番外:群青後
『 或る襲撃 』
――つっ君、起きなさい!
そんな声を聞かなくなってから半年が過ぎた。
イタリアで生きるようになって、学校のイスの代わりにボスのふかふかした高級な皮製の背もたれ付きのイスに座るようになった。そんな日々にようやく馴れたはず、だった。
久々に――、胸にくる。
綱吉は、静かに、振り返った獄寺と視線を合わせた。
一同は扉の前で足を止めていた。スキンヘッドの大男が、綱吉の前へと進む。
「ボス。念のため、オレの後ろに」
「ありがとう、バズ。でもいいよ。隼人の後ろにいる」
拳銃を胸元に引き寄せて、綱吉。優秀な家庭教師に支えられてはいたが、その若さと生来の気弱さもあって、彼はボンゴレファミリーの本宅に篭もっていることが多かった。スポーツェアが普段着だった。そろそろ、肩口まで伸びた襟足を切ろうとしている。軽く咳払いをした。
「これ終わったら、飲みにいこう。またヒバリさんが怒るだろうけど、ボーナスだしてあげるよ」
「おお。マジですか、ボス!」
「思ったよりもキツい仕事になっちゃったからね」
バッズローの屋敷は入り組んだ迷路のようになっており、罠さえ張られていた。おまけに、召使たちはマシンガンを装備。ここに来るまでで、十人いたはずの部下は六人に減っていた。
獄寺が、ドアノブにゆっくりと触れる。全員が息を呑む――。ヂャ、と、金属の擦れる音。
蹴破るような勢いで中に飛び込み、綱吉は銃口を振り下ろした!
「バッズロー!! 改心すれば命までは取らない! 今すぐジャッポーネに差し向けた刺客どもを、――っっ?!」
考えていた台詞を叫びかけて、そのまま、言葉尻を失った。
燦燦とした午後の光が降りそそぐ。デスクの後ろに巨大な窓が取り付けられていた。部屋中に飛び散った血痕も、折り重なった人間の山をも、神神しく同じように照らしだす。信じられない思いで、綱吉が唇を震わせた。
「なっ……」
「やっぱり来ましたね」
死体が積みあがっている一角。山に腰かけて、彼は足を組んでいた。
全身が黒尽くめだ。幾重にもベルトが止まったブラックブーツが艶やかな光沢を放つ。赤い右目と青い左目に冷気を灯して、唇だけが微笑んで見せた。
「お久しぶりです。ボンゴレファミリー」
呆然としている一同を眺め、足元の死体を蹴り転がす。仰向けになった男は、上質のスーツをボロ切れのようにされて、両眼から血を流していた。
「どうぞ、バッズローですよ。君の母親を殺そうとした男だ」
ボンゴレファミリー全員が息を呑んだ。
そのバッズローの作戦を防ぐために、少数での突撃という苦渋の策を選択したのだ。作戦、といっても、日本に残したボンゴレ十代目の身内を確保するという脅し目的の作戦ではあったが。
面白がるように、骸が喉をくつくつと言わせる。
「奈々、でしたっけ? いつだったかもはや覚えてませんが、世話になりましたし――それに、何と言っても君を産み落とした女だ。僕とて丁重に扱う気にはなる」
悠々とした態度で、血塗れたファイルを玩具のように左手でパタパタさせていた。少し、汗を掻いた後のようだった。
「ど、……どこからその情報を」
「その様子だと、刺客を殺しにいったのがリボーン先生ですか?」
骸が前髪を掻き揚げる。
このときになって、綱吉は、彼が一切の返り血を浴びていないのに気がついた。ぞっとしながらも、綱吉は眉間を狭くした。
「関係ないだろ。それに、押し付けがましいことを言うな。アンタが母さんのためだけに動くとはオレには思えない」
「おやおや? 僕だけじゃないと思いますよ。水面下で動いているのは」
「その、手にしてるのは何だ!」
惑わすような物言いは無視して、綱吉はファイルを見つめた。
骸が手にしたそれからは、ポタポタと赤いものが滴っていた。
「オレだって大体の行動パターンくらいわかってくるんですよ。骸さん。いつまでもアンタに足を掬われてばっかじゃない!」
「へぇ……?」シニカルに笑い、首を傾げる。けれど綱吉にも自信はある。
退路は、自分たちの背後にあるのだ。骸に逃げ道はないはずだ。一振りで血を払うと、骸は、ファイルを小脇に抱えて立ち上がった。
「依頼ですがね。バッズローファミリーに協力してた人間のリストです。もちろん、僕の名前もありますが……、これをボンゴレに見られるとクビが吹っ飛ぶ人間が山のようにいる」
綱吉は両目を窄めた。部下が数人、息を呑む。
「君達には有益な情報でしょうね。欲しいですか?」
先手を読んだように、骸が唇をめくらせる。きっぱりと、愉悦すら滲ませて言い切った。
「跪いて僕の靴でも舐めてみせればあげてもいいですよ」
「てめぇ……。ボスを侮辱する気か!」
「バズ? やめろ。オレの後ろに」
青褪めて部下を見上げ、だが綱吉は僅かな怒りを込めて告げた。戸惑ったスキンヘッドの男へ、骸が眼差しを向ける。不穏な色があった。
「また側近を変えましたね。よくもまぁコロコロ変えるファミリーだ」
(アンタがすぐに殺すからだろ……!!)胸中だけで吐き捨て、骸を睨みつける。
黒っぽい青色の頭髪。その襟足はまたしても伸びて、胸の下までやってきていた。そのまばらな毛先を睨みながら、ボンゴレがうめく。悪魔のしっぽのようだ、と、片隅で考えていた。
「ここまで手酷くする必要はないんじゃないか!」
メイドや小間使いらしき者までが隅に転がっている。
彼はワザとらしく神妙な顔をした。首を振る。
「いいえ。ありますね。君が来る」
「……オレに見せびらかすために殺しまわったっていいたいの?」
「ええ。ボンゴレ、この亡骸すべてを君に捧げましょう」
彼の言動が理解できないのか、部下が数人、ざわついた。
目を細める。そして、金髪頭のメイドの首を掴んで引き上げた。グラマラスな肢体の胸元に穴が空いていた。だらしなく半開きになった唇を晒すように顎を上向けさせ、骸は躊躇うことなくむしゃぶりついた。
「な」「何だっ?」部下たちが後退り、獄寺が眉を寄せる。
深々と死体とキスをしてみせて、そうしながら女の胸倉を弄る。狂ってるとしか言えない所業に、薄く悲鳴をあげる者まででてきた。
「な……ッ、何してる?!」
「ジャンキーか! 死者へ鞭打つマネはやめろ!」
「ボンゴレファミリーはいいですね。腐ってるくせに、自らの腐敗を否定する。何で君んとこにはそういう人種ばっかり集まるんでしょうか?」
両手と口を血で濡らしながらも、器用に、服には血をつけていない。本人が触れないように気を使っているからだ。綱吉は、キツく奥歯を噛んだ。こんなものは、ただの茶番だ。
「当ててあげましょうか。今、僕はウソを言ったんですけど」
「言うな。わかってるよ。骸みたいなヤツを引き当てたんだから、それだけでオレは運もないし人を見る目もない!」
二人の因縁を詳しく知る者、獄寺だけが眉根を寄せた。ちらりと綱吉を覗き込む。
「逃がさないよ――。骸、ここをアンタの死に場所にしてやる!」
奇行に惑わされることなく二挺の銃口が突きつけられる。ボンゴレ十代目と、獄寺隼人だ。骸の両目がしなる。
「くふっ……。ねえ、綱吉くん。最近、ご無沙汰でしょう?」
メイドのスカートの裾を握り、綱吉を見据えたままで誘うように歯を見せる。
「僕が寝室に行かないから。困ったものですよね、嫉妬深い恋人を持つと……。君はいまだに女の味を知らないでいる。生身の女は許しませんが、そう。死体なら構いませんよ。死姦を教え込むのも、とても愉しそうだ……。特上の美女を殺しましょうか。君に遊ばせてあげるために」
ざわり。完全に、部下たちが動揺していた。
耳を疑うように骸を見、綱吉を見る――、間髪がなかった。
「テメーはいつもいつも……っ、十代目を侮辱か! 果てろォ!!」
「待って、はや――」ダンッ。
オートマチックから射出した弾丸が、死体によって受け止められる。骸が笑みを深める。顔面を袖口で手早く拭うと、獄寺めがけて死体を投げつけていた。その最中で光った金属片に、綱吉は鳥肌をたてた。
死体の、胸。穴が空いたところから、――銃口!
「っ壁に飛ぶか、床に伏せるかしろぉおお!!」
ダダダダダッ。マシンガンが火を噴いた。
「四人!」
鋭く、骸が吼える。
死体を捨てて駆けだし扉をくぐる――、間際に、ブーツのカカトを鳴らした。
「床に寝転がれってことは、踏めって言ってるんですよね?」
サディスティックな笑みを浮かべ、扉の前で伏していた男の首を蹴り上げる。靴先から刃が飛び出す仕掛けになっていた。悲鳴すらない。
深々と首を貫かれ、彼は一瞬で意識を失った。壁際では、二人が蜂の巣になっていた。
「バ、バリーニ! チェルノ、ポルコ!」
悲嘆の叫びを味わうように喜悦で喉を鳴らして、骸はふらりと室外へと消える。綱吉の全身に力が篭もった。また、また逃げられてしまう。
「く……そお!!」
片腕だけを突いて跳ね上がり、銃身を握りしめた。
扉を出る直前、綱吉は振り返って背後の人物に銃口を突きつけた。目を驚かせて、獄寺がたたらを踏んだ。
「十代目……!!」
「来ないで! 来たら骸は絶対に隼人を撃つ!」
絶句している少年を置いて、部屋をでた。
が。そのまま、数歩を歩かない内に綱吉は歩けなくなっていた。
背後から伸びたものに首を掴まれ、後頭部を引っぱられて引き倒される。壁があるはずの場所に、弾力があった。人の体温がする。
「…………!!」
手のひらが顔面に覆い被さっていた。
口を塞ぐ、という表現はいささか生易しい。顎に親指を引っかけ、残りの四本指すべてが鼻の下あたりを鷲掴みにしていた。
上顎と下顎を離すことを封じられ、かといって唸り声をあげることができなかった。彼の手中に落ちたとわかった途端、背筋が凍って全身が石のように硬直した。
「正しい判断ですね、綱吉くん」
耳元で低い声がする。逃げるように、わずかに綱吉が身じろいだ。
「くそ……。おい、バズ。生きてンのかよ!」
獄寺が荒っぽく吐き捨てるのが聞こえる。
(は、はやと……!!)目尻が濡れそうだった。
「しばらくぶりだ。気付いてました? イタリアを二ヶ月くらい留守にしてたんですけど……。君と同じ分だけ、僕もご無沙汰ってわけです」
からかうように、骸が自らの腰を擦り付けてくる。ぞくぞくとして、綱吉が鳥肌をたてた。嫌悪、だけでは言葉が足りない。既に彼らの仲は言葉だけで表現するには足りないほどに入り組んだものになっていた。左目の義眼がごろごろとする。
ギュウ、と、両目を閉じて、綱吉は震えながら腕をあげた。
あの、屋上での決別から半年の月日が流れた。骸と対峙した場面は数え切れないほどにあった。互いに銃口を突きつけあった場面も、数え切れない。
「綱吉くん……。僕の、この世の全てだ。君が」
ギリギリと顔面を締め付けながらの告白で、説得力があると思っているのだろうか?
綱吉は、必死になって鼻での呼吸を続けていた。骸が肩口に自らの顔を埋めている。首筋に、彼の柔らかな頭髪が触れた。
「でも、何でなんでしょうね。いえ、わかってますけど……。でも、……わかってるんですけど。綱吉くん。もっと僕を見て。時々、僕はとても寂しくなるみたいだ」
彼がうめく言葉、その意味を考える余裕は綱吉になかった。
震えながら、銃口を背後へと向けた。薄く、体温の低い唇が耳の真下を撫でる。追いつめられたような、低い、掠れた声。
「何で……、僕らは別々の生き物なんでしょうね」
ダァンッ!! 至近距離での発砲だ。
衝撃で、綱吉は前へと放りだされていた。間を置かずに、窓が割れる音。
「……に、逃げた……?!」
「十代目?!」へたりこんだ綱吉の背後から、獄寺が飛び出してきた。振り返り、綱吉は疲弊しきった瞳を向ける。壁を見つめた。めり込んだ銃弾だけが残っていた。
しばしの放心状態から立ち直ると、綱吉は三人の部下の安否を尋ねた。
「……全滅です。十代目。オレと十代目以外全員」苦々しく、獄寺がうめく。一瞬、呆然とした。その面持ちのままで綱吉は窓を見つめた。割れていて、風が吹き込む。
おわり
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