6927×6927! 6

 



 たった二文字。不意に、脳裏に湧き上がった。
 僕は君が好きなんですよ。僕の恋人になってくださいよ、と、世間話でもするかのようにひたすらペラペラ喋っていた少年。はら、と、新たな涙がこぼれでた。背中を丸め、俯き、後退りしながら綱吉がうめく。
「っ……。む、骸……」
「だから、呼び捨てにするなと」
 平手をあげる。即座に頬を打たれたが、千種がヒッと小さく悲鳴をあげたが、綱吉はその場に両足を踏ん張らせた。弾かれたように叫び返していた。
「嫌いにならないでッ……、お、オレのことっ」
「何を……。僕は君が嫌いだ」
「オレは!!」千種がギョッとした。
 骸も、強い言葉に眉根を寄り合わせる。
(オレは)(骸いつもあんなだから絶対言いたくないけど)額の真ん中が熱くなる。体温が目頭に集中して、ぼろぼろとこぼれるものがある。拭うこともできず、顔をくしゃくしゃにしたままで綱吉は噛みしめた両歯の奥からささやいた。
「好き……、なんだよ。あんたのことが好きなんだよ!」
「…………?」オッドアイが戸惑いを浮かべた。
 嗚咽をかみしめ、自らの発言にショックを受けたようにしながらも、綱吉は首を振った。
「ぁっ、うっ。そうだよ……。そうなんだよ。あ、あんたがオレのこと嫌いでも。オレ、骸のこと、好きだから……」
「自分が何いってんのかわかってんですか?」
 掠れた声で、骸。両目を見開かせ、信じられないものを睨むように綱吉を見つめる。
 二度、三度と首を振った。涙があふれてきて止まらないのだ。綱吉は、自分の顔の前で手をふると踵を返した。
「――っお邪魔しました!」
 が。手首を抑えるものがある。
 骸が、狼狽しながらも五指でしっかりと握りしめていた。
「待ちなさい。リボーンは異世界同士の僕らが共鳴したと言った。同じ動作をしたってことなんでしょう? ……君は、だから、僕を庇ったのか?」
「!」数日前。ことの起こりだ。揉みあうようになったところで階段から足を滑らせた――。
『綱吉くん!』そういって、自分を助けようとして手を伸ばしたのは骸だった。だけれど。転げ落ちる最中に、気がつけば骸の頭を抱きしめていた。刹那的に、後頭部を思い切り柱にぶつける姿を見たからかもしれなかった。
「い、いたっ……」
 手首を捻ると、骸は無理に袖口を捲りあげた。
 肘の手前に、大判の包帯がテープで止められている。骸を庇ったために負った傷だ。オッドアイが細められた。
「……好意?」その単語の意味がわからないというように、慎重な声音。
 綱吉は首を振った。凍てついて、刺すでもするような眼差し。頭の中が犯されるようで、うまく、言葉がでなかった。
「そ、だよ。骸……、好きだから」
 拭っても止まらない。諦めて、綱吉は骸の腕を振り解いた。
 扉に体当たりをして、転げでる。――あるいはそれが運命だとでもいうような、絶妙のタイミングで外に雨が降り出していた。綱吉は、水滴だらけになった階段に力いっぱいに踏み出して、
「だあ――っ?!!」
 ずるっと足を滑らしていた。
 後ろ。すぐ後ろで、追いかけてきた骸が舌打ちをした。
「ッチ――」後頭部を鷲掴みにされる。それで、体は止まったが綱吉は身を捩った。
「痛っ、いたたたた!!」髪だけで自重を支えるのはけっこう拷問だ。バランスを崩して、骸の足も階段を滑った。
「くっ!」「ぎゃあああ!!」
 体が、ふわりと浮き上がる。上下が逆転して綱吉の視界はわけがわからないものになった。ぎくっと竦みあがった体が、温かみのある腕によって抱きしめられる。
(――――?!)抱きしめられている感覚だけがあった。
 どんっ、どん! 何度かぶつかる衝撃があったが、すべて相手の体に吸収されている。濡れた大地に叩きつけられると、二人の体が静止した。綱吉は、慌てて骸の腕から抜け出した。
「だ、大丈夫ですかっ?! おい、骸!」
「……な、なんとか……」
 苦しげな呻き声。覗き込むと、オッドアイが薄く開いていた。
「綱吉くんは? 怪我とかないですか」
 ハッとしていた。綱吉が喉を震わせる。
「……骸! 戻ったんだ!」仄かに降り注ぐ雨が、光の粒に見えた。
 夢中で抱きつくと、彼は両目を見開かせた。
「なっ。つ、綱吉くんですよね? 元の世界の?」
「そうだよ。骸だよね? こっちの世界の!」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめると、骸は狼狽したように引き攣った声をあげた。
「ちょっ……。綱吉くん。そんなにあっちの僕は君に酷いことしたんですか?」
 諌めるように両手を取って、骸が上半身を起こす。まじまじと互いを見つめあっていた。泥で顔が汚れて、降り注いだ雨のために頭髪を湿らせている。
「…………」「…………」
 じぃ、と、見つめて、見つめ返して骸が頷いた。
「ただいま帰りました。寂しくさせてすいませんでしたね」
「……っいいんだ。骸。ごめん。おかえり!」
 涙を拭い、精一杯に笑顔を浮かべる。
 少年を愛しげに見下ろして、骸は自らの前髪を掻き分けた。落ちた衝撃で、分け目もぜんぶがバラバラになって視界にかかってくる。耳にかけると、首を伸ばして綱吉の額に口付けた。
「? 抵抗しないんですか」
 からかうような、慈愛のこもった声音。
 じんとして聞き入りながら、綱吉は瞳を下向かせた。
「今だけだよ。骸……、ゴメン。好きだから」
 オッドアイが丸くなる。睫毛が触れ合うほどの距離にあった。
「何を……。知ってましたよ」にこり。柔らかく笑って、泥に汚れた額を袖口で清める。
「やっと君も認める気になってくれたんですね。嬉しいですよ。綱吉くん。愛してます」
(よく……こうも恥かしいことをペラペラペラペラと)綱吉の脳裏を、鋭利な眼差しをした六道骸が過ぎっていった。恐らく、彼と会うことはもはやないのだろうけど。願わずに、いられなかった。
(骸、変なヤツだからわかりづらいけど)(でもそんなに根は悪くない)
 あっちの世界のオレも、理解できるんだろうか? 骸が満面の笑みを浮かべながら顔を近づけてくる。思案に耽っていた綱吉だが、口唇に吸い付かれるとギョッとして意識を引っぱり戻した。
「ぎゃっ……、ぎゃあああ――っっ!!」
「綱吉くーん。なんだか懐かしい気がしますよ。僕がいないあいだ、夜泣きしたりしませんでした?」
「おまっ。どさくらに紛れて何するんだ! ていうか脱がすな!」
「いや、体が夜鳴きしなかったかなぁと」
「そっちの意味か! 変態か!」
 必死に相手の額を押し返すが、骸は、諦める気配がなかった。
 にこにこしたまま、はにかんで見せる。造形だけは優れた少年だ、本当に嬉しそうに笑ったので、綱吉は一瞬だけ腕の力を抜いた。骸は噛みしめるようにして再び綱吉の口唇に吸い付いた。
「すきです。綱吉くん。いい加減、観念したらどうなんですか」
「ばっ……」見る見るうちに綱吉の頬が赤くなる。体を戦慄かせながら、茹であがった顔をして綱吉が首を振った。
「あんたなんか好きじゃないし! 馬鹿なこと言うなよなー―っ?!」
「僕は君が大好きですよ。赤くなった綱吉くんもかわいい!」
「ぎゃああ――――っっ!!」
「……なんか、杞憂だった?」
「かもな」階段の上から、そろって中腰になって見守りつつ、千種と犬が呻き声をあげた。
 半眼だ。呆れたような、疲れたような眼差しを意にもせず、骸はひたすら綱吉にじゃれついていた。通り雨までもがじゃれ付くように二人の体を濡らしていく。
「綱吉くん。逃げないでくださいよ。僕の部屋によってくでしょう?」
「いやだっ。また変なもん飲ませる気だろ?!」
「よくわかりますねえクフフ」
「認めた――!」渾身の力でツッコむ綱吉に、骸は満足したようにニコニコした笑みを深めていった。うん、と、低い声で呟く。
「思うんですけど、実際、僕らってなかなかお似合いですよね。多分向こうの世界でもそうですよ」
 冗談でも語るような雰囲気で――彼は大概そうなので綱吉には真面目なときとふざけているときの見分けがつけられないのだが――骸が言った。綱吉は、紅潮の引かない頬を抑えつつも苦々しく告げた。
「こういう世界が無限にあるかもって思うと、気が遠くなりますよオレは」
「そうですか? 僕はとても楽しいですけど。綱吉くんと結婚してる世界もあるかもしれないじゃないですか!」
「ないないないない。それはない」
 ゲッソリして手を振り否定する。でも、綱吉も、さすがに内心では否定しきれなかった。なんだか、絆されきって骸の暴走を受け止めちゃう自分もどっかにはいるような気がするのだ。
 とりあえず、真面目な話、風邪を引く前にあがっていきなさい。
 言われて、綱吉は頷いた。雨の雫がきらめいていた。

おわり


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