束縛
チャックを引き上げたところで、外から歓声が聞こえた。
手を洗ってトイレをでて、窓にかじりついた。秋の空が満面に広がっていた。山本がホームランを打ったようだ。わあわあと応援するクラスメイトの横で、獄寺が不機嫌そうにきょろきょろしていた。ツナがくすりと微笑む。しかしその口をついたのは、そうした温かな感情とは無縁の嘆息だった。
「俺、やっぱりダメツナだなあ」
トイレに行きたい、と、おずおずと呟いた後の二人の反応を思い出すと気が引けた。
ちょっとした気まぐれとか、冗談のつもりだったのに、二人ともすっかりその気になってしまった。最もダメなのは、無論、申し出を頂戴してしまった自分自身である。
トイレからでても、真っ直ぐにグラウンドに向かう気がしなかった。
階段をくだればすぐなのだが。
(ちょっとウロウロしてから行ってもいいよね)
教室からは先生の声が聞こえてくる。
中腰になってやり過ごし、二階の突き当りへと向かう。美術準備室だ。
「ヘヘ」
めったに人がいないので、時間をつぶすには打ってつけなのである。
「おっ。まだ勝ってる。スゴい!」
窓から首を伸ばせば、野球に励むクライメイトが見えた。
しかし無邪気に喜んだ五秒後には自分がいないからなァと快勝の理由を探る。ツナは、身に滲んだダメっぷりに喉を鳴らした。以前のツナならば、そのまましょぼくれてエスケープにでも励んだところだ。
今日とて、そのような企みが頭を掠めないわけはない。しかし、ツナはぶんぶんと頭を振り回した。
(これ以上ダメにならんうちに、戻んなくちゃ)
しかし、グラウンドから視線を反らさないうちに、ピシャリと扉が閉められた音がした。
目を見開くツナの視界に黒い影が映る。学ランを羽織った少年が扉にカギをかけていた。
「なっ……。何してるんですか」
「見ればわかるでしょ。施錠」
「そうじゃなくて」
カチリ、と、無造作な硬い音が響く。
ツナは狭い準備室へと視線を走らせた。扉は一つで、ヒバリの背にある。逃げられそうに無い。恐怖に染まった少年を見つめて、ヒバリは愉快そうに喉を鳴らした。
「すごいタイミングだよ。僕の気紛れを感知する能力でもついてるの?」
「ヒ、ヒバリさんですよね。この前のことなら謝りますから! あっ、に、逃げたことも謝りますから!」
「何を怯えているの。まだ何もしてないよ」
笑いながら距離をつめてくる。応接室での一件やら先日の指舐め事件(?)やらが頭を巡る。
ツナは窓から飛び降りようかと真剣に考えた。が、窓を凝視する視線に気がついたヒバリが、その横っ面を強打する。画材をばら撒きながら、少年はテーブルに突っ伏した。震えながら起き上がろうとする体に、ヒバリが体重をかける。
身動きがとれなくなったツナを嘲笑うように、トンファーが突き立てられた。
「……何のつもりですか。どうして」
肩越しにふり向くツナに、ヒバリは感情の見えない視線を投げて寄越した。
返答に困っているようにも見える。
「……そうだな。どうしてあげようかな」
つ、と、指がツナの頬を辿る。
これといった予定は無い。ヒバリにすれば全てが突発的な思いつきで、ツナにすれば降って沸いた災難だ。ヒバリの脳裏に、ツナの指を舐めた自分自身の横顔が蘇った。
「舌をだして」
「へっ……」
「舌だよ。ホラ」
口をこじ開けようとされて、ツナは、震えながら舌を突き出した。ヒクヒクと痙攣する生物に、ヒバリは満足そうに目を細める。
「いい子だね。うん、綺麗な赤色だ」
「…………ッッ」
ぺろ、と、舐められる。
駆け抜けた悪寒のままにツナが大きく震えた。
ツナの反応に気をよくしたらしいヒバリは、舌を両歯に挟みこむ。コリ、と、力を入れられてツナは目を瞑った。
(ウソ。噛み切られる!?)
(噛み切られるとでも思ってるのかな、これは。すごいピクピクしてる)
ヒバリの歯の間で、粘膜状のものはソワソワした痙攣を繰り返す。少年の怯えを、声よりも表情よりも何よりも雄弁に語っていた。ヒバリは知らずに微笑んでいた。黒い充足感が指先にまで広がる。
(馬鹿みたいだ……。怯えてる。それでも、抵抗できないで。したいがままにされて)
沢田綱吉の経歴を思い出す。ダメツナ、と、あだ名されていることもヒバリは知っていた。
(また痙攣した。無自覚かな? 目尻が濡れてる)
胸に奇妙な情感がせりあがる。侮蔑といっていいのか歓喜といっていいのか。満足感か、欲望か。
強く噛んだまま、口の中で舌を絡める。ツナが目を見開いた。逃げようとしても、歯で縛められていて引くことも身じろぐこともできない。強烈な目眩がツナを襲った。舌を引かれる痛みもある。気持ち悪さと恐怖と痛みとで頭が破裂しそうだ。
その忌まわしい作業は、 五分ほどで終焉を迎えた。 最初と同じように、唐突に。
「ゲホっ! ハ、ァッ……?!」
即座に口を拭うツナ。パッと体を離したヒバリは、ツナとの間にトンファーを差し込んだ。
首元に突きつけられた冷えた感触に、ギクリと体が強張る。ヒバリはそれすらも楽しんでいるようにツナの目に映る。 空いた指先は、自らの顎を伝う唾液を拭い取った。ペロリ、と、かつてツナの指を舐めた朱色の舌が姿を覗かせる。先ほどの目的のわからない陵辱行為では、彼はその赤を垣間見せることすらしなかった。
ヒバリは、ギラギラした獰猛さでもってツナを見下ろした。
「……ウン」
その黒い瞳が黄金に光って見えた。
ありえない、見えるはずが無い、と、ツナは自らに強く言い聞かせる。
「君をリンチすることに決めた」
感覚が遠い。 襟首が乱暴に鷲掴まれた。
ツナの視界が、白く染まった。 終 >>もどる
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