限界

 

 


 朝になってもヒバリは虚ろな顔をしていた。
 目覚めて一番に出会ったものにツナは驚きを隠せない。ヒバリは思いつめていた。
「綱吉。僕は」
 それで止まってしまう。
 昨日とは立場が逆転した格好だ。彼が動こうとしないので、ツナは無理矢理に服を着替えさせた。ついで、トーストを用意する。焦げたトーストを無言でほうばるヒバリは、やはり、どこかおかしい。
「大丈夫ですか。ヒバリさん」
「……どうして、そういうこというの」
「だって。おかしいですよ。昨日の夜から」
 ヒバリは黙り込む。
 ここに来てから三日がたって、ツナはいよいよ本格的に困ることとなった。太陽が高みにあがってもヒバリはソファーに座り込んで何かを考えていた。それが思わしくないことであるのは、沈痛な表情からも明らかだ。
「外でも行きませんか?」
 物言いたげな、しかし、完全な拒否を示した瞳。
 ツナはため息をついた。踵を返そうとして、その腕が捕まれる。
「待って」
「……何ですか」
 返事はない。ヒバリは再び黙り込む。
 腕は掴まれたままである。ここ数日、自分よりもいくらか小さい少年を相手にしているような気がしないでもなかった。放っておいたら暴走して何をするか、何を考えるかも、わからない。(好きとか嫌いとかを置いて、この数日で目が離せないっていうくらいに愛着を覚えたのは確かだな)
 ぼんやりとそんなことを考えていたら、腕が引かれた。
「綱吉」
「なんですか」
 ヒバリは迷子のような顔をしていた。
「思うんだけど。僕は綱吉から」
  ――ばぁんっっ、と、爆発の音でツナはぎょっとした。ヒバリも目を剥く。
 扉が、丸ごと後ろに押し倒されていた。太陽の光が雪崩れ込む中を、悠々と歩くのはリボーンである。デカい大砲を肩に乗っけていた。
「リ、リボーン……」
 大砲の上でカメレオンが舌を出す。
 リボーンは、平素のチャーミングな顔つきそのままで片手をあげた。
「チャオっす」
「こ、ここまでやっときながらその変わらなさは凄いなオマエ!」
「ツナの突っ込みも健在なようで何よりだぜ」
 ヒバリはソファーから立ち上がった。
 トンファーを取り出し、ツナとの間に立ち塞がる。
 その背中が無理をしているように見えて、ツナは困惑気味にヒバリの名を呼んだ。少年はふり向かない。リボーンが語りだした。
「随分と探したぜお二人さん。かくれんぼはココまでだ。帰ってこいや、ママンも心配してるぜ?」
「あ……」
 ハッとした。学校をサボって家にも帰らずに三日間。母親が慌てないはずがない。
「俺がインド修行にでたっつってごまかしとかないと捜索届けをだされてたぜ」
「インド……」
(母さんなら信じる……か?!)
「赤ん坊。よくココがわかったね」
「まーな。俺を舐めんじゃねえ」
 ニコニコとしたまま、ヒバリの爪先からてっ辺まで眺め回す。リボーンはニヤリとした。
「ヒバリ、オマエだってもうわかってるだろ?」
「何を」
 油断なく、トンファーが水平に構えられる。
 いつぞやに病院送りにされたことを彼は忘れていないのだ。
 リボーンは変わらぬ余裕さでもってヒバリを見下ろす。
「来い。仕方ねえから、お前を拾ってやる」
「拾う? 何のこと。僕に言ってる気」
「そうだ。お前、考えてること全部をツナに話したか? 話してねえだろ」
「どういうことだよ、リボーン」
 意味深な笑顔がリボーンを彩る。
「お前は一人じゃ人を愛せねえ男だ」
 一瞬で理解できる言葉ではなかった。ツナはヒバリを見上げる。そしてひやりとした。
 苦しげに相貌を歪める横顔があったのだ。見返され、聞こえたのは軽い舌打ちだった。
「どうかな。黙ってくれない」
「俺らならお前の狂気を止めてやれる」
 リボーンは楽しげに喋りつづけた。
「お前がツナを気に入ってンのはわかるけどな。独り占めはむりだな。二人きりになったら、どうやっても相手を焼き尽くしちまいたくなるだろ。時間の問題だぜ。このままなら、お前はツナを殺」
 ガキン、と、金属のぶつかる音。 トンファーと棍棒とが火花を散らしていた。
 ヒバリが歯を剥き出しにしてリボーンを睨みつける。黙れ、と、かすかな声が歯軋りと共にリボーンの耳に届いた。「俺は事実を言ってるんだぜ」
 ひゅっと風がなる。
 リボーンは前方へと飛び上がった。帽子を抑えて着地する。
 息を呑んだのはヒバリだ。着地したのはソファーの上だった。ツナのすぐ隣の。
「おいおいおい」
 ツナは冷や汗交じりにリボーンを半眼で睨みつけた。
 こめかみに、何故だか拳銃が突きつけられている。
「動いたら撃つぞ」
「おいおいおいおいおい!」
「うっせえな。人質は黙ってろ」
(俺を探してたんじゃないの――っ?!)
 ヒバリは笑っていた。穏やかでない目の色をして。
「君はやっぱり素晴らしいと思うよ。で? 綱吉を人質にとってどうしてほしいの」
「武器を捨てろ」
 軽くため息をついて、ヒバリはトンファーを手放した。
 えらくアッサリとしていて、ツナは罪悪感を感じた。
「さらに俺の話を聞け。本当のことをいえよヒバリ。わかるんだぜ」
「赤ん坊には、敵わなさそうだね……」
  目を細めるヒバリ。すいっと視線がリボーンがぶち壊した扉へと赴く。そのまま緑の揺れる外界へと流れでて、ツナの背筋に寒気が走った。まるで、今にも消えてしまいそうなほどの儚さが恐ろしい。叫んでいた。
「ヒバリさん! 俺、聞きたいです」
 ゆるゆると眼差しがツナに戻る。ツナはいくらか安堵した。
「リボーンが何考えてんのかは知らないけど。昨日いいましたよ。俺、ヒバリさんと一緒にいるって!」
「おお? ンなこといったのかよ」
「リボーンは茶々を入れるなっ」
 笑った気配がした。ぱっとふり向いて、ツナの顔色が失われた。
 笑顔は笑顔だが。暗い、淀みこんだ漆黒をのせた笑顔は怖気がする。
「僕は愛された記憶がない」
 朝に見たような、虚ろな瞳がそこにあった。
「愛しかたなんてわからないよ。暖かい感情とか、そうしたのもよくわからない」
「ヒバリさん」
 黒目がチラと外を向く。
「ごめん綱吉。本気で、僕は殺すことが愛なんじゃないかと思える人間なんだよ」
「ヒバリさん!」
「綱吉といるとよくわかった」
 その瞳がさらに細くなる。一瞬だった。
 懐かしむように、惜しむように細められて、きゅっと閉じられる。
 瞑目も一瞬で、ヒバリは踵を返した。だっと外へ向けて走り出す。
「ヒバリさんっっ!!」
 ツナが叫ぶ。背中をドンと押された。
 リボーンだ。しかし深く考えることはできなかった。追いかけようとして――落ちていた扉にコケた。バタン! と、派手な音が轟く。ヒィーっとツナは内心で身悶えた。
(なんで俺はッ、こー肝心な時にッ!)
「ヒバリさんっ」
 諦めることは無理だ。鼻頭をおさえて立ち上がり、しかし再び転倒した。硬いものにぶつかった。
 すぐ目の前でヒバリが顔面を抑えてしゃがみ込んでいた。
「ヒ……、ヒバリさん」
(助けようとした?)
 そうとしか思えないタイミングだ。
 この脳天の痛みはヒバリと激突したためとしか思えない。けれどヒバリがこの程度でしゃがみ込むとも思えない。しかしこれで失踪されたら一生のトラウマだ。ツナはがしりとヒバリの腕を掴んだ。
 一秒後には抱きしめられていた。ツナの肩口にヒバリの顔が押し付けられる。
「僕は殺したくない!!!」
「ひっ。ひばりさん?!」
「でも殺したいんだ。いっそ殺して欲しいくらいなんだよ」
 少年は全力で叫んでいた。
「昨日の夜言ったことも全部が本気だ。僕はああいうのが愛に置き換えられるなんて思いもしなかった。すごくビックリしたんだ。なんて捻じ曲がってるのかと自分を疑った。わからないんだよ考えたけどわからない」
 言葉としてまとまる前の、未成熟な塊。
 それをそのままで吐き出している。慟哭の如く荒々しかった。
「綱吉は傍にいてくれる。それが僕にはすごく嬉しい。親も祖父も生き抜くことだけ教えて消えていった。怖がってもいいただ逃げずに傍にいてくれるだけで嬉しい。綱吉はそうしてくれる。すごく嬉しい。その分すごく愛ってなんだろうと思うんだ殺したくなるのはやっぱり愛とは違うよ殺したら消えちゃうじゃない。でも僕にはそれ以外のやり方がわからない見つけられそうにない。殺したくない人に傷つけたくない人に区別がつけられなくて自分で不安になる気が付けば君を殴っていそうで、綱吉と僕とは傍にいない方がいいんじゃないかって考えて考えると苦しくて苦しくて綱吉を殺したいでも撫でたいとも思う。ぐちゃぐちゃなんだ。嬉しいし悲しいし切ないし憎たらしい。殺したい。無性に熱いだけのものがあるけどこれが愛なのわかんないよ教えられてもわかんない気が付けばまた殺したいっていうのに戻るんだ、時計の針みたいに全部の感情を回ってくんだよ。綱吉といて、おかしな自分を突きつけられた気がして怖かった僕とこんなに違うんだって事実も怖かったでもそれよりもいつか起きることを想像して怖かった。本当は殺したくない。でも衝動を抑えられない時があるんだよどうしようもなく凶暴になる時があるんだよ。綱吉は僕を殺せるわけ? 僕が、本気で噛み殺そうとした時に本気で抵抗できるわけ? 血に狂ったら何をするかわかんない人間なんだよ所詮は僕もあいつらと同じにただのケダモノでっ、っっ」
 早口でまくしたてられる言葉のどれもが痛いほどの叫びに包まれている。
 ぜえぜえと息継ぎをして、何かを飲み込むような仕草のあとにさらに続けた。
「それでも一緒にいることはできるって!!」
 縋りながら食い込む指が痛い。鼓膜が火傷しそうだ。
「君、それ本気で思ってるの。ウソだったらタダじゃおかないから。今度こそ噛み殺してやる」
 裏腹に、抱きしめる力がつよい。
 抜け出すことを許さなかった。ツナは全力でヒバリを抱きしめ返した。
 二人の体が震えだしていた。肩口にうずまった頭がゆるく左右に振られる。ちがう、と、声にならない呟きが耳を掠める。「だから、こう……。こうなっちゃうから」
「殺したくないのにそう思うから。そう思ったら、僕は、本当になかなか抵抗できないから……」
「ヒバリさん。俺、大丈夫ですから」
「何を根拠に。何がどう大丈夫だっていうの。いい加減なことを言わないでよ……」
 ふと、この人は泣き出しているのではないかという気がした。
「殺したくないと思うときのヒバリさんを信じます」
 ヒバリの腕がさらに締め付けてくる。息をするのがやっとだ。
「そう言ってくれるのは、嬉しいけどさ……。信じるだけじゃ、足らないでしょ」
「ファミリーに入れば無問題だ」
 リボーンがヒバリの後ろへと回り込んでいた。
 ぽんっと肩に手を落とす。
「赤ん坊……」
 ヒバリが顔をあげる。
 赤く晴れ上がった目元に、ツナは先ほどの疑惑を確信に固めた。
 しかし目が合うやいなやヒバリが肩口に突っ伏した。本気で見られたくないようだ。
「ヒ、ヒバリさん……」
 背中を撫でながら、ツナは強張った笑いをこぼす。
 ヒバリの肩に座るリボーンも、ふうとため息をついた。
「世話の焼けるガキ共だぜ」
 どこか労わりの混じった言葉である。ツナは穏やかにリボーンへと視線をやった。
  ――が、ヒバリのこめかみに突きつけられた銃口を認めて、全身を硬直させた。
「りっ、リボ……ッッ?!」
「あ? だって、コイツにゃボンゴレ十代目を誘拐した責任もとって貰わねえと」
 平然と、いつもと変わらずに。
 ツナの脳裏にヒバリの言葉が浮かぶ。君が知らないだけでと、そう確かにヒバリは言ったのだけど。リボーンならやりかねないと、そう確かに思ったのだけど。「ば、ばかやろ……っ」
 罵倒を吹き消したのは、銃声だった。

 

 

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