番外:群青後

バースデー



「この前のパーティが気に入らなかったからですか?」
 当たり前のような顔でイスを引き寄せて、骸が言った。
 また、髪を伸ばした。一見すると変わらなく見えるが、背中を見せれば襟足だけが肘の下まで伸びたことがわかる。紫煙の色をしたシャツを着て、襟首を立てていた。長い足は漆黒の生地に包まれていて、骸はこれ見よがしに優雅なやり方で足を組んで見せた。
「僕としてはなかなか上手くやったと思うんですけど……」
 両腕に、力を込めた。ベッドから腰が浮き上がりかける。
「あの爆発で何人死んだと思ってる――」右手の人差し指を引鉄にかけている。震わせながら、綱吉はグリップを握りしめた。
「片足なくしたヤツもいる。アンタのすることはいつでも突拍子が無い――」
「何が? 僕がくることが? 僕が、君のお祝いに来ないワケがないでしょうに」
「ああ。そうなんだな。信じられない」
「僕の愛を疑うんですか?」
 じりじりとした眼差しで、綱吉が睨み返す。
「よく、そうやってオレの前にニコニコしながらでてくる気になるよ。骸は。信じられない」
 骸は足を組みなおした。テーブルの上にあったワインを、やはり当たり前のように取り上げる。
「今日も来るとは思いませんでした?」
 感極まったように、綱吉は膝にかかっていた毛布をバサりと払いのけた。銃口を骸へと向ける。叫んだ。
「骸と会わないためにこんな穴倉にいるんだよ?! わかんないのか!」
「まぁ……、そう訊かれると、困りますけど。どう言って欲しいんですか」
「何も言わなくていい――、出ていって! 今すぐ!」
 骸が小首を傾げた。平然としてワインを傾け、吟味するように水面だけを舐め上げる。うん、と、低い声で頷いて見せた。
「さすが。何年ものですか? 君んとこのファミリーも、精一杯に――」
 銃声に遮られて、骸も大人しく言葉を止めた。
 足元の床板が一箇所、ぶち破られた。煙をあげる銃口に、からかうような眼差しを投げる。骸は、くすくすしながら綱吉を値踏みした。
 少年は、ラフな半そでのシャツとハーフパンツを着込んで必死に勇んでいた。
「骸、ここで殺――」
「僕に当てようとしなかったのは良い判断ですよ。外で、何もしかけてこなかったとお思いで? 君の忠実な部下が、易々と僕を行かせたとお思いではないでしょう」
 ぎくっとして固唾を呑んだ。苦々しく、うめく。
「殺してないんだな?」
「爆弾抱えたまま就寝しましたがね」
 反応を楽しむように目を細め、室内を見回す。
 こざっぱりした地下室だ。広さは申し分なく、家具を最小限に抑えている。骸が入ってきたときに、綱吉が眠っていたベッドが最も大きい家具だった。オッドアイを細くなった。
「……永遠の眠りになるか、一時の眠りとなるかは、あなたの態度次第といったところでしょうか」
「望みは」
「特には。ハッピーバースデーと言いに来たかっただけですから」
 綱吉が、ぐっと下唇を噛んだ。
 腹立たしげに拳銃をサイドテーブルに放り、ベッドに仰向けに転がってみせる。何をしたのかわからないが、詳しく聞くまでもなかった。せめて、五体満足でいることを祈り――、ボンゴレファミリーの者が六道骸に遭遇した場合、その確立は著しく低くなるが、それでも祈りながら綱吉は唇を尖らせた。
「ここの地下室、時限式の自動ロックって知ってたのか?」
「もちろん。朝まで二人きりですね」
「……タイミングを見越したな」
「どうでしょうね。別に、今日は君の誕生日ですし殺しはしませんよ。まぁ――その日に死ぬというのも悲劇的で面白いですが、でも、まだだ。充分な舞台じゃないですし。何より、君のような人を穴倉で殺すなんて勿体の無いことはしたくない」
 どういう基準だか。うめいて、綱吉が寝返りをうつ。背後から足音がした。
「綱吉くん……? もう寝るんですか」
「アンタも寝たらどーですか」
 投げやりにうめく。
 肩越しに、視線だけを振り返らせると、骸は俄かに微笑んで相貌をゆがめていた。
「食事は?」「そんな気分じゃないです」
 鬱陶しさに腹が立ち、綱吉が乱雑に片手を振った。
 その手首が掴まれた。肌が引き攣るくらいの力が篭もっていた。
「僕にソファーで寝ろと? 閉じ込められた者同士、仲良くしましょうよ」
「自分から入っておいてよく……、っていうか、オレがここにいる原因も――って、わっ、だああ?!」
「ハイ、もうちょっとつまってくれないと」
 ごろごろ、両手で転がされて綱吉が悲鳴をあげた。
 ガン! 程なく、コンクリートでできた壁に顔面を叩きつけていた。骸はわざとらしくも謝罪した。綱吉の襟首を掴み、赤くなった鼻頭を覗き込む。
「もともとちっちゃいのにさらに縮んじゃいますね」
「お、おまえなぁ……」
 くすりと笑って、片膝をベッドに立てる。
 綱吉が四肢を緊張させた。わずかに、後退る。背中を壁に押し付けたまま、下がれなくなったところで顔面を両手で挟まれた。
「っつ!」鼻をぺろりと舐めて、左の目蓋にキス。
「どうですか? 義眼、前のとは違う。変えたんでしょう? わかりますよ僕には――」
「…………っ」ぱしんと顎にかかった指先を撥ね退けて、綱吉は壁へと後退った。骸が、くすくすしながら完全にベッドに乗り上がる。
「そんなに毛を逆立てなくても。僕らの仲じゃないですか」
「く、来るな。ホントに何考えて」
「何を……? 君のことを」
 当たり前のように答え、壁際ににじりよる。
 紫煙色のシャツが目に痛い。綱吉は、首を反らせて自らの後頭部を壁に擦り付けた。それが、骸の眼差しから逃れる唯一の方法に思えた。
(くそっ……、なんで、いつもこんなに思い通りに)
 目尻から熱いものが込み上げそうになる。
「……っ、嫉妬深い男は、嫌われるって……、みんなが」
「ほう。君、僕を嫌いでしょう? なら丁度いいじゃないですか」
 顎をぶつけ合い、それはキスの前の余興だったが、骸は楽しげに口角を吊り上げた。
「かわいい綱吉くん。僕が嫉妬してるといいたいんですか? 君の周囲に?」
「…………」ふい、と、視線を交わす。
 くつくつと笑いながら、角度を変えながら骸は綱吉の唇を味わいだしていた。
「誰からそんなことを聞いたんですか? 綱吉くん、そうやって無闇に人のいうことを信じるのはどうかと思いますがね……、そういう、純朴ぶるところも嫌いだ」
「ッつう」かぷ、と、下唇を食まれて眉間を皺寄せた。
 たっぷりと十分は続いた。唾液が蛍光灯の光を帯びて銀色に光る。唇同士を繋ぎ合わせた、その白銀の線を見つめながら、骸は唇の先だけで低く呟いていた。
「いいんですけどね。君は、今、こうして一人でいるのだから」
「っっ、っふ、っげふ」好き勝手な蹂躙に、頭の芯がクラクラとしていた。綱吉は咳き込みながら骸を見返した。霞んだ視界の中で、ニコリと微笑みが返ってくる。彼は、片手で毛布を引き寄せて、もう片手を綱吉の顔へと伸ばした。ふくりとした唇に親指を押し当て、くいっ。唾液を拭い取る。
 きゅ、と、同じ手で自らの唇も拭うと、毛布を綱吉の首へと巻きつけた。
「…………っ?」
「さて。君がしたいというならしますし、したくないというなら、しない。どうします?」
 一瞬、意味がわからなかった。茶色い瞳が呆然として圧し掛かってくる男を見上げる。蛍光灯の光が遮られて、まるで、黒々とした巨大な闇が自らに圧し掛かっているよう見えた。
「知ってますよ。最近、溜まってるでしょう?」
 物を知り尽くしたような迫力があった。綱吉が奥歯を噛む。
「や、やめて。いらない」
 面白がるように骸が片眉を持ち上げた。
「自分で慰めることはするのに?」
「!」ギョッとして両目を上向かせる。
 その綱吉の反応は、充分に真実を語るものだ。確信を深めたように、骸は口角から歯を覗かせた。
「……どうして」逆に、骸の態度は綱吉にも確信を抱かせた。
 戦慄しながら、片腕で自らの体を抱き寄せる。心臓がどくどくと脈打っていた。罪深い場面を見られたような、奇妙な居心地の悪さで視界が暗くなる。
「僕は、君のことなら大体はわかりますよ……。かわいいですね。本当に。きちんと言いつけを守って、僕以外には触れさせないようにしてる。良い子だ……」
 赤子をあやすように、優しく頭を撫でられて鳥肌が立った。
「や、やめてよ。触るな! きたないっ」
「誉めてあげてるんですよ? 僕の教育が行き届いたと見える」
 ブラウンの毛筋に指がはいる。梳かれる度、ゾゾッとしたもので背筋が焼かれた。悲鳴もでそうになかった。
(さ、最悪の誕生日……。こ、んな、こんなのって)それでも。綱吉は両目を強く結び合わせた。骸以外の誰にも触れさせないよう細心の注意をすること、それはファミリーを守ることにも繋がっていた。不用意に、例えば肩についたホコリを取っただけの男でも、そうとわかったとたんに骸は報復を試みる。イタリアに来てからすぐに、綱吉はその事実を我が身に叩き込まれていた。
 ぎゅううう、と、首に絡んだ毛布が徐々に圧力を増した。
 苦しさに顎を上向けると、待っていたとばかりに骸が唇に吸い付いた。口角を労うように舐め擦る。
「僕の綱吉くん。かわいい」
 怯えたブラウンの両目に、うっとりとしながら腕に力を込めつづける。
「アッ……、ぅっ」ぎし、と、さらなる圧力が重なると、視界のフチが白くなっていった。
 肩を押されると、綱吉の体はずるずるとベッドの上に横倒しになった。速やかな手つきで、探るように身体中を撫で回される。掠れた意識の中、綱吉は今度こそ悲鳴をあげていた。
「スキですよ。愛しい。浅はかですけどね」
 ぱちん。音をたてて、袖口に隠してあったカッターナイフが外された。ベルトの裏側からカミソリを取り除いて、シャツの下に巻きつけていたナイフも抜き取られた。
(やばいっ、全部――)
「僕も馬鹿ではありませんからね」
 最後に、骸が下着の中にまで腕を突っ込ませた。
 びくりとして背筋が跳ねる。ああ、と、骸は冷やかすように目を細めて双丘を鷲掴みにした。
「失礼。君には、こういう発想はありませんでしたね」
「っつ、あ、ど、どこ握ってぇっ」
「穴があるなら隠せるでしょう。常識だ」
 こだわるでもなく、手を引かせると骸は邪に眉を寄せて見せた。一まとめにした武器類を、部屋の隅へ放り投げてから自らのシャツに手をかける。
 一番上のボタンを開け放ち、胸まで肌蹴ると、綱吉に首にかけた毛布を取り除いた。
(……どういうつもりだ?)それから。衣類を脱がせるでもなく、装備のなくなった痩身を嬲るでもなく、骸は、ただ綱吉の体の上に体重をかけて自らも横になっていた。
 顔が落ちてきて、顔面にくりくりと擦り付けるように蠢いている。
 薄目で覗きつつも、綱吉は冷や汗を浮かべていた。鼻頭で頬を押されて、まるで恋人同士がやるような意味のない児戯のような――、ひく、と、目尻が戦慄く。尋ねていた。
「や、やらないの……?」
 しばし、沈黙があった。鼻筋に吐息がかかった。
「君が言ったんじゃないですか。やりたいんですか?」
「まさか!」「それなら、そうなんでしょう」
 顔をすり寄せて、オッドアイと数秒だけ視線が重なった。
 綱吉の体が竦み上がる――敵意も殺意もなく、ただ、焦がれたような恋情だけが浮かんでいて、それ以外には静かなだけで、頭の芯が麻痺したような気になる。ゆっくりと視線を外した。そうしたことを許容することも珍しかったが、骸は、薄目をだんだんと閉ざしていった。
「今日は君の誕生日でしょう? 二人だけなら……、僕が、君以外に感じなくて君も僕以外に感じないなら、とりたてて酷くするつもりはありませんよ」
 正面を向き合ったまま、顔をすり寄せたままで喋るので相手の発音での震えまでもが頬骨に伝わった。
「十八歳でしょう? おめでとうございます」
 アンタに祝ってもらっても嬉しくなんかない。
 洩れかけた言葉を、ぐっと堪えて封じ込める。穏やかな声で、骸は感じ入るように綱吉の肩を撫でていた。
「君が生まれてきてくれて、よかった……」
 どくん、どくん、心臓の鼓動が聞こえる。
 人智を外れて、鬼のような振る舞いを続ける彼もまた人の子であると、それを教え込まれているような気になって唇を噛んでいた。
「オレはアンタを許さない。みんなの怨み、絶対に晴らしてやる」
「おや。じゃあ、僕は僕でマフィアへの怨みを晴らしませんと。ねえ、ボンゴレ十代目?」
 するり、指が伸びて綱吉の鼻を摘んだ。
「この状態でキスしてあげましょうか。二十分くらい」
「…………っ」
「生きてたら、また誉めてあげますよ……。くふ、ふふふ」
 ぶんぶんと首を振っていた。もちろん、冗談ですよ。ニッコリと両目をしならせて、骸が触れるだけの口付けをした。密着した肌が、骸の肌と擦れ合う度に、綱吉はその表面が痛くなるような錯覚に見舞われていた。骸の体そのものが狂気の塊のようで、刃のようだった。
 ハッピーバスデー、児戯のような言葉での嬲りが、果ても無く続いていく。その合い間に同じ単語が何度も聞こえてきて、
(呪詛……みたい……)
 今は何時だろう?
 この、10月14日という日が終われば二人だけの空間から開放される。
 骸はそれまでひたすらこの遊びを続けるつもりらしかった。愉しげに、わざと嬲るような言葉を選んで話しかけてくる整った顔面を見上げながら、睡魔と戦い疲労と戦い胸に巣食った痛みと戦いつづける。全身を包む虚脱感のなかで、綱吉は首を振った。
「僕が、本当に嫌いなんですか? 君を見てるとそうは思い切れないところが少しだけある……。ねえ、本当はどこまで僕のことを考えてくれて、どこまで嫌ってるんですか」
「しら……な……。も、ねた……。ねたい」
「ダメですよ。綱吉くん。言ってみなさい。僕のことが好きですか?」
「きら……」
「嫌いなのは知ってる。好きなんですか?」
「…………」
「僕だって君が嫌いだ。でも、好きだ。君を見てると胸が裂けるくらいに膨らむものがある。これに、憎しみと名をつけるのも愛と名をつけるのも本当のことをいえば全て僕の気分や感情やら、そうしたものに左右された果てではあると思いませんか? 君も、そろそろわかるはずだ。この感情は反発するだけのものじゃない……、綱吉くん。言ってみて」
 頬を滑った舌に舐め上げられる。
 うつうつとしていた。13日の夜中に骸が侵入して、それから、何時間だろう。扉は15日の朝まで開けないことになっている。
「しら、な……」口角がひくひくとする。
 猛烈に眠い。5時間は尋問されつづけてるだろうかと綱吉はおぼろげに考えた。
「愛してます。怒らないから、言いなさい」
 念仏でも唱えるような声音だ。静かで、抑揚がなくて、どこか疲労めいたものがある。
「愛してるんだ。君だけを。教えて……、知る権利くらいあったっていいじゃないですか」
(む、くろ……)泣き出しそうな、切羽のつまった声で胸が痛くなる。眠気が限界まで迫っていた。意識が、夢の底まで落ちていこうとしている。
 不思議だった。憎らしくて仕方が無くて、彼のせいで亡くしたものも多いはずだのに。なぜだか、胸に沸いた熱いものは同情でもしてしまったように感じられた。
「き、ら……い」
「知ってる。それは知ってるって言ってるじゃないですか」
 頭を抱かれて、ぷつ、と、音がした。頭の中で何かが切れるような。痛みはない。眠気が、ふっと浮き上がって解消された。
「――――」
「…………本当に?」
 疑うような、声。眠りながら、頷いた。
(少し、なら。たぶん。あの日。本当に骸さんを助けたかった。あのまま、右目に殺されていくなんて……、かわいそうで、酷くて、そんな世界しか知らない骸さんがかわいそうで。助けたかったのは本当だった。星を教えてくれた。骸は、マフィアを嫌ってる……し……)
「……僕も」熱っぽい吐息が鼻にかかる。熱に浮かされたような声が、ぽつ、ぽつ、と先を続けていった。綱吉が聞いて理解していることは、最初から期待していないようだった。
「君よりずっと深く。愛してます。大好きです。君をこの世に落とした女に、昨日、君の写真と『六道骸』からの手紙を送った……。君たちマフィアは何もしてあげないようだったから。綱吉くん。ありがとう……、生まれてきてくれて。愛してます」
 やや、沈黙。鼻腔から、規則正しい呼吸があるのを確認したような気配。低い声。
「君に、愛と感謝を。ハッピーバースデー」
 ぬくもりが離れた。次に、唇に触れたものは甘味を帯びていた。ワインを唇に深み、口移しで与えているようだった。一直線に、一番深いところまで落ちていくようだ。綱吉はすでに言葉も聞こえていない。深く寝入りこんでいた。夢の中で、
「……おやすみなさい」
 左目に、濡れたものが触れた。


おわり




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