殺風景な部屋だ。コンクリートで剥き出しの壁、天井、うらぶれた倉庫の片隅にいる気がする。喉がつまって思考が止まった。
「貸してやる。聞こえなかったか」
 無味乾燥とした声にハッとして、現実に引き戻された。
 猫を思わせる風袋の青年がまじまじと観察眼でもって見下ろしてくる。緊張した。
「あ……。あの。これに?」
「着な」
 耳の上辺りに金属が押しつけられた。銃口の冷たさには血の気が引く。すぐには動かないと見ると、相手は、拳銃を握っていない方を使って、綱吉の体に載ったツナギを引いた。無骨な手つきにますます焦燥感を強めた。
(ど……、どうなってるんだ? 一体?)
「き、着ろっていったって……」
「?」
 スパナは棒付きキャンディを軽く噛む。反動で白棒が上にせり上がった。
「だって……これ……」
 右の手首には手錠がある。
 怯えた眼差しを見つめつつ、スパナはアアと己の猫目を窄めた。
「ウチ、技術者だからね。あんたに暴れられたら迷惑」
「こ、こんな……。お前……一体……、っ!」
「ひとまず言う通りにしなよ」
 コン、と、側頭部をこづかれて息を呑んだ。綱吉はみるみると青褪める。数秒後、強引に首を縦にした。しかし、だぶだぶのツナギは、予想通りに右腕を通したところで詰まる。
「ん。ああ」
 スパナが腰をあげた。
「…………」
 前を横切る影に綱吉は苦い顔をする。
 どうしても、視線は彼が手中にする拳銃に引かれる。囚われたらしいこの状況を脱する手段が何も思いつかなかった。ツナギを腰まで着た中途半端な格好がまた気分を落ち着かなくさせる。
 スパナは鎖を持って帰ってきた。
 右手の手錠につながる鎖だ。
「こっちにしよう。抵抗したら撃つ」
「ひっ?!」
 無造作に歩み寄られて口角が引き攣った。スパナは至近距離に迫って右手を取った。よく見れば、口にはキャンディ棒と一緒に針金状の鍵が咥えてある。
「撃つってば」
 強調されて、綱吉は顔色を失う。
(なんだ……コイツ……?! 殺す気……まだ殺さないとかそういうの?!)
 胸元をたどった銃口は、心臓の真上でピタリと止まる。拳銃をその位置に置いたままでスパナは口から鍵を引き抜いた。カチャカチャと手早く手錠を外す。
「はい。着て」
「……えっ? あ」
 一瞬、意味がわからなかったが、スパナと目が合ったことで慌てて頭を搾った。
 ツナギに両腕を通し終えるとすぐに両手首を捕まれる。
 ガチャンッと両手に錠が下りた。
 金属音は自らの立場に危機感を抱かせる。
 危機感は、頭を麻痺させて思考をにぶくする。事態についていけず、綱吉は愕然として手首を見た。新たな手錠は、鎖の長さが先ほどのものより短い。拘束されている。これでは、両腕を水平に伸ばすことも叶わない。
「…………」
 固唾を呑んだ。
 軽く引くと鎖がピンとする。
「…………」
「…………」
「…………」
 スパナも黙り込む。
 胃袋で蛇がとぐろを巻くようだ。綱吉は青年を上目で窺う。軽く震えているのが伝わってしまうのか――、ボンゴレ十代目として参戦した自分が、こんな目にあっているのが面白いのだろうか?
 瞬間的に色々と考えてしまう。考えた分だけ自分の首を絞める。ぎゅっと目を瞑った。
 だが、スパナはまったく違うことを考えていたようだ。
 あー、と、気だるげに呻いて首を傾げる。
「それで着れたの? あんた」
「え……?」
「だらしない」
「え?」
 だらしなさそうな男に言われた……、というか、こんな場面でそんなことを言われるとは。
 綱吉が呆気に取られて瞳を丸める。
 その一瞬は、技術者と名乗る青年にも突っつけるくらいにスキがあったようだ。
 スッと伸びた指先は楽に綱吉の胸元に潜り込んだ。
「っ?! うわぁああ!!」
 細身の体が跳ねる。驚きでなく恐怖心が故だ。混乱して両腕を閉じ合わせようとした。懐に入った相手の手のひらがごそごそと動く。やがて、
 ジッ。そんな鋭い音がする。
「??!」
 後ろに逃げたために背中は壁にくっついた。スパナは不思議そうな顔で綱吉を見下ろし、綱吉が事態を理解して大人しくなると、一気にツナギのジッパーを引き上げた。
 ジジジッ。見る間に、首元まで締められる。スパナの色白の指は金具をつまんでいる。
「…………ぁ」
 眺めている内に、綱吉は瞳孔を縮めた。脂汗が頬から伝って落ちていく。
 スパナの瞳は研究者としての怪しげな猛りを秘めた。綱吉のあごを抑えると、静かにのぞき込む。何度か角度を変える熱心さを見せた。……瞳の色を見てる? と、綱吉は訝しく思ったが、いやに乾いた呟きに感じた。
「これで着れただろ」
「…………」
 声が出ない。単に頷く。
 眉は苦しげに寄り合った。全身で呼吸して、スパナの指が離れると腰が抜けそうになった。スパナはキャンディ棒を口の端にしてしばし黙る。
「そういうシックな目の色、神秘的でいい」
 水滴を落としたようにスッと呟く。また黙った。その末に呟いた。
「あと小さいボディも。ウチはあんたのでっかい方を見てないけどでもあんたのパワーはウチのモスカを凌駕した。あんたはリトルでパワフルだ」
 綱吉は怪訝な顔を返す。スパナの言うことの意味がよくわからない。
 と、スパナが踵を返した。
 そこに立って、と、あごでしゃくる。傍らにあるモスカに気を取られながらも綱吉は言われた通りの場所に立った。スパナは遠慮無く眺め回してくる。作品を品評する目つきだった。
「Sサイズでもでかいな……」
 手首をぐるりと囲む手錠の感触が気になる。スパナが拳銃を手にしてるのも気になる。この際、ツナギがだぼだぼなのにやたらと興味を示されていることはどうでもよかった。綱吉は辺りをうかがう。どうしよう。