6927×6927! 1

 



「こ、この人も骸なの……?」
 不機嫌そうに眉根を八の字にする骸を、綱吉はまじまじと見つめた。
 その頬からたらりと冷や汗を流している。今までにみた六道骸、その誰よりも格好よいように思えた。いや、最初は、綱吉もそれなりに骸を造形のいい人物として見ていたはずだが。
 例えば今日の朝はどうだろう。家をでるなり、カバンを小脇に抱えた少年が待っていた。綱吉を見初めるなり、ちゃきっと片腕をあげて歯を光らせる。
『綱吉くん。待ってました。今日もかわいいですね』
『……骸、おまえ、いい加減にしろよ』
『どうしてです? 四六時中、君のそばにいないと。何ていったって霧の守護者ですし、君は僕の命の恩人なんですし。ねえ、愛する綱吉くん』
『今おかしい単語混じってただろ――?!』
『真実ですよ。というわけで、愛でも育みません?』
 朝から変態発言をやめろ――っっ! 叫んで、頭を抱える綱吉にひたすら骸はニコニコとしていた。上機嫌だ。それまで、ムスッとして手下にしている千種と犬とすら口をきかない状態だったとしても、骸は綱吉がやってきた途端に態度を一変させる。ひたすら、奇妙な言葉をかけられて――と、綱吉には思える――口説き文句のようなものを浴びせられて、ウンザリしっ放しだった。
 骸が並盛町に戻ってきて半年。今やすっかり変人扱いだ。
 格好イイとか、彼の生い立ちとか、そうしたもの全部を度外視にして綱吉は彼を拒否したものだが。
「……何を驚くんですか」
 ヒヤリとした輝きを秘めたまま、青目が綱吉へと振り向く。
 心臓を掴まれたような心地になって、首を振っていた。視界にリボーンを見つけて、助けを求めるように拳を握る。
「どうなってんだよ! 階段から落ちただけだよ?!」
 綱吉と骸の頭にはタンコブがあった。綱吉のベッドに我が物顔で腰かけたまま、骸は、黒曜中の襟を正しながら舌打ちした。
(…………?!)
 軽く笑んだまま、脂汗が滲みでる。
(何か、ものすっごい違和感あるんだけど?!)
 リボーンが顔をあげた。三十センチもの分厚さのある本を閉じて、骸を見上げる。一言。
「エヴェレットの多世界解釈か。響きが面白ェじゃねーか」
「た…たせかい解釈?」
「パラレルワールドとも言う。今のこの状態の説明だったな? いいか、オレたちの体は素粒子の集まりだ。並行世界があるとして、その世界は少しずつズレているわけだが――、ズレが小さい世界は交差していると考えられる。そこの骸がいる世界と、今のオレたちがいる世界は非常に似た世界なんだろう。そこで、その世界で、綱吉と骸がまったく同時に同じことをやった。現状から推察するに、テメーらの素粒子は奇妙な共鳴をみせて――、体を構成するものが瞬時に入れ替わったんだろう……いや、あるいは、テレポートと非常に近い……」
「あの、リボーン。もういい。もうやめて」
 汗をだらだら流しつつ、綱吉はテーブルに突っ伏していた。
 骸は片眉を跳ね上げただけだ。よろよろ、よろめきながら、綱吉が右腕をあげる。
「つまり、よく似てるけど微妙に違う世界の骸が、こっちの世界の骸と入れ替わっちゃったってこと?」
「そうなるな」
 本の上に腰かけて、リボーン。
「……俄かには信じられませんね」
 骸が、低い声でうめく。そう言いながらも彼は落ち着きを払っていた。
 信じられないように綱吉は骸を見上げた。オッドアイも、自分より頭ひとつ分ほど背が高いところも、藍がかった頭髪も稲妻模様の分け目も後ろからツンツンと飛び出た髪型もいっしょだが。
「テメーは霧の守護者か?」
 率直な質問に、骸は軽く頷いた。目を細める。
「こちらの世界でも、そうですか。く、つくづく君とは縁があるらしい」
「は、はあ……」(見た目はまるきり骸……だけど!)
 じりじりしたものが胃に這い上がる。
「なら、当面は問題ねーな」
「は、……はぁっ?!」
 綱吉は腰を持ち上げた。身を乗り出した彼を制するでもなく、リボーンは窓を開け放つ。
「じたばたしてもどーしようもねえだろが。こんな超常現象に人智で何かできるわけねーだろ」
「そっ、そうかもしんないけどそれでいいの?! こっちの世界の骸は?!」
「あっちも似た状況なら、うまくやってんだろ。おい、そこの骸。住んでる場所は?」
「三丁目のマンション。千種と犬もいます」
「ほらな。一緒だ。当面は問題ない」
 ピシャリと言い捨てて、赤子は小脇に本を抱えた。本のが体より大きい。
「こんな事例は初めてだぜ。ちょっくらハルの親父さんと話してくる」
「リ……リボーン!」制止を無視して、リボーンはでていった。部屋に残されたのは、綱吉と骸のただ二人。風が吹き込み、呆然とする綱吉の前髪が掻き揚げられた。
(こ、この状況でどうしろっていうんだ)
 足組みしたまま頬杖をつき、つまらなさそうにしている骸。
 綱吉が知る骸とは、何かが違う。決定的なものがズレているように思えて、綱吉は恐る恐ると振り返った。彼も、頬杖をつきながら、冷ややかに綱吉を見上げていた。
「あ……、の。初めまして」
 何か言わねば。その一心で、呟く。
 だが気に食わなかったようだ。骸は神経質に眉根を持ち上げた。
「どうも先ほどから違和感があるんですが。沢田綱吉なのか? 本当に」
「そ……」口がぱくぱくとする。綱吉にしてみれば、骸の言葉こそ思いがけないものだ。
「そっちこそ骸なのかよ。何かちょっと怖いんだけど」
 綱吉くん! そう言って抱きついてくる六道骸も怖いのだが、それとはまた違った恐怖だ――、まるで、命を脅かすとか天敵とか、そうしたものを前にしているような錯覚がする。
 鳥肌がたった腕を抱き寄せる。骸が、嘲笑うように歯をみせた。
「へえ。どうやら、こっちの世界では君は生意気のようだ」
「…………?!」ぞぞぞ、と、足首に何かがまとわりついたようだった。
 綱吉が後退る。ベッドを軋ませることも、足音もたてることなく、長身の少年が目の前に迫ってきた。彼はゆっくりと腕を伸ばす。指先が、綱吉の喉仏に触れた。
「なにをっ……」
「困りますね。弱者に自覚がないのは」
「?!」極めて自然に、五指が首を鷲掴みにする。
 躊躇いもなく、骸は片腕を持ち上げた。首で宙吊りされる形になって、綱吉は大慌てて暴れた。
「うっ、ぐっ、――――っっ!!」
 掠れた視界のなかで、骸のオッドアイが水平線上にあった。
 冷酷な光。そこには、もはや嘲りすらもなく、口をかたく引き結んでいた。鼻がこすれるくらいの距離に寄せられ、足でもがいていた綱吉の体が驚きで抵抗をやめた。骸の腕にたてたハズの爪にすら力が入らなくなる。
 血の気が引いて、全身が虚脱するような荒々しい眼差しをしていた。
「愚物が。こっちの世界で僕がどんな態度をしているのか知りませんが、ここにいるのは「僕」だ。僕のルールに従ってもらう。貴様は服従しているだけでいい」
「…………?!」
「触れない、逆らわない。僕から何か言わない限り僕には喋りかけない。君の声は耳障りなんですよ、腐り落ちかねませんから」
 口角から唾液が洩れる。
 それが、顎を伝う。骸は自らの腕に垂れる前に綱吉を解放した。
「最初みたいですから、今回はこれで勘弁してあげますよ」
「っあ、がはっ! げほっ、げほ!!」
(なっ――、に、これ)信じられない心地で、首を探る。
 指の跡か、奇妙なくぼみができていた。腫れるほどの握力だったようで、触れるだけでヒリヒリとしている。口を拭いながら、綱吉は愕然として骸を見上げた。彼は氷そのものに光らせた両目を細めて、綱吉に触れた自らの手を制服のジャケットでこすって清めていた。
「……こんなの。む、骸。おまえ、どうしちゃったんだ」
 胸に穴があいたようで、スースーとした。
 綱吉が声音を震わす。両目を潤ませる。だが、当の骸は不機嫌にうめいた。
「それから」「あうっ!」
 腹に相手の膝がめり込んだ。
 体を追った綱吉の、耳に息を吹き込むようにして骸が告げる。
「君のような虫ケラが僕の名前を呼び捨てにする権利があるとでも? 日本の慣例では、名を呼びすてにするのは対等もしくは格下相手だと聞きましたが」
「…………!!」
 悲鳴すらでない。だらり、体を弛緩させると、骸は足を引き抜いた。
 無言のままで踵を返し、部屋をでていく。沢田家の勝手は知っているようだった。
(な、なんなのこの骸……)腹を抱えて蹲ったまま綱吉がうめく。脂汗と冷や汗がごっちゃになって背中を濡らし、空耳めいたものが聞こえる。冷ややかな声がぐるぐると脳裏を回っていた。とりあえず、あっちの世界の骸は、死んでも綱吉くーんなんて猫撫で声をあげそうにないことはわかった。

つづく!


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