海と塩のテロル

 

 


 沈むつもりで身を投げたのに浮き上がる。僕は軽く絶望して陸にあがった。自殺未遂とか、まぁ、そんなものなのだろうが、どうして浮いたかと言うと海が死海の塩分濃度を持っていたからだ。少し、海水を呑んでしまって喉が焼けたように痛い。僕は目を瞑る。目の前に死海があるわけでもないし実際に身投げしたわけでもないけど、
「ヒバリさんっ、減速っ!!」
 そんな気分になるのだ。
 背中にしがみ付いてる子がキケンを報せる度にそうなる。
「喋ると舌を噛むよ」
 ぎゅりりり! アスファルトにまだらな線が刻み込まれる。傾きとは反対の方向に体を倒して、機体を持ち上げて、グリップを握り締めた。カーブで減じた速度がすぐに戻ってくる。
「ぎゃっ、ぎゃああ?!」
 ぐんっと上がったスピードで悲鳴があがる。
「安全運転っ。あんぜえんっ! うわあああ!」
 背中に体温がくっ付いている。この体温が、悪夢を呼び込んで、また海に沈んでみたくなる。浮き上がるとわかっても。
 喉が焼けるように痛い。正面から噴き付ける暴風で気がはやる。なのに、両手両足が痺れて、喉の痛みがちらついて背中の温もりが憎くなってきて、フェンスを突き破って絶壁の向こう側に飛び込みたくなる。
「っ! 来る!!」
 不意に、弾丸みたいに彼が叫ぶ。
 肩越しに見てみれば、普段の気弱な目付きじゃなくて、ハイパーナントカになったときのように両目を吊り上げて遥か上空を見つめていた。ボンゴレ十代目の超直感とやら。僕が綱吉と知り合うキッカケになったもので、今の綱吉を支える最大の武器で、
 銃声が高速道路に響く。空からの狙撃だ。
 右に体を傾けて蛇行した。超直感は、今の僕達にとって命綱でもある。ますます加速をつけていく。
「沢田、次のカーブで破るから」
「!!」
 綱吉が目を丸くする。
 躊躇う間なんてない。カーブが迫る。海に飛び込む気分だ。例えば、ここは、断崖絶壁に面した急カーブがあって僕と綱吉は全速力で突っ込んで心中する。なんて気持ちがいいんだろうと思う。背中の温もりを感じたまま死ねるんだから。
「うっ……!!!」
 目前にフェンスが迫る。悲鳴を堪えて綱吉がますます僕の体に強く抱きついた。喉の痛さが両目に移る。目の奥が痛くなる。本当に、このまま、バイクごと海に落ちてもいいと思うのが不思議だけど受け入れてよかった。ただの現実逃避に過ぎないとはわかっていた。どぁんっと爆撃みたいな大音響と共にバイクから投げ出されていた。前輪がぐちゃぐちゃに潰れて、フェンスにめり込んでいる。それを見下ろしている。綱吉はまだ僕の背中にくっ付いていた。天地が逆さまになる――、下に広がる街並みが、海とか心中とかの幻想を全て取っ払う。
「…………っっ!!」
 背中の彼が手を緩めて、口角を噛む。
 手筈通りだった。両手から炎を噴出し、綱吉が浮き上がる。僕は両手をあげて綱吉のシャツを握り締めた。彼にぶら下がる形になる。
「うわあああああ!!」
 沢田綱吉は、両手と額から大火を噴出してヘリコプターに突っ込んだ。文字通りに。あとは打ち合わせ通りに。
「ヒバリ! 頼んだ!」
「っ!」
 僕の両足がヘリの窓を突き破る。
「な、なんだぁあああ!!」
 パニックになったヘリの内部には四人の人間がいた。一人は操縦桿を握り、一人がその隣に座って計器を確認して、一人が鎖を握って反対の手でピストルを握って、もう一人が――、笹川京子だ。猿轡を嵌められ両手を後ろで縛られている。
 仕込みトンファーの出番だ。
 じゃきりっと出したところで、笹川の妹が悲鳴をあげた。
「んんふんーっ!!」
 綱吉がヘリコプターの前方にしがみ付いていた。
「くそお! どのルートから居場所が漏れたンだ?!」
「この期に及んでまだ人質に意味があるとでも」
 思うのかな。謎過ぎる。笹川の妹の後頭部にピストルが突きつけられたが、
「ぎゃあ!」ほぼ同時に、トンファーで狙撃手の顎を砕いていた。笹川の妹を肩に担ぐ。ほんの数秒だ。ばらばらばらばらっ、奇妙な羽音を響かせて機内に黒煙がたまっていく。悲鳴が交差する中で一際鋭く叫び声がした。
「京子ちゃん!!」
 綱吉が、窓を破って手を伸ばしている。
「生きてるよ」
 額に炎を生やした彼は、ほっとしたよう、目尻をゆるくする。片手で笹川の妹の体を抱え、もう片手で綱吉の腰に抱きつく。綱吉は言葉もなく両手を伸ばして鋭く息を吐く。トドメとばかりに、機内が炎で包まれる。僕らはヘリを飛び出した。
 大パニックになる町中に着地して、綱吉はすぐに笹川京子を僕の肩から降ろした。遠方で轟音を撒き散らしながらヘリが墜落する。大惨事だ。こんなムチャは久しぶりにやる。
「大丈夫だったか。怪我は?」
「っ、」猿轡をズラされて、笹川の妹が目を潤ませる。思い余ったように綱吉に抱きついた。
「ツナ君。うん、平気。怖かった……!」
「ごめんね……。オレのせいだ」
「ううん」
 あやすように綱吉が京子の後頭部を撫でる。
 僕の頭からは死海が遠ざかる。代わりにホンモノの海が迫るのだ。身を投げたら沈むやつだ。
「……赤ん坊? 僕だよ。成功。相手? さあ、死んだンじゃないの」
 携帯電話を相手にしながら、恋人達に背中を向けた。僕にとっての救いは、沢田綱吉が一番に僕に助けを求めたことか。ともかくも彼女にキケンが及ぶ前に――、なりふり構わず、
『何がなんでも助けたいんだっ。ヒバリさん! 何してもいいから今すぐ助けにいかせてください!』
 やってくれるのは僕だけだと綱吉もわかってる。一時間前の口上が、まるで愛の告白みたいだったから、少し興奮した。
 赤ん坊のお説教を聞き流しつつ、ふと、肩越しに振り返れば、綱吉も僕を見た。
「ヒバリ。ありがとう」
「後始末は、ファミリーのほかのヤツにやらせてよ。疲れちゃった」
 頷いたのを確認して踵を返す。死海に沈むんでも海に沈むんでもなく。僕はベッドに沈むとしようかな。お礼とか言われるとホントウ、馬鹿らしくなってくるもんだ。




 

おわり





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