の想像力を舐めては困りますよ。例えば」
 目を閉じる。先程のイメージを脳裏で描いて目を開ける。クロームには右目の『六』の刻印が変わって見える筈だ。
「……見事でしょう? クローム」
 にぃっと、本来の彼女であれば出来ないような笑みを浮かべてみせる。クローム髑髏が恐怖で両目を丸くした。ほとんど生き写しだ。下着一枚のまま、胸を張って乳房を晒し、片手を頭の後ろに置いて、もう片手を腰に当ててみせる。
「触ってみなさい。僕にはもう充分だとわかる筈です」
「ええ……っ?」
 自分の裸体だというのにクローム髑髏は真っ赤になって口ごもっていた。
 石のように固まるが、ものの数秒で、よたよたと歩み寄り手を伸ばす。僕の右胸に触れた。柔らかさを確かめるように、ゆっくり、握りこむ。
「どうですか」
 歯を見せて微笑みかけてやる。
 クローム髑髏は、赤くなったままで頷き、自らの胸にも手を当てた。
「……わたしより、大きいです」
「ああ、まぁ、好みですね。でも肉眼じゃほとんどわからないでしょう」
「柔らかい。わたしと同じです」
「ええ。そうでしょう」
 恐る恐ると手を離し、僕から後退り、クローム髑髏は上擦った声で賛美を口にする。
「すごいです。骸さま。わたしより、わたしみたい」
 ポーズを崩すと同時に、幻覚を解いた。六道骸の姿に戻って思わずくすくすとしていると、
「骸さぁん。まらっすかぁあ?!」
 扉からノック音が響いた。
「クローム」肩越しに扉を見つめつつ告げる。クローム髑髏は慌ててブラジャーを身に付け、ジャージの上下を着込んだ。上着のジッパーを閉めたところで扉を開ける。
 犬と千種が仏頂面で僕らを待っていた。
「ボンゴレがぁ、すっげー催促してくんすよ! 早くって!」
「終わりましたって告げてください」
「ん!」
 犬が携帯電話を突き出してくる。
「はい。僕ですけど」
『骸? ちょっと――、いつまで待たせるんだよ! 獄寺くんたち突入しちゃったじゃないか』
「君は? ボンゴレ」
『今からだよ! また裏切るつもりかと思って電話してンのっ』
「あァ、ご心配なく。それでは後でね」
 クローム髑髏が部屋から出てきて扉を閉めた。火照った頬を見て犬がうめく。
「なんらよ。骸さんの秘密特訓なんか受けてずっりーの」
「……犬はわたしとは違うから」
「ハァ?! なにそれ! 骸さん贔屓れすか?!」
「まぁそれぞれ長所を生かしましょうってトコですかね」
 クロームの肩を軽く叩いて、
「じゃあ行きましょうか。二時間の遅れですが、問題はありません。クロームは僕と一緒に来て、犬と千種はボンゴレのところに」
「答えになってれーっすよ?!」
「了解」
 千種が淡々と答える。クロームは、唇をきゅっと引き結んで首を縦にした。

***

「だぁーっ!! もう! 骸の部隊は何してんだ?!」
 ビルの物陰に飛び込みつつ、ボンゴレ十代目が文句を垂れる。廃ビルの密集したこの地域、地下に阿片の花が栽培されている。これが当局に発覚する前に処分するのが目的だった。ボンゴレ十代目は、地元住民に泣き付かれて一帯の地下組織討伐に乗り出したわけだ。いかにも、沢田綱吉らしい行動の理由だ。
「骸さま。まだいいの?」
 傍らで、ミニスカートと黒ジャケットに着替えたクロームがうめく。その肩には僕が与えた三叉槍が立てかけてある。
「ああっ、獄寺くん! 弾幕っ。急いでっ」
 銃撃戦の最中でも彼の声はよく通る。耳を澄ませている間に戦況が動いた。ボンゴレ十代目が敵陣を圧し始め、
「骸さま。逃げ出します」
 潜伏していた敵陣営が背走を始める。
 この瞬間が狙い目だった。
「いきますよ」
「はい!」
 ビルの頂上から飛び出す。風が全身を舐めると同時に三叉槍を地上に向けた。蓮の花が咲いて僕とクロームの体を巻きつけ思い描いた通りの着地点に誘導する。
 たしんっ。二人同時に地表に両手両足をつけた。顔をあげた僕らに一同がギョッとした。
「なっ……、なんだ」
「女?!」
 少女が二人、それも全く同じ姿形をしたものが降って来たのだから動揺するのは無理が無い。笑い出したくなるのを堪えてクロームの声を真似た。
「逃さない。ボスのためだから」
「ここは通さない」
 クロームが後を継ぐ。
 じゃきっと互いの槍を構える。蓮のつるが地表をのたくり逃亡者の足元に潜りこんだ。
「げ、幻覚っ。ボンゴレの霧の守護者だ!」
「二人もいるなんて聞いてねえぞっ」
「姿のないものなの。霧っていうのはね」
 くすくすとして、右目を瞬かせる。眼帯の奥にあるので彼らには見えない。
 足止めの間にクロームが跳ねた。槍を片手にして振り被り、逃亡者を血祭りにあげる。僕の育てた暗殺者だけあって女ながらにいい腕を持つようになったものだ、と、
「ひいっ?」
 思ったところで新手の悲鳴がした。追っ手として駆けつけたボンゴレ十代目とその仲間だった。
「く、クローム?!」
「ボス」
 クロームが答えて槍を振るう。
「遅れてごめんなさい。これが骸さまの指示なの」
「し、指示って……」
「下手に残党を逃すと、地元住民に復讐するやつが出てくるって骸さまが言うから」
 進み出ながら六道骸の擁護に回ってみせる。
「え……? そ、そうかな」
「君の甘さはいつか地獄を作るって骸さまは言うよ」
 クロームの声真似をして隣まで進む。ボンゴレ十代目は、眉を寄せて見上げた。蓮に囚われ苦悶する男達がいる。
「こんな真似はやめてくれないか」
「ボス……。わかった」
 蓮で首を締めるのをやめる。
 ボンゴレ十代目は僕とクロームをきょろきょろと見比べ、やがて、クロームの方を向いた。
「こういうやり方は悪趣味だよ!」
「ごめんなさい。ボスの役に立ちたくて」
「そういう純粋さは利用されるだけだと思うんだけどなっ。こいつに!」
「あっ。いたいっ」
 頭を掴まれたので体にしなを作ってみる。
「猿真似をやめろー!!」
「くふ。君はやはりわかりますか」
 幻覚を解けば、ボンゴレ十代目よりも背が伸びる。頭を抑えたままの手首を掴んで、逆に捻ると彼は悲鳴をあげた。
「な、何やってんだよあんたはっ。びっくりしたじゃないか。こういう作戦するなら、初めに――」
「君も驚かそうと思って。がんばって準備したんですよね。ね、クローム」
「はい」
 目の下を赤くしつつ、クロームは、男に刺したままだった三叉槍を引き抜いた。やはりよく育った暗殺者だ。ボンゴレが僕に構っている間に、僕と内通していたスパイをさりげなく抹殺してくれる。
 ボンゴレ十代目に襟首を掴まれた。彼は渋い声で怒る。
「ドッキリごっこはやめろっていつも言ってるだろ?!」
「ボンゴレ。戦場で僕にだけ怒るのやめてくれません?!」
「あんたの行動は変なんだよっ」
 クロームはまたさりげなく動いて最後の内通者を探しに向かう。このまま、抹殺が済めば、阿片を売りつけたのが僕だとか売上げの半分が懐に入ってたとか、発覚すると困る事実も消えるだろう。
「……なんで笑うんだ?」
 ボンゴレ十代目は、怪訝に眉根を寄せる。
「いいえ。でも、そういいながら、こういうことをすると君はよく僕にかまってくれますよね」
「何いってんだ。ほとんど貶してんだぞ?」
「構いませんよ」
 僕はまだボンゴレファミリーに居たい。沢田綱吉との楽しい掛け合いが終わる頃、クローム髑髏は僕に晴れ晴れとした笑顔を向けた。任務を完璧にこなしてくれたようだ。


おわり




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