Limit

 紙でもビニールでも絹地でも、指先に快感が走るくらいにスッときれいに二つに裂ける瞬間がある。そっくり同じ快感を伴って、仲間の耳に雲雀の囁きがこだました。
「煙幕」
 廃屋の隅で格闘していた影が止まる。ビクッと前のめりになった。一瞬後には、右腕を振り被る。筒状の爆発物が二本、天井にぶつかった。ガス漏れのような音を立てて白い煙が隅まで充満する。それまでは、馬が走るような音で床を踏みつけていたが、雲雀は豹の足取りに切り替えて獲物の背後へ飛び掛った。
「ぐぅ!!」
「ボス!」
「雲雀! 十代目を!」
「こっちのが僕には大事」
 切り捨てを決め付けて、雲雀は獲物に二撃目を加える。首に向けて横殴りの一撃だった。ガギィン! と、金属同士がぶつかるような音を立てて、壁まですっ飛んだ。
「――テメーはしょうがねえな! 十代目!」
 降り立つ雲雀の真横を獄寺隼人が駆け抜ける。黒く塗られた扉に殴りかかった。
 雲雀は着地と同時に煙幕の向こう側へ目を凝らす。
「首の骨が折れたかな」
「雲雀さん、後ろッ」
 獲物が跳ねたことで煙幕に割れ目ができた。雲雀の目には三叉槍を手にした少女が映る。スレンダーな体躯を浮き上がらせる黒色の衣装。黒光りする手袋。その人差し指の先を辿るまでもなく、雲雀は左腕を胴体に引き寄せた。片足の踵だけで方向を変えて、回転する。思ったよりも左肘に重い衝撃がかかった。
「…………っ」
 雲雀が息を止める。右足で踏み込んで、回転を強行させた。ダァンッとした音響の後に煙幕が晴れる。数メートル先で、雲雀の三倍の横幅がある巨漢が昏倒していた。
 頭上の煙幕も晴れ渡った。小柄な女体が跳ね上がって、槍の尾を下にして急落した。悪趣味なドクロ型のネックレスが光沢を放って揺れる。
 巨漢の鳩尾を正確に突くと、クローム髑髏は眉を寄せた。雲雀も眉を寄せる。
「僕の獲物に何をするの」
「ごめんなさい。丁度、できると思ったから」
「二人とも、頭下げた方がいいぜ」
 日本刀を小脇にした少年は、遅れて二人に並んだ。
 間髪を入れずに爆音が膨れ上がる。扉と壁の一部とを吹き飛ばして、獄寺は蒼白の面持ちで駆け込んだ。すぐさま歓喜を帯びた呼びかけが聞こえてくる。
「無事みたいだね」
 頭髪に降りかかった木屑塵屑を振り落としつつ、雲雀。クロームは力んでいた肩を撫で下ろした。一方で山本武は日本刀を握り直す。戦士の眼差しをしていた。
「まだお出ましだぜ。どうするんだ?」
「撤退は」
 クロームが顎を上げる。唇をむずむずさせつつ、雲雀は連中を一瞥した。階段を背中にして肩で息をしている。ざっと十五ほど。各下の連中だが、雲雀が信頼する家庭教師はそうした連中を相手にするなと教えるが。
「ケンカってさ、引いたら負けだよ」
「それはヤッちまえという意味か?! 雲雀恭弥!」
「ぎゃあああ?!」階段の下から走りこんできた人影が、連中の数人を蹴り倒して顔をだした。笹川了平はスーツ姿で両手にボクシンググローブを嵌めた不恰好を晒しつつ合流する。
「他は?」
「寝てるな」
 雲雀と笹川は、互いに小さく頷いた。
「おい! 奪還したぜ!」
 目をうきうきとさせて獄寺が戻ってきた。肩の上でぐったりしているのはボンゴレ十代目候補筆頭、沢田綱吉である。簡単なランニングシャツにパンツだけの無残な姿だが、――その上に今は獄寺隼人の上着を被せられているが、山本は怪訝に獄寺を見返した。
「奇跡的だ。お怪我はされていない」
 涙ぐみつつ獄寺が歯を見せる。山本が目尻を柔らかくして綱吉へと笑いかけた。
「セーフだな。上々!」
「十代目に何かあったらオレもーマジで……」
 バッドの要領で日本刀を構えながら、
「獄寺、ちょっと待てよ。壊滅させてくことになったから」
 ところで、控えめに挙手したのはクロームだった。
 気まずそうにしながらも唇をぱくぱくさせている。四人の少年が振り返ると彼女は槍を両手に持ち替えた。
「先生は、まだ待機しろって言ってた……。暴れすぎも、きっとよくないと思う」
「ハァ? テメーざけんなよ。十代目の一大事なんだぞ。リボーンさんはもう厳密にゃファミリーの一員じゃねえし――、オレの判断に間違いあるってか?!」
「そういうことを言いたい訳じゃな」
「赤ん坊の言いつけ云々なら、僕らが動いた時点でアウトだろ」
 遮る形で雲雀が口を挟む。その両腕にはトンファーが張り付いた。傍らで了平が強く頷く。
「うむっ。細かいことなど気にするな!」
「要は叩きのめせばいいんだ。勝てば文句も無い」
 鬱蒼と笑い、敵陣を睨む眼差しには容赦の一切がなかった。雲雀恭弥の黒目には喜悦がある。それに気がついて山本武が苦笑した。
「戦闘マニアだなー。でも野球と同じだぜ、そういうのって」
「テ、テメェッ。十代目の奪還作戦を野球なんてくだんねー球遊びと同列にすんじゃねえっ!」
「ええ? それだけ本気って意味なんだぜ」
「納得できるかっ!」
 片手をわきわきさせつつ、獄寺は眼光を鋭くさせた。
「テメーらもだ! ゼッテェ、殺す。果てろ。よくも十代目に恥辱を――」
「君はそれ以上動かない。ボスを持ってるから」
 進み出た鼻先にトンファーを突きつけて、雲雀。クロームと山本が頷いた。不本意で目を丸くする獄寺をよそに、笹川が、ニッと歯茎を見せてグローブを掲げた。
「どうだ、これがボンゴレファミリーだ! 見事な絆とチームワークだろう?! 俺達は熱血なのだ!」
 当人を除く守護者全員が、複雑そうな眼差しで笹川をまじまじ見つめる。文句が呟かれないまま、連中の壊滅を迎えて事態は収束を見るわけである。


おわり




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