6927×6927! 5

 


「うわああああ――――っっ!!」
 死に物狂いで綱吉が扉を蹴破った。ぎょっとするのは千種と犬だ。シャツを脱がされて、首筋に赤い痕まで咲かせて半泣きになって沢田綱吉が飛び出してきたのだから無理もない。上機嫌に追いかける声が、これまた現実離れしていて少年二人は互いの顔を凝視した。
「くふふ! 綱吉くーん、一緒に寝るだけですよ! 大丈夫、気持ち悦いだけですから」
「か、帰ります! オレ帰りますから!」
 シャツのボタンをすべて外されている。そのままで、綱吉は玄関へと飛びついた。
 骸は、にこにことしながら唇だけニヤリッとしてみせた。その手は、しっかり少年の肩を握り締めている。
「どこに帰るんですか? いけませんよ。どうせ、君が最後に帰る場所は僕になるんですから」
「…………?!」
 ゾクッとして、綱吉が肩越しに振り帰る。
 黒々としたものを渦巻かせながら、骸は舌なめずりをしてみせた。
「かわいいなぁ。綱吉くん……、安心してください。優しくしますよ。僕ならね」
「あ、うっ。いや、あの……、リボーンと相談するから」ケースを抱えたまま、真っ青でうめく綱吉。構わず、扉に少年を押し付けるようにして骸が覆い被さった。首筋にがぶりと齧りつく。
「ひいっ……?!」
 仰け反る綱吉の、胸の辺りに刻み込まれた青痣をなぞる。
 骸は両目を細くさせた。愛撫しながら、耳の裏を舐め上げていく。
「やっ、やめてぇっ……。骸さんっ」震え上がりながら――、多分、元いた「六道骸」が綱吉をリンチするときもこんな態度を取るんだろうなとか、考える骸をよそにして綱吉は大粒の涙をこぼしていた。赤子へ退行したように、いやいやと首を振っている。
「許してっ。いや、やめてくださ……」
(うーん、これはきますね)
 胸にこみ上げるものがある。これを表現する方法は二つ思いつく。一つは殴ることと、もう一つは口づけることだ。後者を取って、骸は首を伸ばしたが。その前に、綱吉がドアノブを回しきった。
「っ!」廊下に倒れこみ、バランスを崩した隙に綱吉が逃げ出した。
「――綱吉くん、雨」君のことだから転ぶんじゃないかと。うめきかけて、しかし言葉を飲み込んだ。予想した通りに、綱吉が派手にすっころんで階段から落ちていくのが見えた!
(しょうがないな!)咄嗟にシャツを掴んだが、先ほど、半分まで脱がしていたのが災いした。シャツが捲れ上がり、終いには千切れてしまった。ずるっとさらに足を滑らせて、綱吉が悲鳴をあげた。
「うあああっっ?!」
「綱吉くん……!」
 抱きつくようにして体躯を引き寄せる。
 胸にぎゅっと抱きしめた。直後、がんっとした痛みが背中に走る――、奇妙な痺れを感じた。電撃を受けたような痺れだ。あ、と、胸中だけで骸はうめいていた。これと同じこと、ほぼ同じような現象が三日前にも。
「……クソ。生きてますか?」
 むしゃくしゃした気分になりつつも、骸は顔を持ち上げた。
 降り注ぐ雨が体温を奪う。腕の中の少年は、縮こまりながら、しかし骸の腕から逃げ出そうとしなかった。
「…………」
 無言で揺さぶりをかける。
 恐る恐ると顔をあげた綱吉は、骸の胸に顔を埋めたままで呟いた。観念したような声。
「わかったから……。骸さんの、好きにすればいい」涙混じりの声だ。両目をまたたかせてから、ようやく、骸は綱吉の格好に気がついた。脱がされたシャツと、首筋に散らばった赤い斑点。
「……君は」腹が沸騰したような心地がした。
「相手を勘違いしてるんじゃないですか?」
「! お、――お前、元に戻って」
「あちらの僕は、どうやら本っっ気で君に目がないようだ」
 腹立ちまぎれの呟き。目を見開かせつつ、綱吉は首を振った。庇うように抱いたままのケースを握りしめる。その、小さな長方形の入物をみて骸が目の色を変えた。
「貴様。それをどこで」
「やめてっ、骸さんがオレにくれたんだ」
「――「僕」か! 余計なことを……」当然のように奪い返そうとしたが、綱吉はしっかりと抱き込んだまま離そうとしない。チ。舌打ちして、骸は綱吉の右頬を打ったが、それでも綱吉は離さなかった。
「殺される前に諦めなさい。沢田綱吉!」
「……っなんで。リボーンに言おうよ。なんとかなるかもしれないじゃなっ」
「これは僕の個人的な事情だ。誰の手を借りるつもりはない!」
 左頬を打たれた格好のままで、綱吉の茶色い瞳が骸を覗き込む。
 怯え、困惑、混乱、そうした灰色のものが渦巻いている。綱吉は唇を食んだ。すぅっとした赤い割れ目が下唇に走っていて、顎まで赤いものが流れ出す。雨がさらに顔面を濡らしていった。
「……なんです? 口ではいえないくせに意気がるんじゃありませんよ」
 ぎゅう、と、さらに両腕に力を込めて、綱吉は涙をこぼした。
「これは、だめ……。そうやって誰も知らないまま痛い目にあわなくてもいいじゃないか」
「くだらないな。それを遺言にしてあげてもいいんですよ?」
「オレも……、あっちの世界の骸さんも、おまえを心配したから。だからみんなで治療できるようにって。麻酔とかじゃ根本的な解決にはいかないんじゃないの」
 ガタガタと震えながら、骸に首を締め上げられながらも呻いて、綱吉の後頭部が濡れたアスファルトに擦り付けられる。五指をしっかりと首筋に食い込ませながら、骸は、綱吉の上に馬乗りになったままで口角を釣り上げた。
「あっちの世界の僕が君にどんなふうにしたか知りませんが、舐めるなよ。この「僕」を懐柔できるなど思うのはただの傲慢だ。やろうと思えばいつでも僕は君を殺すことができる。最も残忍で苦しいやり方でな」
 雨がはらはらと頭上に降りかかる。綱吉の瞳が力を失わせていった。
「うっ――」びくん、と、肩が大きく痙攣した。血と唾液の混じったものを口角から垂らして、綱吉が虚ろな目をしながら叫ぶように大きく口を開ける。だが、骸の指が邪魔をして声がでなかった。
(小さい。弱い)喉仏を親指で締め上げながら、骸はシニカルに笑った。
「……君は、僕を好きだと言ってましたよ。あっちの世界では。笑える冗談だと思いませんか……」
「――っ、がはっ! げほっ!!」
 反り返らせていた首を引き戻して、綱吉が咳き込んだ。
 首にまとわりついていた指が遠のく。玩具で遊ぶのに疲れた、そういう目をして骸は冷ややかに綱吉を見下ろす。げほっ、と、咳込みながら、綱吉は低い声でうめいていた。
「おれ、は」喉がしゃくりあげる。骸は、咄嗟に耳を塞ぎたい衝動に駆られていた。
「……助けたいと、おもうよ。それじゃいけないんですか……」
(そうやって。殴っても蹴っても君は僕を否定することはしない。あいまいに頷いて、それでも僕を近くに寄せようとする。だからイヤなんだ。聖人君子でも気取る気か)
「――――」視界が霞む。雨の粒が、光の塊に見えた。
「……っ?!」
 綱吉が目を見開いた。
 その口角の、血交じりのアブクを舐めていた。
 考えるようにオッドアイを細めて、しかし、裏腹に動揺も混ぜながら骸がうめく。
「いけないんですよ……。沢田綱吉、君がそういうのはいけない。自分の立場を知りなさい。僕の立場も」
 二度目は、きちんと正面から行う口付けだった。骸が目を細める。
「抵抗しなくていいんですか?」アスファルトはごつごつとしていて、綱吉は身動ぎする度に苦しげに眉根を寄せた。青く変色した痣と、赤い吸引の痕が散らばった胸を見下ろしながら三度目に舌を潜り込ませた。
 震えて、縮み上がりながらも綱吉はなすがままにされていた。
(僕のおもちゃ)思考が断片的になっていって、まとまりがつかない。バラバラとするものを掻き集める気にもなれず、骸は相手の咥内から舌を引き抜いた。赤い痣の上に、被せるようにして皮膚を吸い上げる。
 胃に込み上げるものがある。
 向こうの世界の「六道骸」はずいぶん好き勝手にやっていったようだ。
(僕のものに痕をつけて僕の領地を荒らしていくとは)
 この短期間で。(さすが腐っても「僕」だ……)
「むくろ、さ……。やめて……、こんなことされても。これは」
 喉を引き攣らせながら、ケースを抱き込む。
 オッドアイは冷ややかにブラウンの瞳を眺めた。
 君の好きにすればいい。返答があるまでには数分の間があった。すべての赤い痕と、青い痕の上に唇を重ねて血が滲むほどに強く吸い付いた。
 綱吉は涙をぼろぼろと流しながら奥歯を噛み合わせた。
「……寒いなら」嫌いにならないで、と、泣いて懇願した少年。
 あちらの世界の、沢田綱吉。それが目の前の彼と重なってみえる。六道骸が同一人物なら、綱吉もまた同一人物なのだ。同じなのか、と、氷のように凍てついた声が脳裏をよぎった。
(あたためて)断片的なものが沸き上がる。多重にいくつもの世界が広がるなら、まったく、例えばまったく違う世界では普通の友人同士として肩を並べる世界もあったりするのだろうか。考えるだけ無駄で、実のないことで、だからこそ骸はすぐさま思考を放置する気になったのだが。怯えた目をしながら俯く少年の、肌が氷のように冷たかった。
「寒いなら、……抱いてあげましょうか」
 彼が驚いた目をする。ああ、そう。期待に応えなければなりませんねと、胸中だけで呟いて、骸は綱吉を担ぎ上げた。バタバタと暴れる抵抗など、今更遅すぎたし痛くもない。光の粒がスピードをあげながら空から落ちてくる。雨が、激しさを増す予感がした。

つづく!


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