あなたの声は聞こえない

 

 

 墜落の間際に視線が触れた。日本人というのは顔面のリアクションが薄い。日常生活の中で大げさに驚いたりおどけたりといった習慣が薄く欧米と比べると顔の筋肉を使わない。ところが、今、彼は眼球を突き出して両方の眉根を高く持ち上げて、
「――なんて言った?! ここに残る?!」
 ばたたたたっとシャツやらチノパンやらが暴風ではためいて轟音を作る。その少年はシャトルの扉を両手で掴んで我が身を押し留めたまま、肩越しに声を荒げてみせる。
「冗談いうなよ?! 死んじゃうだろこんなとこいたら!」
「まるきり聞こえてるじゃないですか」
 ジロッと睨みつけて、余裕綽々に肩を竦める。それでも利き腕で座席の背にしがみ付かなければ飛び上がりそうな風圧がある。
「犬、クローム。命令です。いきなさい」
「きゃいんっっ!」
「骸さま! 犬、まっ――」
 少女の呼びかけが悲鳴に変わる。靴底で犬の背中を踏みつけた――、そのままで目を交し合って確認する。犬は、確かに僕の意思を汲み取ってクローム髑髏の体を抱え上げて飛び出した。
「!! 何考えてんの?!」
 自分をすり抜けて脱出した二人――正確には、一人と、一人に連れて行かれたもう一人――の背を見下ろして、少年は苦々しく眉間に皺を寄せる。
「骸がここに残ってなんになるんだよ!」
「黙ってましたが、一つ足りない」
「なにが?!」
「パラシュートが。だから僕がここに残る意味がある」
「……ハッ、ハァアア?!」
 少年は慌てて座席の向こうへと取って返した。機内の空気は吸い上げられるので抵抗が歯向かうだけで息切れがするだろう。
「無駄ですよ。さぁ、いきなさい」
「いやだ! そんなこと聞いていけるかよ!」
 僕の方が力がある。肩さえ掴めば、扉の向こうに押しやるのは簡単だった。グッと突き出すが、落ちない。扉に両手をしがみ付かせて耐えているのだ。
「置いていかれても恨みませんよ。僕の子どもたちのこと、よろしくお願いしますね。千種も犬もいい子です」
「いやだぁあああ! 何だそれ! 遺言っ?!」
 真っ青になって沢田綱吉は首を振る。
 いっそ哀れに思える。余裕がることがふしぎだけど、覚悟を決めたのだから当然だ。
「一緒に行こう! 骸!!」
「墜落しますよ? さようなら」
 右手の上に僕の右手、左手の上に僕の左手。そっと重ねたが、指を引き剥がすのには渾身でぶつかる。ツメでツメを引っ掻いて引き上げてやると、
「骸! 骸ォ!!」
 片手だけで扉にしがみ付いて彼は首を振る。
「いやだっ! マジでさぁ!! 骸っ!!」
「あなたという人は……」
 本当に仕方が無い。わかっていた。少年との縁は今世に限ったことではない、だからこそ僕は今生を放棄する気にもなるのだけど。
 笑えるだろうか? 自信はないが、やらなければ、沢田綱吉は納得しそうにない。
「綱吉くん。あなたの声は聞こえない」
 胸がじくじくとして疼く。耐える事が使命だ。彼を生かして地上に戻す上での。
「構わないで下さい……。僕なんてゴミのような存在は捨てて下さい。今の世界は君を必要としている。僕は退場しても大して世界が困らない。それだけのことだ」
沢田綱吉は呆然として、やり切れないように眉を寄せる。この反応だったら、笑えていないということ。きっと不様に苦しがりながら笑っているのだ。それでも言葉をとめるわけにはいかないが。
「いきなさい。僕は人に弱味を見られるのも、情けないところを見られるのも嫌なんだ……。行け!」
 残った左手を両手で引き剥がす――寸前、肩を掴まれた。沢田綱吉は、目を見張るほどの力で押さえつけてきた。
「オレなら跳べる!」
 超死ぬ気モードを引き合いにだすのか? 自然、渋面になる。
「自力で出来もしないくせに、そういう憶測を――ドタンバでいうのはやめなさい」
「っっ、置いていけない!!」
「そればっかり言うんですね。くだらな――」
「くだらなくない! 骸がパラシュート背負うんだ。オレはお前に抱きつく。――なってみせるから!! 大丈夫、きっと――リボーンは先に降りたし――きっとどうにか――」
「どうにかならなかったら? 君が死ぬ」
「おまえは死ぬだろーが!! ここで放っていったら!」
「それで構わないって言ってるでしょう……」少しばかりイライラしてきた。僕は人とは違う。輪廻の鎖、六道の命、前世の記憶は十を越えて我が身に溜めている。通常の人間が思うだろう死のイメージと僕にとっての死の現実は大分異なるのだ。
「骸……。聞き分けのないヤツだな! 馬鹿か!!」
「…………」
「意地張るンなら死ねよホントに!!」
「……そういいながら何で抱きつくんですか?」
「こんちきしょー!!!」
 イライラするのは沢田綱吉も一緒らしい。僕の胴体に抱きつきながら、遂には機内に押し込める。ジェット機は機体全体を軋ませながら降下しつづける。
 元はといえば、この事故を引き起こしたのは沢田綱吉だ。護送を外部に依頼するのはいいが、相手を信用過ぎるのでスキができる。
「そのまま大人しくしてろ!」
 座席の下に押し倒されたと思えば、引っくり返されてベルトを身体中に取り付けられる。パラシュートを背負わされた。
「呆れますよ。君は長生きしない」
「長生き? 骸がいうなよ! おまえが一番すぐ死ぬよ!」
「酷いですね……。これで、君が死ぬ気になれなかったら心中ですよ。ボスが失敗するなら僕もパラシュートは開かない」
「何でェ?!」
 心底からギョッとして、沢田綱吉。
 思わず皮肉で笑ってしまった。
「考えてください」少年の指先を両手で握り締める。凍ったように冷たい。緊張の為か、暴風で冷えた為かはわからない。僕の肌もきっと同じくらいの温度だ。
「まさか、生身のまま飛び降りる気じゃないでしょう?」
「ああ。失礼するから」
「どうぞご自由に」
 両手を広げれば沢田綱吉が胴にしがみつく。その背中をぎゅうと僕の両手でも封じる。
 落下の衝撃や風圧、重力をナメて痛い目を見るつもりはない。座席についた網カゴに納まったままの毛布を細く捩って、互いの体を捕まえたままグルグル巻きにした。
 沢田綱吉は青い顔をしながら必死に奥歯を噛み締める。深々とした眉間の皺が、超死ぬ気モードのスイッチを求めての苦悩を語る。
 準備を終えての目配せ。五秒後には、僕と沢田綱吉とは扉をでて空中にダイブしていた。
「ぐっ?!」
「うわぁあああ!!」
 硬く縛り付けた筈の毛布がすぐさま外れる。風圧は思ったよりも大きく、僕らの体は落下するのではなく上空に噴き上げられた。
「…………!!」互いの両手で相手の体を捕まえる、その傍らで視界を横切るものがある。ジェット機が轟音を噴きながら海面に向けて急降下していく。後尾から黒煙が漏れていた。
「っっ、あっ」沢田綱吉が小さくうめいて、
「気絶したら死にますよ」
 その体が弛緩したので慌てて告げる。彼は両目を閉じて脂汗だらけになって鳥肌を立てていた。グルグルと空中で自転しながら、頭を下にして独楽のように落ちる。海面近くでは色とりどりのマッシュルーム型パラシュートが浮かぶ。仲間のものだ。
「綱吉! 綱吉!」あと一分もしない内に僕らも落ちる。沢田綱吉はパクパクと口を開いて閉じてとやって、虚ろに僕を見上げた。
「パラシュートっ……、はやく」
「君がまだ変わってない!」
「落ちる……落ちる……。落ちる!」
 うわ言のように繰り返して――少年はカッと両目を見開かせた。全身をグッショリとしながら、極度の興奮状態に陥った人間にありがちな異常腕力で腕を――、
「!! やめろッッ!!」
「落ちる!!」
 片手で僕の顔を抑え付けるなり、綱吉が死に物狂いで僕の背中を探る。パラシュートが目的だ。途端、肩口に強烈な圧がかかった。巨大な掌に頭と肩を掴まれてグイッと上向きにされたような衝撃――肩が脱臼するかというほどの熱痛が膨れあがって脳天を刺した、が、それよりも、腕からズルルルルッと抜ける感触がして全身が総毛だった。
 腕を伸ばすが、届かない。パラシュートが広がって空気を受け止める。同時に僕の体は跳ね上がる。
 沢田綱吉は、一人、放り出されて海面に落下した。
「っっ?! 何考えてんですか! いつの時代も君はそうだ! 馬鹿らしい馬鹿め脳みそナシの役ただずのクセにっっっ人の助けがなくちゃ生きてられないグズのクセにっっ、なんで最後はいつも誰かを助けて死ぬんだ!!」
 だから僕が残りたかったのに! 沢田綱吉は、猛スピードで海面に向かう――、
「あなたなんか知らないッ。僕の気も知らないでっっ、クソッッ、大馬鹿野郎!!!」
「っ……っ……!」ごうごうと鳴りひびく大気を斬るように、沢田綱吉が両手足を広げた。ハッとする。その手先が――、手先が、炎に染まる!
「綱吉! 成功――」
 両肩で息をしながら少年は炎を射出させた。厳しいほどの顰め面だ。僕を鬱陶しそうに見てくる。
「すっげぇ小言聞こえた。……今」
 炎の力を利用して、彼は僕のパラシュートに横並びになって跳んでいた。
「テメー、オレを何だと思ってるんだ?」
 疑わしげにうめく。決まってる。僕の恋人だ、ずっと何世紀も前からの。しかしそれを言うワケにはいかないので――代わりに笑ってやる。
「綱吉くんですよ。ボンゴレ十代目」
 海面から爆発が起こって鼓膜を揺さぶった。




おわり




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