*ちょろーっと放った小話やら小ネタやらを収納してる箱です。何でもアリです。


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1つ目:水牢  →残酷め おぼれるツナ
2つ目:あの夢へ  →未来編がおわっての骸とツナ
3つ目:かるら  →かなり前の初代妄想 電波高め
4つ目:ゼロのうまれ →ちいさな骸・大きくなった骸とツナ













水牢


「ハッ、ハ、え、えぐっっ」
泣きじゃくる少年の前で、彼は背もたれのついた椅子に腰かけていた。前に屈んで、膝の上に両肘を乗せる。そうして両手を結んだ上に顎を乗せて、じぃ、と苦悶を見つめつづけていた。
号泣しながら少年が水槽を叩く。ビクともしない。強化ガラスは震えもせず、悠然と聳えて流し込まれるままに水嵩を上昇させていた。
「ぐろ、さっ、むぐろさっ、ァッ、あっぐう、ひぐっ。うえっ、ひっ、ひっく、……ァ、さ、骸さァン!!」
ドンドンとガラスを叩く音色が響く。室内は薄暗いが広い。四角形の縦長の水槽にはパイプが繋がれてゴポゴポと水音を立てた。
「しぬ、死んじゃう! 助けて! たすげてええ!!」
「君は僕を助けてくれましたね。水でできた牢獄から救ってくれた」
両目でひたりと沢田綱吉を見上げて、骸。
「どうですか? 自分が入ってみる気分は。立ち泳ぎではいつまで保てますかね? 疲れて、力尽きて、沈んでいく君はそのときどういう顔をするんでしょうか?」
水槽のガラスにしがみ付きながら綱吉が絶望に双眸を歪める。ガラスにツメを立てても何も変わらなかった。狂ったように泣き叫ぶ。
「いやだぁああ!! 骸さん! 出して!! 出してよ! 死にたくなっ……、アアァッ、助けて――!!」
ドンドン! 綱吉の悲鳴が切羽詰まったものになる。
「苦悶の絶頂で死んだとき……、想像すると身震いがします。悦楽の絶頂で晒すような淫らで意地汚い顔をしてくれるんでしょうね」
「…………?! やめっ……、変なこというなよ……、だして、こっから出してえッッ」
「僕を水牢から助けたのが運の尽きでしたね」
ニコリともせずに、苦悶を一瞬足りとも見逃さぬというように、六道骸は瞬きすらせずに水槽を見上げつづけていた。
綱吉がガリガリと水槽を掻く。とっくに足など床についていない。
「あ、う、ひぃ、ひっ、うあっ、ヒッ。ひ、酷いぃ……ッッ!!」
全身が痙攣して止まらない。喉がひっきりなしに震えて発声も辛かった。苦しいのに泣くことだけが止められない。
「嫌っだっ、骸さァン! 骸さん!! 助けてよぉっ、何でもするからァッ、あ、がぼっ!」
「あと五分ほどで満杯ですか。君とお話するのもあと五分で永遠に終わりですね」
「うっ、ううっ、ひぐっ、ひっ!」
泣きじゃくるあまり声にならなかった。綱吉が水中で咽るとすぐさま体が沈む。多量の気泡が水槽の中で踊る。
「あ、がはっ! ハッ、はぁ――っっ!!」
急ぎ手足で水を掻いて浮き上がる。既に何度も浮き沈みを繰り返してきた。骸はオッドアイをしならせる。
「愛してますよ……。愛してしまった。だから、君を殺そうと思うんですよ。僕は」
「?! ァ、しに、たくなっ、死にたく、ごぼっ!」
「……段々、沈む回数が増えてきましたね」
「〜〜っっ、骸ォ、マジッ……。やだぁあああ!! 助けてよ! 助けろよ! イヤァア――っっ!!!」
「少女みたいな鳴声をあげる……。そんな君も、好きですよ」
ざぷっ。水槽の中で波が立つ。水流が勢いを増した。それを最も骨身で感じるのは沢田綱吉に他ならない。
「ひ、ひいっ、いっ……、いやだ、やだ、やだ、骸っ、あ?! ぐぅ! がぼがっ、がぼっ」
「見ててあげますからね。安心して、いきなさい」
「ウソッ。や、めォッ、あ、がっ、げほっ!! ごほっ」
骸は耳を澄ませた。彼が発する言葉の全てを聞き逃すまいとしてだ。
(殺す気なんだろうか?)
一人、骸は自問する。自分もそう言っているし、綱吉も殺されることがわかりきってて悶絶している。だけれど、
(また、どたんばで助けてしまいそうな気がする……)
オッドアイがくすんだ光を浮かべる。水槽の用意はしたが、どれほどの衝撃を加えれば破壊できるか目算はついていた。水槽を叩きながら泣き叫ぶ少年は、いっそ人魚のようだった。溺れてはいる。


おわり






あの夢へ



「――しぶといな」
 外からかけられた言葉を感じ、僕ができることはといえば、呼吸するのみだ。
 管から呑まされた酸素が肺にまで潜る。
 人肌程度にぬるくされた温水に圧迫された体は、その圧力を的確に僕へと伝搬する。すう。すう。僅かに痛みを伴って体は機械的な呼吸を続ける。
「……生きてるのか?」
「まだ……」
 瞳は開けられない。
 暗く閉じた世界に、ふいに光が差した。
 白いシャツを着て明るい日差しの中を歩いていく人がいる。後頭部に房をつけて、変わった髪型をしている。蒼黒の髪が、肩から下に数センチ伸びている。
 しばしボウッとしてから、夢の中身を悟る。
 ああ、あれは僕だ。
 そう思うと同時に、幽体と魂とがリンクを果たして彼は僕となった。
「…………ふう」
 幽体とはいえ、自由な両手首の感覚には吐息をついた。
 白い明かり。澄んだ空気。青空の下には木がまばらな森林が、その裾野に僕を置いて、静かに広がっている。
 幻術によって作ったものとはいえ解放のまどろみは体に感じられる。ゆっくりと、水圧の感じない中での呼吸をやって、胸を撫で下ろした。
「惜しむらくは、この解放感でさえ……。馴れてしまったことでしょうか?」
 誰にともなく呟いて、歩きはじめる。
 草地のさくりとした感覚は足の裏から脳天にきて魂を癒す。こんな姿は誰にも見せたくないと思った。『六道骸』は廃墟に棲みつき誰にも真実の姿を悟らせない暗中の人物であるべきと思うから。
 しかし、彼にはどうもその主張は通じない。彼くらいだ。
 僕が幾重にも張り巡らせている筈の防衛戦をくぐり抜けて、人の夢にまで堂々と侵入をしておいて、それでいて申し訳なさげに立っていられる男なんてものは。
「またですか」
 声が強張るのを感じた。
 少し、日が空いた。本当は『ひさしぶりですね』とかいった言葉の方が妥当なのだ。
「うん。来てみちゃった」
「? 自分の意思で来たと?」
「そうだよ。意外だな。お前のいうとおり、やろうと思えばどうにかなったんだ。俺ってけっこう凄いのかもな」
 数々の戦いを乗り越えてきた男がいうには間抜けすぎる。
 けれど悲しいことに僕はいささか馴れてしまった。
「相変わらずですね。無神経なところ、嫌いだっていったじゃないですか」
「今日は言いたいことがあってきたんだ」
「なんですか」
 微苦笑が唇に浮かんだ。
 どうせまたろくでもないことだ。そうに決まっていた。沢田綱吉が、作戦協力を要請するのを僕は既に何度も許してしまっている。マフィアは嫌いだと告げても、それは、沢田には拒否の理由にならないらしかった。侮蔑してもいい反応の筈なのに、なぜか許してしまえるのはこの男の人徳だろうと思う。
「次の仕事というのなら、あと数日は僕は動けませんよ。回復にかかる時間が――」
「そうじゃないんだ」
 彼は、少し言いにくそうに眉を寄せながら、自分の首元に手をやった。
 指定制服のネクタイをただして、――口角を結び、凛々しくも背筋を伸ばす。言い聞かせるように喋り始めた。
「一度、骸が牢獄から自力で脱走した未来に行ったことがある。あのとき、お前は二十五歳だったよ。つまり今から九年後の未来だ」
「…………」思わず言葉を失った。幽体の体がブレるような錯覚。九年? 耳を疑えた。
「なっ……。なんですか、それは」
「今まで言って無くてごめん。……言えなくて」
「僕はそんなに時間をかけるつもりはない!」
「うん。そうなんだと思うよ。きっと骸の仲間もみんなそう思ってたんだと思う。でも、実際は何があるかわからないだろ? 俺はいつもそうだから。今までもそれで大変な目にあったりラッキーなことがあったり、」そこまでまくし立てて、ふいに、恥じ入るように面を伏せた。
 たまに、沢田綱吉はまるで少女のように僕の眼に写る。今もそうだった。
「……や。俺がいいたいのは、そうじゃなくてな」
 恥ずかしそうに、沢田は自らの言葉をただす。
「……だから、俺の、この未来は変えたいって思ってたんだ。この一年間な。骸。だからいいにきたんだ」
「?」目を大きく瞬きさせてしまう。
「あいにいくよ」
 喉に何か詰まっているように、ぽつりと、呻き声に近いささやきを漏らして彼は一歩を後ろに下がった。
 明るめのブラウンの瞳が、表面を揺らして少しだけ寂しそうに潤んだ。
「明後日だ。考えてほしい。そのとき、おまえが、おれの手さえ取ってくれたらいいんだ……」
「ヴィンディチェにくるんですか?」
 驚きながら尋ねるも、彼は、本当に告知にだけ姿を見せにきたようだった。
 僕からの質問には単に首を左右にする。
 そうして、さっと身を翻して森の中へと走っていった。追いかけても無駄だ。彼は、僕の空間から自由に出入りをしてしまえる。
 それがわかっていても数歩を追いかけて、彼の姿が掻き消えたために足を止める。
 ――喉にひっかかった驚きが、胃の底にまで落ちる。どすんとしていて重い。
 ゴボボッ。動揺は、楽に精神の力で作りだした異次元を崩壊させた。水のぬるい感覚が体に押し寄せてきて、その圧力でびくっと四肢が震えるのを感じた。
「……懲役を果たす頃には……」
「百年はかかる――」
(……くる?)
 目も開けられなかったが、久しぶりに自分の頭に問いかける感覚で寒気が立った。
(ここに? なぜ?)
 そんなの理由がわからなかった。手足が動かない。息も自らの意思では繋げられない。全身の衰弱は手に取るようにわかる。
 あいにいくよ。確かに彼はそう言った。
 手を……。手を? やはり、わからないと思った。彼が何を考えているのか。
 彼が告知した明後日、己が、マフィアの若ボスである彼の誘いにどこまで乗れてしまうのかも、わからなかった。しかし、胃の底に落ちてきた重石は今や足の爪先にまでくだっていて、じんわりと火照る仄かな熱を生みだした。
 そうだと思った。
 確実なことは、僕も彼に逢いたかったという一点のみだった。



おわり





かるら



 火の粉が飛び交うさまにホタルを思いだした。
「――あの国は、美しかったものだな」
 密やかな声に、両隣を固める少年達が誘われた。
「ジョット?」
「いや、なんでもない。お前らは下がっていろ」
 右手を炎に向かって伸ばして広げて、五本の指の腹で、天を仰ぐ。
 左手では、革製のグローブを嵌めながらだったのでキュッとして皮膚との摩擦音が聞こえた。
「待て!! 貴方でも危ない!」
「俺も行く!」
「これは命令だ。逆らうならば私が殺すぞ」
 有無をいわせずに、歩みを進めた。
 裾の長いブラックマントが優美にはためき戦火に似つかわしくない色香を彼に与える。ジョットは、一人ですたすたと歩いていきながら独り言のようにして歌った。
「幽玄な寂音を夜に響かせ、人々は礼儀正しくはにかんだ笑みを浮かべる。あの淑やかさは私には心地良かった。ぜひともいつか、住んでみたいものだな。ジャッポーネの幽艶たる詩情はまさに私の好みだった」
 炎に燃ゆる館をブーツで横断していく。
 もはや、誰もついてきていない。炎の勢いが強く、きたくても来られないのだ。
「――きさまは、ホタルを見たことがあるか?」
 ばさりっ。マントが炎の熱になびき、左によれた。マントに火の粉が付着することはなかった。
 ジョットは、この度の災禍を喚んだ男に静かな眼差しを送る。
「仄かな美しい明かりを産める。あれらが、ジャッポーネの幽玄にまことよく似合う。奥深な屋敷で、松に囲まれて、真っ赤な漆の輝きを放つ橋掛けから、ホタルを眺めるのだ。それはマボロシのような幸成るひとときとなろう」
 住屋を焼かれた怒りでも、自分を慕うものを殺された怒りでもなく、ただ凪いだ海として佇む瞳がある。炎の色。
「――きさま、口はついているようだがしゃべれないのか? それは失礼」
「賤しい一族にできてなぜ我にできないと思う?」
「おお。人語も理解するのか。ならば我が求めに応じるがいい。きさまを呼び立てたのはこの私だ。従おうとは思わないか?」
「思わぬ」
「きさま、名はなんという?」
 階段の上。黒煙と猛火が立ち込める中を平然として立つのは、醒めた美貌の男性だ。少なくともそう見えるが正体は魔であった。
 悪魔は、眉を寄せて、改めて階下のジョットを見つめた。
「炎が熱くはないのか」
 すぐに愚問だったと悟った様子だった。
「破格の出来だな。人としては」
「きさまは悪魔にしては破格の出来なのだろうな? 指輪に籠めたものに逃げだされたのは初めてだ」
「不思議な魂の色をしているな。お前は黒い魂を白く光らせているぞ。……本当に人間か?」
「名乗る気がないのならば――」
 悪魔の囁きをぶった切る論調で、ジョット。
 悪魔は、怪訝に青い目玉を寄せるがだがその反応は毎度のことなので気にしない。
 マントをばたばたさせながら、若き悪王は己の決めたルールを告げた。
「きさまはデイモンと名乗れ。私はジョットだ。指輪としての行使を拒むのならば、生身のヒトとして我に仕えよ」
「…………。は?」
 デイモンが呆気に取られる。
 ひどくゆっくりした動きで、ジョットは左手の中指から煤けたリングを引き抜いた。呪いのリングとして精製したものだが、魂となる悪魔が逃げたので、もう使えない。
 炎の渦へと、投げる。
 そして踵を返していく。燃える館を出て行こうとする背中に、やや遅れて抗議が飛びついた。
「あ……っ、悪魔の話をきいていけ!!」

「ヒトの話を聞けと言ってるだろ!!」
 叫ぶなり、ジョットのデスクが揺れた。どすんっと両手がくだされたのだ。
 上に積みあげた書類が――崩れる、その寸前に、少年悪王の白い手がかかって書山を支えた。
「何をするんだ」
 気が抜けた声で言って、すばやく整えた書山から手を外し、陶器のカップを握り、歩いていった。
「おい。おかわりと言ったんだが」
「だからヒトの話を聞けよジョット!」
 黒髪の少年も、ジョットについて執務室を出て行った。
「ジョット様。今、お持ちするところでした!」
「クッキーも焼いたのですよ、ジョット様」
 二人組の少女が、弾むような足取りで少年達を囲んだ。
 廊下は広い。山奥にある屋敷を急ごしらえで買い取ったため、まだ家の造りには皆が不慣れだ。内装を整えるために、あちこちを行き来する人影を見やりつつ、ジョットは小皿から黄金色のクッキーを一枚取った。
 ぱり。ぽりぽり。食べきってから、呻く。
「うまい。コーヒーを」
「はいっ!」
 ごくごくごく。……ぷは。
 と、その擬音はすべて少年の美貌に現われている。一方では暗雲に秘されているが一方手は烈しくわかりやすい男なのだ。
 少女二人は、ジョットの侍女ともいうべき存在で、女らしい細やかな気遣いを光らせて彼に仕えている。
「……ふぅー」
「ご満足いただけましたか」
「ジョット様!」
 うん、と、そっけなくすら見える表情で単に首を縦にする。その後ろではずっと少年ががなっていた。
「ジョット! ジョット!! とことん無視する気かいっ。君はどーしてそうなんだ?! 僕がこんだけ喋っても明日にはその話は聞―てないとかいうんだろ?!」
「あのな。今は、休憩なんだ」
 ようやく返した一言は、面倒臭そうでいてどこか呆けたセリフだ。
 窓の外を覗き、晴天を炎瞳に宿す。
「いい天気だ……。またあとでな」
「まてえい!」
 少年が、両手でジョットの右手首を鷲掴みにした。
「どこに忙しくなる午後から遊びにいくボスがいるんだよ。僕の仕事まで滞るだろっ。さっき渡した書類五十枚に今すぐ目を通すんだっ!」
「休憩なんだ」
 ずるずると、一人を引き摺ってでもジョットは扉に向かおうとする。静粛に人差し指を突きたててみせた。
「いいか、私はな、一度にひとつのことしか出来ない!」
「休憩をご立派な用事にするなぁっ!」
「アラウディ。また明日にでもきてくれ」
「君はそう言っていつも一週間後にやっと用事を終わらせてるんだよ。僕が取り立て屋みたいなことをなんで――っっ」
「おやおや。小鳥ちゃん」
「!」と、アラウディの表情が変わった。
 ジョットは能天気なもので、ふり返りもせずに木造りの重い扉を押している。うららかな日差しと緑溢れた庭とが広がった。
「ふぅ。私の馬はどこだ?」
「はい、ジョット様――」
「ジョット。僕まで無視するんですか」
 厳めしく声をかけてきた男が、肩をずるりとさせてアラウディがしたのと全く同じ所作で少年の左手首を掴んだ。
「お前らは私を忙殺したいのか?」
「どーみても有り余ってる君の時間を有用に使えっていってるんだよ!」
「久しぶりに会いにきたのにその態度ってないのではありません?」
 同時に抗議して、男と少年はハタと互いの眼を睨みあった。
「アラウディ……。この雲雀男が」
「稲妻キ○ガイが」
「……」目の前で火花を散らす彼らを見上げ――二人とも、ジョットよりかなり背が高いのだ――、炎の瞳はぼんやりとする。
 この世ではないどこかに思いを馳せるようでも、ただボケッとしているだけにも、見える。
「ジョット?!」「ジョット!」二人がかりで肩を揺すられても、たっぷり十秒は何も喋らなかった。
「……あのな。邪魔だぞ」
 やっと呻く。
 二人の手首を掴んで、上に持ちあげて、少年ボスは嘆息をこぼしてみせる。顔をあげると突如として額に炎が灯った。
「!!」さすがにジョットと一戦交える気がないので二人が後退る。
 すると、もう興味はなくなったとばかりに彼は踵を帰して庭にでていってしまった。
「じょ……、ジョット。おい、D・スペード。お前も彼に用件があるのか?」
「長旅から帰ったので挨拶にきたのですよ。……お久しぶりですね。アラウディ。君もジョットのケツを追いかけ回すのに余念がありませんこと」
「暗殺するよ?」
「ハハハハ。ご冗談がうまいですね! 笑ってしまうではございませんか。ハハハ!」
 侍女に案内されて厩舎に向かう彼に、スペードが大きな声をかけた。
「君がその気なら僕も実力を行使するだけでございます。ククッ。――僕に見通せないものなど、ないのですよ!」
 それがD・スペードのキメ台詞だと知っているのでジョットがふり返った。アラウディも顰めっ面になる。彼は、飛び跳ねて、スペードから距離を空けた。
 長マントにロングブーツ。頭には稲妻のぎざぎざした奇図を摸した二本線。奇抜なスタイルの彼はさらに奇妙なものを懐から取りだした。
 飾りのついたレンズは、人差し指と親指とでしっかりと挟まれてある。
 スペードはレンズを右目に宛がった。
「ふ。ジョット。今日は毛糸のぱんつ着てないじゃないですか」
「……もう寒くない」
 眉を顰めただけで、律儀に返答するジョット。
 それを押しのけて侍女が騒いだ。
「きゃああああ?! 何をなさるのですか!!」
「やめなさい! そのような不埒な道具は使用するものに天罰がくだりますよ!!」
「アア。直線上に入ると裸体が透けてしまいますよ、ご婦人方」
 極めて紳士に、スペードは鉢植えを手に迫ってくる少女達に微笑みかける。
 キャアッ?! と、鉢植えを落としてパニックになる少女らにアラウディが憐れみの眼差しを向けた。手では額を抑えている。
「ジョットも、なんでそんなアブないものを渡したんだい」
「ああいう使い方は想定していなかった」
「クククククク」
 アラウディのぼやきに同調ずるジョットは、じろじろ眺められても体を隠そうとはしなかった。
 むしろ、可哀相にといった目つきでD・スペードを観察する。
「その外見で定着していることから薄々そうではないかと思っていたんだが……。きさまは変わり者だな」
「第一印象からしてそうでございましたが、君もね」
 レンズ越しに、青い右目が睫毛を踊らせる。
 ……ごくごく自然に、太陽を仰望したのはジョットとスペードだ。
 呆けがちだった炎の瞳に、色が宿る。
 ひたひたとして瞳に忍び寄るのは暗鬱たる憎しみの宿り火だ。ジョットは侍女から馬の手綱を奪った。
 飛び乗ると同時に、鞭でも扱うようにして手綱を操る。すちゃっ。馬は、手綱をつけるなり、走りだした。
「諸君、またのちほど」
「ジョット! 今度こそ約束を守ってもらうからな。明日だよ!」
「お気をつけてジョット様!」
 庭の柵を跳び越えて、斜面を駆けおりていく。馬の蹄の音に耳を研ぎ澄まし――何度かは空を仰いだ。
 ジョットは、まったく唐突に後ろを肩越しにふり向いた。
 闇が渦巻いて、一瞬にしてD・スペードが相席を果たしていた。後頭部についている二つの房がゆさゆさ跳ねる。
「D、頼む」
「そろそろ『警告』の時期だと思ったから戻ってきたのです。それを貴方というヒトは……。仕方がございませんね」
 Dの右目には、レンズが浮いて貼りついていた。
 空に魔レンズを五百倍に拡大させたものが広がった。かぁんかぁん、と、青銅を弾いた鈍い悲鳴が轟く。
 馬の足を止めさせて、ジョットは、眉を八の字にして成り行きを見守った。
「マントは置いてきてしまったな……」
「これしきでしたら僕にお任せを。堕天使狩りなど地獄の裁判に比べたらママゴトも同然でございます」Dが指を鳴らしていくと、魔レンズの防御壁が厚みを増す。レンズ越しでも透き通って見える空には、白く輝く生き物が遠く浮いた。天使だ。
 ジョットが動かなくなっているのをスキと見て、D・スペードは彼の下顎を指の腹でなぞった。
「どうなさいました? もしや、知ったお迎えの方ですか?」
「いや。初めて見る」
 眼の奥を引っこめて、ジョットは不服げに傍らの悪魔を睨んだ。
「私は人間だ。あれらと交じるための言葉など知らん」
「くっ……」鼻で嗤ったDは、ジョットが左手に嵌めている呪いの指輪の群れを手で撫でた。表面をサワサワとするその蠢きぶりはいやらしい。
 Dの青い瞳は嘲りに歪んでもいた。
「契約を覚えているか。――遠い未来にでも構わない。君の天使の血が薄れに薄れ、僕が触れても毒にならぬレベルにまで劣化したら――。そのときに君の魂をいただく。クククク。楽しみでございます」
「ああ、楽しみだな」
 Dが拍子抜けするくらいにジョットはなんの気負いもなく言ってのけるのが常だ。
「お前が、どんな人間に転生しているか見物だ。今の変人ぶりからすると相当かわいそうなヤツになるんだろうな」
「……言いたいことはそれだけでございますか?!」
 空ではいまだにレンズと光りの矢とが衝突を繰り返している。
 所詮は、人成らざるものの狂宴だ。
 馬で散歩中の良家の坊ちゃんといった具合に、ジョットは馬の手綱を握り直した。走りの速度を落として、ついには、かぽかぽと上品に馬を歩かせる。
「私は自由にやらせてもらうのが好きだ」
 独り言とも、詩ともつかぬ囁きが風にとろけていく。
「何百年か先か知らんが、そのときに生きるものは既に私ではない。私が死んだあとに生きる他人だ。彼も好きにやるべきだろう。……ボンゴレファミリーの進退も含めてな。例え未来でお前が拒否されようが、それも私の関知する内容ではないな」
「女だったらいいなぁと思っているのでございますがね」
「私はオトコだと思うな」
 大した根拠はないのだと、気が抜けまくった横顔が語る。ジョットは詩の文句を悩むようにして溜息を吐いた。
「自由であれと望む者は、他人の自由の阻害は行わぬ。そういうものなのだよ。……我が悪魔(デイモン)よ」
 右目にレンズをつけた悪魔ことスペードことDは、不思議そうに、炎の両眼を覗き返した。
「未来のあなたに何をしようが本当に構わないんですね?」
「好きにするがいい」
 少年は麗しき柳の眉を潜めた。
「だが今のその手は邪魔だな。のけろ、愚か者が」
「……つれない御方だ」
 しぶしぶとしてDはジョットの胸をさすっていた手を引かせた。






おわり










ゼロのうまれ



 お前は十の歳までは生きられないよ。

 つまらなさそうにそう言って、男は、電極がいくつも刺さっているヘルメットを投げて寄越した。

「…………」

 少年は呆けたまなこをして見上げた。

 自分をつつむものを。白い壁。白衣の人々。目を合わせようとしない大人達。

 言葉は、何も、浮かばない。

 ただ――。

 どこかに逃げだしたくなった……。

 ハッとしてまぶたをあげると、綱吉は自分がベッドに収まっていることに気がついた。目覚めてから五分ほど経った。呼吸が荒くなっていた。布団を握りながら体を起こした。

 時計がある場所を見つめたが、闇が濃くて何も見えない。それでも見つめ続けたが、思考が、勝手に時刻を決めた。

 大体は深夜の四時頃だろう。

 カーテンの向こうは暗いが僅かに青みがかって感じられる。

(……誰の夢だろう?)

 この頃の自分に起きている異変を自覚しているため、綱吉は、そう思った。

(今のは誰の記憶だったんだろう)

 体が冷たかった。皮膚の上は熱いのに、体内の臓器は氷水に浸かったようだ。

 なんとなく、予想はついた。

 朝になってから少し考えた。綱吉は休日の並盛町を横断した。半袖のシャツに、袖のないジャケットを羽織った。

「おーい。クローム! 犬さん! 千種さーん!」

 彼らが根城にするアパートは、訪れることそのものは初めてだが、リボーンから場所を教えてもらっている。

 パジャマ姿のクローム髑髏は、眠そうな目をしていたが、綱吉を見ると瞠目した。

「ボス。おはようございます」

 形式的な言い回しをしながら、穴が開くような眼差しを綱吉にそそぐ。

 綱吉は、軽くうなずいて、尋ねた。

「骸に替われるか?」

「え……」

 たしかに、彼女は、戸惑っていた。

 だが次の一秒間には彼女をまとったすべてが変わった。

 そこにいたのは、ドアにもたれて不安そうに綱吉を見上げているアメジストの瞳の少女ではなくて、赤と蒼のオッドアイを持った綱吉よりも頭一つ背が高い少年だった。メタル感のある装飾がついた黒ジャケット、黒のパンツ。ブーツは青黒で髪の毛と同じ色。

 六道骸は眉を顰めて尋ね返した。

「替われますけど?」

「……そ、か……」

 面を喰らいながらも、綱吉は、首を縦にしてアパートの外を指差した。

「外はいけるか?」

「いけますけど」

 骸は、疑わしげな顔をして、幻術で整えたその体を先に立って歩かせた。綱吉はついていく。

「……また、見たんですね」

 あ、と、綱吉は思った。

 やっぱりお前だったのかという確信は安心につながったが、それにしては切なすぎた。だから眉間に皺を寄せて悲しい顔をした。

 寂れた商店街は、朝が早すぎて、どの店もまだ閉まっていた。

「困るんですよね。そういうの。プライバシーっていうものを知っていますか? 勝手に記憶を漁られるのは好きじゃありませんよ」

 骸は、感情の乏しいしゃべり方をする。パンツポケットに両手を突っこんで。

「何か言いたくてクロームを探したんですか? しなくていいんですよ。そんなこと。君は何もしなくていい。僕の中身を漁るのが不可抗力だというのなら、何ににも気付かないフリをしてください。お互いのためにね」

 彼が言いたいこともわかったが、綱吉は下唇を噛んでいた歯を上にあげた。

「わかってるよ。骸」

「そうですかね?」

 ならなんでここにいるんですか。そういう顔を見ているのは、今朝の夢を回想すると、少し辛かった。

(これだけ言おうと思ってきたんだよ)

 笑ってやるべきかな。

 そう思って綱吉は不自然に頬をゆるませた。目が笑えなかったので不審な笑みになる。

「誕生日おめでとう」

 目のふちをふくらませたが、驚きというよりも軽蔑に近いものに思えた。

 骸は、黙った末に、軽くうなずいた。

 そうして気味悪そうに言う。

「何を見たんですか? 僕の何を!」

「いいんだ。言わないよ」

 気付かないフリをしろと言った手前、骸にはもう追求できない様子だった。

 蒼に焼けた町並みを睨んで黙るようになる。

 綱吉は、特別に何も言うことがなかった。ただ疑問には思った。

(こいつ、今、確か……オレより年上のはず)

 リボーンに見せてもらったプロファイルでは、十五年前の六月九日生まれ。それが六道骸だ。ただ、ハテナマークがつけられていたから信憑性には欠けるんだろう。

(十歳か。十歳のころ、何してたかな)

 思い出せなかった。小学何年生だったろう、と、そんな単純なことも、すぐには思い出せなかった。

「……僕を笑いにきたんですか」

「ううん。そんなんじゃない」

「僕をかわいそうだとでも思ったんですか」

「それは……、少しだけなら」

「少しってどれくらいですか? 僕が君に情けをかけられて、自分が情けなくなってくるのと同じくらいですか?」

「…………。たぶん」

 会話をつづけるのは、非常に、難しかった。

 骸は、傷ついたような顔をして自分の頭を左右にふった。そうして目を閉じる――その瞬間、クロームに変わる気だと、わかった。だから言う。

「よかったら、来年も祝いにくるよ。何かプレンゼントでも、もってくる。今度は」

「――――君は、」

 そのとき、綱吉の耳にはゴポリという水の音が聞こえた。

 骸は水の膜の向こうにいた。

「まるで病人に接するみたいに僕の相手をするんですね。なんですかそれは? 僕は……、死にかけてる危篤患者ではないんですよ」

「うん、わかってるよ」

 目の前には、目をキョトンとさせているクローム髑髏が立っていた。

 彼女は、あたりを見回し、何が起きたかをすばやく把握した。自分のパジャマ姿を羞じるようにして胸元を手できゅっと抑えた。そうして、綱吉に横目をやって、ぺこりとお辞儀をする。

 スリッパをぱたぱた鳴らして、去っていく。

 その後ろ姿を眺めながら綱吉はしみじみ思い知った。はやく――。

「ヴィンディチェのアジト、見つけてやらないとな……」

 顔をあげれば当たり前のように空の青さがある。

 空は無限に広がりそらをつつむ。

 逃げ場のないあの牢屋は、きっと、彼には狭いはずだと思えた。




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