紅葉の枝



「実はちょっと怖いンです」
 並んで歩き出して数分、沢田綱吉がぽつりと洩らした。
「ハイパーモードになったときって、まるで自分が違う人になったみたいだ。あれって誰なんでしょう? 記憶もあるし、どう動いてるかもわかる。でもなんか――アドレナリン注射なんてされたことないけど、似てるとしたら、そんなもんなのかな? 自制心とか恐怖心とか丸ごと全部吹き飛んでしまうンです。友達を守れる大事な力だってことはわかるンです。ただ、たまに、夜に一人になったりすると、人を守れても自分のことは守れないんじゃないかっていう気になって……。みんなを守れるのに不満はないんだけど……。みんなの為に死ねっていわれてもいいンだけど」
 両脇からは枝葉が伸びる。彼は、色とりどりのカエデの葉を眺めていた。色濃いイエローカラーの瞳を柔らかに窘める。
「小を犠牲にして大を守れってな。でも部下のために命張んのはやめとき」
「とか言いながら、ロマーリオさんが死にそうになったら庇うでしょう? ディーノさん」
「そりゃあな」
 フッと吐息をついてから歯を見せる。綱吉は安堵した。
「ディーノさん。あっちから並盛町を見たらキレイですよ」
 指差した方角が遊歩道を外れている。ディーノは頷いて木板を張り合わせた歩道を降りる。綱吉も降りた。並盛町の外れにある丘にはカエデの林がある。雲雀家の管理区域になるが、多少の暴挙も許されるとの自負があるので綱吉は林を突っ切った。パキパキと枯枝を折り、みしみしと草花をローファーで踏んだ。こんもりした紅葉の葉がアーチを描く。トンネルのようになっていた。潜り抜けると道が開ける。先程の歩道よりも傾斜のキツい斜面になった。ディーノは驚いて目を丸くした。
「町を見下ろせるのか! いい景色だな」
「ヒバリさんが教えてくれたんです。ココの上が特等席だから、紅葉狩りならそこでしろって去年の今ごろに言い出して」
 斜面の上を指差す。綱吉はロングコートの裾を掴んだ。丸めて、ぎゅうと固結びにする。腰の上あたりにコブをつけるのに似てる。
「面白いンですよ。一番の特等席は自分ののにしときたいからって、わざと絶景ポイントを外して遊歩道を作らせたんですって。あの人らしいですよね」綱吉は草を掻き分けて上を目指す。体を前のめりにした。大きく足を上げなければ前に進めなかった。
「らしいっつーかワガママっつーか……。ま、恭弥のやりそうなことだけどよ。根が女王様キャラなのな」
 ぼそぼそ呟きつつ、ディーノはも同じようにコートの裾を結ぶ。
「ツナ! 置いてくなよ。こけるって、俺」
「手を」振り向き様に綱吉は手を降ろした。ディーノの鼻先に、真っ直ぐ切り揃えられたつま先が並ぶ。きれいで小さな掌だった。綱吉は静かにディーノを見下ろす。
「せっかくだから見せたい。ディーノさん」
「ま、マジでえ? いや、きれーなんだってのはわかるけどよ。部下がいないんだから、ぜってえこけるって……。ホラな!」
「あ、あぶないって!」
 冷や汗しつつ、綱吉は両手でディーノの手を掴んだ。先に行かせて、背中を押す。
「すまねえな」
 時折り振り返りつつ、ディーノも両手を地面について登り始めた。緊張の為か汗が浮かんでいた。綱吉は自分より一回り大きい体を慎重に押して登る。背中を押し上げるのに夢中になること五分、頂上が近くなった。青年二人は肩で息をしている。
「ディーノさん、部下がいないときはどうやって生活してるの」
 ぜえぜえとしながら呆れてもディーノは笑った。気負ったわけでも自嘲するわけでもなく、ただ単に奇妙な質問を笑い飛ばした。
「そんなとき、ねえよ。ツナだけだ。プライベートでわざわざ二人きりになるのなんて。あとリボーンもいるが、あれは、ニュアンス違えからな」
「ニュアンス、ですか?」
「あいつのあれは仕事だからな」
 ふっと重みが消える。斜面がなだらかになって、ディーノが自分の足で立った。
 両手の土を払い落とすため、パンパンとしながら、
「うわあー。すっげえな! メープルすげーっ!」
 両腕を広げる。左右と上下から楓の枝が伸びて楕円型を作り、その中に並盛町があった。腕を伸ばせば、両腕で景色を抱え込めるように見えるのだ。それを知っているので綱吉はけらけらと笑った。
「きれいですよね?! 長らくヒバリさんが一人占めしてた景色ですよ」
「マジでー? ずっりィぜ、恭弥のやつ」
 立ち位置を変えて町を見下ろし、ディーノは両目をうきうきさせる。
「あそこ、すっげえきれい。ツナ。雲の形が浮かんでる」
「あんまり前にでると、ころびますよ……って」
 がしりと肩を掴んだ次の瞬間、ディーノが足を滑らせた。不恰好に尻餅つきつつ、兄弟子は頭を掻いた。
「ディーノさあん……」
 半眼で睨んでから、綱吉は袖を引く。
「昨日まで鬼神のよーに鞭を振るってたオニイサンには見えないですよ。それじゃあ」
「あいつは鬼なんだよ。例え話じゃなくてな、部下さえいればの話だが」
 ぐっと力拳を作って見せる兄弟子。綱吉は枯葉に腰を降ろして体育座りをした。町を見下ろす瞳は、ディーノを視界に入れているが見てはいない。
「ディーノさんは……」
 力拳を軽く叩きながら、ディーノは綱吉の隣に座る。両足を大きく広げた。子どもめいた仕草だが、弟弟子を見守る眼差しは老人のものに似た。自分の価値を知り、あくまでその立場から迷える子鹿を導こうとする。
 ゆらゆらと地面に向かう紅葉を見つめるのをやめた。綱吉はディーノを見上げる。
「怖くなったりしないんですか」
「ならねえよ。受け入れてるから」
「オレもいつかそうなるかな……?」
 しばし黙った後で、ディーノは笑みと共に感情を消した。能面のように、無表情になって冷めた瞳を綱吉へと返す。
「おまえさん次第だな。ハイパーモードになりたくないって思うのか?」
「思わないです。でも、夜に一人になったりしたときとか。オレはどうしちゃったんだろうって思うンです。自分の、今のこの意識って死ぬ運命にあるのかなぁって思う……そうなンです。どうしたらいいんですか。ハイパーのときの彼はオレなのに違う人に感じる。今のオレって何なんでしょうか? 確かにオレなのにハイパーの時の彼のがボンゴレに相応しいとまで思うンです。オレって誰なんでしょうか? わかりますか、ディーノさん」
「その感覚はずっと続くぜ。人格が二個あるみたいなんだろ」
「ごめんなさい。こんなこと、あなた以外の誰にも言えなくて。おかしいンです。妄想が止まらない」
「夜に一人になると特に?」
 綱吉は枯れた葉を見つめる。やがて、うな垂れると暗く視線を彷徨わせた。
「病院に行った方がいいと思いますか」
「大丈夫だぜ。オレも昔、そう思ってたから」
「ホントですか?!」
 上半身を跳ね起こしてディーノの腕を掴む。咄嗟の行動だった。すぐさま恥じ入って、綱吉はまた視線を迷わせる。その背中を気楽に叩くのはディーノだ。
「おかしくない。慣れてくるぜ」
「そうなんですか? わからなくて……、ディーノさん」
 一度は虚脱させた指先に力を戻す。
「ツナ、もみじを見ろ」彼は膝に手をついて立ち上がった。綱吉の手をさらりと振り解いて、その腕を伸ばし、枝を手折る。親指と人差し指で裏に返しにしたり表に返したりとして、
「わかんねえなら、ほれ」
「んぶっ。……え?」
 鼻先に柔らかなものがぶつかる。紅葉だ。
 綱吉はまじまじと葉の表面を見つめた。細い筋が浮かび上がり、紅葉の隅々にまで枝葉を伸ばす。人間の血管のようにびっしりと張り巡らしてある。歯の先端は燃えるほど赤く、下の方は薄い橙色だった。
 枝を受け取ると、ディーノが胸を張る。
「色が変わってもみじが出来るだろ。それがツナが妖しがってる男の正体だよ。そいつはもみじ。オレたちは、このっ、樹!」
 ばしんっと楓の幹を叩く。紅葉が新たに散った。
「これだよ。緑色の葉をいっぱいつけて、長い間はそれだけど、時間と一緒にもみじに変わって来年にまた緑の葉にもどる。入れ替わりでなるンだよ」
 綱吉は目を丸くして聞き入った。掌が独りでに枝を握り締める。ディーノはニィッと歯を光らせる。風が出ると、紅葉が揺れるのに混ざって金色の髪がなびいた。
「ツナは緑だらけの樹だ。オレはもみじだらけの樹」
 綱吉に渡した枝から紅葉を一枚千切った。はらりと自分の胸に落としてみせて、呟く。
「こうやって散るんだけどな。もみじは」
「……ディーノさん」
「ツナ。来いよ。抱いてやる」
 骨ばった掌が綱吉の前に伸ばされた。
「…………」眩しげに目を細めていた。並盛町を背中にして、柔らかく微笑む青年に全てを預けたい衝動に駆られる。綱吉はおずおずして腰をあげた。ディーノの胸板に手をついて、ゆっくりと背中まで回す。
 がば! と、綱吉よりも勢いをつけてディーノが抱き返した。
「安心しろよ。一人じゃねーから」
「…………」チラと上目で伺って、しかしすぐに視線を反らす。頭を撫でてくる大きな掌がある。完全に身を任せたのは数分ほどだった。綱吉が体を離す。ディーノは苦笑混じりに肩を竦めた。
「オレはおまえさんの役にたてそうか?」
「ディーノさん、ありがとう。なんかちょっと泣けそう」
「泣いてもいいんだぜ。オレは気にしない」
 ぶんぶんっと首を振るのは綱吉だ。青年はけらけらと笑った。会話が消えると視線で街並みを捉えて座り込む。自然と、どちらからともなく他愛のない話を持ちかけていた。
 冗談の言い合いを堪能したのが三十分ばかり。紅葉は静かに舞い落ちる。太陽が夕日に変わるころ、引き上げた。
 遊歩道に戻るまでには、二人は身体中を枯葉だらけにしていた。
「ぺっ! ぺ! く、口にもみじのヤロウがッ」
 ディーノが派手に転んで滑ったのだった。
「うちに寄ってくださいよ。手当てしますから」
 共に擦り傷だらけだ。未開封のバンソウコウをひらひらさせつつ、綱吉は眉根を寄せた。ディーノが堰き込む。その手は、綱吉の頭についた紅葉を払い落としていた。
 沢田綱吉が、もうひとつの質問をしようと決めたのは些細なことだった。遊歩道が尽きる頃になる。これからは夕食を食べてディーノをホテルまで送るのだ、が、兄弟子は言った。
「まだもみじ見たかったな。な、ツナ」
「はい?」
「来年も来ようぜ」
「ディーノさん。もうひとつ、いいですか?」
「ああ」ディーノは眉根を寄せ合わせる。
 声色から、察したようだった。
「リボーンは好きです。オレの師匠なんだって今はちゃんとわかってる。でもずっと疑問なンです」
 言葉を切ると、不思議と、その先は立ち入り禁止の領域に思えて怖気づいた。ディーノは険しい顔をする。
「黙るなよ。いってみ。オレだけしかいねえ」
「……紅葉に例えましたね」
「ああ」
「樹に紅葉を作ることこそ、アイツの教育方法なんじゃないかなって思うンです」
「…………」
 常にはない厳しい顔をしたままで、ディーノは口を引き結んだ。何かを言おうとうっすら開いては、やめて、考えてまた口を開けるがやっぱりやめる。三度ほど繰り返した。結局、
「ツナ。オレはあいつを恨んじゃいねえ。おめーさんは?」
「わからない」
「そっか」
 ディーノは低い声で囁いた。
「オレ達だけの秘密にしとこうな」
 実際に体内の心臓を触ったことなどないが、ディーノの言葉は確かに触れたような錯覚をもたらした。ぎゅうっと握り締めて呼吸を止めるのだ。綱吉は、目眩を耐えながら、ディーノの怒った瞳を仰ぎ見た。
「ああ、腹がたってるワケじゃねえ。ただあいつを敵にするのは難しいと思うだけさ。オレやツナにはどうにもなんねえ相手だ。一番近かったから、わかるだろ」
 頷く。綱吉は震声を洩らした。
「あいつをどうこうする気はないンです。たまに、……夜に一人になったりすると思いつくだけで」
「わかったよ。じゃあそういうときは、」
 青年は綱吉に歩み寄る。怒った目をしたままでキスをした。
「こういうことをしよう」
「……ディーノさん」
 眉間に皺を作って、しかし強いことは何もいえず、綱吉は途方に暮れた。

 


おわり




>>もどる