撮るもの撮られるもの


「…………」
逃げ道がない、と、わかったので沢田綱吉は最終手段に出た。男子トイレの個室に立てこもったのである。便器を前に頭を抱えていた。相手が追ってくる気配はなかった。
(死ぬ……)ぶつぶつとそれだけを繰り返す。
映画館だ。いつもの相手に拉致られて、まぁ、相手のおごりだからいいかという打算が働いて二時間ばかりを楽しんだ。六道骸は、基本は自分勝手でゴーイングマイウェイだが、ごくたまに気使いらしきものを見せて綱吉の好むものをチョイスしてくれる。本人も言っているが、実際、人を見る目は鋭いので、骸が用意するものは綱吉にとってのストライクゾーンを真っ直ぐに打ち抜くばかりだった。丁度、あ、これ見たい…と思っていた映画を日曜日に指定席、リクライニングシートで用意されて、よろめかずにいられるほど綱吉は欲が浅くない。
(骸を舐めてた……。アイツ、絶対、なんかこう……。なんかこう……)
ぶるぶると体が震える。ビィー、と、二回目の上映を告げるベルが鳴りひびいた。
「――っ変態なんだよ!!」
両手を拳にして吼える。
と、その途端、個室の外がざわついた。
ギクリとする。声をだしちゃまずかった。全て骸のせいである。
「今、女の声が」「だよな」若い男の声がボソボソと。居た堪れなくなってきて綱吉は再びしゃがみ込んだ。が。その若い連中が、ただ一つ閉まっている個室の扉に気がつかないワケもなく、すぐに扉をノックされた。
「〜〜〜〜っっ!! 失礼しました〜〜っ!!」
半泣きのまま、綱吉は扉を押し開けた。うおっと驚く連中を押しのけて男子トイレを出る。
と。
「あ、ほら、連れが来ましたから。失礼させていただきますよ」
美少女を両脇にはべらせていた少年が、売店の脇で待ち伏せしていた。
「エ。あれー? ウッソォ! 連れなんてホントにいたのォ?!」
「ちょっとお兄さん。三十分も放置されてたのに、それでいーワケ? 遊ぶならウチらにしないのォ? ノリノリで話してたじゃんか」
「すいませんねえ。それは、僕も暇だったからですけど」
気障ったらしく分け目を選り分ける。骸は、ふうぅ、と物憂げにため息をついた。
「彼女が戻ってきたなら必要ないですから。それでは。さ、君。行きますよ?」
親しげに腕を掴んでくる。綱吉は瞳を潤ませたままで拳を握り締めた。
膝下スカートにヒールのついたサンダル。双乳の谷間が見えるほど胸元の広がったキャミソールにノースリーブのカーディガンを羽織っていた。頭の右側には、赤い薔薇を模した髪留めがある。
「お。オレは、男だ――――っっ!!」
館内が一瞬しんとする。
「クッフッフ。冗談が好きなんですよね。男勝りで、いいことです。おや、思わず使ってしまいましたが、男勝りなんて評価を君に与えちゃいましたね。くはははは」
「六道――っっ! おまえ! おまええええ!! 何考えてんだ頭おかしいぞ!」
「ええ……。マジ引くんだけど……」
美少女の一人が後退る。綱吉はハッとして足を正した。ガニ股で骸に迫ろうとしていた。
「フッ……」さりげなく口角を隠したが骸が爆笑を堪えている。肩を震わせながら、組んだままの腕を引っ張った。行きましょう、と、カノジョをエスコートする男性さながらに歩いていく。
「わっ。ま、待て。いきなり歩くとヒールがっ」
「転びそうなら僕に寄りかかっていいんですよ?」
くすくすとしながら美少女二人組も目を丸くする他の客も売店のお兄ちゃんも置いて映画館を出た。
六道骸。今は僕は無害ですよというツラでにこっとしているが、本性を知るものには怖気ばかりが走る作り笑いだ。黒ジャケット姿で耳にはピアスをジャラジャラつけている。少年はポケットに手を入れて綱吉をギラリと見下ろした。午前中の柔らかな陽射が二人を撫でる。
「退屈しましたよ。どうしてくれるんですか。順応、遅くないですか?」
「なっ! むしろ短い方だろ――?! 映画観ただけなのに体が女になってもめげずにっいやめげたけど、まだなんとか意識保ってるだけで褒めろよ!!」
両手がぶるぶるとする。全てが信じられなかった。スタッフロールが終わって、ふうと一息つけば胸の膨らみが目に入った。クラリとして気絶しかけた。犯人は一人しかいない。幻覚を現実にする超常能力者、六道骸。彼に幻覚をかけられたのだ。現実になるという恐ろしい幻覚を。
「簡単に引っかかりますよね。学習能力がないでしょう」
「おまえな! 終いにゃオレだってキレるぞー?!」
「ほーう。キレてもらいましょうか」
「ああああ! 何このムカつく男!」
うわっと顔を覆うと髪飾りが揺れる。取ってやろうと手を伸ばすと、骸がやんわりと阻んできた。
「無駄ですよ。またすぐつけられる」
「……?! まだこんなくだらないこと続ける気か?!」
疑問には答えないで、骸は自ら青ジャンの男性に声をかけた。カラオケの呼び込みだ。
嫌な予感が脳裏を走る。綱吉に抗う術はなかった。どうにか、骸の気が済むまで付き合って幻覚を解いてもらわねば家にも帰れない。何しろ今の綱吉は女性体だ。
「な、何でこんなことに――?!」
カラオケの個室は鏡張りだった。その鏡に手をつけて自分をまじまじ見つめる綱吉である。
ノンアルコールでカクテルを注文して、骸もまじまじ鏡を見つめた。鏡越しに綱吉を眺めているわけだが。目聡くそれに気がついて、綱吉が睨みつける。彼は平然と奥に座って足を組んだ。
「……骸さん。こんなことして楽しいのか?!」
答えずにじろじろ眺めてくる。やがて、ドリンクが運ばれて、綱吉はため息を吐き出した。不幸だ。せっかくの日曜なのに――、と、また鏡を見て気がつく。
「にしても、この体めっちゃスタイルよくないか?」
思わず腰に手を当ててポーズを取ってみた。ヒールの右足を前に出してみたり胸を反ってみたりする。モデル並みの体型だ。古い言い方をすると、ぼんきゅっぼん、というヤツになる。骸は平然と答えた。手にはカクテルグラスがある。
「そりゃあね。僕の好みの体型ですから」
「へえ。理想高すぎないか? 絶対こんな人は電車に乗ってないぞ」
「僕の相手になるならそのくらいじゃありませんとね」
「…………。おまえ、嫌なヤツだな。同じ男としてどーかと思うぞ。知ってたけどさ」
「女になってる変態に言われるとは心外ですね」
「その変態を仕立てあげてるのは誰だ――っっ?!」
涙目で両手をわなわなさせる。骸は、ふうと吐息をだして綱吉を横目にした。
「どうぞ。唄うなりポーズとってるなり女体で遊ぶなり」
「あのなァ。こんな状態でオレの精神ガタガタだよ! 早く元に戻せ!」
すぐには返事が無い。骸も唄うつもりがないようで、鏡に視線を向けていた。鏡越しに視線を感じて落ち着かない綱吉である。思わず、爪先でカツカツ音を立て始めた時に骸が首を傾げた。カクテルを空にしていた。
「じゃあ。言うこと聞いてくれたら解放しましょう。できますね?」
「それが目的だな? いやだよ。こえー」
「僕をへたに刺激しますか。今、君は、僕の機嫌一つでどうにでもできる状態にあるんですよ。例えば服の幻覚だけを消――」
「こえーっつってるだろ?! おまえのそういうとこが怖いんだよオレは!!」
憤然と叫んでから、ハァッとため息をついて頭を掻いた。綱吉もとっととこの地獄空間から逃げたいのが本音だ。
「何すればいいんですか? これ、おまえの好みの体なんだっけ?」
「まあ、触らせろなんて醜悪なことは言いませんので安心してください」
「あっ……当たり前だぞ?!」
思っても見ない発言にビビる綱吉だが、骸は座る位置を変えろと指定してきた。
四隅の、テレビ向かい。通路側の扉からは死角になる場所だ。人間ひとりが上半身を寝転ばせても苦しくはないほどの長イスがある。マット製。そこに座り直すとサンダルを履いたまま両足をイスの上に乗せろという。さらにカーディガンを脱げときた。
「…………?!」
「目を閉じてください」
「?! ああ」
「で、膝を立てる」
「はぁ……?!」
数秒の逡巡の末に、おずおずと立てる。
スカートはあんまり長くないからパンツが見えるんじゃ? と、妙にこそばゆい思いで睫毛を震わせる。途端、綱吉の鼓膜はありえない音色を聞いた。カシャッ。
「は?! おい、何、撮影してんの――ッッ?!」
「気にしないで下さい。目を開けたら外にだしますよ?」
「て、てめええええ!!!」
「はい、叫ばないで下さい。これを咥えて」
「?!」
唇に当たるものが柔らかい。
パクリと難なく口にした。何かの生地だ。
「…………?!」
カシャカシャとシャッター音が連続する。眉根を寄せて耐えること数分。
「うん……。まぁ、こんなものでしょうかねえ。目、開けていいですよ」
骸の許しが出た。緊張させていた肩から力を抜いて、綱吉がゆっくりと目を開ける。長イスの反対側で少年がデジタルカメラのファインダーを覗いているのは予想済みだ。が。ぱちりと両目を一挙に開かせて、喉に詰まったような悲鳴をあげた。
「!!」咥えていたのはスカートの端だ。それも正面の布地だ。
綱吉は戦慄した。恐怖と羞恥心が同時に起こる。かぁっと喉から額までを熱くして、頬を羞恥に染めたままで急ぎ両手を振り下ろす。右手と左手が交差する形になって半端に下着を隠した。
「〜〜〜〜っっ!!」
内股をすり合わせて、壁に向けて後退りしていた。そうしながらも相手の非道行為が信じられずに目線を向ける。その瞬間、再びシャッターが切られた。パシャッ。
「ひっ?!」
思わず目を瞑る。
「あ、これは使えそう……」
「何させとんのじゃおのれは――――ッッ?!!」
カメラを取り上げようと綱吉が手を伸ばす。だが、骸はサッと後退りした。懐に戻す。
「おかずが欲しいなと思いまして。無修正もなんだか最近は味気なくて……、ここらで僕好みの体でも欲しいなァと思っても、なかなか、そういうナイスバディも見つかりませんからね。手ごろな幻術で調達しようかと思いまして」
「……?! ……?!」
六道輪廻より得た力を手ごろと言い切るこの男。綱吉は混乱していた。
ようやっと、うめく。
「し、信じられない……よ?! ありえないだろっ!」
「そうですか? イイいびりネタで一石二鳥じゃないですか」
「ああああええええ?! い。いいのか?! お。オレの顔ついてんだぞ?! どんなにナイスバデーでも!!」
「要は体じゃないですか」
骸は堂々と非人道的なことをのたまう。イスに座りなおして足を組んだ。
「顔は一切気にならんというのかよ?!」本気で六道骸が理解可能な範囲から逸脱しているので綱吉は青褪める。骸は、考えるようにして小首を倒した。
「別に、そりゃあ視界には入るでしょうけどそんなに気にならないでしょうしね」
「……?! ?! ?! ?!」
「約束通りね。どうも、お疲れさまです」
幻覚が解けると、もとの格好だ。Tシャツにスニーカー。しかしそれを喜ぶ余裕がなかった。綱吉の背中が脂汗でグッショリ濡れている。……おかしくないだろうか?! 骸は気にした様子もなく新譜本をぺらぺらとめくっていた。
「ああ、君にもプリントアウトしたの送ってあげますからご心配なく」
「?! …………?!」
首を傾げたまま綱吉は真っ青になっていた。何気ない骸の視線から並々ならぬものをビシバシと感じる。まだ……、まだ、キスと写真だけで済んでいる内にどうにかこの男を追い払った方がよいのでは。
それはこのところ毎日のように感じる綱吉である。割と本気に考え始めている。
だが、ひとまず、綱吉はこめかみに青筋を立てた。
「誰がいるかそんな変態ピクチャー!! 絶対に送るな! 絶対!!」
「家族に見られると困りますか?!」
「そこで目を輝かせるなぁああああ!!」
ツッコミが入っても骸に堪えた様子はない。幻覚が解けても悪夢が解ける様子がないので綱吉は正気を見失いかけていた。段々と追いつめられている気がしていた。骸の要求したポーズはそもそも体がけっこう隠れていたんじゃ……、むしろ、顔面のが……、と、思いかけて強引に思考回路を落とす。考えちゃいけない。
平然と、深い意味などありませんというツラをして、恐ろしい計画に沢田綱吉を巻き込もうとしているのか――、本当に無自覚かのどっちかだ。六道骸は。

 

 


おわり




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