日記帳

 

 

雨上がりのアスファルトには不規則なシミが広がる。六道骸はそのひとつを踏んづけて冊子を広げていた。青字に白いストライプが二本走ったシンプルな冊子だ。オッドアイは文字を追って機械的な動きをくり返した。
「骸さま? 聞いていますか? 犬がCD買うって」
「……三日で終わっている」
「は?」
ページ末尾で目を留めて、骸は左右で色の違う瞳を窄めてみせた。冊子を閉じて傘と一緒に小脇に抱える。笑みもせず、ただ呟いた。足を止めて背後を見遣る。
「僕は行きません。返しに行ってきます」
柿本千種、城島犬。六道骸が好んで傍に置く二人組みである。骸の配下でもあり、助手でもあり、下僕でもあるが、その二人は驚いて口をあんぐりさせた。
「また沢田綱吉?! 骸さま、行き過ぎ! 通ってんじゃねーんらから!!」
「当たり前です。僕を小間使いのようにするなど許されていい訳がない」
「骸さま……。俺の記録では、骸さまは一週間連続で通いつめております」
「いい迷惑ですね……。僕だってヒマじゃありませんのに」
ふう、と、頭を振って唇だけでため息をつく。
千種と犬は納得が行かないというように体を前のめりにした。
「今日は俺らと遊びましょーよ! 骸さん! おれっちフリスビーだって取ってきますよ! 骸さんがやれっていうなら!」
「いくら骸さまがあいつらを否定するつもりでいても、ボンゴレ側がどう思うかわからない。骸さま。これじゃあまりに――」
「僕は彼と遊んでる訳でもないですし、仲良くなるつもりもありませんし、しかし油断してくれるなら好都合。でしょう? 僕が欲しいのは彼の肉体だ。隙さえあれば契約を結ぶ」
淡々と囁いて、片手をあげた。既に足はバス停へと向かっている。徒歩で並盛まで歩くほど悠長な気分ではなかった。
「それでは。また明日、会いましょう」
六道骸の背中が消える。千種と犬は唖然としてそれを見送った。
当の六道骸は彼らの視線を感じなくなるとまた冊子を広げた。最初から、軽く目を通してみる。笑いもせず、無表情のまま眺めている間にバス停についた。時間としては二十分ほどかかった。内容はほぼ暗記した。

*****

2年A組のタイムスケジュールは大体において理解していた。
六道骸はホームルームが終わる時間ぴったりに並盛正門前に到着する。水牢から脱出して半月ばかり。学ぶ時間はたっぷりあったので、骸は沢田綱吉すら知らないクラス全員の名前と住所を手帳に記録していた。もしもの時、何かの保険になるだろうとの読みを込めての行いではあるが。目の前を通り過ぎた女生徒に、眉尻が動いた。
2年A組のひとりだ。程なくして、骸は、グラウンドにある巨大な水たまりを迂回して歩いてくる少年を見つけた。沢田綱吉は、右隣に獄寺隼人と山本武を連れてゲッと掠れた呻き声をあげた。
「まっ、またきたァ! 勘弁しろよぉ――!」
両手を戦慄かせる綱吉である。骸が一歩を進むと、背後に出来ていたギャラリーが俄かな歓声をあげた。綱吉の元に女生徒が近寄ってくる。
「今日こそ紹介してよ、誰なのさ? 沢田、ケチるなよ!」
「そういう問題じゃないぞっ。おまえら、あいつがどーいうヤツか知らないから!」
「知らないから聞いてんじゃないの!」横合いから別の女子が叫ぶ。じれったそうに骸を指差す少女はあちこちにあったが、骸はその全てを堂々と無視していた。沢田綱吉の元へと歩み寄る。獄寺があいだに割り込んだ。
「てっめぇ、ちょこまかと! 十代目はオレが守る!」
「いい加減にしないとバッドでせっつくぞ」
その獄寺の前にさらに山本が顔を出す。
骸は試すような目付きで沢田綱吉を見下ろした。
「これは、なんでしょうか?」
青地に白いストライプの冊子。綱吉は、周囲の女生徒を振り払おうと格闘していた。その動きがピタリと止まる。みるみる、青褪めた。
「なっ……。なんで、おまえが持ってンの?!」
「沢田綱吉。一人きりで、僕と共に来てもらいましょうか」
辺りがシンとする。校門前にできたギャラリーが両者を交互に見た、が、綱吉はすぐにこうべを垂らして獄寺のカバンを引っ張った。
「……行ってくる」
「でぇ?! な、なんでッスか! なんでッスかー?!」
「ツナ、なんだかんだ言って、毎回こいつに持ち帰りされてんじゃねえ?」
不満げにうめく山本を押しのけて、女生徒が顔をだした。黒川花だ。京子が慌ててその後ろ襟首を掴むが、辛抱堪らないというように綱吉めがけて人差し指を突きつける。
「なにかとつけて結局何も情報教えないんじゃないの! 美形はみんなで共有! そういう黄金ルールを知らないのかぁ、男だからってルール破りはずりーわいっ」
「そ、そんなこと言われたってぇ……。こいつを紹介するなんて恐ろしいことできるわけが……」
綱吉は困り果てて肩を落胆させる。六道骸は、無表情になって冊子を開いた。薄く、唇が開いて、歌うように朗読する。
「昨日は――」
「あぎゃあああ?!!」
骸の胴体にタックルして、綱吉が叫ぶ。耳まで赤く上気している。
「行こう! 行きましょう! 今日はどこ行きます?!」卑屈にピクピクとする目尻はともかく、その両眼に輝く白光は太陽の光を受けてきらきらしていた。それを見て六道骸はようやく冊子を閉じる。何も言わないままで踵を返した。
「じゃ、じゃあ! さよならァ!」
急ぎで手を振って、沢田綱吉は後を追いかけた。
追いつくと、冊子ではなく傘を手渡される。ぐぬ、と、奥歯を噛んだ。
「荷物持ちでも何でもいいから、もう、何でおまえがそんなの持ってんだ?! 返せよ。オレの。中身、見てないだろうな?」
「君は奇蹟を信じるばかな坊やですか?」
「…………。見たんだな」
目の前で、にやりと厭味な笑い方をする六道骸。この少年が読んでいなかったとしたら、奇蹟だ。容易に意を汲んだ返答をもらえて、骸は機嫌よく辺りを見回した。沢田綱吉の家とは反対の方向に向かっている。日もまだ高いので、釣れた獲物を逃すまでには時間がありそうだ。
「返せよ。とにかく返してくれよ」
弱々しい呻き声だ。綱吉は涙すら浮かべて悔しげにしていた。自分の頭髪を掻き混ぜる。
「もお……。なに、書いたっけな。自分でも覚えてないのに。ああー、最低、最悪っ。破滅だあああ……。ばかやろぉお」
「それならつけなければいいのに」
思わず骸が合いの手を入れる。綱吉はぶんぶんと首を左右に振った。
「とんでもないこと言ってるよ! リボーンの怖さを知らないからっ。あいつに書いてみろって言われて逆らえるヤツがこの世にあるか?! 無理無理っ、無理っ、ああああ、無理っ、」
赤面の上に冷や汗を浮かべたまま、綱吉が顔をあげる。バッとしていて勢い込んだものだ。骸は、冊子をめくりかけた手を止めた。食い入るように綱吉へと目線をおろす。少年は打ちひしがれたように右手で目尻を拭って、必死の形相で頭を下げた。
「頼むから忘れてくださいぃっ。返して、燃やすのでもいいから!」
「……相当、アタリを釣ったみたいですね」
ペラりと冊子をめくる。沢田綱吉の日記は簡素だった。天気がイラストじみた記号で描かれている。
「あ、あっ、あっっ、み、見ないでくださ……」
戦慄して、慌てて綱吉が手を伸ばす。当然のように骸は冊子を高く掲げた。骸の周囲をうろうろ旋回して、時折りジャンプしつつ、しかし手は届かない。六道骸は沢田綱吉の苦悶を見下ろして、にやりとした。
「僕、たまにいい声してるって女に褒められますよ。朗読してあげましょうか。中身を忘れているようですし」
「いぎゃあああ?! やっ、マジ勘弁! 人間としてサイテーそれ!」
「昨日は目が合うだけで笑ってくれた。まさに並盛のマドンナ、京子ちゃ――」
「うごがぶだあば――――?!!!」
言葉としての意味がないままで大絶叫して、沢田綱吉が頭を抱えた。冊子を高く掲げたままでページをめくる。次の読み上げに入ろうと、実際に入ったが、ついに綱吉が喚きつつ腰に抱きついた。
全身から汗を噴出させつつ、綱吉は目を見開く。よじ登るつもりだ。
首を抱かれたままで骸は陰険に口角を吊り上げる。後ろ襟首を掴んで、容易く引き剥がした。
「面白いくらいに必死ですねぇ。見られたくないなら、そう易々と他人が触れることができる場所に仕舞うもんじゃないですよ。相手が僕だったからまだマシだったでしょうがね?」
「む、むくろぉお……、本気でいってんの?! 返せってばぁ」
地面に落とされて、綱吉は消沈していた。ひっく、ひく、と、喉でしゃくりあげている。見入りながらその頭に触れてみる。
「そんなことしなくても。僕は報告書と間違えてこれを取ってきただけですから」
恨みがましく睨みつけてくる。その鼻先に、骸が冊子を突き出した。
「!」
「どうぞ。僕に感謝してくださいね」
奪うように引っ手繰って、綱吉が立ち上がる。じりじりした眼差しで骸を睨んだ。
「中身、忘れろよ! 読まなかったことにしておけよ! 知らないフリすんだぞ?!」
「自分の不注意を棚にあげて……。まったく。しようのない人だ」
「〜〜〜〜っっ、どっちがだ?!」
愕然とする綱吉である、が。六道骸は、繁華街の方角を顎でしゃくった。
「ここまで来るので空腹になりましたよ。付き合いなさい。ついでに、返却の礼として何かおごってもらいましょうか」
オレが?! と、唖然とする少年に笑み返す。
「たまには庶民と一緒に食事するのもいいかと思いまして」
「んなぁ?! お、まっ、」何事かを言いかけて綱吉は歯噛みした。
「おまえは日記なんか一生つけなさそうだな……。他人の不幸を記録するだけになってそーだよな」
「クハハ。僕がそんなつまんないことするとでも?」
せせら笑いつつも、骸は肩を撫で下ろした。沢田綱吉が隣に追いついた。
沢田綱吉への返却も済んだし、この先数時間は一緒にいられるだろうし、当面の気がかりは何もない訳である。骸が安堵したような素振りを見せたので、綱吉は怪訝に眉根を寄せた。







 

おわり




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