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「…………っ」
 ふ、と、詰まらせながら息を吐いて、少年は眉根を引き寄せた。
「き、きもちいい……?」照明の落ちた室内で、ソファーに寝転がった少年とその上に跨った少年。細身の彼は、上になりながらも戸惑いがちに襟首に手をかけた。指先が、暗闇の中でもわかるくらいにぶるぶる震えている。
「何の真似で?」
 静かな、慎重な声で下になった少年が尋ねた。
「望み……通りに、なったんだろ? お、おれが、気持ち良くさせてあげるから」
 酷くびくびくとしながら下肢を辿る手のひらがある。オッドアイをしならせて、フンと鼻腔を鳴らしてみせた。骸の挙動に、怯えをまして少年が肩を強張らせたが、それでも胸を押し留めて体を起こすことを許さなかった。
「骸さん、待って……。やらせてください。骸さん、男の人でも大丈夫なんでしょ? オレも、経験あるから」
 骸が訝しげに眉を寄せた。唇が尖る。
「あのガキは基本はボンゴレファミリーの保守を考えている。信用しない方がいいですよ」
「ちがう。リボーンの指示だけど、オレもわかってやったことだから……」
 思慮深げな光がオッドアイに灯る。間のないあいだに、骸は一人の老人の名前を口にした。少年好きで色を好むと、武器商人のあいだでは有名な男だ。彼がギクリとしたように背筋を震わせた。
「だからって、なんで僕が君の相手を? どきなさい。綱吉。君にそういうことを教育した覚えはありませんよ」
「む、むくろさん……。待ってよ。お願い」
 ぼろぼろと泣き出しながら、綱吉が骸の胸にすがりついた。
「オレが動くから。ねえ! 全部アンタの言う通りにやっただろ?! 骸さ……っ」陰険に顔を歪めて、骸が五指で綱吉の口を鷲掴みにした。冷気を伴った怒りだ。戦慄したようにブラウンの瞳を揺らして、けれど、綱吉はすぐに観念した。
「む、……骸さま……」怯えたように瞳孔が竦み上がる。
 推し測る眼差しをオッドアイで返しながら、しかし、骸は口角を吊り上げた。
「一年前と比べるとウソみたいですね。君は太陽のような人だった。でも、今は、月だ。僕の陰に隠れて、僕の発するものがなければ生きていけない」
「や、やめて……、今は命令しないで。お願いだから」
 こうべを垂らし、綱吉が震えだした。
「……」かすかに、骸が笑い声をたてた。唇だけを震わせて、声にはしない。目の前の、沢田綱吉という名の少年を貶めるのは彼にとっては愉快なことだった。綱吉は面白いようにウソを信じたし、疑うということがほとんどなかったし、マフィアを邪険にする者同士で、密かに友情らしきものを育んだことにも抵抗を持っていなかった。
(あれは、最高によかった)その信頼を突き崩した瞬間を骸はいまだ覚えている。
 背筋が沸騰したような、ぞくぞくとした快感で気がふれそうになった。呆然と、この世の終わりに出会ったような顔をする少年がおかしくて笑いながら涙がでそうだった。骸も、少年も知っていた。それでも、自分たちは戻れないところまで進んでしまっていたのだ。
「近頃、相手をしてなかったから思いつめたんですか? やめなさい。君が心配せずとも僕にもいい寄る女くらいいるのでね」
 先ほどよりも優しい声がでた。上半身を起こす。
 だめ、と、言わんばかりに綱吉は強く頭を振った。
「や、やりたいんだ……。やらせて」
「?」嗚咽をあげ、涙しながら懇願する姿に骸が眉を寄せる。
 本心で言っているようには見えないフシがあった。口で言いながら、体が、拒絶するように震えつづけているためにそう見えるのか。(口でウソを言うのは僕の十八番なんですけどね……)
 薄く、目を閉じて、骸は綱吉を見下ろした。
「オレ、たち……、ううん、骸さまは、オレを受け入れてくれる……よね……」
「…ええ。弱い君でもね。マフィアを嫌ってボンゴレ十代目をつづけてる弱虫でも、どんなものでも受け入れますよ」
「本当に。本心、じゃ、ないですよね。それ……」
 ひく、喉を痙攣させながら綱吉がうめく。骸は唇をめくりあげた。
「君の受け取りたいように受け取りなさい。そんなに僕のものが欲しいんですか?」
 茶色い瞳が見開かれる。嫌悪、じみたものが瞬間的に沸いたのを骸は見逃さなかった。
「ウソをつくのはお互い様のようですね……?」「ち、がう。欲しい。やらせて」
 顔を真っ赤にして、歯軋りしながら綱吉が言った。骸の肩を押して、ソファーに寝転がらせると襟首に手をかける。骸は腕時計を確認していた。一時間、それが、綱吉に与えられた猶予だった。
「…………」
 殉教者のような目をして、綱吉は骸の頬に手を添えた。
 両頬を持ち上げて、じぃとオッドアイを覗き込む。はらはらと流れた涙が、暗闇の中で白く光る。艶のある少年だ、と、その実初めての認識をしながら骸は綱吉を見返した。彼が何をするのか、どんなつもりか、見極めるつもりで。
「…………やっぱり。骸さ、……骸は。だめだよ……」
 か細くうめきながら、綱吉が首を伸ばした。
「愛を知らない目をしてる」
 ちゅ、と、右目の上に口付けが降りる。
 身体中の血液が凍るのを感じて、骸は険しく眉根を寄せた。
「教えるから。オレが。だから、そんな目しないで……」
「……体で? ふざけるな。君こそ知ってるといえるんですか? 君が? 僕に裏切られて、ボスに仕立て上げられてそれでも僕に依存しないと自我を保っていられないような君が?! 君のように腐り果てた堕落者が?!」
 傷ついたように両目を震わせ、しかし、綱吉はうなづいた。
 たどたどしいキスを首筋に落としながら傷口を舐めるように舌を這わせる。ハハハ、骸の笑い声が室内にこだました。
「僕にそんなことをいうヤツは初めてだ……、くふっ、フフハハハハハ! 腹立たしい!」
「…………」オッドアイに狂気じみた光が宿る。涙のついた茶色い瞳が、徐々に近づいていって、睫毛が触れ合うほどの位置に迫って骸は笑い声を止めた。むかむかと胃を逆流するものがある。
 額に触れた暖かい体温が、目障りで逆に痛みを呼び起こす。忌々しげに口角を歪ませた。
「駄犬め。来週、またここにきなさい。躾のやり直しだ」
「……うん。骸、そんな目をしないで。お願いだから」
 静かだった。恐怖も無く、思いのほか意識がしっかりした声音。
(狂った?)胸中だけで問い掛けて、骸は口をつぐんだ。告げたら、多少はスッキリしたのと、外の冷気で冷えた体には純粋に人の体温が心地良かったからだった。

おわり


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