挿入

 





 秋だというのに、まだ暑い。しかし高原の風は軽やかである。
 光源の強さを別にすれば、過ごしやすい気象だった。ツナの頭には麦藁帽子があった。
 日差しの強さにウンザリしていたら、ヒバリに被らされたものだ。当のヒバリは、ツナの隣でカキ氷を掻き混ぜている。
「氷、溶けちゃいますよ……」
「溶かしてるの。もう食べない」
(苦手なら頼まなきゃいいのに)
 と、思いつつも、ツナは自惚れにも似た気分を味わっていた。ヒバリがカキ氷を注文したのは、多分、自分がメロンとブルーハワイのカキ氷を注文したからだ。
(でもイチゴ味は、さすがに俺でも頼まないな)
 ヒバリは目を瞑ったまま不機嫌そうにしている。カキ氷特有の頭痛に見舞われていた。
 爆発事件から一夜が明けた。ヒバリが呼びつけた謎のアメリカ車で、二人は避暑地として名高い高原地に移動したのだ。軽井沢とデカデカ書かれた看板を見つけて衝撃が走ったのも覚えている。
 ツナの脳裏に、昨夜の会話が蘇った。
『なんでまたそんなトコに』
『僕の別荘があるの。ウチの遠いシマだったから』
 軽井沢にシマのある東京のヤクザってなんだ、と、片隅で思いながらもツナは『はぁ』と曖昧に返事をした。ヒバリが口角を歪める。車窓にネオンライトが映り、跳ぶように遠のいていった。
『祖父って言ったけどね……。父親なんだよ。祖父くらいの年齢で、もう、寿命で死んだけど』
 ツナが両目を丸くする。
 気に入る反応だったらしい。ヒバリは話を続けた。
『ヤクザの組長で経済界にも太いパイプを持っていた。正妻や息子は現役中に死別したから、隠居する時には二代目をたてた。一代目は惜しまれながら隠居したらしい』
 嘲るように目を細める。その様子はどこか寂しげだった。
『でも、それは馬鹿みたいな男でさ……。隠居した先で、よぼよぼのジジイのクセに女に手をだしたんだよ。二十歳と七十歳のカップルさ。笑えるだろ?』
 ツナはぶんぶんと首をふる。嫌な予感がした。すごく。
 ヒバリの指が伸びたが、抵抗する気は起きなかった。ヒバリはゆっくりとツナの頭を撫でた。
『もちろん、その結果が僕だよ。僕が生まれた当初は組が大荒れになった。一応、今は無関係ってことになってるけど』
 遠い。遠い目だ。ヒバリは違うところを見ている。ツナは何も言えずに両手を握りしめた。ネオンライトが通り過ぎていった。そのまま車内で眠って駅前でおりた。遅い昼ご飯を食べに、ここに立ち寄ったのだ。
 ガタン、と、イスが引かれる音でツナは我に返った。
 ヒバリはイチゴ液と貸したものをゴミ箱に捨てていた。キチンと、氷捨てのところに流し込んでいる。
「食べ終わったらスーパーに行くよ。人を雇って管理させてはあるけど、食べ物の備蓄はないはずだからね」
「は、はいっ」
 奇妙だとツナは思う。ヒバリとこうしているのも、学校をサボって軽井沢にいるのも。
 しかしそれを口にだすのは憚られた。ヒバリに対する恐怖がためではない。
(俺も……。少し、楽しいと思ってる?)
(ヤバい人と二人きりなのに)
 問いかけを繰り返しつつ、カキ氷を掻き入れる。
 間もなく壮絶な頭痛に襲われ、ツナはテーブルに突っ伏した。
「馬鹿だね」と、呆れた声が聞こえた。
 買い物の後は車で移動した。森の入り口に白壁の家が立っている。
 別荘地らしく、他に人影はなく静かな場所だった。ヒバリは、運転手から鍵を受け取った。
 疑問符を浮かべるツナに、今のが管理人だと告げる。人の良さそうな老人が、ツナに頭を下げた。紳士的な動作だった。
(べ、別世界のひとだ〜〜)
 緊張で舞い上がるツナを置いて、ヒバリは別荘に向かった。
  中は、こじんまりしていたが、二階建てであり一般的な家屋に必要なものは全て揃えられている。入り口で驚いている間に、ヒバリは冷蔵庫に食品を詰め終えた。
「缶詰もあるから一週間は保つかな」
 ツナは内心でヒヤリとした。
 一週間。そんなに、ここにいるつもりなのか。しかし、それ以前にどういった気でここに来たのか、連れてこられたのかも、ツナは知らない。ヒバリは自分勝手に動き回っていた。シャワーを浴びると言っていなくなってしまったのだ。
「俺、ここで何してんだろ……」
 ソファーに座り込み、ツナは頭を抱えた。
 でてきたヒバリはパジャマに着替えていた。目を剥くツナに平然といいのける。
「車だけで寝た気になれないでしょ。寝直すの。綱吉は?」
「俺は」
「ま、取り合えずシャワーを浴びたら」
(最初から決定権がないじゃん!)
 胸中だけで突っ込んで、ツナはバスタオルを受け取った。当然のようにパジャマが載せられる。達観した気分だ。ツナはシャワーを浴びながら携帯電話すら持っていないことに気がついた。室内に電話機は見当たらなかった。連絡手段はヒバリの携帯電話のみということか。現状は、果たして危機的状況なのかと頭を捻る。
(俺、ホントに何してんだろ)
「やっぱり、君の髪の毛ってクセ毛なんだ?」
 風呂から出れば、開口一番にそんな言葉だ。ため息がこぼれそうだった。
 二階の寝室にはベッドが一つしかなかった。傾斜した日差しがふかふかの布団に差し掛かる。ヒバリは手馴れた様子でベッドメイクを済ませた。この別荘が、彼の所有物というのは事実のようだ。ヒバリはこの家の勝手を知り尽くしていた。
「俺をどうするつもりなんでしょうか」
「どうって?」
 ツナは、部屋の入り口に立ち尽くしていた。
「ええっと、身代金を要求するとか、サンドバッグにするとか。色々ありそうじゃないですか」
「やって欲しいの?」
 ぶんぶんと首をふる。
 ヒバリは怪訝に眉をしかめる。その腕はトンファーを取り出した。
 身構えかけたが、襲ってくる気配は一向に見られない。単に手持ち無沙汰なのだろうか。ツナはしばらく混乱のままに沈黙したが、やがて、昼の疑問が頭を過ぎった。今、見過ごしてしまったら、ずっとわからなくなりそうだ。ツナは息を止めた。
「なんで、こんなとこにきたんですか」
 黒目は静かにツナを見つめる。
「綱吉と居たかったから」
「どういう……意味なんですか、それは」
「…………」
 ヒバリはトンファーを服の中へとしまった。
 手招きをされていくらかの逡巡をした。結局は、自ら赴いたが。
 ヒバリの手が頬に添えられる。その瞬間に何をされるかが理解できた。けれども抵抗する気がおきない。それは数秒間のふれあいだった。
 口を離すと、ヒバリは途切れがちな声で呟いた。
「……多分、こういう」
 若干の沈黙がふりかかる。
 やがて、ゆるゆるとした動きで、両手が頬から顎へと滑り降りた。
 そのまま肩を辿って手首を掴んだ。
 ベッドに押し倒される形になって、ツナが大きな瞬きを繰り返す。
「逃げないんだね」
 ツナの手首には、まったく力が入っていない。しかしツナにしてみれば、思い切り手首を握られて身じろぐのもムリというところだ。そうしておいて、逃げないことに感心するのはドコかおかしい。
(この人、どうして言うコトとやるコトにデカい開きがあるんだろう)
 病室でぶたれた件を思う。何かの葛藤が表われていたようにも考えられた。
(怖がっているのかな、俺が逃げるのを?)
 ヒバリは、逃げるとか、逃げないとか、そうしたことにやたらと執着している。
 ヒバリの瞳は黒い。何もかもを吸い込むように黒い。真実は黒に阻まれて見えないだけだろうか。ツナの手首がギシリと軋んだ。
「っつぅ!」
「何を考えてるの」
 ペトと鼻先に湿ったものの気配。
 ヒバリはゆっくりとツナの鼻先を舐め、次に目蓋を舐めた。
「…………ひっ、ひばりさんっ」
 顔中を舐められていた。ツナの背筋が粟立った。プツプツとした鳥肌が浮かび上がる。けれども、嫌悪感がもとにある悪寒ではなかった。ひたすらにゾクゾクとした。
「う、っつ」
 唇を舐められたと思えば、目蓋の上から眼球を押されて総毛立つ。肌の表面が浮き足立っているようで、そのままに受け入れるのが苦しい。「ヒバリ、さっ。やめて……っ」
 身悶えしながら、動物のようだと遠くで考えた。ヒバリは手を離した。
 すぐさま起き上がろうとする胸を押して、その腕を取る。
 人差し指を口に含まれて、ツナはいつかの出来事を思い出した。
 それはヒバリも同じだ。含んだ指を浅く噛んで、唾液に濡れた指先にキスを落とした。ヒバリが目を細める。
「夢を見た。綱吉の指を舐める夢」
「それは……。本当にあったことじゃないですか」
「そうだね。そんな気がしないのに」
「ヒバリさん?」
 本気で言っているように見えた。
 ツナの戸惑いを感じ取り、ヒバリが動きを止める。
 怖がるように瞳が揺れ動いた。この、恐怖政治を厭わない風紀委員長がそんな目をするとは思いもつかなかった。ツナは逆に目を見張る。
 少年はそれすら感じ取ったらしく、ますます揺れを大きくさせた。
「綱吉」いくらか強くした口調で、頬を鷲掴みにする。痛いくらいだ。
「僕が怖い……?」
「な、なにを」
(何いってるんですか何をわかんないよ怖がってるのはヒバリさんじゃ)
  頭を駆け巡る文字は言葉にならない。日が落ちていた。閉められた窓がカタカタと音を鳴らす。秋の強風が暴れていた。ヒバリは黙り込む。ツナは生きた心地がしない。風紀委員長の瞳は、ツナの首をじっと見つめたまま動かないからだ。
 張りつめた緊張感。命のやり取りに似たものが行われている。感覚的にツナは悟った。
 冷や汗だけが流れてパジャマを湿らせていく。短かったのか、長かったのかは二人にもわからなかった。唐突に、ヒバリは奥歯を噛みしめて背を向けた。
 その背に汗が滲んでいたので、ツナは尚更にぞっとした。
 淡々と、ヒバリが言う。
「もう寝よう」
 ツナはこくこくと頷いた。
 一言も喋れなかった。眠ったのか眠れなかったのか、わからないままに朝を迎えた。

 

 

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