茨の産声
「恋したんですね。それって楽しい?」
白い地平線に白い空。全てが白い。それは虚無とも形容できるが僕はそれが好きではない。だから白くなった世界と認識しつづける。
「あまりそうではない。多分、お前が思うものとは違う」
「じゃあ、つまらないんだ。おかしいですね。殺しもせずに手の内に置いておくだけなんて。あの子どもは懐いているのに。君はおかしなことをする」
「お前もおかしなことをしているよ。久しぶりですね」
横を見る。すぐ傍らで暗闇が渦を作る。その渦に沈み込むようにして、しかし確かに佇んでいる少年は馴染み深い。六道骸と名前がついている。
「ええ。……おはようございます」
「しばらくずっと僕に任せていたのにどうしたんですか」
「少し会話がしたくなった」
「僕にではなく?」
「あの子どもの方に」
六道骸は目を細める。僕も同じように細くする。
昔、六道輪廻を覗いた子どもは実際には自分の殻にこもって滅多なことでは外に出なくなった。物静かで口も利かなかった子ども。それが唐突に饒舌になり積極的に世界の破滅を目論むようになったのは理由がある。簡単で、少し残酷だった。僕ら二人にしかその秘密は知られていない。
「綱吉くんには妙なことしないでくださいよ。別に、交代するのは構いませんが。大丈夫なんですか? ランチアを投獄させた時でさえ無反応だったくせに」
「…………」
六道骸は僕に対してすら無口だった。
暗がりを背負いつつ白い地平線を見る。ぽつり、長い沈黙の後にうめく。
「楽しそうだったから。君が」
「僕の中で、それを味わうだけでは物足りないんだな」
闇がある。六道骸はオッドアイを持たない。両方が黒い瞳だ。そして髪の色も純粋な黒。今の僕の外見は、六道輪廻の影響を受けたために全身が変質した為のものだ。僕が人目につかないようにする理由もそれだ。地球外物質で構成されているといっても過言ではないので、それがバレるのは面倒だった。
「君は、僕の一部のくせに生意気です」
「お前も、僕の一部な割りには陰気だな」
肩を竦める。しかしすぐにクスリとする。たった一人、互いに苦痛を分け合う相手でもあった。六道骸は物静かな少年だった。そして酷く愛情に飢えている。その飢餓は、僕にもよく伝わるので、不安は残った。
「下手を打たないでくださいよ。どうせ勝手にまた僕と交代するつもりなんでしょう?」
「…………。そのときは、頼みますよ」
六道骸が闇に背中を預ける。そのまま吸い込まれて消えた。
僕は少々ナルシストの気があるとはわかっている。六道骸と会うのはごく稀だが、彼を見る度に自分が好きだなと自覚する。顔がいいし、スタイルもいいし、そして実は密かに可愛げのある人間だ。六道骸はその自覚を僕に与えてくれるので少し楽しくなる。自分に自信がつくというものかもしれない。
「しかし、だからといってコレは――、どうかと」
思いませんか? 問い掛けても意味なかった。沢田綱吉は真っ青になりつつガタガタ震えていた。六道骸も派手にやったものだった。
沢田綱吉の自室だ。二人きりの時を狙って交代してやったのは僕の慈悲だが。濡れた唇を拭う。随分とべっとりとしていた。少々、腹が立った。
「僕だってまだしてなかったのに……」
「む、むむむ骸――っっ?! ぎゃあああ! くるな!」
「待ってください。誤解です」
「どこがだ?! ドンピシャじゃないか! いやぁああああホモぉおお!!」
後ろ襟首を掴みつつため息をつく。油断したら沢田綱吉は窓を飛び降りてでも逃げ出しそうだった。作戦を練る時間もない。体当たりするしかない、か。
「僕は、君をそういう目で見てるってことですよ。綱吉くんが笹川京子を好きみたいに君が好きなんです」
「っっ?! なっ、……なあああ?!」
「今日はすいません。抑えきれなかった。君があまりに僕を誘惑するから」
もちろん大嘘だがそれが問題ではない。沢田綱吉は驚いた顔で、ついで明後日を見遣る。自分の行動を振り返っているんだろう。
適当にパズルのピースを撒いておけば、向こうで勝手に照らし合わせて完成に導こうとする。人間とはそういう習性を持った生き物だ。扱いやすい。沢田綱吉は中でも特に扱いやすいが、
「あまり、僕を罵らないでくださいね……。この想いだけは、本物なんです。君の浄化の炎を忘れたことはない。君は、僕を変えてくれた」
オッドアイに力を込めて相手の肩を掴む。沢田綱吉は動揺で口角を引くつかせた。未だ青褪めているが、先程よりは勢いが失せた。
「お、オレは――、男とキスするのは、ちょっと」
濡れた自分の唇を拭う。思わず舌を出していた。
「ン?!」肩を寄せて唇を重ねる。ぬる、と、上唇をなぞるとその動きに驚いて向こうから口をあけてきた。遠慮無く、貪ること数分。沢田綱吉に突き飛ばされた。
「誠意あるようでちっともないぞおまえ!」
「今のは本当に僕を誘惑したからです」
「ハァ?! 〜〜っ、考えられない! 無理! オレはおまえが好きじゃないっ」
「嫌いですか」
「?! あ、いや。友達としてはまぁ保留だけど――、とにかく京子ちゃんとは別次元だ何言ってんの!」
「そのわりには顔が赤い」
「っ?!」
沢田綱吉は明らかに動揺した。後退り、口を抑える。
内心で舌をだしていた。真っ赤なウソだ。青褪めているだけで赤くなどない。だが、その暗示を与えると沢田綱吉はみるみる赤くなっていった。自分の顔なんて鏡で確認しないと見えないので、顔色を指摘するという暗示は実に簡単で効果が高い。
「ドキドキしてるんでしょう? 君の吐息は熱かった……ああ、いえ。興奮させてしまっただけでしょうがね。すいません。また、後日、きちんと謝罪しますよ」
「しゃ、しゃざいぃ……?」
胡散臭げに睨み付けてくる。そうしながらも指が微かに震えていた。沢田綱吉、大分、暗示に乗せられやすいタイプと見た。
「ええ。でもこれだけはわかってください。君が、本当に好きなんだ」
去り際は美しく。ドラマの鉄則である。窓から出て行くと、背中に視線を感じた。
……どうにか、うまく、乗り切れたようだった。
眠り込む相手を叩き起こすのは骨が折れる仕事だ。睡眠を初めて粘ること一時間。ようやく、白くなった世界で闇が渦巻いた。六道骸は迷惑そうに目線を横にずらす。背丈も全く同じだ。目線は同一線上にある。
「お前な。掻き回すだけで後は寝てるってどういう了見ですか?!」
「じれったかったから。キスしたいのに、君が、いつまで経ってもしてくれない」
「…………! 時世ってものがあるんです」
「詭弁ですよ。やっぱり、楽しかった。君はウソをついてる。抱きたいのに。こんなに抱きたいのに、耐えてる」
六道骸はいわば僕の中核でもある。本能でもある。剥き出しの彼を見るのは僕の楽しみでもあるが。そうして、直視したくない部分を突きつけられるのは、
「やめてください。不愉快になる」
我慢がならなかった。昔はともあれ、今は六道骸と名乗るのは僕であるし、二人で分かつ体もほとんど僕のものだ。というより、六道骸は生活能力がないので僕が立ち回らなければ行き詰まるのだ。
「いつも寝ていましたから」
不意に六道骸は地平線に黒目を向けた。
「僕の力は貯まっているよ。じゃあ、君がしないのなら、僕がやります。やりたいだけなのに」
「だけなのに、で済めば世の中苦しいことなんて何もないですよ。君は少し世間知らずすぎるんだ」
こんな説教を人にするなど初めてだ。六道骸はまともに聞いていない。
「でも進展できて、すこし、嬉しいでしょう? だって恋してるから」
本音をズバリと突いてくる。
俗世に塗れていく一方の僕を、こうして浮世へ……、というか、本能に忠実な方向へ引っぱっていくのも六道骸だった。無口で物静かだが我侭なのである。
「……おまえも恋してんですね」
イヤミのつもりで呟くと、通じたようで、六道骸は眉根を寄せた。
「僕は、まどろっこしいのは、嫌いです」
同感だった。取り合えず、約束した詫びの品を考えるのが最優先の仕事らしかった。沢田綱吉の気を惹くためには。
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