番外編 夜明けのない館
「会っておかなくていいのか」
封筒を脇にかかえて踵を返したところだった。
リボーンは僅かに顎を引かせて窓の向こうを見下ろした。
感情の読みとれない眼差しで、僕には真意が読み取れなかったが、主語は理解できた。この小さな暗殺者は僕と彼とのあいだにある、か細く頼りない一線に勘付いている。その兆しは以前からあったから動揺はせずに首を振った。
ヒョイと封筒を銀燭に照らす。個室に明かりはなく、開け放たれたカーテンから延びる銀色の胞子がゆいいつの照明だ。
中には一枚の洋紙が入っている。それはボンゴレファミリーにとって邪魔となる人物が羅列されたもので、赤字で印字された人物が僕と千種と犬とのターゲットになる。
「失敗するつもりはありません。すぐ終了を報告できますよ」
「そうか」こだわりもなく言い捨てて、少年の黒目は扉をみやる。出て行け、という意味だ。今度こそ部屋をでて、廊下を少しばかり進んだ。人の話声で、足をとめた。
例えボンゴレファミリーの人間であっても、僕の姿を見られることは好ましくない。
廊下を進む先には黒塗りの大きな扉がある。左右にライフル銃を構えた二人の黒服。眉を顰めたのは、彼らの存在をどう料理しようかと思考を巡らしたからではなく、彼らの語る内容にとっかかりを感じたからだ。彼らは、扉に怯えたような視線を送りながらも密談をしていた。
「……ローネの連中はボンゴレを乗っ取るつもりなんじゃないのか……?」
「馬鹿な。ありえない。あくまでボンゴレが有利なはずだぜ。俺達が向こうを吸収したんだ」
「でもよ、現状をみろ。いまやディーノがボスの右腕じゃないか。経営の指南もしてるって話だし、これじゃまるで、」
「やめろよ。疑心にかられすぎるのはマイナスだ」
苛立ったように頭をふって、片方の男が僕の方へと歩いてくる。
例え目の前を歩かれても気が付かれない自信はあった。壁に身を寄せ、幽霊のように呼吸をするだけで、たいがいの人間は僕の存在がわからなくなるのだ。
「それだけじゃない! ヒバリを知ってるだろ? あいつをただの情報役ってまだ言えるか? 今じゃ平気な顔して獄寺さんたち以上に重要なポスト奪っていきやがる」
「実際、一番よく働くじゃないか。あの人を悪く言うなよ。知られたら殺されるぞ」
「ホラ、そう言う。おかしくないか? 俺たちのボスは沢田――」
「沢田綱吉。それが、君たちの首輪を束ねる男だね」
空気がいっきょに凍てついた。
割り込んだ声は、愉しげに上下に揺れていた。
廊下の先にわだかまる闇から、彼はゆっくりと姿を現した。扉の真上にそえられた人工の光がヒバリを照らしだし、その肩口に付着した血を赤く光らせる。二人は跳ね上がるほど驚いて、ピシッと両手両足と背筋を引き伸ばした。
夜風を受けて乱れた髪を掻き揚げて、ヒバリは鬱蒼と微笑んだ。
「いいよ、見逃してあげる。綱吉はその扉の向こう?」
……唇の横に返り血があって、文字通りに誰かを噛み殺したあとのように見えた。
血の匂いで興奮するタチとは思っていたが、相当に根深く因果が深い男だ。いつになく上機嫌でいながら、肩を上下に弾ませていて呼吸も荒い。ヒバリの興奮を感じ取ったらしく、男たちは、真っ青な顔をしたままで腰を折った。足元に頭をつけるほどに大げさな仕草だったが、正しい判断だ。
今のヒバリに不用意な態度をとれば殺されるだろう、躊躇いもなく。
「た、ただいま人払いを頼まれています!」
「誰に? こんな夜中に綱吉の部屋にきちゃうんだ?」
自分を棚にあげている。今は、深夜の三時、だ。
恐る恐ると男の一人が告げた。
「……ディーノさんです」
「へえ」面白がるように呟いて、ヒバリが頷いた。
「なるほど。それなら納得だ」クスクスと笑って、扉を白い指先をひっかける。
「僕が入るなら大丈夫。ディーノも、綱吉も歓迎してくれるよ」
「は、はあ」困惑するのにも関わらず、指先が扉を押す。
本当のところは、男たちがいかに拒もうがヒバリを止めることなどできやしない。扉の向こうにはまた道がある。そうしてボスの寝室へと繋がっているのだ。フウと鼻でため息をついた。
(この時刻に会いにいけば、鉢合わせするんじゃないかと思いましたよ)
ボンゴレのボスと、ディーノとヒバリ。彼らの癒着を知るのは、当人たち以外では僕とリボーンだけだ。あの事件から八年が過ぎていた。二度目のため息が即座にこぼれたが、その意味を考える気にもならずに辺りを探った。男たちと、扉を過ぎた向こうに、二つの窓が並んでいた。僕がくぐり抜けるのに充分な大きさがある。
足音は立てずに、
男たちの前を過ぎった。
彼らは不安げにヒバリの背を見つめる。自分たちの後ろを通り過ぎる影があるとは思いもよらないだろう。だろうが、視線を感じた。合わせなくても誰のものだかわかる。
冷ややかで、……挑発の意図が滲んだ殺意に、濡れている。
「最近、思うんだけどね。綱吉が未だに銃を握ろうとしないのは君のせいかな」
は? と、訝しむ声にはクスリと嘲りを返し、言葉を続ける。
「独り言。ちょっとつまらないよ……、血の色も匂いもあの子に似合うのに。そう思わない?」
声はだんだんと小さくなる。窓から見下ろす街並みは、黒く汚れていた。扉を照らす明明した灯火とは対照的で、目を細めた。ヒバリは言う。
「まあ、いいんだけどね」
開いた窓から風が吹き付ける。
少し、失敗だ。ヒバリの問いかけに多少は揺れたのだろうか。
風の音を聞きつけて、男二人が荒っぽい足音をひびかせた。チラと見ればヒバリが後ろ手に扉を閉ざすのが見えた。シャツは血を黒く変色させて、パリパリに乾いていた。
「いつになったら人を殺すのかなぁって、違う楽しみもできたからね」
「誰かいるのか?! ……――首輪? おい、そこの首輪付きの――」
「止まれ!」
闇に体を放り投げれば、鼓膜に響くのは荒狂う風の叫び声だけだ。
無言で佇む街並みを超えた向こうで、青白く光るものがあった。地平線の向こうから朝が訪れているのだ。それでもボンゴレの屋敷は夜のあいだと変わらずに明く灯火を絶やさないのだろう。ここには夜も朝もないのだ。
民家に着地した革靴のすぐ隣に銃弾がめり込む。
封筒をしっかりと抱えなおして、駆け出した。
「逃げるぞっ、撃ち殺せ!!」
(思いませんよ)知らない男の声だけが、僕を追いかけた。
(血に濡れたあなたの姿だけは、きっと、みにくい)
人間に備わっているはずの感性というのが僕は麻痺しているようで、その実、美しいとか醜いとかの情感を覚えることは数少ないのだけど。
懐から取り出したピストルに口づけてから、窓辺でライフルを構える男へ体ごと振り返った。
ヒバリに殺されなかった運の良さに免じて、腕を貫くぐらいで勘弁してあげよう。
綱吉くんなら腕のない部下をクビにすることもないだろうし。どうせ、誰が犯人であるか、すぐに気が付くだろうし。こういうカタチで僕が来訪した証を与えるとは思わなかったけれど。
発砲のまぎわにガチャリと首輪が音をたてた。
この首輪は少し変わった。綱吉くんがボンゴレに就任したときに、ナイフで署名をさせたのだ。
窓辺に崩れる男を確認しながら、首を囲む皮をたぐり寄せて口づけをやった。どうせ今ごろはあの男たちが本人に口づけをおくってやっているんだろう。因果が巡るとはよくいったものだ。
僕は、ろくでもない証拠だけを残して、屋敷をあとにした。
終
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>> あとがき(反転
右腕にディーノさん、左腕にヒバリなボンゴレのボスでした。(本人がでていない!
就任してから半年も経っていないイメージです。
こんな結末もアリかな、という程度にお読みくださいな。
06.3.6
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