墓標に赤いめかくし







番外編  雲雀恭弥





 早朝の学校は静かだ。少年は頬杖をついたままで窓を見つめていた。
 空を見ていたわけでも、グラウンドを見ていたわけでもない。朝日を反射する、その艶めいた光。ガラス板そのものを眺めていたのだ。
 ソファーの上に身を丸めていた。肘置きに肘を置いて、頬杖をつく。
 カーテンはわずかにしか開いていない。陽光は、少年の足元までも及んでいなかった。デスクだけが淡い光をまとって光る。少年は首を振った。
 そして、両手をあげる。
「わかった。今回は退こう。中止を伝えるよ」
 目覚める前から、予感がしていた。異様に勘が鋭い――嗅覚が鋭いことを、彼は幼少から自覚していた。わずかな硝煙を感じていた。
 一メートルも離れていない場所で、銃口を向ける人影があるからだ。
(国内で発砲したことがあるんだね。それも、何度も)
 ニィッと口角を吊り上げる。折り曲げた人差し指の、間接を自らの唇に当てた。
「どうしてわかったの? バレない自信はあったんだけどな」
「バカヤロー。ツナん家の前に立っただけで充分なんだよ」
「へえ。次は、その点に留意しなくちゃね」
 じわり。殺気じみたものが漂った。
 木製のテーブルの上に仁王立ちになったままで、スーツ姿の赤ん坊は拳銃を構える。カチャ、と、金音が聞こえた。少年はますます口角を引き上げる。そうして、見せつけるように、元のように頬杖をついて両足を組ませた。
「ようやく君から挨拶にきてくれて嬉しいよ。君のところの男の子……。綱吉くんも、怪我をしないで済む」
「アイツにはまだ手をだすな。弱ぇーんだから、簡単にやられちまう」
「あれっ。バラしちゃっていいの? そんなこと」
「だから刃物持ったヤツを寄越すんじゃねーよ、バカが」
 氷のように冷えた声音だ。並みの人間ならば震え上がるだけで返事すらできないだろう。少年は、名を雲雀恭弥といった。並盛中学校をしきる並を外れた子供である。
 ヒバリは、頬杖にした手にさらに体重をかけてしなだれかかった。
「なるほど。怒ってるんだ? でも、そうでもしないと君は動かないじゃない。綱吉くんの相手ばっかりしてないで、僕の相手は? 僕は君みたいなヤツが欲しかったんだ」
 赤子は眼差しを鋭くさせる。
 姿こそ小さく非力だが、リボーンと名乗る彼は殺し屋を生業としている。ヒバリは再び人差し指の間接を口にあてた。ぺろりと、舐めてみせる。暗がりに浮かび上がった舌先は、血色がよくて、闇中に血が浮き彫りになったようだった。
「君は僕と同じだ。……外道の匂いが、する」
「冗談じゃねえ。殺すぞ」
 嬉しげに目を細める。
 そうしてから、ヒバリはあっさりと事実を認めた。
「うん。君なら僕を殺せるね。でも、いいのかな。僕が三日以上、家に帰らないようなら、沢田の一族を皆殺しにしろって通達をもうだしちゃったんだけどなぁ」
「チ。テメー、ツナが嫌いか?」
「はは。そうかもしれないね。あれ、マフィアのボスになるんだろ?」
「下調べも徹底してるのか」害虫にでも向けるような、侮蔑の囁きだ。ヒバリは動じた様子もなく鼻を鳴らした。楽しげに口角をあげたままで、背もたれへと体重を預ける。
 最初から、ずっと同じ姿勢だ。リボーンは銃口を外そうとはしない。
(上等だ。ずっと僕は、君みたいな同種の人間が)どろ、としたものが胸を巣食っている。一瞬、それの名前が思い浮かばずにヒバリは沈黙した。数秒のことだ。やがて、少年は両目を笑わせる。(友達として、欲しかった)
 ニコリと破顔するに合わせて、声音も弾んだ。
「赤ん坊、僕に貸しをつくる気は無いの」
「ハァ? ねェーよ」
「ケチなこと言うなよ。遊ぼう」
 呆れたような嘆息をして、リボーンは頭を振った。
「何を期待してんだが。オレはテメーを理解する気なんざねーし、ツナの教育で忙しいんだよ」
(それでいい。理解する気でいてもらっちゃ困る)ヒバリは顎を縦に振った。
「要するに、その教育を手伝ってあげてもいいってコトだよ」
「何……?」リボーンの黒目がパチパチとする。
 ヒバリは再び頷いた。ニッコリとして首を傾げる。
「悪い話じゃないだろ。君は僕を利用するといい。僕は、綱吉を利用するから」
 何度か瞬きを繰り返す。やがて、リボーンは銃口を下げた。ヒバリの爪先から頭頂までを、値踏みの眼差しで何度も何度も往復する。にやにやとしながら、ヒバリは堂々としてそれを受け止めた。
 やがて、赤子は向かいのソファーへと腰掛ける。腕を組んだ。タイミングを見計らったように、ヒバリが喉を鳴らす。
「あの子。男に慣れてるの?」
「――、いいや? んな経験はねェはずだ」
「ふうん。クラスに、好きな子はいるみたいだったけど……」
 黒目がしなる。リボーンもヒバリも、同時に頷いた。
「京子はイイ女だけどな。マフィアにゃ不向きだ」
「同感。無理だね。綱吉くんはさ、フツーの恋愛が通用するなんて思ってること事態が腹立たしいよ。この世界を舐めてもらっちゃ困る」
「ハン」鼻腔を膨らませて、リボーンは長いため息をついた。
 ヒバリを見上げる眼光は鋭い。
 陽光は遠いところに留まっているはずだのに、瞳の上側にギラギラした銀色の光が昇っていた。ヒバリが、思わず息を止めるほどだ。――それでも、反射的に嘲笑を浮かべたが、こうした土壇場での強さこそがヒバリを最強の中学生と言わしめ、並盛町を支配するほどの実力者へと育てたのだ。
 瞬間的な勝負だった。
 赤子が、首を振りかけたところで、ヒバリが言った。
「あの子が、男に慣れるようにしてあげようか」
 眼光が、訝しむように少年を見上げる。当然のように頷いて見せて、ヒバリは腕を伸ばした。デモンストレーションだ。「修行も兼ねればいいさ。悪い話じゃないだろ? 将来的に綱吉には必要になるはずだ。……この世界じゃ、男色なんて珍しいことじゃないもの」
「…………、ヒバリ」
「何かな」
 腕を組み、笑顔を返す。
 リボーンは何事かを言いかけたが、しかし中断させた。
 思案げな眼差しがテーブルに降りる。言葉を交わさないままで三十分が過ぎた。
 ヒバリが紅茶を淹れ、ヒバリだけが飲み干した。応接室の外がにわかに活気付いていた。生徒の登校が始まる時刻なのだ。
 一時間目のチャイムが鳴る頃に、リボーンはソファーを立った。
「なんつー奇遇だかな。それと似た提案、ついこの間、別のヤツから受け取ったぜ」
「へえ」「会ってみるか」
 扉に向かいながら、肩越しに眼差しだけが振り向く。
 もちろん。短く返し、手をふりながらヒバリは再び頬杖をついた。視線を窓辺へ反らすと同時に、扉が閉まる。室内に漂っていた殺気が、スウと音をたてて消えていった。
 会ってみるか――、その言葉は、了承と同意義だ。黒目のうえで光が渦を巻く。
 太陽は位置を変えていて、いまやソファーの足元に齧りついていた。
 しばしの沈黙の末、胸ポケットへ手を入れた。摘み出したのは生徒手帳だ。最後のページはビニールシートの二枚重ねになっていて、メモを挟めるようになっていた。
「…………」資料のひとつとして、撮らせたものだ。隠し撮りということになる。
 銀髪のクラスメイトが、半分だけになって映っていて、沢田綱吉は苦笑を浮かべながら彼の後ろについていた。
 少年がわずかに唇を開く。ごろりと、仰向けに寝転んだ。
「愛と恋なんて愚か者のすることだよ、つなよし」
 光に足を向けていた。ソファーのスプリングは緩くなっていた。いつか、彼をここに連れてくることもあるのだろう。目を閉じていくと、指のあいだから力が抜けて、胸の上に生徒手帳が落ちた。授業にでるのは後回しだ。どっとした疲労感で脳髄が痺れていた。
(嫌いなワケじゃない)ぽつりと。胸中で囁いて、眉を寄せた。
 いったい、何が。思考がモヤに蝕まれかけている。睡魔に身を任せて、少年は、すべての思考を放棄した。
 







 

 

 

 


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>>あとがき(反転
ヒバリさんが参加するに至った経緯。連作が始まるまえから、こんな感じで参戦したんだろうなーというのがありました。見たいーという声にお応えしてみました!
悪役なヒバリさん も、とってもステキと思います。



 06.8.8