手淫
入学時より異端ぶりが抜きん出ていた。
容貌・存在感、何を取っても他を凌駕している。その凶悪な眼差しに直視されて震え上がらない者はいない。彼のバッグボーンを知るなら尚更だ。少年には教師ですら頭をさげる。
しかしその実、彼を疎んじている人間は多いし、そうしたところを聡い少年は感じ取っている。表沙汰でその意思が表明されることもないので対処のしようがなかった。そうした意思は屈折したかたちで少年本人に伝わっていく。例えば、応接室を風紀委員に寄越してきたり、などである。
傾いたオレンジの光はうっすらと控えめに、窓ガラスから中へと入り込む。秋風が窓ガラスを叩いた。沢田綱吉は、内心で冷や汗を掻きながらオレンジに染まったドアの取っ手を見つめていた。
背中に風紀委員長がくっついていた。
(助けて――!!)
十代目と慕ってくるクラスメイト。
ツナ、と気さくに声をかけてくれる優しき友人。
母親や片思い中の少女、さらには殺し屋を名乗る赤ん坊が脳裏に浮かぶ。
背後の重苦しい存在は泣くことも許してくれそうにない。
「渡してハイさようなら、なんて、できると思ったの?」
何かを含ませたような、意味深長な言葉づかい。吐息の使い方と、喋る上での巧妙なアクセントが風紀委員長をミステリアスな美少年として彩る。黒濡れの立ち姿は美しかったが、けれど彼の場合は、喋るだけで全てが足りていた。そうすると外見や動作は過剰な飾り物となる。余った感覚的な美感は、見るものを倒錯じみた違和感へと引き摺り込んだ。
ツナは目線を落とす。え、と、か細い悲鳴が喉を震わせていた。
「僕はさ。わざわざキミを指定して、書類を持ってこさせるようにしたんだけどねえ」
ツナは風紀委員に頼まれて種類を届にやってきたのだ。
クラスメイトが普段やるように、強引に押し付けられて。あまりにも咄嗟で、策略の匂いなど感じることはできなかった。ツナにしてみれば応接室にヒバリがいたことなど予想外だ。出て行こうとドアに手をかけたら、白い手の平が上から覆い被さってきたことに至っては、微塵も。
「いつぞやは、殴ってくれてありがとうね」
(とんでもない!!)
ぶるぶると頭を振る。嘲笑じみた笑い声が、落とされた。
「謙遜することはない。僕を殴るやつなんざ、何年ぶりかの逸材だよ」
そ、と、扉にかかっていた指先を引き剥がす。
視界から消えていく右手を追って、体が半分だけ翻る。
ツナは風紀委員長のヒバリと向き合う格好になった。かなり、距離が近い。
ヒバリはうっそうとした笑みを見せた。
僅かにツナがみじろぐ。すると、黒目の面積はますます小さくなった。
掴まれた手の平が上へ上へと引っ張られる。ヒバリの手のひらは、見た目は白くほっそりしている。触られているツナは、意外に筋張っていることを知った。トンファーで滅多打ちにするのが得意なのだ。腕の筋力は強いのだろう。
「赤ん坊も素晴らしかったね。僕の打撃を受け止めた」
「リボーンのことですか……?」
「そういうんだ? へえ。もっと彼のこと話してよ」
「えっ」
後退りするが、手が掴まれているため、逃げることができない。
(そんなの無理だよ! マフィアだとか殺し屋だなんて言えないしっ。それにこの人、明らかにヤバいしっ)
腕を引っ張るが、ビクともしない。
「いやなんだ?」
引き返そうとする手のひらを、つまらなさそうに見下ろしている。
「じゃあ、おいおいでいいよ。沢田綱吉くん。僕は、キミのことも、知りたいなぁ……」
「へっ? お、俺ですか?」
「そう」瞳だけが、にんまりと微笑んだ。
「十代目ってなんのこと? キミは、何者なんだい?」
(僕のネットワークをもってしてもわからなかった)
赤ん坊についても、同じだ。さらにはツナと一緒にいる銀髪の少年についても。ヒバリは、珍しく苛立っていたのだ。情報が思うように集まらないなど、彼にとってはめったにないこと。
珍しいことは面白いことでもあったが。
「黙秘しちゃうわけ?」
「…………ッッ」
ぬらり、としたものが指先を伝う。
弾かれたように顔をあげたツナに満足して、ヒバリはニヤリと笑った。
人差し指の第二関節に赤い舌を乗せたまま。「な、何ッ」
指先が震えだしている。面白がったヒバリは、さらに舌を這わせようとしたが、ツナは慌てて腕を引っ込めさせた。ヒバリが腕を掴む力を抜いたからだ。
倒れるように扉に背筋を預けながら、ツナが叫ぶ。
「何、考えてんですか!」
「別に? そうすれば、喋るかなと思って」
「ワケわかんないじゃないかっ!」
顔を真っ赤にして、舐められた部分をしきりに制服にこすりつけドアに手をかける。
今度は止めない。バン! と大きく扉が開かれ、身を翻した少年が逃げ出してゆく。ヒバリは、遠のく足音が完全に消えるまで扉を閉めなかった。
(ワケがわからない、か。僕も少しそう思うかな)
胸中だけでつぶやいて、デスクに戻った。
終
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