なんか思ったより
「沢田くん。お粥食べますか」
椅子を跨いで座り込んで、六道骸は背中のホックに手をかけた。エプロンのホックだ。役目を終えた布地をテーブルに放り投げて返事を待つこと五分。骸が、椅子の背もたれに肘をついて頬杖にした頃だった。
ベッドの上で呆然と壁を眺めていた少年がいる。横顔が窓ガラスにかかって骸には彼の顔が二重に見える。彼はぽつりとうめく。
「うん。おまえが作ったのか? 料理できるんだ」
「コメじゃなくてパスタですけどね」
「お粥じゃないじゃん、それじゃ」
「パスタをみじん切りにしてそれっぽくしてます」
「……イタリア人だっけ? おまえ」
ようやく振り向いて、沢田綱吉は眉間に皺を寄せる。骸は頬杖したままで頷いた。
「国籍はどこにもないですけどね。僕は法律上はこの世界に存在しない人間ですよ」
「おれは? それなら死んだ人間になるか?」
「そうですね」
エプロンを片手で掴んで、膝の上で畳み直す。骸は背伸びをすると立ち上がった。自分用に作ったスパゲッティは既にテーブルに置いてある。綱吉はそろそろとしてベッドを降りた。その頭部は何重にも包帯で巻かれ、簡素なパジャマに身を包む。少年は片足を引き摺りながらテーブルに向かう。
「今、持ってきますよ」
テーブルから分厚い本を取り上げると、骸はその上に粥とコップを載せて戻ってきた。
食事中に大した会話はなかった。綱吉は文句を言わない。粥のようにふやかしたパスタでも不味くはなかったようだ。骸のスーツケースの中には、まだ日本から持ち出した梅干しの在庫がある。これがあればしばらくは綱吉も文句はないだろうと踏んでいた。
(日本人向けの食材を売ってる店が近隣にあればいいんだが)
フォークにパスタを絡めつつ、骸は窓の外を見る。雪が降っていた。テーブルの真ん中にはバラが一輪差された花瓶があった。白い花弁の端が、黒く、淀み始めている。
(変えないと……)視線を流せば二人の視線がぶつかった。骸は口角をにやっとさせる。
「食べますか? そろそろフツウの食事が恋しくなるくらいに回復したころでしょう?」
フォークの切っ先を上にして回してみる。厭味っぽく笑んだまま、パスタを絡めて綱吉の口元へと運んだ。
「あーん。アルデンテはお嫌いですか?」
「……変な味つけ」
「オリーブの実は君には珍しいかもしれませんね」
する、と、綱吉の口からフォークを引き抜いてほくそ笑む。実にさりげなく、フォークの先で粥状にふやけたパスタを掬い上げた。綱吉は苦い薬草を食べたような顔をして無言で骸を見遣る。
「梅干はおいしい。ヒトんとこの伝統食に口ださないでください」
「ほお?」
舌でフォークを舐めて、ぴりっとした刺激に眉根を寄せる。骸はオリーブの実を刺して綱吉に向けた。
「苦手でしたよね。食べてください」
「いやだよ。何で苦手なのをわざわざ食えっていうんだ」
「沢田がいやがるとこが見たいからです。あと苦しがるところが見たいから」
「趣味悪っ」
骸は笑って綱吉の皿にオリーブの実を放り込んだ。あ、と、声が引き攣ったのに暗い満足感を覚えて肩を弾ませる。
椅子を押して、テーブルに両手をついた。
「骸っ……。まだ食べてる」
「いやなんですか? 僕がそうされると燃えるってことわかってるのにそうするんですね。ずるい人だ……。卑怯で心の奥底にえらく卑屈な小鼠を飼ってる。君のそんなところも好きだ」
六道骸が日本を出てからまだ日は浅い。彼が、人形のように虚ろな目をし始める、そのころを見計らって脱出したのは間違いでなかったと一人で思うことは多い。骸は綱吉の後頭部にまわした掌をくしゃりと丸くした。
指で頭皮を引っ掻いて、包帯を引き剥がす。縫合の跡があった。傷口を開くように指を這わして力を入れる、と、綱吉は感電したように抵抗を止める。
テーブルを挟んだままで口付けを深めること数分、骸は自ら目を閉じた。
「ンッ……、ぐ、う、むくろ、様」
苦しげに双眸を歪めて綱吉が手を伸ばす。
その肩はガクガクと震えていた。指先が、触れて、襟首のボタンを外す。骸の胸元に充分な隙間を作ると、綱吉は自ら口を離してテーブルの上に乗り上げた。膝頭がテーブルに当たる。
首筋にキスを落として、下へと降らせていく。ぷつりとしたものに当たった。男性には意味のない器官だったが、骸が児戯でそこを弄ることを知っているので綱吉は骸の乳首を口にした。舌で押しつぶして、上に向けて何度か舐める。
綱吉の頭髪に顔を埋めて骸はキスをくり返していた。くす、と、含み笑う為に肩が揺れ動く。沢田綱吉は従順に奉仕しつづけていた。
(上手だ。僕のことを考えてうまくやろうとしてる)
縫合した綱吉の傷口に舌を這わせる。一舐めの度にゾクゾクした。骸は肺の底から吐息する。
(沢田綱吉。そんなひとはもういない)実に楽しい気分になってくる。愛撫を振り切って綱吉を横たわらせて、骸は両目を見開かせた。抵抗の仕方を忘れたように、途方にくれた顔で見上げてくる少年がかわいくて仕方がなかった。
(当初に思っていたよりも人格を壊したが、まぁ僕のものになったからどうでもいいや)
肘で押しやった花瓶が床に落ちたが構わなかった。粥の皿を引き寄せた。
「食事の途中だってことを気にしてましたっけ。お腹は空いてるんですよね」
「……そりゃあ……。点滴は、もう、いやだ。何か口にしたい」
「どれくらいですか? 貪欲にしゃぶりつきたいですか?」
「? やめるのか? メシ食ってもいいなら、オレはそれで」
綱吉が体を起こす。骸はその胸に手をついた。
皿を傾けて口角から溢れるくらいにたっぷりと口に含む。綱吉が体から力を抜いた。呆れと恐れを半々にして、戦慄しながら骸の顎に指をかける。こういうときの彼を前にすると骸は殉教者を前にしたような敬虔な気持ちを味わう。それが、また、ゾクゾクとするから満面の笑みを浮かべた。
「貪れって?」
苦痛の滲んだ問いかけから数秒、綱吉は骸の唇に己のものを重ねた。
しばらくは彼が咥内のものを食べるに任せてしたいままにさせて、ある時を堺に骸は邪険に両目を細く絞った。殉教者をぼろぼろに蹂躙するのも愉しくてたまらなかった。
「ぐんっ、んっ、んっ」綱吉が後ろ手でテーブルに爪を立てる。
その両足、足の内股を掴んで押さえつけながら、喉に溜めていたものを一挙に呑ませた。
綱吉の目尻に涙が浮かび、喉仏がひくひくとする。苦悶の後にごくりごくりと上下した。
「……美味しいですか? お礼は? この極楽を作り出した僕に服従できることは君にとって?」
最後の一文は何度か教え込んだ言葉だ。綱吉は咳込んでいた、が、眼球だけを上向けて、空堰交じりに頷いた。
「おい、し、ありがとうございます。骸が、オレを地獄から助けてくれた」
「ええ。君は悪い人たちに騙されるところだった」
綱吉の頬を撫でまわしながら骸は笑みを堪えた。思い出して、からかう。
「おっと。忘れるところでした。オリーブの実を食べてみたいんでしたっけ。今の君なら食べてくれそうですね。綱吉」
もはや紳士ぶる必要はないので手掴みで皿から実を取り上げる。綱吉の唇に宛がうと、彼はおずおずしながら薄く口を開けた。ぎゅう、と、強く押し込めば飲み込まれていく。
苦味を耐えるように綱吉は眉間に皺を作る。そのこめかみがピクッと動いた。
(誘われてるみたいだ)
くつくつとしながら、骸は錯覚に逆らうことなくオリーブの実に齧りついた。
至近距離で視線が交錯すると、綱吉は怯えたように目を瞑る。舌を使ってオリーブを相手の咥内に押し込めながら、骸はテーブルの上で弛緩する肉体を撫で回していった。いい体をしていた。
おわり
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