こたつ怪談
<終末>

 
 沈黙が支配する。くつくつとしきりに肩で笑い、六道骸は眩しげに両目を細めた。
「ねえ。わかっていただけますか」
 足首を掴む両手に力を込める。
「満たされたいだけなんです。僕はそれを望んでる」
「〜〜っ、薄気味悪いだけなんだよ! 放せ!」
 両手を床につけ、膝を立てて引力に抗う。骸は傷ついた様子もなく平坦な声をだす。
「お気に召さなかったようですね。今の話は、この世界でも現実に起きたことですよ」
「頭イカれてんのか?! どの話も空想だ!」
「いいえ。違います。それぞれの時空で実際に有りえたこと。チョイスは……僕の趣味ですがね。綱吉さん、怯えないでくださいよ。もっと暖まったらどうですか?」
「ひっ!」ずるっと足を引かれて、上半身が転んだ。
 慌てて背中を持ち上げたが、ぶつかった。胸元までこたつに潜り込んでいる
「〜〜〜〜っっ!!」
 骸がこたつから引っ張り出した綱吉の足を舐めた。思わず、その端正な横っ面を蹴り上げる。
 力が緩んだスキに、こたつまでを蹴り上げ、――玄関に向けて疾駆する。しかし、扉は動かなかった。ドアノブすら回転しない。
「くそっ……」この部屋は異常だ。少なくとも、六道骸の頭はどうにかしている。綱吉は祈りを込めて振り返った。骸の友人だという二人の少年を思い出したのだ。
「た、助けて……。――――っ?!」
 ――二人分の衣服が水に浸かっている、だけ、だ。水たまりがあった。骸は頬を抑えつつ、口から真赤な舌を垂らした。肩口まで伸びる。異様な長さだ。
 心臓が竦み上がって腹まで痛み出していた。
 綱吉は震えながらポケットをまさぐった。電話帳から、目的のアドレスを検索する――コール音が続く。無限にも思える時間だ。早く、早く!
「……母さん?! 助けて! おかしい……、骸クンがッ!!」携帯電話の先からは、呑気な声がした。
「ん? 何のお話?」
「イトコだよ! 畑の向こうにいただろ?! 俺より小さい――」
「つっくん、みーくんのこと言ってるの?」
 その途端、呼吸が止まった。血管という血管が縮み上がる。
「みーちゃん……?」
 一呼吸置いて、血管が延びる。だぁっと身体中に血の気が巡って、逆に、気が遠のいていった。
 骸がニコリとする。眉根を八の字にひしゃげた。
「そんなに強く洗脳したつもりはなかったんですけど。君も、君の周囲も信じやすいヒトのようだ。くふっ、ふふふふふ」生暖かいものが頬を伝っている。泣いているなど信じたくなかったが。
 兄ちゃん! と、あの子どもは声をかけてくる。
 笑顔で後をついてくる。将来は東京に行きたい、それを告げるととても寂しそうな顔をした。虚ろな声がでた。
「うそだ……。そんなのって。ああ、俺、何で……。みーちゃんは死んだっ」
「そう。海に続く川で。彼は水底に向かった」
「あ、ああ、川……っ、何のつもりだお前ッ! 忘れてたのに。みーちゃんは――俺が水中から、引き揚げ、したんだぞ。ふざけんな!」
「綱吉さん。逃がしませんよ。さぁ、こちらに」
「それ以上来ンな! ぶっ殺すぞ!」
 投げつけた携帯電話は肩に当たって落ちた。
 受話器の向こう側で、何事かを問いかけるような声が――したが、すぐに途切れた。骸が携帯電話を踏み砕いたからだ。
「……何するんだよ。ふざけるなよ……」
 うめきながらも視界の端には水浸しの衣服がある。骸が只者ではないことは綱吉にも理解できた。
 ……理解できた。異常だ。全て。
 考えに囚われた一瞬。
 ひゅんっと伸び上がるものがあった。
 襟首が掴まれ、放り投げられる。衣服が浸かっていた水の上に落ちた。
 急ぎ、体を起こすが――、硬直した。
 頬をざらついたものが舐めていた。上目で背後を睨めば、骸がしゃがみ込むところだった。後ろから伸びた指先は、綱吉の顎を掴んで強引に振り向かせる。
 びしゃ、と、水面に汗が滴り落ちていく音色。
「お前は……食べるのか。そこにいた二人も食べた?」
 反応を面白がるように小首が傾げられる。ぬらりと光る舌先が、何度も綱吉の頬を舐めた。ざりざりとしている。猫の舌に似ていた。
「綱吉さん。僕を可愛がってくださいよ。君のかわいいイトコだと思って?」
「ふ、ざ、けっ……!!」
「でもみーちゃんとやらは可愛がっていた」
 オッドアイが間近にある。額が擦れ合うほどの距離だ。本能的な恐怖で既に身動きできないでいた。呼吸がヒステリックで断続的なものに摩り替わりつつあった。
「怖いんですか? 食べると思うんですか? 僕にはそういった性質は無い。満たして欲しいんです。君なら……」
 骸は唇を擦りつけてきた。ざらついて、粘膜が張っているよう感じられた。
「ぐむぅっ?!」
 じゅるっ。舌先が咥内に押し入った。
 舌を絡めるようにして愛撫めいたことを繰り返す。
 怖気の余り白目を剥きかけたが、気をやる前にさらなる暴虐が訪れた。骸の舌が、落ちる。舌の付け根に絡まり、撫で上げられた次の瞬間、咽喉に押し入っていった。
「……っ、えぐっ?!」喉が盛んに上下した。全身から汗が噴出す――既に不快感や嘔吐感で済ませられるものではない。異物感が腹にまで及ぶ。
「…………っ!!」
 盛んに内側の壁を撫でられた後で、じゅるるるっ。一息で引き抜かれた。
「うえええッッ」
 解放されて、即座に咽こんだ。背中が丸まる。額を床に擦りつけて喘ぎ、その綱吉の傍らで、骸は満足げに自らの喉を撫でた。うっとりとした声音で囁く。
「綱吉さんの胃液。舌がぴりぴりしますね。そうですか、こういう味がする……これによって僕は満たされるんでしょうか?」
「あぐっ、ええっ、うえっ」
 逆流してきた胃液を吐き出しつつ、綱吉は必死に言葉を繋ごうとした。
「あ、あああ、なっ……。昼に食べたのに」
 いくら吐いても胃液が落ちてくるだけだった。骸の口角には邪ですらある微笑みが立ち昇る。綱吉は青褪めた。
「くふ、ふ。それは食べたから。僕の破片が君を内部から犯してる」
 指差した先には、二つのアイスカップが転がっていた。
 綱吉が弾かれたように両手で腹を抑えた。応えるように内部で何かが――動く気配。ひ、と、噛み殺しきれない悲鳴がこぼれた。
「君とのイトコごっこでは僕は満たされなかった。ので、方法を変える」
 そもそも、君は少しも会いに来なかった。恋人の出不精を咎めるようなニュアンスだ。骸は、羨望の眼差しを足元に落とした。
「しかし、君が在る為に満たされた者達をたくさん見た。話してあげたでしょう? 彼らがいかにして満たされていったのかを」
 全身が総毛立つ感覚。途方も無い質量感が胸に重く圧し掛かる。綱吉が黙り込むと、骸は、その長大な舌を胴体に絡めて締め上げた。
「ぐうっ……」「子どもは、」
 ニィ、と、唇の両端を吊り上げた。
「大きくなったら君の元へ行きたがっていた。それが満たされる方法であるとわかっていた。綱吉さん。ね。僕も満たしてください」
「やめ……ろっ。俺には、んなこと、できない……っ」
 眉の尾をひしゃげて、少年はくぐもった笑い声を立てる。やってみないとわからないでしょう。静かな声だった。ずるっと、スラックスを引き摺り下ろされていた。
「なっ……」
「これで肛門でも貫いてあげましょうか」
「?!」唖然とする――してはいられなかった。咄嗟に後退した体を、その肩を、骸の足が容赦なく踏みつける。しゅるり。舌先が蛇行した。
「丁度いい。君がいかに僕を満たしてくれるのか興味があります。君の行動によってかと思いましたが、君の内部にある何かによって満たされるのかもしれませんし」
「いっ……」床が抜けたような気分だ。
 全身から感覚が遠のいていく。鼓膜が。正確に音を拾えなかった。全力で骸の足を引き剥がそうとしていた。
「あァああぁあッッッ!! やめろぉおお!!」
「大丈夫です。僕の体はほとんど実体を伴わない……。元は魚の妖怪変化です。人体のプラズマを寄り合わせてできた体に過ぎない。本質は気体だ。ほら、いま、僕の腹を織るのは実際に君のイトコですよ。みーちゃんとやら」
「は、ハァッ?! みーちゃん?!」
 恐怖で理性が浸蝕される。なんとか上体を起こしたが、瞬間、ぽかんとしてしまったことが災いした。思考を断ち切られるほどの衝撃が下半身を襲う。
「ひっ――、ぎっっ!!」
 後腔の筋肉が激しく伸縮した。
 その流れに逆らってずるずると舌先が侵入する。下半身から、ピンポイントで立ち上ってくる圧倒的な異物感に綱吉が絶叫した。口角から涎が飛び散る。気にかける余裕すらなかった。
(まだまだ長さは余っていますよ)
 淡々と呟く声。それが脳裏から聞こえた。完全なパニックに陥りつつも必死で首を振った。
「やめてええっ! 頼むからっっ。何でもするから! これはやめて――っっ!!」
(なぜ? 僕は君に在る可能性を全て知りたい。その体も内部組織も余すことなく見せていただきますよ)
「ひっ、いいっ、がぁああっっ」
 めりめりっ。内部に侵入したものが容赦なく深くまで押し入る。もがく体に跨り、抑え付けながら、六道骸はくつくつと肩を揺らしていた。
(尻に入ったくらいで喚かない方がいい)
「あぎぃっ、〜〜〜〜っっ!!」
 ビクン! と、大きく痙攣して綱吉が仰け反った。
 両膝が小刻みに震えて水面を波立たせる。痛み――痛みもあるのだろう。前進の度の不快感、そして全てを上回る恐怖心で脳髄の芯が麻痺していた。
「助けっ……、助けてっ、あああっ?! ダメッ。どこまで来る気で、あ、あぐっうあああ!!」
 顔面を押さえつけてのたうつ。骸の両眼が酔いしれるように微笑みだした。
(……少し、満たされたような気もしますが……。まだですね。ほら、もう少しで大腸を抜ける)
「ぐうっっ」潰れたような悲鳴が口をついた。
 骸の言葉通りに、通り抜けたのだ。その衝撃で綱吉は衣服の浮かぶ水面に顔から突っ伏していた。立ち昇った飛沫が口に飛び込む。塩水だった。
「あがっ、がっ、ぐがっ」
 内部に侵入したものはすぐに前進を始めた。
 我が物とは思えないほどの悲鳴が口を突く。喉が焼き切れる――理性が焼き切れる寸前になる。太いものが、体内の器官を強引に逆流する感触に綱吉の神経思考全身全てが絶叫をあげていた。
「ひいっ、あっ、あがっ!」
(さすがにここまで来ると細いですね)
 じゅるるっ。舌先に力が込められ、前進そのものも力強いものとなる。だんっ! と、濁音が響いたが、綱吉が自らの額を床に打ちつけた音だった。
「やめてええっ。は、はいらなァッ……いいっ、ぎっ」
 ハッ、ハッ、と、息切れしたイヌのような呼吸を繰り返す。その背中に骸が手を当てた。羽根のように、柔らかく、触れた。しかしその手つきは触れる時だけで、彼は力を込めると綱吉を這いつくばらせた。綱吉の手足がばたばたともがく。
「ひぎっ、ああああああッッ」
(はい、胃、ですね。しょっぱい)
「〜〜〜〜っっ!!!」
 がりがりと床を引っ掻き綱吉が苦悶する。くす、と、嘲笑うように骸が口角を吊り上げた。
(一気に食道を駆け抜けますよ。気持ち善さにラリッたりしないでくださいね)
「?!」内部にある異物がうねる。
 綱吉が制止をかける間もなかった。ずりゅうっと滑らかに駆け上がるモノの存在。それに脳髄がやられて何が起きるのかも理解できない。
「ィ――――っっぐっ!」
 がくんっ。背中を反らせて全身が硬直する。その両眼は限界まで見開かれて涙を溢れさせる。舌の根の奥から、全身を貫いた骸の舌先が絡まりながら出てきた。
「ごふっっ」顎を引かれる。骸が唇を重ねてきた。
「ぐっ……げうっ」がぼ、と、水中にいるかのような声しかでない。息苦しい。喉が言うことを利かない。溺死する人間の気持ちがわかるかもしれない、と、切れ切れになった思考がようやっと吐き出したのは、どうしようもない破片だけ。咽喉の奥から相手の舌が伸びより深く濃厚な愛撫を求めてくる。骸が舌根を歯に擦りつけてくる。
(沢田綱吉。どうだ? これが僕という存在なのだが)
 じゅるっ。舌が前に進む。
 口からでてきた骸の舌先が、鼻先を前にした。遊ぶように一撫でする。ぜえぜえ、と、死に物狂いで呼吸しながら綱吉は宣告を聞いた。
(満たせるか? 答えてみろ)
「あっ――、ごふっ……う、が」
 しゅるしゅると動く。舌先に全身が翻弄されていた。それが動く度に猛烈な衝撃が脳髄を殴りつけてくる。直腸はおろか小腸も胃も食道も同時に愛撫されていた。
「げぼっ。がふっ!」溺れるようだ。
 嗚咽を漏らすが、綱吉がいくら吐き出そうとしても内部から侵略した舌先を追い出すことはできなかった。赤と青の両眼が伺うような色を灯す。
 やがて彼は理解したように綱吉に笑いかけた。
(頷くのか? ありがとう)

 




07.4.7

>>もどる