殺し屋の怪談
<こたつ怪談>

 
「おばさん、産まれたんですよね? おめでとうございます!」
 茶色い髪に茶色い瞳、普段は内気な性格なのだろう、どことなく自信のなさと頼りなさが顔面に滲み出ていて不幸そうな瞳をしている。しかし、そんな彼も今は嬉しげに喜色を顔に貼り付けていた。
「名前は何にしたんですか?」
 三十代を過ぎてからの出産だ、さほど田舎ではない並盛町でもウワサにはなるらしい。女は隣家の少年に向けて微笑んだ。
「秘密よ。もう、決まってるみたいだけど……」
「? 旦那さんが決めたんですか」
「男の子なのよ」
 瞼を伏せて、女は窓に手をかけた。
 廊下に備え付けられた窓は小さいが、そこから入り込んでくる風は冬の冷気を持っている。少年は、ハッとしたように目を丸くしたあとで、慌てて頷いた。
「すいません、いきなり声かけちゃって。今度、みせてくださいね。ウチの母さんも楽しみにしてんですよ!」
「そう……。ありがとうね、ツナちゃん」
 少年が先に窓を閉めた。
 パタパタ、と、そう離れていない民家から人が走るような音がする。女は、窓の冊子を掴んだまましばらく立ち竦んでいた。
「みせる……? あの子を?」
 独りごとの後で、踵を返す。窓は開け放ったままだ。
 二階の奥の部屋に子ども部屋があった。元は物置部屋だったが、妊娠がわかると同時に夫が大掃除をして子ども部屋にしたてあげた。
 小さな室内は、やんわりした蛍光灯の光で満ちている。女は、俯いたままで揺り籠を覗いた。丸々とした体があった。その赤子は、母を見るなり、
「だあ〜〜」
 と鳴いた。
 その小さな手は、赤く汚れていた。
「赤ちゃん、どうしたの? どこで、また、殺してきたの……?」
 声音に色は無い。感情のすべてを排斥した声で、女は、揺り籠に縋りついた。大人が着るようなスーツを着て、涎掛けをしたまま、赤子は両手を赤く染めていた。
「ばあ、ばあ。だぁ……」
「お医者さんは殺しちゃダメだって言ったじゃない。それともあたしの知らないあいだに誰かに姿を見られちゃったの……? ねえ、昨日の夜、どうして子ども部屋にいなかったの?」
「だあ、あ……」
 差し出された人差し指を、赤子はうれしげに握り締めた。指を口に含んでクチュクチュと言わせる。女は、呆然としたまなこでそれを眺めていた。
 あの日、病院をでるとすぐに、主治医が死んだ。女の息子は、舌足らずだがはっきりした声で宣告をした。
 ――こいつは、おれが産まれる手助けをしたおとこだが、おれの出生のひみつをしったからには生かしちゃおけない。ママン、りかいしてくれ――
 さらに、息子は名乗った。
 ――おれの名前はリボーンだ。覚えておいてくれ、おれがあんたのとこをでるまでは――
「……リボーンちゃん、もう、寝るの……?」
 指を咥えたまま、赤子はうとうととして目を閉じる。女はその様子をじっと見た。その赤ん坊は機械で出来たように決められたサイクルで睡眠に落ちる。
 どこにも血痕がついていないか、脱がせても脱がせてもいつの間にか着ている黒いスーツを入念に焼き捨てて灰を確認して、赤子を夫の元へと連れて行く。赤子は外のものには誰も合わせない。
 一年が過ぎる。赤子は他より成長が早いように女には思えた。両足でよちよちと歩いて、いつの間にか、妙なところに立っている。
 失敗は唐突に起きた。
「あ、この子が息子さん? 初めまして」
 回覧版を届けにやってきた隣家の少年が、何気なく女の足元を見つめた。女はぞっとして言葉がでない。明朝に焼いたはずの黒いスーツを着込んで、赤ん坊が立っていた。
「……だぁ」
 赤子が手を伸ばす。
 躊躇なく、少年は赤子の手のひらを掴んだ。女は悲鳴を噛み殺す。
「オレ、沢田綱吉ね。君はなんて名前?」
 赤子は口をぱくぱくとさせる。目眩に耐えながら、女は赤子を抱き上げた。胸に顔を押し付けさせて、少年の眼差しから隠すようにする。
「ごめんね、この子は体が弱いの。すぐに、寝かせないと……」
「なまえ、リボーン」
「!」
 赤子は少年を振り返っていた。
 しっかりした声で、しっかりと少年を見据えて。一瞬、驚いたように少年は動きを止める。数秒を挟んで、戸惑いがちに歓声をあげた。
「リボーン? へえ、変わった名前。何て漢字かくんですか?」
「ご……。ごめんね。もう終わりにしましょう。いきましょうリボーンちゃん。部屋にかえるのよ!」
「おばさん? この子、もう喋れるなんて凄くない?」
「さようならツナちゃん!」
「え、あっ?!」
 ばたん! 強引に扉を閉めると、女は子ども部屋へと駆け込んだ。揺り籠の中に赤子を放り込んで、ぜえぜえと肩を弾ませる。彼女自身が思うよりも、ずっと、恨みがましくて恐ろしい響きを持った声がでた。
「赤ちゃん! 何なの。赤ちゃんなの? あたしの赤ちゃんなの? あんた誰なの!!」
 丸々とした指が、首を締め上げる女の指を辿った。途端、女が絶叫する。赤子が触れた個所が、真っ赤な血を流していた。赤ん坊は自ら黒スーツの襟元を正した。
「おれはたしかにママンからうまれたんだぞ」
「……しゃ、しゃべれるのは……」
「フツーならありえない。ところがおれは遺伝子レベルで武器の使い方も殺すべき人間もしっている。インプットがある」
 よちよちと歩きながら、赤子は揺り籠の柵に手をかけた。
 女は腰を抜かす。柵の上に立ちながら、赤子は、帽子を手にした。虚空から唐突に帽子が産まれたように見えた。
「さっきのこども。おれがはじめてみた親以外の人間だ。なかなか、イイ面していた。おれというのは宿主がいないといきられない。アイツに決めよう」
「何を……言ってるの。あたしの赤ちゃん」
 赤子のクリクリした瞳が、わずかに翳る。赤子は無言で揺り籠を降りて、廊下を進んでいった。這いずりながら、女は何度も赤ちゃんと呼びかけた。ようやっと授かった子どもだった。たとえ、狂っていようと、愛しかった。
「赤ちゃん。ここにいましょうよ。あたしはあなたのお母さんよ」
「ああ。ママン。かんしゃしてる」
 赤子は軽いジャンプで窓枠に齧りついた。
 ぷくぷくした体で、器用に窓を開けて――、縋り付く。体の半分が家からでた。女がさけぶ。
「あんたは外じゃいきられない! おかしいからだ。くるってる。悪魔の子だとあたしは思ったんだ!」
「そうかもしれないな、ママン。おれにもおれのことはよくわからない」
 風が帽子をはためかす。
 肩越しに振り返ると、赤子は最後の通告をした。
「ママン。おれの最初の殺しは医者じゃないぜ。もう、わかってんだろ?」
 沈黙の末、女がささやいた。
「あたしの……息子」
「そうだ。ありがとよ、じゃあな」


END.

 

07.4.4

>>もどる