すぎゆく冬へ

 

 

 


 白い塊は、風に揺らめいてから滲んで消えていく。
 並んで歩いてじぃと見つめた。自分の吐き出したものとヒバリの吐き出したものとが、共に混ざって溶けていく。コートのなかで、手を結んだり開いたりした。公園を半ばも過ぎないうちに、ヒバリが足を止めた。
 草むらの一角に目を凝らす。
「……うわあ」
 ツナはうんざりして顔を背けた。
「すごいよ。ねえ、綱吉。見てよ」
「わざわざ言わないで下さいっ」
「恥ずかしいの」
「当たり前じゃないですか!」
 笑う気配が頭上にある。ツナは思いつく限りの罵倒を自らに飛ばした。この道を教えたのはリボーンなのだから、彼を罵倒するのが適切にも思える。しかし彼を罵倒するのは胸中でもなんとなく恐ろしかったので、リボーンを安易に信用した自分に牙が向くわけだ。
(何が近道だよ。カップルの巣窟じゃないか!)
 歩調を速めた。左手のビニール袋からネギと卵パックとがはみ出ていた。
 奈々に頼まれた品々だ。ヒバリはトイレットペーパーを手に、公園を眺めて回していた。普段なら買出しなど付き合わず、どちらかと言うと追加でオーダーすることすらあったが。どういうわけか、今日はついてきたのだ。
 じろりと睨む。ヒバリが声音を笑わせた。
「何をするんだろうね。男と女、二人きりでね」
「…………」
「しかも夜だ。この寒いのにねえ」
「……何が言いたいんですか」
「さあ? なんだろうね」
 唇がニィと笑う。横に並んだヒバリを睨みつけようとして、自らを呪った。安易に顔を赤くするのは体質だろうか。ヒバリは大股でツナへと歩み寄った。耳の裏へと口を寄せる。
「うぶ。照れてる」
「テレてなんかいません!」
「そうなの? ふうん?」
 明らかなからかいを含ませ、ヒバリが目を細める。
 ウグと言葉を詰まらせ、歩くスピードをあげた。歩調を合わせながらヒバリはトイレットペーパーを持ち替えた。その紙の団体はヒバリの存在感に酷く不釣合いだ。しかし当の本人は機嫌よく街灯の下を歩いていた。
 両手をしっかりと結び合わせたブレザーのカップルが隣を過ぎる。
 公園を抜けると、ヒバリが尋ねた。
「これで今年の買い物は終わり?」
「そうですね……。タマゴの量が微妙がちょっと心配かな。2パック買いましたけど、今日の鍋と大晦日のすき焼き、おせちのダシ巻きタマゴで――」
「ダシ巻きタマゴ? おせちに?」
「母さんが毎回いれるんですよ」
 ふうんと興味も薄く相槌をうち、ヒバリは空を見上げた。満月に似た丸があった。
「じゃあ綱吉は明日から年明けまで家にこもっちゃうんだ」
「そうしたいです。寒いから」
 物いいたげな視線が突き刺さった。ツナがたじろいだ。
「い、今だって寒いでしょう? ヒバリさんだってマフラー巻いてるじゃないですか!」
 ヒバリは黒のコートに黒のマフラーだ。その下がさらに黒づくめなのもツナは知っている。苦虫を噛んだ顔をして、少年はぶっきらぼうに言い捨てた。
「まあ、ボンゴレ十代目に同行するハメになるわけだ」
 思わず見上げた。ヒバリは滅多なことではボンゴレ十代目と呼びかけない。ニコリと目だけが笑った。「僕がついてきたの。どうしてか、わかる?」
「よ、夜だからですか……?」
「なんとか当たりかな。赤ん坊は知らなかったみたいだけど、あそこの公園は夜だと治安が酷いんだよ。僕がついてなきゃ綱吉は今ごろカツアゲでもされてたんじゃないの。そういう顔してる」
「えええっ!」
 そういえば、と記憶を辿る。
 ヒバリを見たとたんに逃げていく団体があった。
「し、知ってるなら教えて下さいよ!」
「だから。来たじゃないの。僕は君のボディガードでしょ」
「そ、それなら……い、いいんですかっ?」
 クツクツと喉を鳴らし、沢田家の前で足を止める。
 釈然としないものを覚えつつも、ツナは鍵を取り出した。彼を問いただしてもどうしようもないことなど経験から熟知しているし、それで懲りる人でもないし、何より彼を問いただす度胸があるのはリボーンくらいだろう。
「大体、カツアゲされそうな顔ってどんなのだよ」
 ぶつぶつ。うめきつつも扉を開けると、小さな黒い影が飛び出した。モジャモジャの黒髪。ランボだ。目を丸くしている間に、奈々が顔を見せた。
「ツッ君、ありがとー! ホント助かるわぁ」
「か、母さん。ただいま。おい、ランボしがみつくなって」
「ランボさん腹減ったのだ! 肉! 野菜! たまご!」
「あーもー。はいはい、ついでに菓子パン買ったんだけど、それならすぐ食えるぞ」
「よっし、ナイスだぞツナ!」がしりとビニール袋にかじりつき、ランボが頭を突っ込んだ。ツナがバランスを崩す、支えたのは背後のヒバリだった。彼はまだ玄関に入っていなかった。
「ちょっと。気をつけなよ」
「菓子パンってどこだー」
 ぐっと拳を固めるのを気配で悟り、急いで玄関に立ち塞がった。
「ヒ、ヒバリさん。面倒臭くなるから腕さげてください」
「ヒバリ君もありがとうね。男の子はやっぱ頼りになるわぁ〜」
 奈々がいそいそとしてトイレットペーパーを受け取った。ついでにビニール袋も取り上げる。ランボの頭が落ちたが、手にはしっかりと特大メロンパンと描かれた包装紙があった。
「あったー! ランボさんのメロンパンっ」
「ちゃんと分けろよ。イーピンとリボーンと」
 メロンパンを掲げて走り出した背中に慌てて呼びかける。途中で派手にスッ転び、あちゃあと頭を抱えた。「言わんこっちゃない……」そのツナを、黒目がまじまじと見つめていた。
「あっ。なに、すりむいた? もー。ほんとにお前ってやつは」
 靴を脱ぎ捨て、玄関にあがる。ヒバリは玄関に入らぬままツナを見つめつづけ、やがて、空へと視線を戻した。欠けた月が見下ろしていた。
「じゃあ、僕は失礼するよ」
 思いもがけないタイミングで声をかけられ、足を止めた。
「よいお年を」
「えっ? ちょ――」
「おいバカ牛。メロンパン寄越せ」
「ぎゃああああ!」頭を抱えた。
「コラ。リボーンもちゃんと分けろよ!」
 見ればリボーンはランボを足蹴にしていた。いつの間にやってきたのか、奈々もいないので好き放題だ。二人を引き離し、しかしすぐに開け放したままの玄関を振り返った。コートの端がひらりとして消えた。学校の方だ。
 最後に。ちらりと見えたヒバリは微笑んでいた。
 唇だけを笑わせて、黒目には澱みを張らせていた。
「ツッ君、絆創膏はっとくから、着替えてきちゃいなさい」
「ウン」扉を閉めても、入り込んだ夜風で廊下はすっかり冷えていた。
 リビングに連れられていくランボと、メロンパンを持ったままイーピンと共に台所に戻るリボーンを見送る。しゅるりとマフラーを解いた。端に『27』と縫われた橙色のマフラーだ。肌の色が薄く、全身を黒で固めた少年が脳裏に浮かんだ。(ご飯、食べていけばいいのに。今からじゃ自分で作るか外食になるんじゃ――)
 ピンと頭の中で弾ける音がした。
「あっ」
 閉ざした扉を振り返る。
 慌ててマフラーを巻きつけ、リビングに飛び込んだ。
「母さん、先食べてて! 俺ちょっとでてくる!」ドタタタと乱暴に床板を踏みつけ、――たが、再びリビングに戻った。「肉は残しといてよ! 二人分ねっ」
 奈々は目を丸めたまま、コクコクと顎を上下させた。
 つられてランボも頷いているが、構わずにツナは玄関を飛び出した。
「どこいったんだろ」冷気が顔面を照りつける。目を細くして、両腕で体を抱きながら走り出した。思い返せば、ツナはいまだにヒバリの家を知らないのだ。頼みの綱は一箇所だ、学校である。ヒバリは校門の前で立っていた。
 張られた鉄柵を見上げているようにも、月を見上げているようにも見えた。
「ヒバリさん!」
「綱吉?」
 目を丸くして、ヒバリが振り向いた。
「どうしたの」すぐに眉根が顰められた。ツナが膝に手をつき、ぜえぜえと肩を上下させたからだ。
「君ね。この冷えた空気の中で全力疾走なんて馬鹿だよ。顔あげて。喉やられたんじゃないの?」
「ヒ、ヒバリさん……っ」髪を掴まれて、顔をあげさせられていた。
 喉に手を当ててヒバリが眉根をさらに歪める。赤らんだ鼻がギュウと摘まれた。
「トローチを舐める。風邪薬を飲む。無茶をしない。復唱してみるかい」
「ひ、ひはりはんっ」「なに」手が放された。
「クリスマスはどうしてましたかっ。お正月は今までどうやって? 年末年始の予定はっ?!」
 黒目が不審を映した。聞いてどうするの、とでも言いたげに目つきも険しくなる。
 回らない舌を叱咤しつつ、必至に呼吸を整えた。酷く冷えた空気が喉を通るたび、肺に落ちるたび咽喉が疼いて熱を訴えた。指先がちりちりとして痛い。
「ひ……。独り暮らし、でしたよ、ね」
「そうだけど」
 意図を透かし見ようとするかのように、ヒバリの眼光は鋭い。
「祖父が存命中は山篭りしてた。去年ならゴミ掃除。この時期は風紀を乱す連中も浮き足立ってて、騒ぎも多いしゴミを見つけるには丁度いい」
「そんな。おせちとか、食べたことあるんですか」
 鼻を鳴らし、ヒバリはツナから手を放した。両手がぞんざいにポケットに突きこまれた。
「あるよ。母親が生きてたころに」
「あっ。そ、そうなんですか。……すいません」
「綱吉、殴られたいわけじゃないよね」
 いささか本気を滲ませた声色だ、慌てて首を振った。
「じゃあ何。こんな馬鹿げたこと聞くために追いかけてきたわけ」
「ち、違います。あ、や。違くないです」ヒバリが肘を立てた。くっきりと眉間を皺寄せて。しっかりとトンファーを携帯してるらしい。「噛み殺すよ。なるべくなら殴らないようにしてるんだけどね、綱吉はどうしてそう……」
「ああああっ」後退り、叫んだ。
「俺はヒバリさんにウチに来てほしくて!」
 黒目がキョトンとした。一息で、まくし立てた。
「ヒバリさん一人なら俺の部屋でも大丈夫だと思いますから。泊まっていってください。今日だけじゃなくてお正月の間も。リボーンがいますけど、あいつは文句言わないと思いますし母さんも歓迎してくれる……、と、思うんです。ひ、ヒバリさんさえ良ければ!」
「正月まで? 僕さえ良ければ?」鸚鵡返しに繰り返す。
 懸命に首を頷かせた。ヒバリはツナを見下ろした。
 黒目の焦点がぼやけている。何かを考えているのか。考えようとして、思考がまとまらずにアヤフヤにボヤけているような印象をツナは受け取った。肘を立てたポーズもそのままでヒバリは硬直していた。息を潜めて待ちつづけた。刑の執行を待つ囚人の気分はこんなものかもしれない。ヒバリがうめいた。
「いやって言う可能性が考えられるのが不思議だよ」
 肘が伸び、マフラーの端を捕まえる。ギクリとしてツナの体が強張る。
 そうっとした動きで両腕が全身を縛めた。低い声音が鼓膜に届く。ため息のように重く、けれども疲労を感じさせない濡れた声音だった。
「そうする……。今からいっていいの」
「は。はい」芯が痺れるようで、肌が薄く泡立っていた。
「荷物は明日にでも運ばせるよ」
 マフラーを掴む手のひらが開いた。
 パッと体を離して、直後に軽く後悔した。ヒバリは満面の笑みを浮かべていたのだ。『そうした』笑顔で、きっと抱きしめた時からそんな顔をしてたのだろう。熱が脳天に駆け昇った。
「か、か、かかかか帰りますかッ」
「うん」笑みを崩さぬまま、ヒバリが横に並ぶ。
 腕を取られた。ヒンヤリした手のひらが手首を這い上がり、指先に辿り着く。再びギクリとしたツナだが、握られた指がポケットに引きずり込まれたのでさらにはギョッとした。ヒバリのコートの中で、ぬらりとした動きで指の間に潜り込む。振り仰げば、銀色の光が黒髪のフチを彩っていた。
「照れる? 夜だし、誰も見てないよ」
「そ。そうゆう。問題ですか」
「うん。僕ら、そういう間柄だろ」
 首を振る度胸などない。心底から嬉しそうに問われていた。
 むしろ。己の胸中から湧き起こるむずむずしたものを処理するので精一杯で、とにかく、視線を外して欲しくて頷いた。コートのポケットで、ギュウと手がさらに強く握られた。ヒバリが歩きだす。なかば引き摺られるようにしてツナも歩きだした。
 ほどなくして、ヒバリがツナを覗き込んだ。
「そういえば、クリスマスだったね」
「す……。過ぎちゃいましたけど」
 グイと首を引かれた。見上げれば目が微笑んでいた。
「これ頂戴」しっかりとマフラーを掴んでいる。
「え。ええええっ。何で?!」
「これあげるから」
「く、クリスマスって物々交換じゃないような」
 ニコニコしたまま首を傾げ、承諾を待たないままでマフラーがするすると音をたてた。首に冷気が殺到する。チクチク刺されて首を縮めると、マフラーを巻きつけられた。ヒバリのものだ。黒い。
「モノとしては悪くないと思うよ」
 ちらりと視界に踊ったタグに息を飲んだ。
(うわ。カシミヤ100%じゃないか。俺の、そこらの量販店のだよ)
 ヒバリはゆるゆると自らの首にマフラーを巻きつけていた。目を細めて嬉しげに。品質の差に彼が気がつかないはずはないのだが。と、カシミヤの健やかな肌触りとは別の温もりが残っているのに気がついた。(何?)
 ……正体を悟った途端に、ツナはカッと耳を赤くさせた。
「ヒ、ヒバリ――さん!」
「ん?」満面の笑みがあった。
 返してなどと言える空気ではない。なんでもないです、か細くうめいた。
 不思議がることもなく、ヒバリはマフラーの端を摘んだ。『27』のアップリケを見下ろす。マフラーの生地よりも濃いオレンジで、月光に晒されて銀色と混ざっていた。
「これ、母親のお手製?」
「そこだけですけど。小学生の時から使ってましたから」
「ワオ。綱吉のお古ってこと」嫌がるでもなく、ヒバリは顔を埋めた。
「道理で綱吉の匂いがするわけだ」
「そ。う、ですか」
(よく言える。そういうことが)
「あと太陽みたいな香り」
 消え入りそうなほどに細い声だった。
 ヒバリを見上げれば、欠けた月が視界にまぎれた。少年の白肌を上滑りして、眩い銀が目にかかる。黒が銀に見えた。黒尽くめの彼が、見惚れるほどの銀の光を全身で着込んでいた。
 ツナが息を呑む。
(ヒバリさんって)(きれい)
 白光りのなかでヒバリが笑う。体温の上昇を感じた。
「ゆ、夕飯食べ尽くされちゃいますよねっ。早く行きましょう!」
  足早に帰ろうとするも、コートの中で繋いだ手に引き止められた。
(顔が真っ赤。本当にわかりやすくて面白い)握った手をギュウギュウとさせればツナが目を白黒とさせる。息を吸って、吐いた。(すき。愛してる。大好き)鬱蒼とした微笑みが口角を彩った。
「大好き。ねえ、綱吉は?」
「……っ、お、俺はっ」
 声が裏返った。目を反らしたとたん、がしりと空いていた手のひらが頬を鷲掴みにした。
「あああっ?! 好きです! 大好きです!!」
「そう。両思いだね。知ってたけど」
 悪戯が成功した子供のように、声が弾んでいた。
 その顔が近づいた。彼の長身が影をつくり、銀色が遮断される。
 何をされるかに気づき、手で押し留めようとしたが力を込められなかった。
 ぬらりとしたものが唇を濡らす。冷え乾きささくれ立っていたものを舐めて柔らかくして、形をなぞるように上下を往復した。指先が髪の付け根に潜り込んでくる。ぎゅうと目を閉じた。
(卑怯だ。そんな顔したら拒否できるわけないです)
 数分の後に、ヒバリがツナの口角を拭った。同じ指でもって自らの口角も拭う。
 赤らんだ顔を見下ろしながら少年は上機嫌に付け足した。
「帰る前にタマゴを買おう」息を整えながらツナが目をしばたかせる。
「それがあれば、年明けまで篭っていられるんでしょ?」
(なるほど)ヒバリが、ポケットの中で手を引いた。


 

 

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>>年末の「凍えた冬が明けて」二人組み でした
チーターさまへの捧げもの…だ! うけとって…寒いのか熱いのかよくわからないけど受け取って!
テーマは愛です らぶです 愛しちゃってラブーなヒバツナといえばこの二人、ということで でてきました   ヒバリさんはいちおうボディガードの自覚があるようです