チョコレート事変
気付けば親指に汚れがあったので、綱吉は何気なく指を口にした。反対の手では部下から差し入れられたボックスを手にしている。真珠の粒を模ったホワイトガナッシュに、ルビーの赤に塗られたチョコボール、金粉の散りばめられたオレンジピール。
咥内で、親指を舐めて清める。そのときに扉が開いた。
六道骸だった。水牢から脱出して二年目、ボンゴレファミリーに所属してからは三ヶ月目になる。ブラックスーツに身を包み、肩下まで伸びた後ろ髪を紐で結っていた。
「骸か。書類はそこに置いといて」
肘掛付きのイスを左右に振りつつ、足を組み、綱吉は口から指を引き抜いた。ちゅっと唇と指とが擦れて音を立てる。
言われた通りに両手で抱えた書類をデスクに積み上げた。骸は半眼で綱吉を囲む書類の束を見回し、
「休憩ですか? サボリですか」
「獄寺くんがおやつ持ってきてくれた」
カラーボックスを目の高さまであげる。骸は、ちらりとチョコレートのラインナップを確認した。
「さすが。君の信者だけあって差し入れ一つにも魂を込めますね」
「おいしいよ。いる?」
踵を返したが、綱吉の言葉に引き戻されるように、六道骸は足を止めた。そのオッドアイが丸みを帯びて色鮮やかなチョコレートを見下ろす。綱吉には、どれを取るか悩んでいるように見えた。
「おまえでもオレに遠慮することあったのか?」
ボスのからかいに、骸は眉根を寄せる。
「いただきます」
摘んだのはホワイトガナッシュだ。
舌の上に粒を乗せると、一口で咥内に収め、ゆっくり緩慢に目を細める。綱吉はその仕草でピンとくる。ボスに君臨して三年、超直感はいつでもどこでも働くようになった。
「チョコレート大好きだったりするかな?」
「嫌いではないですね」
僅かに口角を微笑ませ、六道骸はさり気なく二つ目に手を伸ばす。綱吉も気にせずに手を伸ばした。オレンジピールを摘む。
また指にチョコがつく。綱吉は舐め拭って新たにカシューナッツクリームのガナッシュを取る。
「あ、これ、中にナッツ入ってる」
「へえ」
こくん、と、先に入っていたものを呑み込んで骸もガナッシュを摘む。ホワイトの時にもしたように、最初は舌に乗せてチョコレートの蕩け方を楽しんだ。
「…………」
もふもふと食べつづけること数分。
綱吉は骸を見上げて頬杖をついた。
「やっぱ好きじゃないか。チョコレート」
最後のガナッシュを口にしつつも、骸は澄ました顔をする。
「では、そういうことにしましょうか」
「素直じゃないな骸さん!」
「そんなどうでもいい僕のパーソナルデータを手にして君はなにかしたいんですか?」
「そ、そんな風に言われると困るけど?!」
「……綱吉のそれはクセですか?」
「え?」
親指のチョコを舐めようとしたところだ。綱吉は目を丸くする。
「と、溶けたしティッシュだすのも面倒だし……」言い募る目の前で、六道骸はポケットからハンカチを出して自らの手を拭いた。綱吉は仏頂面で親指を舐める。
「何だよ。カンジ悪いな」
「最初に僕に突っかかってきたのは君でしょう?」
「そんな覚えはない!」
きっぱり言い切ると、骸は勝気に肩を張る。
「まぁ、隠すほどのコトじゃありませんから。確かに好きですけど。甘いものが好きで何か悪いんですか?」
「逆ギレっていうんだぞ、あんたのそれは」
「好きに言っていただいて構いませんけど……」
骸の口上の途中でも綱吉はチョコを摘んだ。ルビー色の粒を摘み、放り込む。
「……ていいますか君もけっこう好きですよね……イイ年しておいて……」
「お互いさまだろ」
また指をぺろっとして綱吉が口角を上げる。
骸はそれに満面の笑みを返した。ぴーんっと針金同士が擦れあった音が綱吉の脳裏に響く。超直感が働いた、が、
「ぶあっ?!!」
今回は対処が追いつかなかった。骸のが早い。
六道骸が片膝をデスクに乗せた。
「ちょっ……うわあっ、し、信じられない」
「幻覚ですよ。味は、」
にやにやした笑みが口角にある。骸は書類を肘で押しのけて綱吉の前まで進んだ。綱吉の毛先からポタポタと垂れるのはチョコレートだった。溶けて、顔を濡らしスーツを塗らす。元がホワイトスーツだっただけにチョコレートが際立った。綱吉の手を取って骸が小指の関節を口にした。
「今食べたものを再現しただけですけどね」
「…………。うわ。単純」
「複雑にして欲しいんですか」
自分でも指を舐めてみて、綱吉はげっそりとする。
「しなくていいっ! つーか何する! チョコ漬けになりたいなんて言ってないぞ?!」
「自分からそういうこと言う人間がいたら見てみたいもんですねー、クフフ」
「さ・い・あ・くっ!!」
「あぁ、綱吉を困らせるのってどうしてこんな楽しいんでしょう。君が水牢から助けたからかな。僕を」
「おいおいおいおいっ! ツッコむ前に自己完結すんなぁああ!!」
骸を押しのけつつ、綱吉が席を立つ。顎からも指先からもぽたぽたチョコが落ちた。チョコの入った巨大な皿を頭の上で引っくり返されたようなものだ。
改めて全身を見下ろし、沢田綱吉は怒りのまなこで骸を射抜く。
「幻覚を解け! 今すぐっ」
「いやですよ。全身舐めたらどうですか。自分で」
「舐めるとかそういう問題じゃないしっ」
うめきつつ、ひとまずはクセで親指を口にする。ちぃぱっと音を立てて口を離した瞬間、六道骸は無表情になった。
「君が厭なら僕がやりましょうか」
「あ? 何を」
「…………」
明後日を見つめ、骸は自嘲気味に首を振る。別に? と、応えて部屋を出ようとするので、綱吉が慌てて肩を掴んだ。
「待てよ!」
「触らないで下さい。チョコ臭い」
「だ、誰のせいだ?!」
「六道骸ですね」
言いつつ、骸が人差し指で綱吉の頬を撫でる。
「ひゃ!」
思わず首を竦めた。
骸は、指についたチョコレートを口にして眉間を皺寄せる。
「おいいしいですよ……。君の恋人にでも頼んだらどうですか? 全身舐めてって」
「京子ちゃんにどんなアブノーマルプレイさせたいんだあんたは?!」
両手をワナワナさせたところで、
「…………」六道骸が背後にブリザードを吹かせる勢いで白けていることに気がつく。綱吉はなんとなく失敗を悟った。
「……わかった」
考えるより先に、口が動いた。
「まだあるんだ。貰ってるの。こっちはチョコメーカーのだけど……。それをやるから手を打とう、な?」
背伸びをして棚の上から取り上げる。ネイビー色で正方形。缶製で、ずっしり重い。
「あのゴルティバ製! これあげるから!」
骸は渋々と缶を受け取った。だが視線がしっかりとメーカー名をチェックしている。
「……僕に恐れをなしたんですね」
「そういうわけじゃないけど……。でもそういうわけだよ!」
返答もないままで骸は幻覚を解いた。スーツが元の白色に戻り、鼻を突いていたチョコレート臭が消えて安堵する。が。
「僕はやっぱり君は嫌いだ」
六道骸の捨て台詞で、目を丸くした。何を今更、と思ったのだった。
おわり
>>もどる
|