あなたに花をあげる




花畑を前にしてクローム髑髏は口を噤ぐ。その眼差しの先で六道骸は沢田綱吉を抱えたまま足を止めていた。沢田の体を横にして膝裏と背中とを支えて、風が吹くのに逆らってブーツで花を踏みしめている。
「骸さま。わたしにできること、ありませんか!」
クロームは見えない壁に道をふさがれていた。クリアな壁だ。薄いか、厚いかはわからなかったが、拳で叩いても壁がビクともしない。
六道骸は綱吉を抱えたまま真前を睨んだ。
「聞いたことはありますが。ナイトメアっているんですね」
紫色の雲が花畑の半分を埋めている。雲は巨大な馬の形を作って、ゆっくり、ゆっくりと少年二人に向けて蹄を降ろしてくる。
「危ない! 骸さま! ボス!」
「まぁホントに実在してるとは思いませんが……。どこのファミリーですか? 沢田綱吉に悪夢を見せて利得が生じるんですね?」
確認しながら骸は片足を下げる。
「骸さまァ!! 壁を! 壊してください!」
「それは無理ですよ。その壁は、君の頭にある殻です。つまりは脳ってことです」
「?! わ、わたしも幽体離脱します! 骸さま、させてください!」
その術を少女は知らない。六道骸は毅然として首を振る。
「余裕がないですね。この状態で君まで来たら面倒です。ジッとして」
最後の言葉と共にオッドアイが降る。沢田綱吉の寝顔を一瞥すると、体を胸に抱え込んだ。悪夢の蹄は頭上に迫り、音もなく、骸が目を閉じると同時に二人を呑み込んだ。
「ッッ、骸さまぁあ! ボス……ッッ」
壁にツメをたてるとピリッとした痛みがこめかみを走る。クロームは膝を折る。透明な壁の向こう側で、蹄が着地した為に起きた爆風で花が吹き散らされていた。
クローム髑髏は目を見開かせる。散った花が壁に張り付く。パンジーだった。

*****

目覚めて、少女は自分の体を探った。急ぎ、全身鏡を覗く。ネグリジェは邪魔だ。即座に肩から払い落として、全裸になると背中を鏡に向けた。体には傷一つない。
ほう、と、ため息をついて、クローム髑髏は脱いだばかりの下着とネグリジェとを握り締めた。
「骸さま、無事だったんだね……。よかった」
反応はない。力を使った直後は、六道骸は深い眠りに落ちる。
下着を着直し、黒曜中の制服を着込んで、クローム髑髏は狭い室内を見渡した。屋根裏部屋が少女の住まいである。千種と犬と、三人で廃墟の一室に住み着いている。
「パンジー……。季節はいつだったかな」
天井には木製の柱が走る。四隅には埃が貯まる。その表面を眺めつつ、クローム髑髏は鏡に向かい合った。六道骸のために髪型を作るのだ。分け目ばかりは、毎朝、自分でセットする必要がある。

*****

パンジーの季節は夏ではない。しかし花屋では売っていたので、クローム髑髏は少し安堵した。改めて、この国は便利だと実感する。この実感をこれまでの人生で得たことはなかった。これも骸のおかげだと、思い直して、玄関の呼び鈴を押す。沢田綱吉が扉を開けた。
「あれ? クロームさん?」
「おはよう。ボス。何かおかしなことはありませんか」
綱吉は黙り込む。Tシャツに短パンに、簡単な部屋着姿だ。不思議そうに目を丸くしたままで少年は首を振る。
と、リビングの方から女性の声が割り込んだ。綱吉の母親だった。
「つっ君、お友達? あがってもらって!」
「あっ。ああ、どうぞ。クロームさん」
「ううん。いいの」
首を振る。クロームは、両目を伏せたままで後ろ手に掴んでいた花束を突き出した。たった三輪のパンジーが白い包み紙に包まれている。
「ボス。あなたに花をあげる」
「え? く、クロームさん……? オレ、何かした?」
「ううん。したのはボスじゃないの。でも、この花を忘れないで……。わたしにできるのは、それくらいなの」
強引に胸に押し付けられて、綱吉は戸惑いながら花束を握り締めた。クローム髑髏はホッと微笑を浮かべる。その微笑に目を丸くしつつ、綱吉はパンジーを見下ろした。
「深い意味があるの? これ」
「うん。ボス。わたしが大好きなあの人のことを」
「骸? ……大好きなんだァ?!」
ギョッとするのを置いて、少女は微笑みを満面にする。
「うん。骸さまを、忘れないでね。骸さまは何も言わないけど、きっと悲しいって思ったりくらいはする。言わない分だけ、わかって欲しいなんて我侭は言わないけど、でも少しくらいは覚えて欲しいの」
「アイツって涙腺なさそう……」
「ボス。お願いだからね」
苦しげに眉根を寄せて、クローム髑髏は踵を返す。
「クロームさん。あがってもいいんだけど……、あー、バイバイ!」
呼び声を背中にしつつ、クローム髑髏は目を閉じる。六道骸はまだ深く眠っているようだった。目蓋をあければ、広がるのは青く染まる空で、悪夢の一欠けも残っていなかった。祈る為に跪くこともなく、神への誓いも口にすることなく、少女は目を開けたままで祈りをかけた。

 


おわり




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