きりのそら




 水浅葱の流れを目前にしたため少年は睫毛を持ちあげた。男にしては長い睫毛であり、ピンッと反り返ったラインは芸術の域に近づく。少年は精巧にできた美しい子どもだった。
「……なんだ、おまえ」
 その美しさに比例した弦の響きが、寝室に響く。
「僕がこういうことをしても気付かないのかと思ったのですが。そうでもありませんね」
「まだ朝ではないぞ」
 窓の外に目をやり、ひたり、ベッドに寝そべる身の上を覆う男を見上げる。
 水浅葱色の髪をもち、ざんばらに切り乱した髪の前髪だけは平行に切り揃えてある。それに二本ラインの分け目が目を引いたし、後頭部に変な髪の塊がある。
「…………」
 相手が触れてくる気がないのを悟り、少年は嘆息を鼻腔でこぼす。乾いた枕を抱き寄せ、仰向けからうつ伏せに体をなおした。
 麗しい色の眸を目蓋が覆う――、その寸前に男が言った。
「おはようございます」
「…………」
 顔だけをふり向かせば、相変わらず、唇だって触れ合えそうな距離に男の顔がある。
 少年は馴れていた。男社会、それも暗部で生きる身でこの外見が備わっていれば、こういうイヤガラセすれすれのアプローチにも気構えが持てる。大抵は、少年の身の回りが、そういう輩を排除するのだが。
「デイモン。俺はねむい。まだ夜だ」
「直に夜明けです。プリーモ。散歩にでましょう。他のものはまだ寝ています。あなたにだけ、他のものがいないところで話がしたい。わざわざ夜這いをかけてあげたのです、相応の礼儀を払いなさい。ボスでしょう」
「夜這いだというなら、礼儀を求めるのはまったく筋違いだな」
 呆れたように呟いて、ジョットと呼ばれた彼は枕を抱き寄せた。
「いいだろう。どけ」
「ええ」
 こだわりもなく、スペードはベッドを下りた。
 しかし彼は退出はしなかった。ベッドのそばで腕を組んで佇むようになる。既に男は普段の奇抜な格好をやっていた。
 少し汚れて灰色ばんだ寝具の、胸に、手をかけたところでジョットは眉を寄せた。
 出て行かないのか。そういう目で一瞥するも、しかしそれだけで口は動かさなかった。ストライプスーツを履いて、壁掛けのマントに手を伸ばすとスペードが歩み寄った。
「ボンゴレプリーモ。腕を」
「ああ」
 ジョットが細い腕を前に伸ばし、後ろからスペードがマントを肩にかけた。肩に合わせ留め具を結び、初代ボンゴレとしてのジョットの仕上げを手伝った。
 現在、住屋にしているのは都会から離れている古城だ。ニセの名義でGが購入し、主要なボンゴレファミリーは移住を果たしている。抗争の際に、もともとの自宅を爆破されたための緊急処置である。
 森に踏み居るスペードの背中に、ボンゴレプリーモは難しげな視線を送る。
「懲りないやつだ」
「あなたがいつまでも僕を納得させてくれないからです」
「お前の行いは愚かだ。俺に勝てもせず、しかし認めもせず、だが見捨てもせず……、何がしたいんだ?」
 朝露で森はしけっている。頬に当たる空気が冷たい。プリーモにはいい眠気覚ましだった。内心ではまだ寝ていたいし、ねぼけ気味だったからだ。
 だが、寝惚けているが故に、くちびるはべらべらと動いた。元来は寡黙な少年である彼の意見に、スペードが足を止めた。
「お前が俺に楯突いた最初のとき、意外にナイーブな男だと思ったものだ。次に逆らったときには厄介なクジを引いたかもしれないと思った。その次は、コイツは面倒な男だと気付いた。次には、俺の目もあまり信用ならないのかと危ぶんだ。そして、五回目の反抗だ。別のことを思ったんだ。やはり俺の目は正しかったと自信が回復した……」
「プリーモ。何をいっているのですか」
「今日もまた、確信が出来ると思ってな。おまえはお前なりの方法で俺のために働いてくれる。いいぞ、俺が気にくわないなら、」
 前髪を白い指で掻き上げて、ボンゴレプリーモは口角をゆるやかに持ちあげた。
 いかにもな伊達男で、眸には優しい感情が宿っていた。
「いくらでも相手をしてやる。お前がご指名の決闘場はどこだ? 俺が負けることがあったらお前の好きにするがいい。ボンゴレの行く末も、俺の行く末も」
「ジョット」
 切って捨てる調子で、スペードは自分を追い越していくプリーモを睨みつけた。
 憎たらしそうに歯を噛みながらなので声がこもる。プリーモはもうすっかり目が醒めて薄く目で笑っていた。子どもをあやす父親のような態度だ。
「……僕は、あなたを認めないと言っているのです。あなたはボンゴレのボスに相応しくない」
「そうか。そういう向きもあるだろうな」
 隣に並んでくるスペードを見上げ――ジョットは貫禄の割りに背が低いのだ――少年はイタズラっぽく口角を曲げる。
「また、考えが変わった。お前が勝ったのならば抱きしめてやろう。それが望みなんだろう?」
「ふざけるのはいい加減にするんですね。僕の幻術はまた強くなりましたよ」
「俺の守護者に精をだして、ご苦労だな」
「あなたの寝首を掻くためですよ」
「俺の何が欲しいんだ? もう少しわかりやすくやってくれれば俺も相応の礼儀は尽くすよう努力するぞ……」
「僕は、あなたを認めてなどおりません」
 草木を掻き分けて、辿り着いたのは新芽が多い開けたスペースである。
 足元に老木が倒れている。
 マントを裾を揺らし、プリーモは倒木に腰掛けた。足を組んで、右の膝頭にデンと組み手を載せる。余裕に満ちた、ボスらしい身のこなしだった。
「いいぞ。幻術をかけてみろ」
「後悔させて差し上げますよ、ボンゴレプリーモ」
 プリーモが目を閉じたのを見計らい、スペードは彼の膝元に跪いた。
 長い睫毛の先から、その根本にある眼球のなだらかな丘陵をながめる。プリーモは精巧な人形のような外見をしている、細い手足やつややかな爪の表面までを眺めて、まだかと催促を与えられて、呟いた。幻術には集中する時間がいるんです。
「戦闘では一瞬で幻術を編み出しているだろう? お前……」
 もっともなことを指摘して、プリーモは退屈そうに頬杖をつく。気だるげなため息もよく似合う子どもだ。
 それから、それなりの時間をかけてプリーモの全身を観察しつづけたスペードは低くうめいた。名残惜しむような声だった。
「僕は、あなたのような人間は認めない」
「そうだな。まだか?」
 こだわりもなくスペードの言を認めて、プリーモは続きの催促を出す。
 歯をかすかに剥いて悔しげに少年を睨みつけ、しかし口では紳士的に告げた。
「焦らされて精神の集中を乱すなんて、まさかそんなことあなたに限って無いでしょうね? ボンゴレプリーモ!」
「無いな」
 やはりこだわりなく認めて、プリーモは小首を傾げる。ようやく暗闇の中から光が見えた。スペードの幻術だ。
「あなたのこと、認められませんよ。何より嫌いです」
「そうか?」
 最後の発言には、プリーモは少しだけフシギそうな疑問符を付けた。










10.6.5

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>>アニメスペードさんが意外に(ひどい)かっこうよくてつい…!