サクラのいくさ



 春が十回巡る。三浦ハルは沢田綱吉が持ち込んだ染井吉野が見下ろせる四階の部屋を与えられていた。場所はイタリア、かつて少女だった体躯を黒いドレスで包んでライフルを握り直す。
「ツナさん、ずっと本気だったんですよ」
「なにが……? ハル、あんまり前にでると撃たれる」
 沢田綱吉はボンゴレ十代目の肩書きを乗っけてから二年が経つ。二十代前半であるし、童顔ではあったが、二年の苦労は大きく重く濃厚で彼を潰す為に作用していた。目尻にはくっきり深い皺がある。
 若き苦労人は、前髪を掻き揚げながら、愛人のベッドに寝そべったままで、
「アサルトはハルには重いよ。発射の衝撃でケガするから、貸して。こっち使って」
「二発しか入らないからいやです」
「充分だよ、ハル」
 綱吉は自らのこめかみに人差し指を当てた。
「オレの分とハルの分だ。もしもの為に、ハルにこれを持ってて欲しい」
「……ツナさん。ハルを信用してませんか!?」
 差し出されたデリンジャーを受け取る。綱吉はアサルトライフルを受け取って、自らの足元に横たえた。ブラックスーツはボロボロに裂けて、申し訳程度に肩に引っかかる。襟首のシャツは大きく破られていた。うなじを辿るようにして、いくつかの赤い斑点が浮かぶ。
「ツナさん。ハルは、ツナさんにずっと本気なんですよ。ツナさんに仇名す輩はやっつけます!」
「わかってる。だから隠れた方がいい」
 ボンゴレは頑として告げる。ぷうっと頬を膨らませてハルはドレスの裾を持ち上げた。右の太腿には黒レースのベルトがある。デリンジャーを肌とベルトとの間に押し込めながら、ハルは、その小型銃の引鉄を軽く撫でる。
「隠れないです。戦えますぅー! ハルはツナさんの妻ですッ」
「…………。自分の命、大事にしろよ」
 決意を前にすると言葉少なになる。結局、襲撃者の目的が一つしかないことを知っているからだ。沢田綱吉が消沈するので三浦ハルは両手を広げた。励ますように、正面から抱きついて頬を押し付ける。
「日本の京子ちゃんも悲しくなっちゃいます。ボンゴレさま、旦那さま、ツナさま、ハルはどの名でも呼ばないですよ。ツナさんはツナさんですからねえっ」
「ハル……。うん、ありがとう」
 目尻をくしゃりとさせて、綱吉も巨大なクッションに預けていた背中を持ち上げる。緩くハルの背中を抱いて――後ろが大きく開いたデザインのドレスなので、素肌を探ることになる――、軽く唇を押し付ける。彼女の顎に。
 犬が尾を振るかのように、ハルは両目を明るくして自ら動いた。唇をにゅっと突き出して綱吉の前に突きつける。綱吉は、タコの口を前に苦笑した。
「ごめん。染井吉野、また贈るから。新居にも植えよう」
「いいんです。ハルはツナさんが炎上しなければ」
「……それ、どういう意味?」
 ディープキスを中断して綱吉が半眼になる。
 ビシッと刺したのは、旦那の首筋にある無数の斑点だった。
「どこまでされたんですかあっ。ハルは許しませんよ、不純同性交遊なんて絶対絶対絶対ゼッタァイ、いやです! っていうよりも夜のツナさんを知ってる人が増えるのは嫌です!!」
「その心配は無用ですね。僕はほとんど昼なので」
「ぎゃあああああ!!」
「きゃあぁぁああああ?!!」
 ベッドから転がり落ちた男女は、急ぎ、それぞれの銃口を窓に向けた。黒衣の青年は、窓枠に片足をかけて、もう片手で2cm程のワイヤーを握る。手放すと、しゅるんっと音をたてて空高くへと巻き取られた。
「……もちろん、その人がつれないせいで、夜は絶対に僕を近づけないからですけど」
 青年はサングラスをかけて顔面の特徴を隠していた。その特徴は際立っており、一目で彼を見分けることが可能なので警戒しているのだ。ハルは一年ほど彼の裸眼を見ていない――彼の背後では、炎をつけた桜の花びらが舞い上がる。火付けをしたのも、ボンゴレの第二邸を襲撃したのも、彼と配下の者である。
「こ、ここで会ったが一万年と二千年目!!」
 弾かれたように叫んで、ハルの右手がドレスをまくる。
「染井吉野の仇ぃっ……!!」
「駄目だよ」綱吉が右手を抑えた。両眼は、ギラリとして黒の青年を舐める。
「女の人を脱出させろ。おまえが欲しい物はココだ。逃げない」
 自らの胸に掌を当てる。憎々しげに歪めた相貌はケモノの皮を被ったようで、深く刻まれた皺がさらにクッキリ浮きたって、綱吉の顔面を老人にする。
「ツナさん。やめてください、こんな老化の原因に……!!」
「三浦ハル。ボンゴレの第一愛人ですね。殺したがってたの、知ってるクセに」青年は怪しくうめく。沢田綱吉は眉間をさらに寄せ合わせてライフルを胸の前に引いた。
「この頃、もう、おまえを殺すのが人生一番の仕事じゃないかと思うよ。オレにしかできない使命だ」
「それほど真剣に考えて貰えるなんて光栄ですよ」
 さらりと流して青年はカーペットに降りる。だぁん!! と、足元に命中した弾丸は、
「ハルはツナさんの妻です!」
 デリンジャーの発したものだった。涙目で青年を睨みつける。
「侮辱するなぁ! ハルだって、ツナさん愛して――六道さんなんて死んじゃえばツナさんずっと楽になれるのに!!」
「ハル、危ない!!」
「僕ってどうしてこう、誰にも歓迎されないんでしょう」
 呟く声音はこだわりがないが、拳銃を突きつける速度は尋常でなかった。ハルに飛びついた綱吉の左肩を抉って、壁に黒い銃創を作る。
 六道骸は蟻でも見下ろすような態度で男女を見下ろした。
「君の立場は愛人っていうんですよ。知らなかったんですか。正妻は笹川京子でしょう」
「っ、ハルだって妻ですもん!!」
 血を流す肩を放置して、綱吉は必死にハルの頭を抱え込んだ。こめかみにキスして、
「ごめん――、書類上のつご――ぐ、ッ?!」
 肩にブーツの底が叩きつけられた。
「地獄巡りの刑」
 冷えた怒りをこめて蹴り上げられて、綱吉の絶叫がこだまする。骸は、完全に倒れる前に綱吉の前髪を掴んで自分の元へと引き寄せた。
「罪は目の前で不快なものを見せつけたこと。執行猶予はナシで刑は即日実行。死にますか?」
「っっ、ね、るかァ!」
 片手で骸を突っぱねたまま、ライフルを振り被る。ハルを庇うときにも手放さなかった。六道骸の胸に銃口がひたりと当たる――が、一瞬だった。
 銃声が響く。遅れてハルの悲鳴が重なった。両手にしたままのデリンジャーから、黒い煙が噴き上がる。
「…………ぐっ」
 綱吉は、苦しげに脇腹を抑えて膝をついた。
「ごめんなさいね。丁度よかったから」骸は銃身を握って自ら銃口を引き寄せたに過ぎない。それを詫びるように、即座に浮かんだ脂汗でぬめる綱吉の頬を舐める。
「あっ……。ツナさん」
 目を丸くして、ハルが小型銃を落とす。
「そんなっ、う、うそっ。ツナさん!!」
「でも君が僕の手でなく、僕らとは無縁な第三者によって死すのは認め難いですね。何で防弾チョッキを脱いだんですか? 死にたがる人だ」
「うっ……。ぐ……。医者を」
「ツナさん!!」ハルの歩み寄りを制止したのは綱吉その人だった。カーペットに血だまりを作り、背中を丸めて蹲ったままで右腕を伸ばす。がくがくとしていた。
「……ハルのせいじゃない……。だいじょうぶ」
 確信と憎しみを込めて六道骸を睨みつける。彼は焦る様子がなかった。つまらなさそうに、ため息する。
「僕のせいですか。いかにも君らしい台詞回し……っていいたいところですけど、確かに僕のせいですね。文句でもあるんですか」
「うっ!」
 腹蹴りがトドメになって綱吉はカーペットの上に倒れた。今度こそとハルが両腕を伸ばすが、
「では。治療費と三浦ハルの生存代金、この度の完勝の褒美も含めて一ヶ月ばかり借りますか」
 ズルズルと骸が腕を引くほうが早かった。すぐに肩に担いで、
「ああ、これで夜にもこの人と会えますね」
 からかうよう付け加える。そのイヤミを告げる為だけに足を止める、それが六道骸の余裕であり油断だった。部屋中のガラスが一斉に砕けたような音が響く。
 三浦ハルは表面張力で涙を堪えたまま、アサルトライフルの引鉄を引いていた。六道骸が目を見張る。0.1秒にも満たない緊迫のアーチはすぐさま最高潮に達し、だんっ! という強音が響き渡った。壁に背中を叩きつけたのはハルだった。発射の衝撃に耐えられずに体が跳ねた。
「…………」六道骸は、赤と青をした神秘の両眼をゆっくり瞬きさせる。
 信じられないように掌で傷痕を撫ぜる。サングラスは粉みじんになって、目尻の横に薄っすら赤い線が走る。即死を免れたのは奇跡的だった。
「ツナさんを……、置いてけえ……!!」
 雫をボロッとさせつつ、ハルが震声を絞り出す。
「これは驚いた……。蟻っころに靴を昇られるとは」
 手の甲で流れた血を拭う。冷酷な光が両眼に灯る。六の刻印が刻まれた赤目が、鈍く光ったよう見えてハルはライフルの尾っぽを急ぎ引き寄せた。能面のような顔で見下ろすだけ、逆襲はしないまま、骸は綱吉を肩に担ぎ直す。
「僕が瀕死の荷物を拾ってなかったらどうなるか」
 針で刺すように、鋭く冷淡に告げる。声には抑揚がない。
「次に会ったら殺す。アリーベデルチ」
「!! 待つんです!」
 第四の銃声が響く。六道骸は窓から飛び降りた。
 三浦ハルは一人、カーペットに尻餅したままで燃える花びらを見上げた。桜の花、その桃色が血のように見えて、その血が故に燃ゆるよう見える。骸はアリーベデルチといったが、
「こっちのセリフだからあ!」
 ごしごしと涙を拭って、
「デストロイっっ!!」
 景気付けに叫ぶなり、ハルは寝室を飛び出した。包囲網を固めればボンゴレ十代目を救出できるかもしれない。まだ。


おわり




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