クルイクル
骸骨には両目が無い。上唇も下唇も無い。眉毛も無い。髪も無いので当然のようにハゲだ。ところが彼はある時それが不思議でたまらなくなった。
「あれ……?」狂気の切欠は些細なものにこそある。
「骸さま? どうかしたんれすか」
「特には何も」
「じゃあそのガイコツさっさと捨てて下さい。車内が臭くなります」
平坦ないつもの調子で続けながら、千種はハンドルを切った。大型の四輪駆動車がコンクリート上の微塵を噴き上げる。骸の背後から伸びた腕――は、後部座席の犬のものだ。車窓が開くと土煙とガタガタしたエンジン音が中にまでとどろく。車内のブラックスーツ三人組は揺られるがままに身を右に左にさせていた。
「…………。誰のでしたっけ」
「知らんですよ。骸さんが勝手に持ってきた」
「そうでしたっけ。大事なもの……ではないんですけど。どこの馬の骨なんでしょう? あれ? 人骨ってどんな形を……この人は生まれつきハゲなんですか?」
「何いってんれすか! すーてーろー!」
六道骸は目を丸くする。骸の両手の下から、掬い上げるようにして犬が骸骨を奪い取る。
ぽうい、と、外に投げられて骸が上半身を跳び起こした。
「あー、あー! 轢かれちゃったじゃないですか!」
「何であんなガイコツ好きなんれすか?!」
「ハァ? 僕は、ただ不思議で」
言ってから、名残惜しげに空の両手を見つめる。しかし骸は黒く汚れた両の掌にハッとした。両眼に理性を宿して、千種を振り返る。その体躯からどっと脂汗が噴出した。
「一ヶ月前に僕の手術をした病院に行きなさい」
「骸さま?」
「はやくっ。はやくしろ!」
早口で捲し立てる口調が荒い。
千種と犬はミラー越しに目配せをした。犬の頬から汗が一滴落ちる。
「大丈夫れすか……? やっぱり、あのとき、脳に傷ができたんら」
「…………。ボンゴレ十代目。まだ生きてますか?」
「生きてますよ。骸さま。一ヶ月前にあなたの頭を撃った」
「なぜ撃ったんですか? 僕がいけないことした?」
四輪駆動車がグッとスピードをあげた。千種は慌てて踏み込んだアクセルから体重を浮かせる。時は既に遅く、車は車道を抜けて山林に突っ込んだ。
「うわ! わわわわ!!」後部座席からの悲鳴。
「掴まれ!」
叫ぶと同時に千種がブレーキを踏みしめる。ギィキキキキッと悪魔の笑い声のような――軋んだ嘲笑が木々のあいだを駆け抜けた。少し先の大地が抉れていて、急斜面になっている。そこに侵入してからではブレーキも遅かった。
「危機一髪……!」
肩で息をしつつ、千種がハンドルに額を押し付ける。
「おいっ」緊迫したのは犬だ。こめかみから僅かな出血をしながら、真っ青になって千種の肩を抑える。千種はギョッとして六道骸を見遣った。
オッドアイは奇怪な濁りを帯びて虚空を眺めていた。騒ぎの中、危険の中で微動だにせず黒く汚れた掌を上にして膝に乗せる。死が直前に迫った一瞬など、なかったかのように骸は静かに告げた。
「ハゲつったら月もですからあれもガイコツ。なんだ、この世界なんて死人だらけじゃないですか……。だって人類ほとんど五十年もすればハゲる!」
「骸さーん。しっかりしてくらはい! どうしたっていうんれすか!」
「ヤバいんじゃないか、これ……」
心底からゾッとして千種が囁く。六道骸はついに口笛まで吹いて上機嫌になった。狂った人間――それも生理的な原因によって狂うケースを硝煙の中に生きる千種は深く知っていた。携帯電話を取り出す掌が震える。
「医者っ……。骸さまが死ぬ。こんなことが起こるなんてうそだ」
「むくろさーん! ぶ、ぶったら治りますか?!」
「馬鹿っ。余計なことすんな!」
「ぶったら――」不意に骸が声を潜める。彼が犬に折檻をするのは割りと日常茶飯事だが、その前触れにそっくりなので犬は青褪めつつも歓喜した。
「いつもの骸さんになったんれすね!」
しかし、六道骸は静かに人差し指を立てた。
「ぶったらブタになります。このブタ!」
「うわあああ! おかしい――っっ!!!」
「医者っ。医者だっ。あああ、骸さまご自分のネットワークをバラさないから! うわあああ!」千種が悔し涙すら見せて狼狽する。犬も狼狽していた。
――やがて、四輪駆動車の背後でヘリコプターのプロペラ音が響く。天空から降ろされた縄梯子には、二十代の青年が二人引っ付いていた。
「……柿ピー、何考えてんの……」
「オレでも連絡取れてなんとかできそう――いや、してくれそうなのはアイツしかいない」
「おい、それが十代目にモノ頼む態度かっ!」
「まぁまァ……。骸がおかしくなったって?」
車道の上に着地して、ボンゴレ十代目と従者とが駆動車へと歩み寄る。六道骸はバンパーに腰をおろし、口笛を吹きながら踵で土を掘っていた。
従者が充分に注意して骸へマシンガンを向ける。十代目の両手にも連射可能なマシンガンが握られていた。
「やぁ。一ヶ月ぶりだな」
六道骸は目を見張る。綱吉はギクリとした。彼がすぐさまバンパーを降りて近寄ってきた、それよりも何よりも子どものように無邪気な笑顔をしたからだ。六道骸の少年時代――つまり初対面をした時期――ですらそんな笑顔を見たこと無い。
「よかった! ガイコツになってなかった!」
「?! なっ……、うわっ。待って隼人!」
正面から抱きついてきた六道骸を放って、慌てて両手を上にあげる。従者が鬼の形相で骸と綱吉とに銃口を向けていた。
「演技だ! 狂ってなんかいねェ!」
「オレたちもそう思いたい」
両手をあげ、降参を示しつつ千種。犬が同じ姿勢で頷く。
「ちょっと前まではひたすらガイコツ持ってた。それを捨てても反応が妙だったし、危うく事故死しそーだったつーに関係ねェこと喋るンらぜ」
「似た人を見たことある。エストラネーオの研究所で、発狂した子どもがいた」
「でえええっ……、骸! やめろ! アンタとオレは敵だ!!」
「綱吉! 綱吉! ああ、僕の頭蓋骨!」
「やめんかぁああああ!」
頬擦りされるのを振り切って銃口を突きつけるが、
「無事でよかった。これを探してたんだ。これがハゲたら僕も死のう」
「こ、こいつ何いってんの?! マトモじゃねーよ!」
銃口にキスされて十代目が降参した。六道骸はボンヤリした顔で、ガラス戸の向こうにある顔を熱心に覗き込もうとするかのような目つきをしてボンゴレ十代目を見つめる。
「ハハハ……。唇もある。髪もある。目もある」
「あぐっ。こ、こいつ、さりげに目潰しを……ッッ」
憤怒で睨んだのは十代目だけではない。従者が骸に飛び掛った。それを見て慌てて犬も飛び掛る。
「医者が欲しいんだ。診てくれないか」
「何でオレが宿敵の治療を……」
取っ組み合いになる三人から離れ、襟を正すボンゴレ十代目。千種は対等の者が持ちえる勝気な瞳で――表情筋はほとんど動かさずに、
「一ヶ月前のアンタの銃弾でそうなったんだ。責任とってくれ。ボンゴレは元仲間を見捨てたりしないだろ?」
「弱いところを突こうっていうのか。ヒキョウじゃないの」歯噛みしつつ、若きボスは眉間を歪める。
「骸はオレを殺す殺す言ってるし、オレだって殺すつもりで、――まぁ百歩譲ってオレの銃弾で頭おかしくなっちゃったとしても、殺すつもりで撃った弾丸が招いた惨事の責任は取るつもりないな。当然の報いだ」
語尾の声音が震えるのは見逃さない。千種はピシャリと言い放つ。
「非人間め! 所詮おまえもただのマフィアだ!」
「骸一味がそれ言うなッ。お前らに非人間呼ばわりされたくない!」
「ああっ。おいコラ根暗! 十代目を侮辱っ」
「はははは!」
「だああああ?!」
骸の膝蹴りが股間に命中して従者が飛び上がる。急ぎ、骸の背中に飛びついて犬が羽交い絞めにした。
「骸さんっ。おひついて! 骸さんは病気なんれす!」
「貴様なんてハゲろ! 一生ハゲろ!」
「うおおおっ……。ご、獄寺くんっ、気を確かに!」
膝をついて悶絶する従者に駆け寄り、慌ててボンゴレ十代目は骸との間に入った。
「子どもみたいなマネするな! やめろ!」
「骸さま、その調子です。ボンゴレのような偽善者は母性本能くすぐって子どもっぽい仕草すればなびく! いつもいってるじゃないですか骸さま!」
「何をっ! 馬鹿にしてんのかッ」
手をワナワナさせるボンゴレを置いて、骸は不敵に笑う。
「あっ、はは、くすっ。君がハゲたら頭蓋にキスして大事に転がしてあげます。ああ、楽しみです。好きです。君が愛しい」
「!!」「!!」千種と犬とがギョッとした。ボンゴレ十代目は絶句する。従者は、いまだ急所に喰らった一撃でぶるぶる震えて蹲っている。
「く、狂ってからやっとのこと言った……!」
「さすが、狂ってまふよ、骸さん」
恐れ戦く部下二人を置いて六道骸は硬直するボンゴレに抱きついた。皮膚の下、頭蓋と頭蓋とを擦り付けるようにゴリゴリ強く頬擦りする。
「ああっ、この感触! たまらないっっ! うっ……」
「いぎゃあああ?! なんか震えてるっっ。変態ィ――っっ!!」
「じゅ、だいめっ……」
従者が震えながらマシンガンを差し出す。ボンゴレは振り被って六道骸の額に突きつけた。いがみ合うこと五年、殺し合うようになって三年、こうまで致命傷を与える自信がある日は来なかった。
「テメー、覚悟しろ骸っ……」
「綱吉っ……。綱吉。素直じゃなくてごめんなさい」
「…………。死ぬんだっ。おまえを生かしておいたら他の誰かが絶対に殺され」
「綱吉! あぁ、君の靴にもキスできる」
「や、やめろ変態!」結局、振り被ったマシンガンの尾で後頭部を強打するだけに終わる。倒れた六道骸をジッと見つめて、千種と犬はボンゴレの最終決定を待った。死刑判決を待つ子犬である。
「そ、そんな目でオレを見るなァッ」
気弱な判事は頭を抱えて、やがて躊躇いがちに呟いた。
「ちぇっ。何なんだよっ。医者な! ウチの抱えの医者に見せるよ! クソッ。脳損傷なんて治らないと思うよっ。あっ、治っても困るし治らなくても困るな! 相変わらず最低だよおまえ! 最低の守護者!」
悪態をつきつつ骸に肩を貸す。金玉蹴りからようやく立ち直った従者が、展開についていけずに呆然とした。
「十代目? なぜ助けるんですか」
「オレが沢田綱吉だから! 文句あるの? 隼人」
「いいえ……。ご英断です」
「ありがとう」
というわけで、六道骸は再び霧の守護者になった。霧の守護者の部下二人も思うわけだ。六道骸のしあわせを願う身としてはこの事態を喜ぶべきか悲しむべきか!
おわり
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