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 いち、にい、さん、しい。
(し)唇だけで真似をして、闇に蹲る彼は両目を細めた。
 祠の扉は閉ざされ、しめ縄まで張られている。古びた木片の合わせ目から、縦長の線が見える。切れ切れの、か細い、今にも消えてしまいそうな日光の残り香がある。長く伸びた耳が、両方とも、扉に向けられたままで静止していた。
(数え唄か)誰か。子供か。祠の近くにいるようだ。
 ご、ろく、なな、はち、きゅう。唄が続く。跳ね回っているのか、たたん、大地を蹴る音がつづく。
(ご、ろく。ろく。なな、はち。きゅう。ろく)
 じゅうさん、そこで唄がいちに戻る。闇の中で身を丸めながら、彼は、自らの足元へと視線をおろした。
(ご、ろく)唄が途切れなくつづく。
 だが、彼の頭の中の声はそこで途切れてしまう。
 いち、にい、さん、しい、ご、ろく。ここで終わる。なぜなら、彼にはそこまでしか許されていないからだ。右目。右目に浮かぶ文字は、今、いくつだろうかと思いを馳せる。何度目かわからない。この暗闇の外に呼ばれて、そのとき、まだ、生きていられる望みはどれほどあるのだろう。
(いち。にい。さん。しい。ご。ろく)
「むぅ。ムー大陸って海に沈んだんだってさ」
 軽々しい声と共に、抱き上げられた感触。そこで彼は目をあけた。
 その子供はからかうように瞳を覗き込んでいた。両脇の下に手をいれて、頭上にかざしながら、一振りしてから懐に抱きいれる。バスケットの中でうたたねをしていた途中だった。ウサギは、目を瞬かせる。
 その黒い瞳に、子供が笑いかけた。
「今日はヒバリさん出かけてるみたいだから。下でご飯にするか」
 食卓のテーブル、その下がヒバリの定位置だ。ムゥが耳をぴこぴこさせた。
「母さんがニンジン切ってくれてるよ。いこう」
 ごお、ろく。彼の中に燻る数字は呪いのような響きを持っている。
 ウサギの丸い瞳を一瞥して、綱吉は階下へと降りた。腕にはいまだにウサギがいる。それが、誰にとってどんな意味があるのか、彼にとってどんな意味をもつのか。さほど遠くない未来に、――、
(予言か。僕には、そんな力はない。ただ予感だけ)
 這い寄るもの。腐った匂い。忍び寄る、足音に名をつけるのならば一文字になる。
 いち、にい、さん、しい、ごう。
 一文字になる。し、ご。そのあとに六がくる。
 不意に、耳を生やした少年の横顔が浮かぶ。冷徹な光を黒目にたたえて、彼は、自分の縄張りを荒らされて怒っていた。目障りだと、全身で訴えながらその名を口にする。
 六道ウサギ。その名は、個人を指すものではない。
(…………)しょりしょりと、テーブルの下でニンジンを食んでいると綱吉が覗き込んできた。
 内緒な。そう呟いて、軽く笑って、悪戯っこのような顔をしてハシで摘んだ納豆を見せてくる。ツンとした匂い。なんてものを渡すのか、と、思わないでもなかったが、だが馴れた。何しろムー大陸のムゥだと言い出した少年だ。
(僕は雑食ですしね)ざっしょく。そう、六道ウサギは何でも食べるのだ。
 ただ、だからといって栄養になるわけではない。ニンジンなど実際は水のようなもので、彼にとっては戯れに口にするに過ぎない。あるいは、正確な擬態のために。差し出されたものを咥えると、驚いた声がした。
「あっ。すご。ホントに食べた!」
 彼にとっての主食が、目を丸めていた。

おわり


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