冬をなかばに

 

 


 右の前腕に添えた金属が、ずしりとした重みを受け止める。
 ヒバリは舌を鳴らした。ずしり。ただそれだけの衝撃だというに、男は驚きの表情を見せる。
 全体重をかけた渾身のパンチだったに違いない。腿の筋肉に力を込める。男はヒバリの動きに気づけなかった。腹部に膝が突き刺さり、呆けた顔のままで地面に伏せる。ヒバリは嬲るように頬面を踏みつけた。
 かすかな気配にふり向けば、地面に這った男が愕然としていた。
「つ、強い……っ」
 トンファーを構える。
 俄かな微笑みが貼りついていた。
「君たちが弱すぎるんだ」
「ひっ……! お、お助け」
「聞こえない」
 タンと地面を蹴る。
 爪先が男の顎を蹴り上げ、浮き上がった体にトンファーを叩き込む。機械的ですらある攻撃の末に、男は大の字で倒れこんだ。口角には血の混じった泡が貼りついていた。
 ヒバリは薄くため息をつく。風紀委員の腕章が風に揺れた。冬も半ばだ。風も寒い。
「僕だ。救急車でもだしといて。粗大ゴミがでた」
 携帯電話の先には、馴染みの院長がいた。
 引き攣った声が了解を告げる。並盛中を含め、この町はヒバリのシマといって過言でない。
 かつて少年の祖父が率いていた暴力団は、現在は手を引いている。引かざるを得なかった。祖父の死後、ヒバリが暴力団の追い出しに取り掛かったためである。並盛中の風紀委員となってからは組織的に活動した。町のヤクザ連中はなりを潜め、代わりにヒバリの名が知られるようになった。
 少年が最強の不良と呼ばれる謂れでありそして、名のある者がヒバリを恐怖する謂れでもある。
 しかし当の本人に、手に入れた縄張りに対する深い思い入れはない。他勢力が町に入り込めば追い出しにかかるが、集団でなければ強く在れない輩を毛嫌いしているだけである。自らが赴くこともあったが、風紀委員を使うこともあった。そうした自警行為を行うには金が必要だった。折りを見て金を集めた。まるでヤクザのようだとヒバリも思わないではなかったが、気にしてはいなかった。やりたいことをした結果が、この姿だ。自分はヤクザではないという確固たる自信もある。雲雀恭弥は並盛中学校の風紀委員長なのである。
「つまらないな……」
 フアとあくびをする。のした三人ともが、完全に意識がない。
「弱いんなら、せめて隅っこで遠慮してなよ」
(強いのと混ざって紛らわしい)
 ヒバリに敵う者はそうそういない。
 関係をもとうとする者もいない。グラウンドの端で行われた凶事に、首をだそうとする者もいなかった。傾斜した太陽をしばらく見つめた後、ヒバリは踵を返した。冷蔵庫には夕飯を作れるほどの具材があっただろうか、と、考えたところで思考を止める。渡り廊下を歩く少年を見つけた。窓から声をかけた。
「綱吉」
 少年、沢田綱吉が目を見張る。
 ヒバリはくすりとした。視線は抱えたままのトンファーにある。三つある連結部分をゆっくり外せば、ツナはゴクリと息を呑んだ。
(誰か、ヒバリさんにやられたんだ)
(わかりやすいね。綱吉)
 含んだ笑いのあとで、ヒバリは窓を乗り越えた。
「赤ん坊、どこにいるかわかる」
「リボーンですか? ああ……。家にいるかもしれないですけど」
「そう。家、寄らせてもらおうかな」
(暴れる気だ――っっ)
 ツナは手の平を結んだ。
「いえ! やっぱり校舎にいます!」
(やっぱりわかりやすい)と、思いつつも「へえ」と返す。
 何をするかと見守るヒバリの横で、ツナはきょろきょろと周囲を見渡した。
 誰かを連れていないのも珍しいとヒバリは思う。
 今日は獄寺はダイナマイトの仕入れにでかけて欠席だった。山本は野球部にすぐさま直行した。庇う者がいなくなれば、すぐさまターゲットと認識される悲しきツナである。一人で掃除を行うはめになったのだ。リボーンの教育の成果か、やる気をだして掃除しきったがほとんどの生徒が家に帰るような時刻になった。
 今のツナにはありがたかった。少し歩いて消火器を見つける。
  怪訝な顔をするヒバリに構わず、ツナはランプの下に手を伸ばした。
「どうせリボーンだから。きっと、都合よくこういうトコに」
「お。チャオっす」
 予想が当たったツナだが、表情は暗い。
「何でオマエはそんなトコにいるんだろうな、マジでさ」
「わかっちゃいねーな。ガキ」
 一歳児が、と、ツナが囁く。リボーンは胸を張った。
「ミステリアスな魅力ってのは、演出があってこそだぜ」
「その顔でミステリアスって言われても」
「ほお。それはオレへの侮辱か?」
「ち、違うよ!」
  突きつけられた銃口に、慌てて後退る。
 背中にヒバリが当たった。ヒバリは、ツナをじいと見つめていた。
 物言いたげな、それでいて冷えた刺を思わせる眼差しだった。
「? ヒバリさん、どうかしました」
「別に」
 カチャ、と、密やかな音と共にトンファーがヒバリの手中に現れる。さらに慌てて、ツナは壁際へと逃げた。その頃には、ヒバリは腰を落とし万全の姿勢で構えていた。
「赤ん坊。僕に口直しをさせてよ」
「今日はヌンチャク持ってねーんだが」
 嬉しげにヒバリの口角が吊り上がる。
 リボーンは、台詞と共に拳銃を取り出していたのだ。
「な、なに考えてんだ!」
 ちょいちょい、と、五メートルほど先の場所にリボーンが歩んでいく。
「オレのとこまで辿り着けたらオマエの勝ち。どうだ?」
「悪くないね。やろう」
「何考えてんですか?!」
  ガァーンと火薬が吼えた。
 思わず目を覆ったツナは、しかし指の隙間に見えたものに愕然とした。
 ヒバリはトンファーで銃弾を跳ね返していた。常人にできるワザではない。
 ありえねーと内心で叫ぶツナをおいて、ヒバリは両手にトンファーを構えたまま突進する。リボーンのニヤリとした笑みは、酷薄な空気を醸していた。
「イノシシは足を狙う」
 懐から二丁目が取り出される。
  両手からの発砲がヒバリの足元を狙った。
 ツナが中止を叫びかけて目を剥いた。ヒバリが、爪先で横壁に飛びついたのだ。
「ウソォ!」
「雲雀って飛ぶんだよ」
 愉悦に濡れた忍び声が聞こえる。
 ダン、ダン、と、力強い蹴音が廊下中に木霊する。
 一歩でかなりの距離を飛び越えていた。壁を駆け上り、最後には電灯へと飛びつく。この間に十発もの銃弾を避けた。リボーンは両手を上下に交差させた。上の拳銃は電灯の淵に齧り付くヒバリの指を、下の拳銃は、着地するだろう足元を狙う。
 無茶だ。ツナは今度こそ目を反らしたい衝動にかられる。ヒバリの背中がそれを許さなかった。
 弾が打ち放たれる。ヒバリが指を離す。
 電灯が甲高い悲鳴をあげて弾けた。
 風紀委員長はトンファーの片割れを手放した。直角に落ちていき、床に突き刺さる。その上に片足で降り立ち、さらにトンファーを踏み台に前方へと飛び出した。銃弾は床板にのめりこむ。リボーンとヒバリの距離は一メートルもない。リボーンはヒバリの額目掛けて撃鉄を引いた。――片腕のトンファーが弾をはじく。
 ヒバリの掌が、リボーンの首を鷲掴みにした。
「そこまで!!」
 ツナは必死に声を張りあげた。
  縺れるように倒れたんだまま、二人は動かない。
 割れた電灯のガラスを踏みつけ、ツナが駆け寄る。ツナの背中はびっしょりと濡れていた。(命がいくつあっても足りない!)と、何度叫んだかわからない言葉を胸中で繰り返す。
「あ……。あの、ホラ。俺、審判ってことで! ここまでですよ! 勝ってもリボーン殺しちゃダメですよ!」
  クッ、と笑う声がした。
「オマエ、オレを殺すのか」
「まさか。今はできるわけないね」
 銃口がヒバリの額に押し付けられていた。
 しかしそれでも両手は首にある。リボーンとヒバリは、互いを覗き込んだままで肩を揺らしていた。異様な光景だ。陰湿にくつくつと笑い、しかし楽しげである。ツナはどぎまぎと二人を見比べた。
 脳裏に漫画的な光景が思い浮かぶ。互いに殴り合って、最後には原っぱに寝転がってワハハと笑いあうような光景だ。格闘漫画や喧嘩漫画によくあるパターンである。
 一方でヒバリは満ち足りた気分だった。壁を走ったりトンファーに飛び降りたりと、無謀な動きをしたせいで筋肉がピリピリと痛んでいた。突きたてた足裏がとくに酷い。彼にとって久しい感覚だ。暴力組織を締め上げた時にもこの感覚は蘇らなかった。
「君、人間じゃないよ……」
  手を離し、ヒバリは腹を抱えた。ツナがぎょっとする。
「オマエも人間離れしてるほうだと思うぞ」
「いえてる」
「って。ヒバリさん、自分でいわないでくださいよ」
 ツッコミも面白かったようだ。上半身を前屈させて笑いつづけている。
(ひ、ひばりさんってこんな笑い方もできるのか)
 呆気に取られるツナの脇で、リボーンが立ち上がった。
「やー。スリリングだぜ。ツナもその内でいいから、こうなれよ」
「いや無理だと思う」
 正直な感想だった。
 ヒバリが顔をあげる。目尻を拭っていた。
「綱吉相手だったら無理だよ。殺す気にならない」
「殺す気だったんですか!」
「お互いさまだ」
 リボーンが振り返る。
 にやっとした笑みはウソをついていなかった。
「あ……っ。あんたら、いつか死ぬぞ!」
「殺せるもンなら殺してみやがれ」
「同感だね。でも赤ん坊、君、わざと首を掴まれただろ」
「そうなの?!」
「教育ってのは飴と鞭だ。たまには負けねえと」
 その内、寝首を掻いちゃうかもよ。その一言に、リボーンは聞こえなかったフリをした。
 ヒバリが目を細める。薄ら寒さに鳥肌をたてるツナには構わず、リボーンは颯爽と窓からでていった。ビアンキの自転車でドライブをするという。
 ツナが踵を返せば、当然のようにヒバリが横についた。
「ヒバリさん。カバンは」
「今日は登校二回目。風紀委員としての仕事があったからね」
「そうですか……」
 上履きをしまい、スニーカーを履く。
 ヒバリは救急車が到着していたことを知った。外には誰もいなかった。夕焼けの、最後の一条が家々の隙間から差し掛かる程度で、辺りは薄闇に包まれかけている。グラウンドを横切る間に会話はなかった。
 校門をでたところで、ヒバリはツナへと声をかける。
「何。じっと見て」
「いえ……。ちょっとだけ、汗かいてますよ」
「そう」すっきりとした声だ。ツナが眉を顰める。
 ヒバリは真っ直ぐにその視線を見返した。数秒でツナが目を反らす。
 そそくさと離れた体を、しかし、腕を掴むことで引きとめた。綱吉と呼びかけるが、少年は振り返らない。風紀委員長は口角を吊り上げた。復讐ができたような気分だった。
(ヒバリさんって、どうしてリボーンとはやたら仲がいいんだろ)
(綱吉は赤ん坊とやけに仲がいいから)
(俺には理解できない。わかってるクセに、二人してすぐにのめり込んじゃうし)
(僕には追いつけないものがあるよ。どうして赤ん坊の居場所がすぐにわかるの)
(ああ言うの見ちゃうとやっぱり、少し寂しくなるよ……)
(疑うわけじゃない。綱吉は僕の傍にいる。……でも寂しくなる)
 ヒバリがツナを見下ろした。ツナもヒバリを見上げる。
 腕を掴む力が強い。ヒバリが、短く訊ねた。
「キスする?」
 沈黙。赤い沈黙だ。
 やがて、ヒバリは腰を屈めた。
 

 

 

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>>第十話のあとがきで書いた、
『リボーンはヒバリさんと男の友情を築いてそうです。ツナとは師弟関係で。で、ツナはツナで、ヒバリはヒバリで、リボーンの立ち位置をちょっと羨ましく思ったり。リボーンは面白がったり二人の行く末を気にかけたり、とか』
な、こんなその後を文字で再現してみようとしました。

>>最後は、訊いた後に「……ちゅっ」で終わらせようかと思っていましたが
結局やめました。恥ずかしいのを厚塗りすることってないです。