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 シャワーを浴び終わり、リビングに下りて冷蔵庫を物色していたが視線を感じて振り返ることにした。水気を含んだ茶色い髪にタオルを被せたまま、少年が、複雑そうに唇をすぼめて階段の前に立っていた。
「? 何か飲みますか」
「あ。うん、欲しいけど……」
 自分を気持ち良くさせてくれたわけだし、多少は、例えば指五本くらいは動かしてやってもいい気になる。イスに腰かけ、テーブルに二本の缶ジュースを置いた。髪の毛をわしゃわしゃ拭いつつ、向かいに沢田綱吉が腰かける。
 お互いに黙ったまま、ぷしっと音を立てて栓を取り払った。
 冷えたアップルジュースだ。煽りつつ、骸は、綱吉の喉仏を見つめた。ゴクゴクと彼が飲み干すたびに、振り子のように上下する。しばらくそうしていたが、半分を呑み終えると、骸は不機嫌に声を尖らせてみせた。
「何ですか。気持ちの悪い」
「……あっ」
 驚いたように、綱吉があたふたと視線を彷徨わせた。
「いや、意味ない。あ、ほら、いつになったらオレ帰っていいんだろうかなーとか」
「帰りたければ帰ったらいいじゃないですか。もうすることはしたさ」
 それもまた微妙……、そんな眼差しを向けられて、骸は頬杖をついた。
「いいですけどね、僕は。千種と犬がそろそろ帰ってきますし、遊び相手がいれば彼らも喜ぶでしょうよ」
 面倒臭く感じながらも受け答えをして、しかし、喋り終わることには嫌気が込み上げていた。喋るのも億劫だったが、綱吉が、またチラチラと窺うように自分を見つめだしたのが気に入らなかった。
 骸は首を傾げた。自然と、両腕を胸の前で組ませていた。
「言いたいことがあるならハッキリしたらどうですか。受けてたちますよ」
「ぁ」癪に触ったらしい、と、気がつく綱吉だが遅い。
 骸は陰険な眼差しを容赦なく浴びせた。せかすように、言葉をつなぐ。
「2回目をやりたいっていうなら付き合いますよ。今日は元気なんですね」
「あ、いや。違う。その、ほら、さっきの……」
「? 僕に満足できなかったとでも?」
 声音にヒヤリとしたものが混ざる。青褪めつつ、綱吉は首を振った。
「そーじゃないんだけど……あっ、や、深い意味はないよ? ほら、あの、えーとアルコバレーノの誰かから買ったっていったお香……。あれ、嗅ぐと目の前の人を最愛の人だと思うようになるんだよな?」
「そうみたいですね。妻か旦那か、まぁ、とにかく最愛の人」
 たどたどしい返答にさらにムカッときたが、一応、骸は支配者らしく振る舞って見せた。
「毒性はない。安心なさい」
「嗅ぐと効果があるんだよな?」
「そうみたいですけど」
 物言いたげな眼差し。
(ああ……)ようやく、なんとなく言いたいだろうことを悟って、骸が軽く頷いた。
 要するに、自分に効果はなかったのかと聞きたいわけだ。そうした催眠剤の類はすでに身体が受け付けなくなっていて――皮肉にも過去の実験の後遺症だが――、強力なアイテムであっても、まったく無害な煙としか作用しない。それを、掻い摘んであって面倒臭くなくかつ適当で、それなりに納得させられるようにするために、どういうふうに解説しようかと骸は目を細める。
 骨が折れそうだったので、少し悲しげに細めた。それが、綱吉を驚かせたらしかった。
「あっ。や、いや、なに。…………ううん?」
 耳を真っ赤にして、慌てて下を向く。
「長々とした話はしたくなんですけどね、僕は――」
「アッ。いい、いらない。い、いいんだ別に!」
 綱吉が席を立った。真っ赤になったままで、ずりずりと後退る。
 呆気にとられたのは骸だ。目を驚かせて、綱吉を見つめる。それがさらに羞恥を増長させるというように、綱吉は強く首を振った。
「やめてよ! どこまで恥かしいんだお前は!」
「は…………?」
 ぽかんとする骸に構わず、綱吉は階段の方へと逃げた。
「付き合ってられませんよ、もう! 最低だ! 最悪っ。変態!!」
 ついには絶句する骸を放って少年は階上へと駆け上がった。ドタドタドタ、と凄まじい勢い。廃屋なので、乱暴にすると倒壊しかねないし落ち着いて動け、と、思った骸だがそんなことを言っている場合ではなさそうだった。
(何がどうなったんだ?)心中だけで、正直にうめいて、首を傾げる。
 数分もしない内に、綱吉が荷物をまとめて階段を駆け下りてきた。
 ぜえぜえと息をきらし、顔どころか首まで赤くして、両目まで潤ませている。
「ワケわかんないよ、骸さんは――」
 そっくりそのまま返してやりたい心境を堪えて、とりあえず、笑ってみせる。
 骸の経験からいくと、綱吉は適当に突っ走らせておけば自分からボロをだすはずだった。もはや、思考は放棄だ。骸は彼が何かヒントになることを口走るのを待った。
「オレは――、そんな。嫌われてて。嫌がらせで毎回やられてるのかと」
「はあ」(まぁ八割正解ですね)
 言ってやりたい衝動を抑えて、骸は、にこにことして相槌をうった。綱吉は気忙しげに自らの足元を見下ろした。
「だって……。そんなの。でも、分かりづら過ぎないですか?!」
「そんな自覚はありませんけど」
 慎重に言葉を選びつつ、綱吉に近寄る。
 ビクリとして後退ったが、そのまま身を翻す気配はなかった。
「ずるいですよ。オレ、ずっとどんな気持ちでいたと思って……!」
「どんな気持ちで、いたんですか?」覗き込めば、茶色い瞳は、混乱しきったままくるくると色を変えていた。近づいた骸に動揺したように、さらに、目尻に涙を溜める。
「すっ……。好きなような好きでないような……」
「好き? 君が? 僕を?」
 驚いて、骸は目を丸めた。率直な反応だった。
 その声が綱吉を奮わせたらしかった。
「お、れも、多分大体は骸さんと同じってこと――、あっ、ああああ! 恥かしいんだよ! 骸さんのバカ!!」
「…………?」
 気付かれないように疑問符を唇の端に乗せて、しかし、綱吉がそのまま逃げ出しそうだったので肩を掴んだ。
(何でバカって言われてるんですか僕は)
 不思議と、ここまでワケがわからないと怒りは感じない。
 今までになく不可思議な気分だと、やたらとこの少年を押し倒したくなるものだと、取りとめのない衝動じみたものが複数にわたって浮き上がる。半泣きのまま、玄関に逃げようとする綱吉を押さえ込みながら、骸はとりあえず目を閉じた。とりあえず、
(整理してみよう。えー、お香使って綱吉くんに僕のことを最愛の人だと勘違いさせて、で、やって、で、一緒に休んでたらお香の効果はないのかと聞かれて、で、黙ってるあいだに綱吉くんがおかしくなって……、どこまで恥かしいんだお前は、とか、謂れのない罵倒を受けて……)
(綱吉くんは恥かしいと。さらに綱吉くんは僕を比較的好きらしい)
(で、僕も同じ気持ちだと思い込んでしまっている結論に)
「え」ぼそ、と、骸が低くうめいた。
 思考が停止するどころかパンクした気がした。
 僅かに腕の力が弱まる。その瞬間、綱吉が骸の腕を振り払った。
「ちょっと」(なんつー勘違いを!)
 よーするに! 忌々しげに思いつつ、骸は確信した。単純である上に少々頭の弱い少年だ。普段と変わらない骸の態度を、そっくりそのまま最愛の人に対する態度だと勘違いしてるのだ!
(冗談じゃないぞ――)
 このまま逃がせるか! その一心で、骸はテーブルの上から缶ジュースを取り上げた。
 そのまま、すこーんと勢いよく一直線に綱吉の後頭部に投げつける! うぐぇっ、と、カエルのような悲鳴をあげて綱吉が前のめりに横転した。
「なっ、た、だっ」後頭部を抑えつつ、だが追いかけてくる骸に気がついて綱吉が立ち上がる。涙すら浮かべて、悔し紛れか心底からか、絶叫するように大口を開けた。
「いたい! 骸さんの愛情は歪んでる!」
「君は――、思慮深くなれ! どーして僕のこーゆー態度からそっちの結論にいくんですか?!」
「徹底的に変なんだよ! 最初に森であったときもニコニコして気持ち悪いくらいだったしオレといるとしょっちゅうクフクフいってるし、あまつさえスーパーでばったり遭遇したらそのまま拉致ですよ?! 歪みまくってるってゆーかおかしー! それが最愛の人に対する態度なんですか?!」
「だから、それが違うと……」うめきつつ、骸は頭を抱えた。
 スーパーで会って、というのは再会の切っ掛けだ。電池を買いにいったら綱吉がいたので、とりあえず、その首根っこを掴んで潜伏地に連れてきたのが関係の発端だったように覚えている。
(なんかもーお馬鹿さんみたいに泣くから面倒臭くなって犯してみたら、意外と身体の相性がよくてだらだら続いて……、まぁ、正確にいえば拉致させてもらってるんだが。でもそれでどーして僕が綱吉くんを愛してると……)
 どちらかといえば、綱吉は嫌いな部類に入る。それを自覚してるので、
(……ん? 嫌い?)と、ふと、そこまで考えて、骸ははたと思考を止めた。
(僕、他に嫌いな人間っていたっけ)
 そりゃ、まぁ、色々あったので山ほどいるにはいる。
 ただ、それが今ではほとんど全部が天国か地獄にいる。ああ、こりゃ本当にダメだ、憎らしい、と、思った相手は実力とモットーにモノを言わせて葬り去ってきた倫理観のない少年である、彼は。
(それに……、なんで嫌いな人間をわざわざこんなところに……)
 綱吉と遊ぶ……、実際に遊ぶとしか表現できないような気分だったが、とにかく、綱吉で遊んでるあいだに何度か殺しちゃおうかなと思ったこともないではない。でも、事実、彼は骸の目の前で生きていた。
 連れてきたことは何度目だったか。そこまで細かくはもはや覚えていなかった。
「…………」骸が目を細める。
 それが冷徹な仕草だったので、綱吉は後退りした。
「お……。オレ、帰る。帰っていいっていったよな?」
「帰るんですか?」言い方もどこか気になるのか、綱吉はまた後退りした。
「まあ、いいさ。そういうことにしてあげても。僕も優しいところの一つくらいあるもんですね」
 自分に感心したようにうめく骸を呆然と見上げ、その態度がいつもよりちょっと違う……、なんだか、格好つけたようなものだったことに気がついたかどうかは謎だったが、超直感の持ち主たる彼は何かを感じたらしい。顔を蒼白にして、玄関の方へと下がった。
 それを阻むように綱吉の両手を取り、骸がにっこりとしてみせた。
「君が僕と同じ気持ちなら早い。改めて、愛し合いましょうか」
 気遣うような、楽しむような。そんな声音を聞くのが初めてで、実際、骸も今までに使っていなかった部分の声帯で音をだした気がしたが知らないフリをした。
「?! む、骸さん……?!」
 綱吉の背後でも、悲鳴があがった。
「骸さん?」「骸さま」千種と犬だ。彼らは呆然と突っ立ち、骸と綱吉とを見守っていた。
 彼らの両手には某有名電気製品店の買い物袋。骸は、朗らかに言い捨てた。
「二人とも。何があっても二階にあがってきちゃダメですからね」
「……? へ? 骸さん?」ずりずりと後退る綱吉の肩をしっかりと掴んで、骸は階段をあがった。引き摺られながらも、綱吉は必死に両足を踏ん張らせた。超直感って手強い。胸中だけでうめいて、骸は千種と犬に目配せをした。
「……。恨むなびょん」「楽しそうですね」
 半眼で骸を見上げつつ、二人の少年はしゃがみこんだ。
 ひょいっと綱吉の足を掬い上げる。ハデにスッ転んだ彼を、だかだかと階段に引っかけ引き摺りながらも、骸は神妙な声音でうめいてみせた。
「うーん、一目惚れってやつだったんでしょーかねーこれはもしかして」
「ちょっ、だっ。痛っ。骸さっ。いきなりなんかっ」
 なんか態度がっ。ちがっ。断続的に叫ぶのも無視して、えいやっと綱吉をソファーの上へと放り投げた。ちょっと失敗して肘置きに頭をぶつけた様子だったが、気にせず、骸はソファーに片膝をたてた。
「そう思うとホントに可愛く思えてくるから世の中って不思議だなぁ」
「なんなの! 何なんですか――!!」
 クッションを抱きしめて、綱吉が背筋を反らせた。真っ赤になったり真っ青になったりと忙しい少年だ。そこも可愛く思えて、骸は両目を笑わせた。
「僕が好きなんでしょう?」「なっ、はぃっ……?!」
 僅かに悲鳴をこぼして、綱吉は絶句した。クッションを握る腕がぶるぶると震える。
「まっ……、だっ」応対に困るように目線を泳がせる為、視線がかち合うことはない。しかし、真っ赤になった首筋を満足げに見下ろし、骸は自らの襟首に手をかけた。普段はすぐに取れるはずのボタンが、いつもより、少し外しにくかった。

 

おわり


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