*ちょろーっと放った小話やら小ネタやらを収納してる箱です。何でもアリです。


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1つ目:馬しかおりません  →ディーノ、キャバッローネファミリー
2つ目:予感  →キャバッローネファミリー
3つ目:鞭打ち  →ディノツナ
4つ目:笑わないの? →キャバッローネのディーノ
5つ目:気付かないうちに →ディノツナ  >>UP!













馬しかおりません


 大の字に転がったまま動けない。
 空は限りなく伸びる。青年は幼少のころに見た科学の本を思いだす。空なんてものは、本当はどこにもない。空の果てに何がある? 何もない、いつしか空は宇宙と呼ばれるものに変化する。酸素がなくなって、くらくなって、……重力だってなくなってしまう。何にもないのだ。少なくとも、青年が知る常識のなかでは生命体が生きられない空間だ。
  彼は、ゆっくり腕を伸ばした。空に向けて、こぶしをつくる。
  視線は自らの腕へとおりる。
  そこには、跳ね馬がいた。前足を二本、かかげて今にも跳び上がろうとしている。ディーノは上半身を起こした。唇を滴っていた赤いものを、親指で拭う。
「いいかげんにしないとな。反省は五分も長引かせちゃいけねえ」
  そのあいだ、もしかしたら、思考すらも消し飛んでしまうかもしれない。頭と共に。ディーノは、深い黄色の瞳でもってまじまじと腕を見つめた。体を起こしたことで、だらりとした液体が頭部から額へと流れてくる。額から、顎までを伝うころに男が怒鳴りつけた。
「ボス! でますぜアイツら!」
「――――ああ」
 たんっと両足だけの動きで立ち上がり、ディーノは鞭をしならせた。
 重みに耐えかねた金具が弾けたような音がひびく。ついで、野太い悲鳴。ディーノは歯を剥き出しにして、咆哮をあげながら発進したベンツのフロントに飛び乗った。
「?! キャ、キャバッローネの?!」
「ウチのかわいい部下どもに手ぇだしときながら、そりゃ無いんじゃねえか? オレらは客人だろ? ……客人を撃とうとするなんざ、たいした根性だ」
「くっ!」
 男がハンドルを切った。
  体をかがめる――車体にしがみつくまでもない。ディーノは素早く車内を一瞥した。後部座席、驚愕で目を見開かせる隻眼の男がボスだ。次の瞬間、躊躇うことなく、鞭の尾っぽをフロントガラスに叩きつけた。鞭の芯には分厚い鉄の筒を括りつけてある。
 夜のイタリアに悲鳴がこだまする。ガラスの表面には、一瞬で縦横無尽のヒビが走った。運転手の視界を塞ぐほど、細かな網目でディーノにもガラスが真っ白く変色したように見えた。
  ギキキィッ! 金切り声と共に、ベンツが商店のシャッターへと頭を突っ込ませた。分厚い金属の板を割ろうとしたらこんな音がする、鼓膜を引き破るような音のあとで、ディーノは両手をうごかした。衝突の前に道路に体を投げたが、背中を強く打った。
「い、っつう……」
「ボス! 怪我を?!」
「ロマーリオ、確保しろ!」
 片膝をついたままの命令で、ロマーリオはすぐさま方向を変えた。
「オラ! 逃げるんじゃないぞ。ウチのボスに手をだしときながら逃げられるなんざ思うなよ――、キャバッローネを舐めるのも大概にしろ」
 銃声がつづく。体を強引に引き起こすと、ディーノは目を細めた。
「無理だな。この距離だ――、コッチのがいい!」
  走り去っていく背中がひとつ。背の低い禿頭。正面を向けば、彼には隻眼がある。ロマーリオは引鉄に手を置いたままで困惑したようにディーノを見返した。
  鞭を手にしたままで駆けだす。静かに、胸中で繰り返した。
(ディーノなんて人間はどこにもいねー。いるのは、凶暴な馬だ。跳ねっ返りで暴れん坊、キャバッローネのボスの跳ね馬のディーノだ! ディーノはヒトじゃない! ――だった、ヒトだっただけで今は跳ね馬だっ!)
 ひゅっ、と、右下から鞭をくりだす。男の足を打ったが、走る速度が落ちただけだ。ディーノは眉間を不快に皺寄せ、歯切りをした。眉間がつんと痛みを伴って、熱くなる。
「テメーみてーなザコにキャバッローネの名を汚させるわけにゃ、いかねーんだよ! オレに銃を向けて、撃ったな? そりゃNGなんだっつーの!!」
「ボス!」
「跳ね馬舐めんなァ!」
 頭を低くして、ディーノは走るのをやめた。
  跳びかかるような動きで、出来うる限り体を前へとだした。チャンスは一秒もつづかない。深い黄色が闇夜のなかで冴える。横殴りの鞭は、狙い通りに男の首筋を殴りつけた。
「うがっ?!」
  殴っただけでは済ませない。
「かかったな」即座に手首を捻る。鞭は音もなく男の首に巻きついた。ディーノがグイッと渾身の力で両手を地面へと押し付ける。すると、鞭につながれた男が派手に転倒した。
「この業界、舐められちゃシマイなんだよ。オレが部下がいないとダメだってどっから情報得たか知らねえけどな……。部下さえいりゃ、オレが最強だって知ってたか?」
  鞭を手繰り寄せれば、男が苦悶に喘ぎだした。
  ディーノの目の前にやってくるころには、白目をむいて気絶していた。口からはアワがはみ出ている。フゥ、と、ため息をと共に男を見下ろして、ディーノは背後に控えたロマーリオを振り返った。
「どうすっか? 意見あるか」
「ボスに従いますよそら」
  コツン、と、ロマーリオの靴先がベンツを蹴った。
  中では、運転者たちが両手をあげて沈黙している。それを見つめながら、ディーノは鞭を腰のベルトに引っかけた。胸元を辿れば、まだ、吐き気が自覚できる。
  口中に新しく血の味が広がる。ごく、と、飲み込みながら告げた。
「殺すのは性にあわねーんだよな。晒しモンにしとくか。素っ裸で。ケイサツがくるころにゃ、街中に痴態をおがませてんだろーな」
「イイっすね。オプションはどうします、ボス」
「ケツアナにでも突っ込んでやれや」
  けらけらとした物言いと共に、ディーノはボールペンを拾い上げた。ベンツが突っ込んだ商店は、どうやら文具を扱っているらしい。ロマーリオはにやにやとした。
「寛大な処置に感謝するんだな、おい」
「ハハ。おら、テメーさんも例外じゃねーぞ!」
 アワ吹く隻眼の男をこづいて、少年のようにニカリと笑ってみせる。
  ごぞごぞと部下と共に動き回り、ディーノは五人組の裸体を店頭においた。キャバッローネの一動は、満足げに汗を拭うと、遠巻きに眺めていた人々に挨拶をして闇に消えていったと言う。


おわり





予感



「ツナヨシ、サワダ、ツナヨシ、サワダ、ツナヨシ、サワダ、ツナヨシ……」
 口の中でぶつぶつと呟きつつ、青年は懐から銃器を取り出した。隣に控えた男性へと、渡す。それからスーツのネクタイを取って、シャツのボタンを外した。
「覚えた。で、仇名がツナ、な。マグロ?」
「日本の将軍にはツナヨシ、という男がいます」
 男性の声には事務的な響きが強い。男は手帳に書かれた事柄を純粋にただ読み上げた。
「おそらく彼から取った名前と思われます。漢字も同じで、綱に吉と書いて綱吉。犬好きな男だったようで、動物魚類を殺すことを禁じた法令をだしたことでも有名……」
「なるほど。ベジタリアンだったんか?」
「違うようです。生類憐れみ、と、あります。ボス」
「あわれみィ?」
 ウゲェ、とばかりに口を引き伸ばして足を止めた。バサリ、と、無造作に足元にワイシャツを落とす。代わりに渡されたTシャツを頭から被ると、青年は、頭をグシャグシャッ! と掻き混ぜた。
 柔らかな金髪はもともとチリチリとしていたが、ことさらに先がクルンと丸まった。無造作に散らばした状態で、ディーノは寝室を横切った。
 クローゼットからファー付きの濃緑色のジャケットを取りだす。
「憐れみなんざ信念にしてたら殺しなんかできないんじゃねえ? こちとら、相手は動物魚類とかじゃなくてヒトだぜ、ヒト」
「…………ボスはどんな男だと思うんですか?」
「リボーンの考えることはオレにはわかんねえよ」
 一蹴したあとで、青年は屋敷を後にした。彼のあとについてくる男性は変わった。運転手がひとりと護衛の男がふたり、ディーノは、ベンツに乗り込んだ直後に彼らに声をかけた。
「おめーら、ボンゴレの十代目がどうしようもないヤツだったらオレにどうしてほしい?」
「はい? ボスにお任せしますよ」
「オレはリボーンには逆らわないぞ。アイツならうまくやれるだろーしな、どんなのでも」
「不安はあるのか?」
「ボスに不安がないよーなんで、オレらにはアリマセン」
「ああ……、なるほど」にやりとして、青年は窓を見た。街並みがナナメ下の方角に流れていく。日本に旅立つのは、初めてだ。
「任せとけ。オレは、ボンゴレ十代目に会うのがスゲェ楽しみだ。ツナ……、面白い名前を持った男だ。オレは気に入るだろう、テメーらも気に入るに違いねえ」



おわり





鞭打ち


「うひゃあっ?!」
 頭を抱えると、綱吉は急いでしゃがみ込んだ。
 びゅんっ。金切り声とともに、鞭の先端が通り越していく。悲鳴が聞こえた。まさに、綱吉に襲いかからんとしていた長身男が、顔面を鞭で横殴られて昏倒した。
 力強く踏みこんだ足音が続く。綱吉は軽い恐慌状態に陥りつつ、コンクリートの上を這いずった。ぎゃああ、うぎゃあ、悲鳴が交差する中で、金髪の青年が鞭を両手で引き伸ばすのが視界の端に確認できた。
「代償、おいてってもらわねーとワリに合わんなぁ! これでもオレは会計のプロフェッショナルだぜえ!」
 男が二人、まとめて吹っ飛ぶ。
「まとめて折檻だ、テメーら!」
 綱吉は、民家の塀の背中を立てかけると、恐怖に濡れた呻き声をこぼした。跳ね馬のディーノは、一人でヤクザ連中と張り合っていた。
「ああなったボスに心配いらないですよ、ボンゴレ十代目」
「ろ、ロマーリオさん……。どうしてあなた達がココに……?」
「ボスがお前さんを迎えに行きたがったのさ。自分はただヒマだからついてきただけだ。別に、心配だったワケじゃねーんだけどなァ」
 独りごとのように囁き、ロマーリオはサングラスを親指でたくし上げた。黒いスーツ姿に、硬い体つき。いわゆるカタギの人間ではないことは明白だった。
 恐る恐ると自分の背中へと腕を回した……。跳ね馬のディーノは、その様子に目を細めた。すでに向き合う男たちは全員、地に伏せていた。
 片腕をあげてロマーリオに合図する。ロマーリオは、それだけで理解して頷いた。青年が何も言わない内に、倒れた男たちの襟首を掴んで寄せ集める。そうして、携帯電話で連絡を取り始めた。
 ディーノは、気まずげに背中を擦る綱吉の前に立った。
「ツナ、大丈夫だったか?」
「……はい……」
 にぃ、と、ディーノが笑みを作る。
「すまんかったな。背中、見せてみろ」
 僅かに、驚いたように綱吉は両目を丸くした。ディーノは困ったように唇をはにかませる。綱吉の茶色い瞳は逡巡を示したが、最後には従った。ディーノに憧れを抱いている綱吉は、一種、忠誠的な思いを彼に抱きがちだった。
「ああ……。スマン、シャツ、破けたな」
 ディーノは片膝をついた。ラフなジャケットにジーンズ、シャツは高級感があるものの、まだラフな都会の男といった様子を醸していた。だが、体に刻まれた入れ墨は彼がいかなる職務にあるかを雄弁に物語る。
 肩越しにディーノを振り返る。腕に刻まれた入れ墨だけが、かろうじて見えた。
「め、めちゃくちゃ痛いですけど気にしないでください。オレが悪いんだから!」
「血が滲んじまってるぜ? 我慢するな」
 言って、ディーノがシャツが避けた場所へと指を伸ばす。指の腹で往復されると、綱吉は唇を噛んだ。痛みに耐えるように、眉頭が寄り合って苦悶を形作る。
「…………」
 何度かその動きを繰り返した末、ディーノは薄っすらした笑みを口角に貼り付けた。その表情は、綱吉には見えない。どうあっても見えない位置だ。ディーノは呟いた。
「手当てしような。オレがやる。責任もって。あ〜あ、ツナの肌、白いから勿体ないな」
 乱闘に割り込んだ際、綱吉は地面に伏せた。ディーノの鞭は最中で綱吉の背中を抉ったのだ。二度ほど。謝罪を繰り返すディーノに、綱吉は、先ほどと変わらずに謙遜をつづけた。
「ディーノさんワザとじゃないんだし。ホント、気にしないでください。オレ我慢します」
「そうか? ……カワイイな、ツナは」
「…………。そ、そんなことないですけど……」
「いいや。我慢強くて、オレみてーな不肖な兄弟子をたててやろうって心意気がある。オレはツナ好きだ。帰ったら手当てしような」
 何気なく傷口を撫でながら、ディーノ。
 彼らの背中にクラクションが呼びかけた。一台のベンツが住宅街の路地に入り込んでくる。ロマーリオが呼びつけた台車だった。
 物いいたげに、茶色い瞳が振り返る。ディーノは、すぐに指を離して鞭をベルトの金具へと引っかけた。
「傷は浅い。痕なんか残らねえよ」
 ニカ、と、安心させるように笑ってみせる。運転手は真っ先にディーノの元へ飛んできた。ディーノは、綱吉を案内するよう言いつける。
 後部座席に乗り込むボンゴレ十代目を見送りつつ、ロマーリオがディーノの傍らへと歩み寄った。
「ボス。痕を残すなんてヘタな仕事はしなさらんだろ」
「ん〜〜? まァ、な。でもなぁ……あ? 勿体無いってのは本心だぞ。あれくらい白いと、蚯蚓腫れもよく映えるんだがなぁ。やっぱよく似合うよなぁ。また機会見つけて刻んでみたいもんだ」
 顎に手をあてて、ディーノは両目を瞑らせた。
「うーん、勿体無いぜ」


おわり




笑わないの?

  声をかけるべきだったのだろうか。
 通り過ぎたあとで、ツナはディーノを振り返った。
 気がついた様子もなく、彼はホームのベンチに腰かけていた。ピシリとしたスーツ姿はやり手のビジネスマンを想起させる。足を大股にして新聞紙を広げている。ツナは、ポケットに両手をいれて自販機の陰へと進んだ。
(いや。隠れてるわけじゃないけどさ……。見つかったら気まずいし)
 覗けば、青年は思案顔で紙面を睨んでいた。
 隣には誰もいない。部下らしき姿は見えなかった。
「…………?」
 キャバッローネのディーノは、部下がいないと半人前だ。
 違和感の正体はすぐにわかる。誰も傍にいないはずだのに、ディーノの横顔はボスとしてのものでツナが知らないものだ。その目尻にも口角にも笑みが無い……。
(仕事、中なんですか……?)
 ディーノの足元にはスーツケースがある。
 都心の中心部だ。緑色をした電車が到着して、ディーノは新聞を丸めた。スーツケースを拾い、極めて自然な動作でもって、新聞紙を置き去りにして電車に乗り込んだ。閉まる直前だ。アッと叫んで、ツナが飛び出すのとほとんど同時に老人の怒号がこだました。
「若いの! 新聞わすれてるで!」
 頭がハゲで、しわがれた声音だ。
 呆気にとられるツナを余所に老人は悪態をついた。
 電車が走り出し、ディーノが、今気がついたといわんばかりの顔をする。そしてニヘラと苦笑して頭を掻いた――。ツナに気がつくと、しかし、彼は顔面を硬直させた。
「?」列車が走り出す。戦慄の眼差しが追いかけてくる。
 まるで、見てはならないものを見られたかのような。
 焦りとショックと、悲しさの混ざった瞳をしていた。
 ツナは両目を瞬かせる。老人は、ぶつくさと文句をつきながら新聞紙を懐に押し入れた。踵を返す。その場に突っ立ったまま、ポケットに両手をいれたまま、ツナは目を窄めた。
「あ……、れ?」
 違和感があった。ベンチには何も無い。
 ディーノはスーツケースを持っていった。
 新聞紙を置いていった。老人が、拾っていった。
 ドラマによくあるシーンを思い出した。そうして機密の受け渡しをするのだ……。まさか。呟いて、ツナは頭を振った。
(そんな。ディーノさんは、ヤクザじゃないんだから)
 マフィアなだけで。ヒヤリとしたものには目を瞑って、次の電車を待つことにした。

おわり




目蓋を閉じているから、はやく、気付かないうちに


 彼は人間を嫌いだと思ったことが無い。人を恨んだり、妬んだり、そういった一般的な感情はあったが病的なまでに憎んだ経験は無い。
 沢田綱吉というのは平均的な人間だった。今、彼は路地の隅で体を丸めて動けなくなっていた。
「…………!!」
 両手で頭を抱えていた。
 べき、めき、日頃聞きなれない音がこだまする。最後に重たいものが倒れた音がした。動物が唸るような、聞いたことが無い声が――そりゃ風紀委員長とか六道骸とかなら、そうした声をあげた場面に立ち会ったことはあったが――綱吉は、彼の口からそんな言葉がでるとは思いもしなかった。そんな声が、聞こえてきた。
「舐めンじゃねー! 頭蓋に穴あけるぞ」
「……ディーノさん……」
 嘆きながらも両目が開けられなかった。
「ツナ、大丈夫だったか? 一人で立てれるか?」
「ディーノさん」
 腕がとられたが、綱吉は首をふる。
 頑として立ち上がらない少年に、青年が参ったとばかりにため息をついた。
「こんな界隈、ひとりで歩いちゃダメだぞ……。危ないかんな」
「ディーノさん……」
 ぐいっ、と、無理やり立ち上がらされた。
 綱吉の両足が震える。すべてが平均的な彼だ、思考がすでに溶けかけている。目を閉じたまま、開けようとしない綱吉に、ディーノは眩しそうに両目を細めた。
「……ああ。いいんよ。家まで送ってやるから」
 ぎくりとして、綱吉は目を開けかけたが、しかしすぐに眉根を寄せて頷いた。
 綱吉はディーノを敬愛している。
 ディーノはそれを嬉しく思っていたし、理解していた。この小さな中学生には、受け入れたくないものがたくさんあることも。
「…………」綱吉の体からホコリを払いつつ、ディーノが薄く笑った。
「ツナ。口んとこ、痣ができてる」
 殴られた痕だ。ディーノがべろりと唇を舐めた。
 抵抗がないことを先読みしての行為だったが、綱吉は、目を閉じたままで受け入れた。閉ざされた目蓋を至近距離でじっと見つめて、ディーノがうめく。
「なんてな。冗談だ」
「…………」
 ごしごし、親指でキスしたところを拭うと、ディーノは綱吉の手をとったままで踵を返した。沢田家の前でベンツがとまる。おろされた綱吉は、ようやく両目を開けた。急ぎ、ディーノを振り帰る。
「ディーノさん!!」
「ん?」
「オレは――。何も。何も見なかったし何も気付かなかった!」
「……ああ、そうだな。ツナ、怪我の手当てはしっかりな」
 片手をひらひらさせてベンツに乗り込む背中がある。それを見遣りつつ、綱吉は拳を握った。彼が本気で憎むとしたら、およそ平均的な沢田綱吉が本当に憎むものがあったとしたら、見えないものに対してかもしれない。運命とか呼ばれる。それは綱吉に平穏をくれない。


おわり



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