未来よりジャパン





「実験ですか」
「ああ」ジョットからイイ匂いがした。
 日課の日光浴を終えたに違いない。マントを取り払い、ストライプ柄のスリーピース・スーツ姿だ。腰に手をあててドンと薄い胸を突き出している。
「ボンゴレリングで異次元に穴を作ってみよう。きっと可能だぞ」
「破壊計画でしたか」
 デイモン・スペードがしれっと要約する。
 ジョットは、顔色を変えない。
「違う。実験だ」
「悪巧みという訳ですね」
 自分より小柄で腰も細くて、容貌はまるで少女みたいなその男を見下ろす。浅葱色の瞳はまぎれない軽蔑に染まった。
「貴男の突飛な発想には脱帽します。うまくいかないですから、止しておくのが良い」
「モノは試しというのを知らないか?」
「ンーッ」
 鼻でうなり、デイモンは自らの赤いシャツを平手で撫でつける。ズボンは白で、一分前に台所に立ったところだ。
 港には船が少ないのだろう。外は静かなもので異人館への足音がひとつもない。平和そのものだったのだが。
 窓からの光を背負い、腕を組む。
「浅はかさはボンゴレファミリーのプリーモには相応しくないと申し上げているのです。異次元などとよくわからないモノに取り憑かれて、嘆かわしい。恥を知るがいい」
「ああ。反対なんだな? まぁそんな気はしていたよ。デイモン、それじゃまた後で」
「待ちなさい。貴男は監禁の時間だ。つまり私は危険なマネをやめろと言っているのだが?」
「そうは言われても……」
 踵を返したジョットから手首を掴む。
 イスからは脱いだジャケットも取った。肩章がついた派手めの品である。
「いかせませんよ」
「いや……」
「ジョット」当てつけに嘆息する。
 二十代も後半に差掛かり、ぱっつんに切り揃えていた前髪も伸びた。バラバラに、眼にかかる。
「言い訳など無用です。今日はもう家にいるがいい。昼食もすぐできる」
「オレの手は離した方がいいぞ」
「逃げるのですか。見苦しいマネはしたくないなど申し上げていたプリーモはどこへ?!」
「デイモン」
 ジョットが酷く整う眉を寄せる。
 自由なほうの右手を自らの顔面へと差しかけ、広げきった指の五本のスキマからデイモンを見据えている……黄金に輝くような色の眼球だ。
 デイモンが、どきりと瞠目する。
「手遅れになるぞ? ちょうどな、ボンゴレリングをすべて一度にハメてみた。それでピンときてな、やってみた、もう異次元への穴は開けたよ。そろそろ吸われるだろう」
「…………」ジョットの右手には、キラキラ光るリング。大空は首から鎖で下げてある。吸ってしまった息を飲みくだし、赤面した頬を意識して上擦った声で、デイモンが、
「つまり……?」
 呟いた瞬間だった。
 カッ! 異人館の窓すら白くなる。


「たかがボンゴレの異端の分際でよくも! 許しませんよ、沢田綱吉」
 砂利を踏みしめ、長髪の男が迫る。
 仰向けで子どもが倒れていた。腹を手で抑えて何度も呻く。デイモンは、反射的に傍らの肩を握りしめる。
「絶対に手を出してはなりませんよ、ジョット――いえ、プリーモ」
 遠方の茂みに身を潜めていた。
 きつね色の髪のパートナーは俯いている。カスでも搾るように呻く声が。
「わかっている。心配するな」
「そうですか? 本当に? 事故でココにいる以上、あの戦いに手出しする権利はない。時空の崩壊すらありえる愚行となる」
「わかってるぞそんなことは……」
 肩はあがり土ケラを握り、可愛い孫を痛めつけられた怒りがジョットの全身に満ちていた。
 殺意めいた輝きすら、瞳に点る。ふむ。唸ってからデイモンは眼差しを戻す。
 長髪の男は、ヌハヌハと笑っている。
「あっちの赤毛はシモンの子孫と見た……。この世界の私は貴男を完全抹殺したいようだ」
「オマエに、あのような曲芸をできるとは意外だな。髪がワカメのようだぞ。伸びるぞ。おお、そこまでやるかあの外道め!」
「プリーモ。別次元でもアレ私のようなのですが……、あと、あの戦いに手出しする権利は」
「ないんだろ! わかってる!」
 ハラハラしてジョットは茂みに顔を突っ込んでいった。
 と、思い出したように「何だか茄子に似ているな」……「昼食は焼きナスで?」「そうめんと焼き茄子で」と、余計な会話も発生したが、彼は脱力しながら足を崩すに至る。
「ふぅー。エラいぞツナ! これでこそオレが見込んだ男というもの」
「……当然です、これしきの壁を壊せなかったらボンゴレのボスを名乗る資格など。剥奪しかありえません」
「デイモンもそわそわしてたぞ?」
 悪戯っぽく囁いて、ジョットは茂みを出た。
 既にバトルは終わった。沢田綱吉は船で去った。
 島には、激闘の跡を刻んだ荒野のみが残る。両腕をひろげてジョットは眼を細める。
「さァて……。オレもハッピーエンドになれたら素敵なんだがな」
「この後のプランは?」
「ないな。リングに反応がない……」荒野の真ん中へと、歩いていきながら憂鬱に溜め息をつく。
「ボンゴレリングにパラレルワールドを横断する能力が備わっていたとはな。知らなかった。そのスキルは別のヤツの十八番だと思っていたぞ」
「この島、未来では?」
 ざく。ざ――く。荒野を踏みつける足音に変化が生じる。
 ジョットが驚いてふり向いた。
「なんだって?」
「現段階では、この未来にくる可能性があるのではないか……と言うことです」
「なぜだ」黄金色の眼球が面積を広める。
 デイモンは、受けて立ちながらも逆に細く狭く瞳を細めていった。
 沈黙は艶やかだった。語るよりも感じるようになってから、このような空気が二人で得られてから、これほど互いに黙ったのは初めてだ。
「……んッ、ふ」
 風により、荒野の砂が鼻を掠めた。
「ヌフフッ。まさか私の野望がこのようなカタチで表沙汰になるとは。予想外です」
「デイモン」
 ジョットの肌は、どこも、人形のように皺もなく引き締まっているものだったが。悩ましげな深い皺が今は眉間でうねった。
「おまえ。やはり、シチリア島に帰るのか」
「セコーンドは強硬にすぎる。民を過剰に苦しめるのもまた狭量の成すことだと彼は学んでいないのです。私が傍にいれば問題は片づく」
「いつからその気でいた?」
「ボンゴレリングのメンテナンスをして頂いて、すぐに帰るつもりでしたよ」
「おまえ、二年もオレの家にいてよくそんなことが言えるな……」
「それは。貴男が……――ふたりきりで過ごす時間など初めてなもので。出て行けとも言われずに機会を失ったのです」
「…………」
 黄金に、いささか不純物が混じる。
 沢田綱吉が虐げられているのを耐えて見ていたのと、同じような目つきになった。
「オマエはこんな未来がいいのか?」
「……さぁ……。しかし私にもエレナという幼馴染みはいましたよ。昔。男どもの争いに巻き込まれて命を落としましたが」
「初耳だッ」
「貴男に語る話ではなかっ――」
(その……声は……)
 靴の下で砂が動いた。わき起こる、地鳴りめいた言葉にジョットとデイモンが眼を見開く。
 飛び退った後でも砂は動いた。
(プリーモ……いるのか)
「?! これは」
 驚くデイモンにジョットが頷く。
「もう一人のデイモンだろうな。砂となって消えたとみえたが……まだ魂はわずかに残存していたか」
 砂が集まり、さらさらと音を立てながら一人の青年を模っていった。
 水色の髪に、青い色の瞳、フードのついたジャケットコートは褪せた深緑を思わせる色。上半身だけが砂で織られ顔はデイモンと瓜二つ。
(……プリー……モ?)
 青年は、ぼんやりと呻く。
 ジョットとデイモンを眼にしばし黙った。
(……なるほど……。激闘でさらなる穴を空間に空けていたか……)
「ああ。それは、オレの不手際だ。オマエが気に病む必要はない」デイモンには、わかった。
 ジョットと沢田綱吉は同じだ。
「疲れたろう。休むが良い」
 今、ジョットにあるのは同情といたわりだ。
「デイモン・スペード。オマエは……罪深いようだが、一途な思いは立派だった」
「……」
 演技でもなく、心からすらすらと言葉がでてくる……類い稀なる才能だ。
 デイモンが眼の色を変える。地べたのデイモンと、悲しげに眉を寄せるジョットをうかがう。まさか。しかし躊躇わずに彼は語る。
「エレナの件、すまなかった」
「ジョット――貴男は、この問題で謝罪するべきではない。つけ込まれたらどうする」
 張りつめたデイモンが、地べたを睨む。
 地で、まだぼんやりした表情のD・スペードが砂のゆりかごを移ろわせていた。
(もう……謝らなくて……結構だ)
「! デイモン」
(エレナの死に責めを負うべきはボンゴレファミリーという組織……あなた個人ではない。どこへいってもあなたはそこを間違えるのか)
「その通りです! ジョット。あなたは、そこをはき違えるからボスになってはいけなかった」
「!! ……むぅ、何だオマエら」
 突如、結託するデイモンとDにジョットがたじろぐ。珍しく冷や汗も垂れた。
「オマエ達こそ、ボスらしくしろと小言尽くしでオレ個人は無視したじゃないか? オレはこういう人間なんだ」
(ボスの血統として何たる恥……)
「ボスやめさせて正解ですよ本当に。ジョット」
「ふ、ふたりして! ――服や外見はともかくどちらもデイモンではあるようだなっ!」
 デイモンは笑ったが、Dは神妙な反応だ。遠き世界を夢見るように、語りかけた。
(思い出す……私の……私のプリーモは、エレナをなくした私をいたわり、一度たりとも私を責めなくなった。聖人として……恐ろしいまでによくできた男だった……そして強かった。だが、その優しさを無尽蔵に与えられるたび、私は恐ろしくなった。プリーモの優しさがボンゴレファミリーの綻びを招き、何百、何千のエレナを生み出していく……いつかくる、未来が……)
 ジョットがきょとんとなる。デイモンは、小骨でも喉にきたように眉が険しくなる。
 Dの瞳はもはや青を超して藍色に近い。
(プリーモが……来たるその日に……私のように、絶望するなど……ゆるせない。沢田綱吉もゆるせない。しかし私は負けてしまった……私のボンゴレファミリーは私を捨てた……)
 夢想が途切れ、Dもデイモンも眼を疑った。
 今ので事情をすべて理解できたなど、ありえない話だった。ジョットはこのD・スペードは知らない。しかし。
 実際に、ジョットはDの前に跪き、砂に崩れていく肩を抱き起こした。
「ああ、霊体同士だから、触れるようだな。オレもデイモンも異界からの客人だ」一人で納得して、ジョットはDの眼を覗く。水平に起こされた彼は愕然とする。
(何をっ……やめろ、私はもはやあなたと決別した身――触れるなッ)
「あのな」ボスは、芯のある声をしている。
「オレはボンゴレファミリーそのものだ。そのオレがお前を捨てるなどありえない。デイモンは、休息の時間が訪れただけのことだ……」
 なっ。ジョットッ。驚きと叱責が交差するが、次にはジョットも息を呑んだ。
 三人が、上を向く。
 空は白くなった。
 ふわっと。光から出でるのは、漆黒のマントを肩からなびかせる細身の少年だった。重たげな留め具から金糸が垂れる。
 プリーモは、荒野へと両足で着地した。
「うむ」その場のジョットとデイモンに特に動揺もせず、まっすぐD・スペードを見定める。重々しくも軽やかな音で喉が動く。
「迎えにきたぞ、D・スペード」
(……プリーモ……?)
 ジョットの腕のなかから、信じがたそうに眼を丸くしてDが呻く。唇が震えた。
(ば、馬鹿な。こんなバカな!!)
「これよりお前の魂を我がボンゴレリングの内側へ――霧のリングへと納める」
 職務的なセリフを口にしながら、歩み寄る。
 ジョットは、すぐには動かなかったがデイモンが肩に手を置いた。恐る恐ると消えかけのD・スペードをプリーモへと委ねる。
 プリーモはうっすら光っていた。親しい者にみせるようにハニかむ。
「すまないな。タイミングを逃して出づらくなってしまった。お前もワカメみたいに変身しちゃうしちょっと混乱したぞ……」
(ぷ、プリーモか。本物……の)
 Dの上半身が、赤ん坊でも抱っこするようにプリーモの腕にいだかれた。額に顔を近づけ、囁く声でプリーモが告げる。
「思念ではないお前を、待っていた……長かったな。おかえり、デイモン」
「…………」額から、くちづけが離れていくと、Dは発作的に呟いた。ジョット。頬には幾筋もの涙がこぼれていった。
 沈黙が長引いた。魂を交歓させるのに必要な時間だった。
 顔をあげる。そして、立ち呆けているジョットとデイモンにようやく声がかかる。
「帰るのに、手を貸してやろうか?」
 金縛りが解けたジョットが頷いた。
「あ。ああ。頼む。異次元に穴をあけたはいいんだが帰れなくてな……」
「たぶんエネルギー切れだな」
「じ、人外ですか、貴男ら」
「ジョット」
 上半身だけで抱かれるDが、幸せそうに呼びかけて眼を閉じる。
 ほんの一分程でリングの再充電は終わった。プリーモ二人がかりの威力である。


 ぺっと排出されたが、二人ともに着地は軽やかだ。光が音も無く収束して、消える。
「……ふー」
 デイモンが、住み慣れたリビングを見渡した。こめかみには一筋の冷や汗が。
「長々とかかりました。これはもう昼食ではなくて夕食です。長ナスはおひたしにでも、」
「デイモン」
 着地地点に立ったままのジョットが、顔だけをふり向かせていた。
 瞳は、きらきらした色だ。が。デイモンでも見たことがない不安で陰りがつく。
「オマエに『イッテラッシャイ』だとか『オカエリ』を言う気はオレには無いぞ。正直、離れて欲しくはない。このままここにいろ」
「!」口元が引き攣る。
 な、あ、何事かを喉でうめきもしたが、デイモンは結局は言葉でなく手を出した。さらり。勇ましいライオンに初めて素肌で触れた気分がする。
 ジョットの髪は酷く柔らかだった。
「ジョット? 未来に感化されたのですか」
「わからない……だが、ボンゴレリングはあの未来を予測しているようだ。デイモンは否定もしなかったな。オレは困る」
 ここいらで、はっきりさせよう。
 意思が点ると、ジョットの瞳は陰りをすべて取り払って宝石のようになる。
「ファミリーとオレ、どっちを選ぶ?」
「……何ですって」
「ボンゴレのドンたるプリーモか、単なる餓鬼に過ぎないジョットか、この二択でもいい」
 髪に触れた指が、手が、汗を掻き始める。滅多に感情をださないデイモンが狼狽した。
「こんな辺境の島国にきてまで貴男の世話役をこなしている私に、そのような責め苦を課しますか貴男という男は……!」
「口で言って貰いたいものだな」
「くっ」忌々しげに歯噛みするデイモンだが、頬は赤味を差した。キュンときた胸の内を隠せずに喜色を交えて呻く。
「命じるのなら喜んで。ジョットです」
「…………。いいだろう」
「では、恐れながら」
 左側のこめかみから髪を掻上げ、脂汗を掻きつつもデイモンが髪のつけ根へキスを送る。皮膚すれすれのところで囁いた。
「ボス扱いを嫌がるわりに、こういうシーンでは乗り気だ。卑怯とはどのような意味でしょう」
「オマエも喜ぶだろーが」
「仕方ないでしょう。貴男を愛している」
「――、……ん」
 唇へのキスは、さらに仰々しいもので、デイモンは異形の神のつま先にでもキスするように慎重にコトを進めた。たっぷり十分がかかった。
 むしろ時間がかかりすぎて、途中からジョットの胸中はヒマになった。なので。
「オマエがセコーンドの元へ帰って、オレもついてくのはどうだ? 影から見守って場合によっては通りすがりのヒーローになってやるぞ」
「……っ、よ、余韻も何もあったものでないですねッ――それにムチャばかりだ!」
 キス解放後の第一声は、不評だ。結局はその案が採択されるのだが。





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