6927 usagi omake

 

 

「あー。退屈。どっかで馬鹿な女王が戦争起こしたりしないかな」
  寝転がりつつ、チャシャ猫は両腕の中に頭を埋めた。引き攣り笑いを浮かべるのは綱吉だ。水面に燕尾服を映して、首下のリボンを整えていた。
「それものすっごいピンポイントじゃないですか」
「へえ? そう? 女王は馬鹿じゃないって前提に立たないワケ? 君」
「うぐっ」何の罠だ! 思いつつ、しかし声にはしなかった。
  ヒバリはどうでもよさそうに伸びていた。それでも綱吉の頭の上にいる。
 太めの枝に身体を横たえて、チャシャ猫は準備に余念のないウサギを見下ろしていた。今日は、ヒバリが自ら縄張りに招待したのでトラブルはなかった。
「面倒なんだよねえ。雑用とか冗談じゃないよ。死んじゃうくらい面倒。ねえ、そう思うだろ? 僕の分まできちんと仕事よろしく」
(オレに仕事押し付けて寝てるくせに……)
 半眼で、ストライプ模様の尻尾を見つめる。
  視線を感じたのかヒバリが尾を横に振った。冷めた黒目が、綱吉を射抜く。
「文句あるなら拳で決める?」
「いえいえ! ヒバリさんのためですから!」
「そう? わるいね」
  悪びれのカケラもなく、ヒバリは口を尖らせた。
「寄り道は少なくしておいてよ。あの京子ってのにいくらモーションかけても無駄だと思うよ。所詮、相手は違う生き物だからね。赤ん坊も喜ばない」
「でも、化粧品買うなら京子ちゃんに聞かないと……」
「はいはい、そうだね。まあ方法は任せるよ。まったく。面倒なもんだ」
  言って、チャシャ猫ヒバリは遠くを見つめた。その方角には女王の城がある。左瞼のすぐ上にでっかいニキビができたと、不思議の国の女王が騒ぎ出したのは昨日の話だった。至急クスリを持ってこないと手当たり次第に首を撥ねるという。今はクラケットの試合で遊ばせているそうだが、国民の命がどうなるかは時間の問題だ。
  ヒバリは縄張りの中に異元への水鏡を抱えている。そのため、大臣から指令が来たそうだ。黒目をつまらなさそうに細くして、チャシャ猫は悪戯に下半身を透明にさせた。
「僕も国家顛覆狙おうかなぁ……。今の流行らしいよ」
「前々から思ってたんですけど、オレらの国って平和なのか膠着状態なのかどっちでしょうかね」
「両方じゃないの。そんなもんでしょ、世の中」
「はぁ」
  空返事をしつつ、綱吉はうきうきとしていた。
 あの骸とのいざこざ以来、京子とは会っていない。大義名分を翳して会いにいけるのだから、しあわせでないワケがない。チャシャ猫は、何度か口をぱくぱくさせて綱吉を見下ろした。彼にしては珍しく、迷うような素振りを見せる。その眼差しは森の入り口と綱吉とのあいだで往復した。すでに全身が透明になって、二つの耳と尾、黒い瞳だけが森に浮かび上がる。
「黒ウサギの考えることってわかんないな。綱吉、まあ……、背後」
  すう。尾だけを残して消え去ると、その頃に綱吉が気がついた。
「・…………げっ?!」
「お久しぶりです」
 黒ウサギの骸が、落ち着かない様子で歩いてきた。
「……今の僕の仕事は雑用及び一族の誰もがやりたがらないよーな案件の処理でして……、まあ、そういうわけなんで同行します」
「は、はあぁっ?!」
「僕だって好きでやってるわけじゃない」
  冷徹に二色の瞳を細くさせて、突き放すように骸が言う。
  尻尾だけがゆらゆらと空中に浮いていた。それを睨みつけて、それから、決心するように綱吉を見返す。
「…………思い上がらないでくださいよ。前々回と前回と、」
「あー、綱吉に完敗したんだってね」
「うるさい! ヒバリ、お前だろう?! ウワサをばら撒いたのは!」
 割り言った声に、骸が激昂する。尾はぶるんぶるんと大きく触れた。短く、ンなことしないよと返す声。戸惑うように骸が目をしばたかせると、おずおずと綱吉が挙手をした。
「えーと……、はい、ことの顛末をリボーンに話した」
「…………」
「ぎゃあああ?!!」
  すちゃ、と、手早く燕尾服の内側からナイフをだして骸が綱吉に詰め寄った。
 大慌てで後退り、闇雲に手を振るが白銀の光が迫るだけだ。
「ヒバリさん!」「知らないよ。ああもう、どうして面倒なことばっかなんだろ」
「ヒバリさぁああああああん!!」
  頭を抱えるが、ついに蛍光ピンクとブラックとのストライプが見えなくなった。尾すらも完全に透明になって、がざごそと葉が揺れる音が続く。
「死ね。僕の前に二度と現れるな!」
「だああっ?!」一撃目を横に跳んでよける。が、綱吉は愕然とした。
  はらりと生地がめくれたのだ。燕尾服の胸の前に大きな縦線が走っていた。
「こ、これから京子ちゃんと会うのに……!」ピクリと真っ黒い艶やかな耳が動く。骸は、オッドアイを冷酷に引き伸ばした。唇は嘲笑うように吊り上がる。
「それはいい。死体を彼女に届けてあげよう!」
「なっ、――脅す気か!」
「クスリが手に入ればそれでいいじゃないですか」
 当たり前のように骸が言い放つ。むかむかとして、綱吉が両足を踏ん張らせた。
「それ以上オレに近寄らないで下さい! 近寄ったら――」
「近寄ったら?」あからさまに馬鹿にした態度で、骸がクッと喉を鳴らす。
 一メートルも距離がない。次にナイフを突き出されたら当たる。綱吉は、止むを得ないという顔をして眉根を寄せた。力強くうなってみせる!
「……キスします!」
「は?」
「それ以上近寄ったらキスするからね?! この前みたいのじゃなくてもっと濃厚なの! オレだってガキじゃないしウサギなんだから方法くらい知って――」
 綱吉の声がしぼむ。骸の耳が前に垂れていた。ぶるぶるとしながら、赤面したまま殴りかかるように拳を突きだす――動揺しているのか、ナイフを持っているのとは反対の腕だ。
「ひえええ?!」
「いい加減に――僕をからかう真似はやめなさい。殺す!」
  髪の毛一筋で避けて、しかしナイフの切っ先が幹に張り付いた綱吉を狙う!
(やばい! こっちが狙いか!)焦燥で心臓が焼け焦げそうだ。死んでしまう、そう、意識した途端に綱吉は骸に飛び掛っていた。はしっと胴体に抱きつく。
「からかってなんかない! オレアンタが好きなんです!!」
ずるっ。骸が、派手にずっこけて幹に頭をぶつけた。勢いが余って綱吉に覆い被さるかたちだ。何を言ったかを理解しきれず、目をぱちぱちさせていると頭上からも何かが落ちてきた。
  ぴくぴくしているのはストライプの尾と耳だ。次に黒目も浮かんで、ヒバリが姿を現した。
「なっ……、何の話してんの? 君ら!」
「…………!」
  悔しげに歯を噛んで、すぐさま骸が綱吉と距離を空ける。湯気がたったように真っ赤な顔をしていた。ナイフを持つ手までを赤くさせて、わなわなと震わしている。
「あ、いや……。あれ? なんていうか、なりゆき……あっ、ナイフ!」
  飛びついて、綱吉は落ちたものを森の中へと投げ捨てた。
  骸が自分の顔面を抑えたまま動かなくなっていた。耳が垂れたまま震えている。話せなくなるくらいに動揺している様子なので、綱吉は、ひとまず彼を放っておくことにした。ようやく膝をついて立ち上がったヒバリに問いかける。
「ヒバリさん、どっかに消えたんじゃ」
「あのね。君を僕の縄張りのなかで殺させるワケないだろ」
「……あっ。ひ、ひばりさーん!」
  意図を察して、綱吉が喜んでヒバリに抱きついた。
  なんだかんだでチャシャ猫とは幼馴染だ。綱吉にとっては至って普通の行為である、が。骸が、耳をピンとさせた。
「…………」「…………なに」
  骸とヒバリのあいだで火花が散った。
「へ?」頓狂な声をあげて、綱吉が二人を見比べる。
  チャシャ猫ヒバリは冷然として骸と相対し、骸は、真っ赤になりつつも怨めしげな眼差しを返していた。あれぇ。胸中で訝しく囁く綱吉だが、その声は自分のものながら冷えていた。
「綱吉くん。クスリを取りに行くんでしょう?」
  舌をもつれさせながら、骸が言った。
「……僕も行こうかな」
「ヒバリさん?」
「こ、……これ以上僕の手を煩わせないで下さい!」
 怒ったような声をたてて、綱吉の燕尾服の袖がつかまれる。わざわざ地肌のところを避けて引いたような、不自然な動きだったが、綱吉は骸の後ろにまで引っ張られていた。
「ちょっ……・、ま、まあ行きますけど」
「でしょう? 考えてみれば今は時間が惜しい状況だ。早く帰ってきましょう」
「僕も行く。どうも君らを一緒にしておくのは危なさそうだ」
 決めたとばかりに力強くヒバリが囁いた。黒ウサギが嫌そうに眉根を寄せる。白ウサギは、冷や汗混じりに二匹の顔を見上げた。バチバチと火花が散っているように見えた。
「なんか、道を踏み間違えてる?」
(でももうすぐ京子ちゃんに会えるな。うん、ラッキー)
  顎に手をあて、一人で頷いているとヒバリに頭をはたかれた。



  無事にクスリは手に入り京子とも話をしたが、綱吉はしばらくはこっちの世界には来れないと思ったという。チャシャ猫も黒ウサギもことあるごとに衝突した上に――、最後に、骸がわざわざ京子の前で呟いたのだ。わずかに赤面し、怒った声で吐き捨てた。
「でも、僕には男のウサギと付き合う趣味はありませんから。綱吉くん、君と触れ合うつもりはない」
「…………?」京子はふしぎそうな顔をする。
「おまえなぁっ?!」
  綱吉は頭を抱えるが、骸はつーんとして明後日を向いた。
「真実を言っただけですよ」
「害獣駆除も縄張り管理の一環かな」
  チャシャ猫がトンファーを取りだす。水鏡からでた綱吉は、森の出口めがけて走っていく二人の背中を見たとか、ため息をついたとか、冷や汗のよーな涙をこぼしていたとか。
  自らの唇を抑えつつ、綱吉は悪夢をみたあとのような顔をした。
「な、……何であんなこと言っちゃったんだろう」今更ながらに告白が脳裏をよぎる。遅れて、――それこそ数時間遅れで骸と同じように赤面しつつ、綱吉は深々とため息をついた。



おわり

 


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