6927 +蓮
人差し指をくの字に曲げて、骸は、そのくびれたところを顎に押し当てていた。
思案顔で目の前に吊り上げられた少年を見つめる。彼は、口をぱくぱくとしながら信じられないように目を見開いていた。胴体に幾重にもツルが巻きついて、真っ白いだけの空間に掲げられている。
「…………んなっ?!」
パジャマ姿のままで、沢田綱吉がうろたえた。
「な、なんですかコレっ。ろ、……六道骸?!」
ぎくっとしながら、綱吉が訝しがる。少年二人以外には誰もいない空間だ。
骸は、考えを続けながら目を細めた。足元から生えた蓮の花が、しゅるしゅると伸びあがる。すでに綱吉を抱えあげているのも同種の蓮のツルだ。警戒し、身体を縮めた綱吉をあざわらうように、ツルは四肢を絡めとって大の字に貼り付けた。
何もなかったはずの空間だったが、そうされた途端に背中にヒヤッとした壁の感触が生まれた。
ようやく、綱吉が合点がいったというように両目を瞬かせた。
『寝てたはずだ』驚いて、すぐに固唾を呑んだ。思考したはずの言葉が、空間のなかで反響している。綱吉の怯えをあらわすように、骸は小首を傾げて、しかしそうしながら蓮の花を鼻先へと突きつけた。
「こ、……これ、夢?」
やっとのことで、綱吉が呟く。
虚ろな眼差しが蓮に捧げられていた。
濃密な香りは花が本来持つものとはかけ離れている。
「沢田綱吉」低く、小さく、骸がささやく。綱吉は、うつらうつらとしながらも顔をあげた。
「僕の精神を常世に留めるためには現世とのつながりが必要になる。……君は、その意味では最適な男だ。僕をこの暗く冷たいところに押しやったのは君自身なのだから」
霧の奥から聞こえるように霞みがかった声色だ。綱吉は、おぼろな視界のなかで霧のリングがきらめくのを認めた。骸の首から下げられている。
「……意味、よくわからないんだけど……」
「この僕の場所で君がくるしむ。それが、僕の滋養になるということだ」
軽蔑するような色が混じる。骸が動かずとも、彼の意思に従って蓮の花が動いた。
ツルがするりとパジャマの下へと潜り込む。蓮の花弁が触れると、綱吉の喉が薄く喘いだ。
「つっ……。あ?」
「方法は何でもいい。沢田綱吉、僕は君の守護者だ。結果的に君は僕の主君と呼べてしまう。配下のものを潤わすのは、主君の務めではありませんか?」
「うっ、な、なに……っ。これ?!」
骸の足元を覆い隠すほどの蓮のツルが伸びていた。
少年の周囲をぐるりと取り囲むように――綱吉が磔にされている壁は、蓮には意味がないようで素通りしていた――蓮の花が浮かんでいた。その芳香を芳すように花弁の奥を曝け出すものもあれば、花びらをパジャマといわず地肌といわず擦りつけるものもある。
咽るほどの香り。頭の奥、脳髄にまで霧が入り込んだようで、綱吉はくらくらとしながら頭を垂れた。
「……っい」
「熱くなるでしょう? まぁ、……痛いよりは君の好みに合うんじゃないですか?」
他人事のように涼しげに呟きつつ、骸は自らの顎をなでた。残酷に口角を吊り上げる。
「僕は何もしないでいてあげますよ。君が楽しんでる姿を、ただ、見させてもらうだけで十分ですから」
「……うあっ」すりすりと花弁を頬に寄せられて、喉が引き攣る。
脂汗が滲み出すのを覚えながら、綱吉は眉根を引き寄せた。
「なんなん、だっ。骸、こんなことしてただですむとは――」
「心配しなくていい」突き放した声だった。
骸は冷徹な光を二色の瞳に乗せていた。
「どうせ夢ですから。……すべて、忘れますよ」
静かな、霧の中から語りかけるような声。
「僕がここにいることも。僕と話したことも。本望でしょう? 沢田綱吉」
無感情の声音は、作り物めいた響きがある。うつらとしながら、綱吉は何とか骸の眼差しの焦点を合わせようとした。蓮の香りか、はたまた何かの術か。彼には区別がつけられないが、骸は影のように黒く塗りつぶされて見えた。
そうした彼の心境は、手に取るようにわかる。空間に響くこころの声に耳を傾けながら、骸は低く呻き声をあげた。
「残らないですよ。深層意識には、何か残るかもしれませんが……、だからといって表層の君には影響がない。さあ。躊躇わず、身を任せなさい。蓮は君を優しくあやしてくれますよ」
「ぁ……、っ、む、……」
ツルと花とに全身が覆われかけていた。
頭を垂らし、顎から汗を流しながら、綱吉は苦悶に眉を八の字にしていた。
ひくひくと肩が痙攣を繰り返している。唇が、時折り、喘ぐようにブツ切りの悲鳴をあげた。
「…………」骸は腕を組んだ。静かに、淀んだ眼差しを綱吉へ向けつつも耳を澄ます。空間にひびく声は、綱吉の思考をそのまま筒抜けにしたものだ。次第に理性が潰れていく。それに合わせて悲鳴も大きくなる。
「……そうしなさい。大丈夫。僕だけの秘密にしてあげますよ」
かすかに、にこりと微笑みを浮かべて、骸は俯いた。
足元のツルからは体温が伝わってくる。同時に、生者の鼓動も。これが暗い水辺のなかでの灯火になる。
おわり
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