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「さようなら、してくればよかった……」
ぽつり、呟く少年の背中に刺さるものがある。
自らの鉾だった。三叉に別たれた鉾の先が、背中を突き破って腹から顔をだしていた。しかし彼は死んではいない。生きている。生きているが、彼は、思うように動ける状況ではなかった。
(この鉾。これが、完全に腐り落ちるまで動けないかもしれない)
(どうしたものか。誰にも何も言っていないのに)暗い地下室だった。唇が真赤に濡れて、ポタポタと足元に血だまりを作り出す。骸を窮地に追いやった彼らは、手練の暗殺集団だ。少し、ワケがあって、正確にはリボーンの密命がために骸は単身でビルへと乗り込んだ。
数日ばかりのゲリラ戦。その行く末が、現在の彼の姿だった。
骸は、人前にはなかなか姿をださない。そのためボンゴレの一員であっても顔は知られていない。暗殺集団は、誰も、骸の素性も彼がとうに人外の領域に踏み入っていることも知らなかった。
両手は鎖で縛められ、ぶら下げられている。鉾が、がりがりと石畳に擦れるたびに激痛が走った。
(参ったな……。これじゃ、そのまま生きる屍だ)
肺も胃も貫通している。出来うるなら微動だにしたくないのが本音だ。
「…………」少年は薄っすらと瞳を閉じる。助けはくるのだろうか? リボーンは何も言わないだろう。人に言えるような仕事の内容ではないのだ。千種と犬という従者がいたが、彼らに、自分を見つけることができるか? 散々と考えると、毎回、同じ結果にいく。結局は骸の興味はそこにいくのだ。いささか絶望的な状況であるので、そこに、縋らざるを得なかったといえる。
もはや一週間が経った。この結論に行くのは一千回目だろうか、と、骸は自分に厭きれてため息をついた。肺が、じりっと鋭く痛んだ。
(ボスは……、気付くだろうか)
彼は、心優しいようでいて薄情な面も持ち合わせている。
厭味と敵意を押し付けることが多かった。自分がいなくなれば、多少なりとも彼は喜ぶんではないかとの疑惑もあった。骸は、それほど言うことを訊かなかったし扱いやすい部下でもなかったはずだ。
考えて、考えて、やはり同じところにいく。骸は思考を投げた。
一日の二十時間ほどを寝て過ごしている。迎えもなく、死体の廃棄にも来ないので、彼はただそこにいるしかなかった。
(骸さん! 骸!)
(…………)
(聞こえないんですか? むーくーろー!!)
少年は訝しがる。頭の中で声がする。しばらく経ってから、夢だと気が付いた。
夢の中は真っ暗だ。暗い世界。地平線だけが光って見えて、自分から離れたところにブラウンヘアの少年が立っていた。両手を拳にして、必死になって何かを叫んでいる。目尻には光るものさえあった。
「見つからないよ……! わかんないよ! もっとヒントないの?!」
苛立ったような声。ようやく、骸はこれが夢の続きだと気が付いた。自分の願望がそうさせるのか、この頃、やたらと彼が自分の居場所を訊きにくる夢を見る。
「廃工場の下に彼らの住まいが。僕は、そのさらに下層に」
「その廃工場だよ! いっぱいあってわかんないよ。もっと詳しくいってよ!」
「しかし。僕は、そのことについて喋るわけにはいかない。それは契約に反する」
グッと少年が言葉につまる。夢の中では、いつもこうだ。同じところで平行線を辿る。契約は骸とその一味にとっての命綱でもあった。これを破ることは、ほぼ、死を意味する。
「骸……。死にたいの?」
「僕は死にません」
「まだ生きてるの? 本当に?」
自然と、骸の口角がつりあがった。
「僕は何があっても死なない。それはありえない。なぜなら僕は亡骸だから」
「それ、もう何回も聞いたけど意味わかんないよ……。ヒントないの。骸さん。何か……、何か」
少年は地平線の上を行ったり来たりとする。骸は目を細めた。そして、言った。
「ボス。さようなら」「は?」
しばしの沈黙。骸は、言葉を選ぶようにして俯いた。
「君が生きてるうちにまた会うことは無さそうですから。これが夢でも、一応告げたということにしましょう。僕は君に辛く当たったかもしれませんが、君が嫌いだからそうしたわけじゃない。君は、……いつでも一生懸命で、まさに馬鹿の一言で済むレベルでしたが、それでも僕は嫌いじゃなかったですよ」
驚いたよう茶色い瞳が丸くなる、が、その呆けた色はすぐに消えた。
何か、酷くショックを受けたような顔をして両手を広げる。
「これは夢じゃない! 骸さん!!」
随分、残酷な夢を見るようになったものだと骸は思う。
俄かに口角が微笑んだ。これで、きっと、最後だという気がしていた。もう、死んでもこの夢は見るものかと心で叫ぶ。彼が死ぬということは、事実、ありえないことではあったが。
「むくろさ――」いつものように、夢は唐突に終わりを告げた。
骸は再び目をあける。暗闇の中、血臭と死臭の漂う地下室の中、一人きりだ。いつになったらここをでれるのか。もしかしたらいつまでも。目を、閉じて、今度は夢を見なかった。
それから一ヶ月あまりが経って、骸は、久しぶりに一時間以上の覚醒を保っていた。
上階から轟音が響く。望まぬ来訪者があったことは明白だ。しばらく、瞳だけを上向けて、やがて浅いため息をした。予感は数時間ばかりで確信になった。地下室におりてくる足音がある。
扉は内側に開いた。一条の光が舞い込む。全身を弛緩させて、骸は死んだフリを決め込んだ。
(新しい死体を放りに来たのか? いい趣味をしてる――、いや、侵入者はまだ生きているから拷問でもするつもりで?)静かに、聞き耳を立てた。
「ほら、そこで死んでんだろ。満足か?」
空気を丸ごと飲み込んだような音。
侵入者は、絶句して動けなくなっているようだった。気配がしない。
「ちょうどいい。アイツは何も言わずに悶死した。おまえ、知り合いなら、アイツが何だったのか吐いてから死ね」
ああ、かわいそーに。並みの人間なら一時間で発狂するだろうに……、どうでもよく思いつつ、そんなことを考えたが、骸は数秒で思考をとめた。もう少しで、悲鳴をあげるところだった。
「骸さん……、そんな、コンタクト取れてたのに」
(…………?!)両目を強く閉じる。
「いつ。いつ殺したんだ!」
少年が激昂して叫ぶ。答える声は冷静だ。
「あぁ? もう二ヶ月もそうしてるぞ、その死体は」
「え……」鎖の擦れあう音がする。少年が薄く悲鳴をあげた。戸惑ったように、声を荒げだしていた。
「うそ、だろ? だってバジル君がくれた鼓笛に応えて――」
「バジルか。それがおまえの仲間の名か。他には?」
「!」ぎくっとしたように、少年が言葉をつぐんだ。
(……生易しい相手じゃない……)
苦々しくうめいて、骸はわずかに身じろいだ。
少しでも。少しでも、音をたてたら終わりだ。骸は何があっても死なないが、彼は、少年は、ボスは、沢田綱吉は確実に死んでしまう。
「む、骸は――、何でアンタみたいなやつのとこに!」
「コッチはなんでテメーみてーな痩せっぽちのネズミが来るのか不思議だがな。さて、身なりも装備もよいようだ。どこのモンか、口を割るまで殺してやらないぞ」
「…………!!」鎖が擦れる音。
(滑車で引いてるのか。足元に湯釜か釘か――。時間が)
時間が、ないことだけが骸にもわかる。本当に、綱吉であるかはこの際問題ではなかった。骸の右目は暗闇でも光る。目を開けたときが、そのまま、勝負のときだ。
「うっ……」「さ、吐きな」
「ボス?」か細く、骸がうめいた。
辺りの空気が静まる。二人の人間が、硬直しているのが伝わった。
「な――」動揺を声にして、男がにじりよる。骸は死体のフリを続けた。男は、近寄るなり骸の顔面を殴りつけ、串刺しにした鉾を鷲掴んで揺さぶった。それでも彼は微動だにしない。ホ、と、男が安堵したときを狙って、再び骸はささやいた。
「そこにいるんですか。ボス」
「む、骸さん……?」
「なっ……。なんだ? おい!!」
顎を鷲掴み、揺さぶるが骸はグッタリとして死人の顔を晒すだけだ。
チィ! 舌打ちして、男は一気に鉾を引き抜いた。鮮血が辺りに飛び散って、綱吉が大げさに悲鳴をあげた。鉾の切っ先が骸の頭部を狙う――、方向を変えた、その一瞬のスキをみて骸が頭突きを見舞った。
悲鳴が響きわたる。相手の鼻頭に噛み付き、皮膚を食い破る。
戦慄き、怯んだ腕から鉾を奪い返した。切っ先の三叉だけを咥えて、間髪を置かずに横っ面めがけて叩き込む。断末魔のような悲鳴。綱吉の悲鳴も被ったように思えたが、骸はすぐさま手を打った。モタモタすると、相手方が仲間を呼び寄せてくるのはわかっている。
(外せ! 鎖を外せ! 僕と綱吉くんと、両方!)
「…………」男の両目がぐるんと白目を剥いた。もたもたとした動きで、腰元の鍵束をいじる。両手、両足が自由になると骸はもはやふり返らず、受け取った鍵束だけを手にして入り口へと急いだ。
「ボス。こんなところで何を」
後ろ手に鎖で縛られ、今にも湯釜に放り込まれようとしていた綱吉は、呆然としていて瞬きすらしない。顎までこぼれた涙が、ボタボタと煮えたぎった湯の中に落ちてしゅうしゅうと煙を立てていた。
「……い、生きて……?」
「僕は死なない。骸だから。それより、本当にボスなんですか?」
綱吉が俯く。ひ、と、喉をしゃくらせ始めたので、骸は薄くため息をついた。綱吉の鎖を引き降ろし、両腕を解放してやる。信じられないように、綱吉は穴のあいた骸のどてっ腹を見つめた。
「それは、どういう……。ボンゴレのアイテムなんですか」
質問に答えないまま骸が腕を伸ばす。無造作に綱吉の頬を掴んで引っぱりあげた。加減は無い。悲痛な悲鳴と、目を白黒させつつも痛がる綱吉の姿は、たいてい、骸にとって何かの復讐を成し遂げたような気分を運ぶ。
「正確に記述するなら、僕は、もう死んでるんですよ。エストラネーオの禁弾を撃つ僕をみて不思議に思いませんでしたか? 頭を、脳を貫通しているじゃないですか。死体を生かす術、それがかつて行われた研究です。エストラネーオが、世界中のマフィアから付け狙われた理由がわかるでしょう?」
この話題は従者たる千種と犬とも滅多にしない。綱吉は、思考を停止させたように、唖然として骸を見返した。まじまじと顔を眺め、手足を眺め、風穴のあいた腹を見る。それから、骸の胸元に手を当てた。
「死体といえども生きてますからね。体温はありますよ」
「? ?! ? どういうこと?」
「初めから、僕は骸だって名乗ってるんですけどね……」
呆れたようにうめいて、骸は綱吉の手を振り払った。酷い雨に打たれた後のような顔だ、綱吉は、愕然としていた。
話題を変えたほうが良い、と、聡明な彼はすぐに判断をくだした。
「綱吉くん、よくここがわかりましたね」
見たところ、綱吉はすでに尋問を受けたあとだ。
身ぐるみは剥がされ、薄汚れたシャツ一枚とジーンズだけの姿。武器になるものは持っていない、盗聴機能があるものも、敵の手によってすべて省かれているだろう。
「誰も君に教えなかったんじゃないですか」
「バジル君が手伝ってくれた。骸さんの夢にコンタクトとって」
「皆が君を止めたんじゃないですか」
「内緒できたから……」
言いにくそうに綱吉がうめく。
骸は、呆れたように首を振った。地下室の真ん中で、先ほどの男は絶命していた。その頬から三叉の剣を引き抜き、鉾の先端に取り付ける。
「僕は仕事がありますけど。綱吉くんはどうするんですか」
「……骸さんを連れて帰る。それが目的だから」
「へえ」(よく言えるものだ)
自分は捕まっておきながら。内心で嘲りつつも、骸は男の懐を漁った。
予想通りに、いくらかの鈍器と銃器。綱吉に大半を渡し、骸は残ったナイフを胸元に忍ばせた。
「構いませんけどね。にしても、久しぶりに監視下ではなく君と会いましたね。どうですか、そちらは」
「呑気に言わないで下さいよ……。骸さん、千種さんと犬さんが早く帰ってきてくださいって言ってますよ」
「ああ」なるほど、と胸中でうめく。
あの二人が綱吉の探し物に協力したわけだ。ヘタをしたら契約違反だというのに。
常ならば仕置きを与えるレベルの重罪だ。が、骸は、見逃す気になっていた。微笑んで自らの腹を撫で、綱吉を振り返る。
「僕のすぐ後ろにいてくださいね。相手に狙撃が上手いのがいますから、迷わず僕を盾にするといい」
綱吉があからさまに戸惑い、厭そうな顔をした。骸は首を振る。
「ただの肉の壁だと思いなさい。それが正解なんですから」
「骸さん。オレは、骸さんをそんなふうに思ったことは一度もないよ」
(それは、大した問題じゃない)口角がつり上がる。綱吉くん、と、骸は静かに呼びかけた。意味などなかった。綱吉が返事をすれば、それでいい。彼が自分の名を呼ぶのを聞いて、骸は左手を差し出した。
「はぐれたら、君は確実に死にますからね。僕は死にませんけど、でも、君を死なせたらどうなるかわかりませんから」
「……。骸さん、オレ、もしかして来ちゃいけなかった……?」
不安げな言葉だ。骸は、緩く頷いたが、口では否定をした。
「そんなことはありません」確かに、死なないけれど。それなら何があっても大丈夫というワケではない。(それに、)骸は鉾を握りしめた。
綱吉が手を握り返していた。地上に向かって階段をあがりながら、骸は勝利の予感に胸を高鳴らせていた。今なら、負ける気がしなかった。
おわり
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