快感
『死ぬ気でファミリーに入ってあげる』
両手を頬に添え、少年は常軌を逸した眼差しを向ける。
リボーンに食って掛かっていたツナは、唖然として口をパクパクさせた。
『綱吉は僕の傍にいるんだよね。約束だよ。僕も綱吉から離れないから』
『ヒッ、ヒバヒはん』
下唇を噛まれ、ひぃっと息を呑む。構うこともなく咥内に潜り込んだ。ぐにょりとしたもの。舌だ。歯列をなぞられひくりと眉根が戦慄く。両手は尋常でない力に縛められ、動かすこともできなかった。
(し、死ぬ気弾……っ)
するりと指が服の内側に滑り込む。上半身が肌蹴られたが、その間もひたすらに口付けが続く。
朦朧としたところで鈍い音がした。ヒバリがツナに倒れかかる。後ろで、リボーンが拳銃のグリップを振り回していた。くりくりした瞳には、呆色がある。
『俺の前で盛ってンじゃねー』
上半身を直立に引き起こした。
自分の顔をぺたぺたと触り、制服を確認する。
見回せば、ヒバリがいくらか目を見開いていた。
「あ……。あれ?」
自分の部屋だ。窓ガラスは割れて本棚は倒れ、台風が室内で暴れたかのようになっているが。
じんわりした痛みが後頭部にあった。夢では、ヒバリが殴られていたのだけど。
「ええっと。どうなってるんですか。これは」
「覚えてないの。赤ん坊のヌンチャクに」
「あ。ああ!」
手を叩いた。ヒバリとリボーン、獄寺で、話し合っていたのだった。
ヒバリのファミリー入りを伝えようということになったのだ。
軽井沢から戻って三日。爆発事件で怪我を負っていた獄寺は病院のお世話になっていたのだ。頭に包帯を巻いた獄寺を見ると、彼をすっかり忘れていたツナは少しばかり心が痛んだものだが。
『納得できねえに決まってるじゃないッスか! こいつは十代目を病院送りにしたんスよ?!』
『ああ。そんなこともあったっけ』
『テメッ、もっと深刻ぶれよ! ボスをボコる部下がどこにいるってんだ!』
『煩いなぁ。ボスとか部下とか、群れの一部に組み込むようなこと言わないでくれる』
『ファミリーに入るってのはそーゆーことだろが!』
『僕は一人でやる。赤ん坊もそれでいいってさ』
半ば嵌められたようにファミリー入りが決定したヒバリである。この点に関してはリボーンと示談したのだが、その内容をツナは知らなかった。ヒバリはボディガードという単語を持ち出した。
『ああ? 右腕は譲らねえぞ!』
『馬鹿じゃないの。ボディガードっていったら、全部を守るんだよ』
『誰がバカだ! オレは十代目のお手伝いもしてーんだよ!』
『面倒くさいことは嫌いだ。君も、あんまりキャンキャン言ってると噛み殺すからね』
……話し合いは自然と罵倒の応酬になり、ヒバリと獄寺はそれぞれのエモノを取り出した。ツナはリボーンに助けを求めたが、リボーンはいそいそとヌンチャクを持ち出してきたのだった。
『ヒバリのトンファーに合わせて買ってみた。どうだ、いいだろ』と、満面の笑みで見せびらかす。ずっこけるツナをおいて、ヒバリはすぐさま反応を返した。
『へえ。光栄だね。早速、手合わせ願おうかな』
『おー。いいぜ。香港俳優もびっくりのオレの腕前に腰を抜かせ』
『ちょっ。ちょっと。人の部屋でやめてよ!』
「うー。ものすごく、よく思い出してきた」
交戦を始めたヒバリとリボーン。その間に入って、蛇行したヌンチャクに後頭部を直撃されたのだ。手を伸ばせばタンコブの感触があった。
「それは何より」
ヒバリの手には救急箱があった。鏡を立てて、こめかみに消毒液を吹き付けている。
(そういえば、頭に派手に喰らってたっけ)
実際、リボーンの腕はなぜか一流だった。ヒバリのトンファー捌きも見事なものだが、それとまともに張り合っている。香港映画のワンシーンのようでもあった。吼えたヒバリが脳裏を過ぎる。
『ワオ。さすがだよ、赤ん坊!』
『そっちもいい反射神経してやがるぜ』
二人は楽しんで攻撃と防御を繰り返す。
戦いのなかで何かを確認しあうように。見えないもので、通じ合っているかのようだった。
(特にヒバリさんだ。すごく生き生きしてた)
肉食獣のようにギラつく瞳は、本気で相手を噛み千切ろうとしていた。リボーンだからこそ、ああしたものを真正面から受け止め、尚且つ投げ返すことができるのだろう。ツナにはできないことだ。そう思うと少し息苦しかった。
ツナは、考えるより先に訊ねていた。
「死ぬ気でキスしたかったんですか?」
「はあ? いきなり何言ってるの」
整った顔立ちが、怪訝に歪められる。二秒で後悔していた。
「あははっ。なんでもないです。皆はどうしたんですか!」
「包帯が切れたそうだよ。獄寺隼人くんによると、僕と綱吉は体の構造が違っていて僕は病原体の塊で綱吉はデリケートで繊細でガラスの如く清らかでまっとうでちゃんと手当てしないといけないっていうかテメェは唾でも付けときゃいいだろってことらしいよ。赤ん坊は用事があるって」
淡々と一息でいいのける。ツナがうめいた。
「獄寺君にヤキ入れたりしないで下さいね」
「そう言うと思った」
つまらなさげに明後日を見る。
その眼差しには、悪びれた色がカケラもみられなかった。
ツナは念を押す。退院したばかりの獄寺を、再び病院送りにするのは忍びなかった。
少年はことさらに眉を顰めた。救急箱を床におく。
「あの犬は本当に煩いんだよ。特に綱吉に関して」
「やめて下さいよ。ファミリーだっていうなら、尚更ですからね」
「家族ねえ。で、綱吉はどうしたの。キスしてほしいの?」
「何でそうなるんですかっ」
「さっき、君が言ったんじゃない」
ヒバリの口角があがる。
窓から吹き込んだ北風が二人の前髪をはためかせていた。
ツナはかぶりを振る。その頬は赤く染まっていた。ヒバリが『そういう』目つきをするからだ。むしろ、わかっててやっているのではないかという気がした。そうなると、とてつもなく悔しい。
「き、聞いてみたかったんですけどっ。ヒバリさん、本当にファミリー入りに後悔してませんか?」
少年は目をすぼめた。君がそれを言うのといいたげな眼差しだ。
「言ったからには仕方がないんじゃない。正直に言ってあんまり記憶がないけど」
「ま、まあ……。それは」
「でもいいよ。綱吉がボンゴレの十代目になるなら、僕はついて行くだけだから」
心底からそう思っているような口ぶりだ。ツナは上目遣いに少年を見上げた。
半分ほど疑う気持ちがある。彼の家庭環境を思うと、言うほど楽には海外に行くことができないようにも考えられた。その思考を読んだが如く、ヒバリは鼻で笑ってみせる。
「ヤクザは嫌いなんだよ。今更、組に未練はない」
「本当にいいんですか……?」
「いいよ。大方、同じ裏社会ってことを綱吉は気に病んでるんでしょ」ツナがびくりとした。ヒバリが笑う。嬉しげに。「今の僕を見てよ。堅気になれると思うの。そのことは本当にどうでもいいんだよ」
指が伸びた。ツナの前髪に分け入り、くしゃりと掻き混ぜる。
ヒバリの黒目は何かを訴えるように妖しげな煌きをみせていた。
「黙って国外逃亡なんかしたら、死んでも許さないからね」
「しませんよ……。そんなこと」
嬉しげに目が細められる。背中に腕が回った。
ヒバリの吐息は、やたらと熱く感じられた。風で体が冷えているためだろうか。
「でも、そうだね。ボンゴレがどうしてもイヤならなんとかする。覚えといてよ」
本気の声だ。そして本当にそうしてみせるだろう。ツナの眉尻がさげられる。
「一人なら俺を殺しちゃうんじゃないでしたっけ」
無言で抱きしめをキツくされた。
(不安ならそう言ってくださいってば)
軽井沢で全てを吐き出したためか、ヒバリは少し変わった。ツナとの関係も少し変わった。それは恋人同士さながらの信頼関係だった。ツナは長くため息をついた。その瞳には色濃い逡巡が刻まれている。
「俺だってわからないんです。将来のことなんて、まだ決められないですよ」
髪を撫でる指がある。優しい手つき。
しかし、降ってきたのはどこか拗ねたような声だった。
「綱吉は僕といない可能性もあるって認めちゃうんだ? 別にいいけどね。その時はせめて僕を殺していってね。逆に噛み殺すかもしれないけど、すぐに後を追うから」
「ヒバリさんは……どーして、そういうことをいうんですか」
半眼で睨みつけるツナに、ヒバリはうっすらした苦笑を返す。
ただ、本当だから、とだけ低く囁いた。
「殺すとか殺さないとか、逃げるとか逃げないとか、ヒバリさんは気にしすぎですよ」
「うん。君はそういうことを僕に言うね。怖がりながら」
ギクリとした。勘付かれていないとツナは思っていた。
少しだけ嘲笑うような微笑みがヒバリの口角を彩る。
時折り、彼が多大な脅威に思える。――それは事実だ。ふとした瞬間から、例えば今日のような、リボーンとヒバリが諍いをやらかす時などに恐怖心は顕著になった。人間離れした闘争心と凶暴性に身震いがおこる。軽井沢で、ヒバリが溜め込んでいたものを吐露された時も、
(もしかしたら怖かったのかもしれない)
ヒバリは重い。その特異な育ちも歪みある性格も。それでも、と、ツナは目を閉じた。
見舞いに行ったのが変化のきっかけだっただろうか。いや違う。見舞いに来たのは、ヒバリが先なのだ。
『どうしてるかなと思って』
『俺をボコって、それでもまだ足りないっていうのかよ!!』
(足りなかったんですよね。ヒバリさんは、ただ)
手を伸ばしたかった。伸ばした先で、何を求めていたのかはツナにはわからない。ヒバリにもわからない。三日間が残像となって手足に絡む。最後に叩き付けられた剥き出しの感情を思うと、熱い塊がこみ上げた。
抱きしめ返したい。そこまで心を痛めないで欲しいと思う。
細くも筋張った手を掴んで寄せる。
笑った気配がした。
「ありがとう、綱吉」
慈愛と歓喜に濡れた吐息が額にかかる。
ツ、と、額に唇が触れた。馴れつつある柔らかい感触だ。
上目をあげれば笑んだヒバリがいた。
二の句が継げないツナを、ひょいっと今度は下から覗き込む。
「ところで。これが友情だと思う?」
「え?」
「決定的な一言をいおうとしないからさ。ワザとなの」
「な、なんの話ですか」
「わかるクセに」
嬉しげに微笑まれ、カッとした熱で全身が沸いた。
慌てて目を反らし、ヒバリを遠ざけようと腕を伸ばす。
が、逆に両肩を押されて壁に追い詰められる格好になった。華奢とはいえ、ツナと比べるとヒバリの体格は格段に良い。観念しろと言いたげな、捕食者の眼差しが影のなかで揺らめいていた。
「うあっ、あっ、もう冬ですよ! 早いですね!」
「そうだね。今年の秋はやたらと長かったように思うよ。綱吉のせいで」
「お、俺もヒバリさんに指舐められるわ誘拐されるわですごく長く感じ入りましたですよっ」
背筋を伸ばして振り切ろうとする綱吉。むりやり押し留めるように両手に力が込められたが、そうしながら、少年は何でもないように頷いてみせた。
「色々あったねえ。僕は生まれて初めて祖父以外の人間にしてやられたよ」
荒々しい光が双眼に浮かんだ。
「赤ん坊にはいつか勝ってやる。ああ……。綱吉にも、してやられることが多いね。報復しないと」
しかし、言いながらヒバリは身を翻した。一致しない言動を不思議がる暇はなかった。
ヒバリは忌々しげにドアを睨みつける。
「今とかだよ、今」
「十代目――――っっ」
数秒違いで獄寺が部屋に雪崩れ込んだ。
ベッドのツナに、コンビニ袋をかざしてニカリと笑う。
「気がつかれましたか。ヒバリのバカに何もされませんでした?!」
「獄寺君」
背中からヒョイと姿を現したのは山本だ。
獄寺を見つけてついてきたと言う。ツナはベッドに突っ伏した。
「ふ、二人とも。ありがとう」
いくらか多重の意味をこめたお礼だ。
ヒバリが振り返る。目聡く、その意味を汲み取ったようだった。ツナがハッとする。
「ないもの搾って気遣ってみせたのに。そういう態度しちゃうの」
「風紀委員長……」
山本は、互いを睨み合う二人に眉を顰めて見せた。
「なんっか……。空気が違くないか。そこの間だけ」
「さすが。テメェも鋭い男だぜ」
「リボーン?!」
ツナはぎょっとして身を引いた。
赤子は窓から入ってきたのだ。咄嗟に数分前の出来事を思い返すツナに、リボーンは非情な一言を告げる。
「あれだ。入りづらかった」
ふうっと芝居がかったため息をつく。口角が直角にあがった表情の意味をツナは知っていた。
おもしれー! と、無責任に楽しむときの顔である。くらりとした。
「予感はしてたがな。まったく、オレの良識も嘆いてるぜ。マフィアの後継ぎはどうしてくれるんだ」
「それなら大丈夫だよ。一人までなら女の恋人も承認してあげる」
「なるほど」
「そ、そこで納得するな――っっ」
獄寺と山本が困惑の眼差しを送る。たじろぐツナの、首にグッと腕が巻きついた。
あっと声をあげる獄寺たちと、ツナを挟んで向かい合う。楽しげにヒバリが宣告した。
「空気が違う理由、教えてあげようか」
「あ、あの。俺はまだ普通のっ。体裁だけでも普通の学校生活を送りたいとっ」まごまごと言い募るツナに、ヒバリが顔を寄せる。唖然とする一同の鼓膜が、微かな音を拾い上げた。……ちゅっ。
空気が凍る。ヒバリはしれっと言いのけてみせた。
「こういう関係になったから」
『…………』
瞬間的に殴られた気分だ。
唇は乾いているが、吸い上げられた感触は確かにある。
「ひっ……ひひひひ、ひひばりさ」
幽霊のような声がでた。
「綱吉もいい加減に認めるべきだよ」
にこり、と、ヒバリは平素では考えつかないような微笑を浮かべる。
しかしツナは気が付いていた。
二人きりのときに見せる『そうした』顔は、純粋に恋情を指し示すものであるのだが。人前でそうした顔を見せるときは、複雑に、さまざまなものが混入されているのだ。
耳朶を引いて、ヒバリが囁く。
「僕を愛してるんだろ」
「なっ……」
ツナの体がぶるりと震えた。
悪寒と似ているが、違う。そんな生易しいものではない。くらくらしてきて力が抜けると、ヒバリの腕に首を吊られてしまうので、なんとか自分で立っていなければならなかった。
「丁度いい機会だよ。いつ知らしめようかと思ってたんだ。手をだされたくないからね」
獄寺が青い顔をして後退っている。山本は目を見開いたまま動かない。リボーンは帽子の唾をさげて見なかったことにしている。やることは一つしかないとツナは確信した。
絶え絶えになりつつも息を吸い込む。目一杯に。渾身の力で、吐き出した。
「何この状況――――っっ!!!!!」
今までもどのツッコミよりも魂が込められたものである。
壁がビリビリと振動する。玄関では、驚いた奈々が買い物袋を取りこぼしていた。
季節は回る。しかし、その年のその季節は二度と戻って来ない。あの秋の風も戻りはしない。
思いもしなかった方向へと捩れこんだものだとツナは思う。秋は明けたが、ヒバリとの付き合いは終わらない。とんでもなく長い付き合いになることを、叫びながらも覚悟していた。
どこか、甘美な余韻の伴う覚悟だった。
完
>>あとがき
(反転してください)
最後までのお付き合い、ありがとうございました。
BLストーリーなひばつなをかけて大満足です。20×20原稿用紙100枚分でした。
大幅に長くなっちゃいました。ほんとに、お付き合いくださって嬉しいです。十話目は「ちゅっ」が猛烈に恥ずかしくて削ろうかどうかを真剣に悩みました。ツナの恥ずかしい気分なんだこれはァー! と、結局いれました。やはり恥ずかしいです。全体としては、サイト開設にあたり、半年前に書いてた一話・二話を引っ張り出したためか三話目以降でにわかに毛色がズレたことが気がかりです。
特に軽井沢に移動してからが。これはこれで気に入ってますが、「本番なしでどこまでエロくできるか!」な本作のコンセプトには合わない気もします。お読みになった方の判断に任せますですが少し無念です。
このヒバツナは将来的にハタ迷惑なかっぷるになるんじゃないかと思います。ヒバリは依然として暴れまくってて、たまに間違えてか怒ってかでツナを殴り、しかしツナが逃げないのを再確認しちゃって増長と反省に苦悩したり嬉しく思ったり〜で、ラブーくなってそうな(笑)。リボーンはヒバリさんと男の友情を築いてそうです。ツナとは師弟関係で。で、ツナはツナで、ヒバリはヒバリで、リボーンの立ち位置をちょっと羨ましく思ったり。リボーンは面白がったり二人の行く末を気にかけたり、とか、そんな感じでしょうか。
お読みくださりありがとうございました。
本編共に、少しでも楽しんでいただけたなら、幸いです♪
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