ハルジオン





























ハルジオンにかけた願い事

無性に腹の底が痒くなって少女は手を伸ばす。マニキュアの塗られた爪先は花の真裏を摘んだ。左に強く捻る、と、ブチッとした衝撃が走る。
無造作に花弁を握り潰す。
無視できなくて、沢田綱吉は声をかけた。
「クロームさん? 大丈夫ですか」
「…………。骸さまは死んでなんかいないわ」
「うん。オレもそう思うよ」
「! ボスの夢にでてるの?!」
「いいや、いないけど」
空虚な色がサッと瞳に混じる。少女は再び花を摘んで握り締めた。
空は分厚く雲で覆われて、辺りは薄暗い。
空気までもが体積を増すようだ。綱吉はダッフルコートのポケットに突き入れたままの両手を拳にした。前には深緑が絨毯のようにして広がっている。このどこかに、かつて、六道骸が収容されていた監獄があった筈だ。
「生きてるよ。きっと。オレたちが知らないところにいるだけだ」
「わたしは死んだなんて言ってない」
「あ、ああ、そうだけど。うん……。リボーン達、遅いね」
「ボスはわたしの子守りなんかしないで。大丈夫だから。骸様を探してあげて」
「アイツは、クロームさんが探さないと寂しがるんじゃ」
「そんなことない! ボスがさがして!」
絶叫するように喉を掠れさせて、クローム髑髏。胸の前に固めた拳から、白い花びらがボロボロ落ちていった。その花の名前はハルジオンと言う。
絶対に、骸は生きているとクロームは繰り返す。綱吉は頷いた。
絶命したなら――、クローム髑髏の体に変化が起きる。少女の臓器は骸の魔力的な力によって再生されたものだ。綱吉の指摘に、しかしクロームは首を振る。
「ううん。言えないけど……、言いたくないけど」
少女は拳を開いた。ぽろりと丸い瞳から雫が溢れて指を濡らす。ハルジオンは、首だけもがれて無残に散らばっていた。白と黄色の残骸の上に落涙がつもる。
少しだけ綱吉も考えた。
少々、六道骸とクローム髑髏の関係は謎だ。クロームは言う。
「好きだから。ボスが。なついてるの。骸さまも同じなの。主人に探してもらって喜ばない飼い犬がいると思いますか? 探してあげて。ボスが」
「……え? その例え、合ってる?」
両目を丸くする。クロームは、再びハルジオンの残骸を握り締めた。浅く頷く。
両眼は、木々の波を睨んだ。さっさと
両思いになればいいと強く願う。

 

 



ハルジオンの首

よたつく足取りで森を歩く人がいた。ボロ切れを肩に掛けて隠すべき恥部も庇うべき裂傷も晒したまま進む。ぼさぼさの髪は、頭部をぐるりと囲んで彼の面立ちを秘めたものにしていた。
「ア……」
呻き声と共に、顎を垂らす。
藍がかった髪は雨で濡れていた。かすかに毛筋が動いて赤瞳が垣間見えた。少年は、ぱちりぱちりと瞬きをして、踏み出したばかりの右足を持ち上げた。
白い花弁。花の首を丸ごと踏んでいた。
小刻みに震える指先で花を撫で、引っくり返し、確認を繰り返す。やがて、彼は地鳴りのように咆哮した。最初はか細く低く、徐々に大きく。最後には叫び散らす。
転がるようにして走り出した。
少年の来た道には点々とした赤が落ちる。進むべき道を嗅ぎ分けて、彼は山林の麓に下りた。まばらな民家がある。一軒を迷わず選んで、その部屋は二階だったが、飛び込んだ。
「きゃあああ?!」
室内は簡素だった。ネグリジェを着た少女が、化粧台のイスから立ち上がって震え上がっている。その手はコットンのつまった小箱を掴んだ。
「来るな!」鋭く叫んで少女が腰を低くする。
「…………」
よた、とした足取りで少年は上半身を傾がせた。
無言のままで花を差し出す。花の首だけ。ハルジオンの首だけだった。ドロで茶色く汚れ、クシャクシャに縮んで、ほとんどの花弁が抜け落ちている。
少女が後退りした。鏡台に背中を打ちつけるほど荒々しかった。
「?! え?!」
「あー」
差し出した指先が痙攣した。
ポトリと裸足の上にハルジオンの首が落ちる。少女は信じられないものを見ていた。両目を丸く見開かせて、小さく首を振る。振りつづけていた。
「そ、んなっ……。こんな……。死なないで?!」
半ば体当たりのように抱きついて、急ぎ少年の体に手を這わせる。右の側頭と左足、脇腹に縫い付けられたままのチューブを引いたが、抜けなかった。チューブの先は千切れている。
「…………」
「骸さま」
クローム髑髏は骸の前髪を掻き揚げた。虚ろなオッドアイがあった。唇だけがか細くうめく。
「……骸さま。そうです。わたしを奪っていいの」
髑髏はニコリとした。落涙しながら。

 

 




ハルジオンは追憶する

しばらく姿を見せなかったので素直に心配していた。少女は、日本に帰ってからも姿を見せない。ようやく現れたとき、彼女は六道骸を模倣するスタイルではなく、肩まで伸びた黒髪を下ろしたジーンズスタイルだった。
隅でジッとしている彼女に、沢田綱吉は戸惑いながら声をかけた。
「ちょっといいかな? 髑髏ちゃん」
「なあに、ボス」
「外に」
部屋の外を指差す。
室内には獄寺隼人や山本武、城島犬、ボンゴレ側と六道側のあらかたのメンツが揃っている。ボンゴレファミリーとしての今後を話し合うのだ。
クローム髑髏は、沢田綱吉の後に大人しくついてきた。
玄関を出たところではさすがに怪訝な顔をする。庭の片隅で、窓から見えない死角に入ったところで、クロームが綱吉を振り返る。
「骸さまのこと?」
「うん。あの……、リボーンがオレにだけってコトで教えてくれたんだ。骸、脱走したって」
「!」
綱吉は睫毛を震わせた。
「でも無理やり……牢の移転だっただろ? スキを狙って強引に飛び出したんだって。生存確立は、0.006%。もうボンゴレファミリーは六道骸の捜索をやらないそうだよ」
「…………。ひどい。許せないわ」
「うん……。ごめん。探すって言ってたのに」
クローム髑髏は、塀にもたれたままで両目を丸くした。綱吉を見上げて、うめく。
「ボスも骸さまのことが心配なの?」
「うん? そりゃあ」
「そうなんだ」
薄く笑って視線を流す。
少女は綱吉に背中を見せた。くす、と、小さく笑う。
「僕も君が心配でした。君が辿る路が、哀れに思えて……。こんなところで、今更、通じる部分がわかってもね」
「髑髏ちゃん?」
鬱蒼とした笑みが振り返った。
この世の悪を一包みにしたような眼差し、陰鬱な輝きを秘めた眼球。クローム髑髏の瞳は深い黒色をする。綱吉は、そこに赤い閃光が駆けた気がして息を止めた。
「…………おまえ?!」
冷や汗がどっと噴出した。クローム髑髏は、ガラリと声質を変えた。王者の貫禄がある。不死の王者の。
「そうですね。彼女に成り代わったといえるか」
平手で自らの体のおうとつを撫で下げつつ、クロームは遠くを見るように眼球を引き絞る。その焦点は真っ直ぐ沢田綱吉にある。綱吉が後退りをした。
「なっ……り、かわ……?! 骸?! おまえなのか」
「ええ。クロームは僕に生を譲ってくれた」
「殺したのか?!」
愕然として、綱吉の足が自然と詰め寄った。クロームは首を振る。自らの右胸の頂きを撫でた。人差し指の腹で、そうっと、
「どこかにいる。でも、混ざってしまった僕らには境界がわからない。僕は彼女を呑み込んでしまったんですよ」
心臓の真上までをなぞる。クローム髑髏はそのまま自らの体を抱きしめた。儚さを哀れむような、優しげな手つきだった。
「彼女が愛しい。僕のためにここまでしてくれた」
「何てコトをしたんだ、おまえは」
醜いものでも見るように睨み、綱吉が叫ぶ。クロームは自らの足元に視線を流すだけだった。
「知るのは遅かった。もう戻らない」
「?!」
何の合図もなく唐突に、そこにいるのは六道骸に切り替わった。真っ黒い装束に身を包み、自らの体を両手で抱いた格好のままで目を細くする。そのオッドアイは綱吉を射抜いていた。
「……幻覚? 骸。おまえの体は」
「死にました」
「――おまえ、それじゃ髑髏ちゃんの体を乗っ取ったようなもんじゃないか!」
「その通り。だから僕は何もできない」
綱吉には意味がわからなかった。嘆くように骸が切なげに眉根を寄せる。両腕を解くと、片手を綱吉の肩に置いた。距離が縮んでいたことに気付かず、綱吉はハッとする。
「この体で、君を抱くことはできない」
「なに……? はなせよ」
怯えながらうめく、と、骸はあっさり引き下がる。
「ええ。綱吉くん。これは君にだけ教える。僕は、クローム髑髏として君を守る……。ヒミツですからね、僕らだけの」
「髑髏ちゃんは、おまえのどこかで生きてるんだな?」
「それを生と呼ぶか否かを僕は知りませんが、ええ、そうなります。恐らく」
数秒の沈黙後、付け足した。骸が小さくうめく。
「それと彼女の本名は凪ですよ。ドクロじゃない」
「あ、偽名なんだ……。そりゃそうか」
綱吉が頬を掻く。沢田家の窓ガラスがビリッとした振動をする――無論それが二人に見えるわけはないが――、直後、爆発が起きた。自室の窓ガラスが散るのを見て綱吉が青褪める。特異な話から、突如として現実に帰って血の気が引いたのだった。
間を置いてランボの悲鳴がひびく。それが絶える頃に綱吉はうめく。
「骸。おまえは何を体験してきたんだ?」
「おや、僕を軽蔑しない? かわいい部下を犠牲にして君の前にいるのに」
「…………。正直、何を怒ればいいのかわからない。何で髑髏――凪さんがそこまでするのか、骸がそれを受け入れたのか、復讐者たちがそこまでオマエを追いつめるのか」
ゆるく口角を吊り上げて、
「わからないですか」
「ああ」
六道骸は綱吉の額を見つめた。そこに宿るべき炎を、悼むように慈しむように。うめく。
「僕もわからないな。自由になったのか、前以上に強い枷で縛られたのか」
「骸。オレのところにいるんだろ」
「いいんですか? こんな僕で。君の道義に反するのでは?」
「髑髏ちゃんが自分よりも大事にしたいと思ったからオマエがいるんだ。しっかり、しろよ」
「…………」
六道骸は、哀れむように自らの喉元を撫でた。途端に幻覚が失せて、一人の少女が残るだけになる。クローム髑髏は、セミロングの毛先をいじりながら首を傾げた。苦笑を浮かべている。
「相変わらず甘いんだから。パクリとしちゃうよ」
「何いってんだよ?!」
「ねえ、ボス。これを見て」
クロームが差し出した右手には一輪の花がある。真ん中で黄色い花粉をつけて、ぐるりと白い花弁が囲んでいる小さい植物だ。幻覚で編まれたハルジオンに、綱吉は眉根を寄せた。
「見たことある。……凪さんが持っていた」
「そう。わたしじゃなくて、凪が、わたしのために道しるべを残してくれたの。いい子でしょう? だから覚えてね。ハルジオン。花言葉は、追想の愛です」





>>もどる