後日談(企画)
『零に触れる』
2.
綱吉の予想を裏切って、その夜、骸はベッドにやってこなかった。シャワーを浴びた後で外出したのだ。一抹の不安を覚えたので、
「骸さん、まさか、キャルラに報復しに行ったりしてないよね……」
朝食の席、綱吉は尋ねてみることにした。本気で恐ろしかったので自信のない声になった。向かいのテーブルに座っていた彼はトーストを齧る手を止めた。
「キャルラって誰ですか」
「あ?!」
悲鳴には濁音がついた。
そういえば、と、思い返す。骸はあの女性の名前を聞いてはいなかった。
(しまった。やぶへびだ……!)
「え、えーと、大したことじゃない……、あ、ああっ。テレビの人! そういう女優さんいなかった?!」
「…………」骸は頬杖をついた。
さも、疑ってます、という顔で綱吉を睨みつつ食事を再開させる。冷や汗がどっと噴出した。あは、はは、あはは。自分の笑い声が、やたらと乾いて聞こえるのは久々だ。
と、いうわけで、その日も綱吉は心の慰めをサボテンに求めたのだった。
骸は骸で何やら思うことがあるのか、外出が多かった。サボテンを片手に周囲の草原を散歩などしてみるようになって三日が経ったころ、骸は、唐突に綱吉を呼び止めた。
外出帰りで、レインコートを脱ぎながらの質問だった。
それは実に三十二時間ぶりの会話だった。
「隠し事してるんならタダじゃ置きませんよ」
(ひ、久しぶりなのにいきなり脅迫?)
内心だけでツッコミつつ、綱吉は半眼を返した。
外は雨だ。サボテンの様子を身に――必要なら、家の中に仕舞おうと思っていたところだ。
「骸さん、オレと口聞かないんじゃなかったの」
「時間の問題ですよ。僕が君に関することで尻尾を掴めないことなんて有り得ると思いますか?」
「…………は?」
雨のためか、いささか髪が濡れていた。骸は前髪を選り分けつつ、腰に手を当てた格好で綱吉を憎らしげに睨んでいた。
「キャルラっていうのは先日の色ボケ従業員ですね。まあ、……彼女は君より僕の方が好みだそうですけど」
「え。は、話したの?」
骸が頷く。二日前だと彼は悪びれもせずに言った。
「む、骸さん? 最近、何していたんですか」
根本的なところにゾッとして綱吉は尋ねてみた。骸は遠い目をした。雨の降りしきる屋外を見つめる。
「隣近所も当たってみましたが……。僕らの姿すら知らないものばかりだ。君の外出時間から考えるとこの筋が一番有力だったんですけど――、でも、無いなら、僕に気付かれないまま、何らかの移動手段を用いてここまで忍びに来ていることになりますね?」
綱吉はよろめきつつ骸と距離を取った。
「ま、まさか愛人でもいると思ってるんですか?!」
「そうじゃなきゃ何なんですか? このところ、よく外にでてるでしょう。君の靴とかコートとか調べればそれぐらいわかる。それに、先日、女性にやたら積極的であったようでしたけど。君ならあれくらい撥ね退けることは――」
「ひ、一つ聞いていい?!」
綱吉は拳を握った。
「なんですか」骸は腕を組む。威圧的な態度だ。
「……骸さんって、ペットOKな人?」
不可思議そうにオッドアイがパチリと瞬いた。それから、何を言ってるんですかとばかりに歪められる。その反応で充分だ。骸は動植物であっても間に介入することを許さないだろう、そんな予感は綱吉も前々から感じていた。
彼が二の句を告げる前に、扉に飛びついた。
「外は雨ですよ」
「だ、だから行くんだよっ」
「……まさか、今もいるんですか? 君は僕よりもその愛人の方が大事だとでも?」
「だ、大事も何も――、馬鹿なこと言うなよ! 女に色気だすとか、オレが今までそういうことできなかったのは骸さんのせいじゃないか!」
昔から――、正確には、学生時代以来からだ。自分は綱吉の恋人であると言い張り、骸は綱吉に触れるもの全てを排除すると宣言した。
六道骸は平然とした面持ちで頷いた。だから?
とでも言いたげに腕を組む。彼の発した言葉は綱吉の想像を越えていた。
「当たり前すぎるくらい当たり前ですね。それは今でも変わらない。綱吉くん。今、ここで相手を白状するなら殺すのだけは勘弁しましょう。まだ隠す気なら、」トン、と、骸は自らの右側頭部を人差し指で小突いて見せた。
発声はしないまま、骸は銃声の口真似をした。
「こうです」
「なっ……、鬼ですか骸さん!」
「今更ですね」(あああっ、もう、この人ってホントに!!)
ほんとに手に負えないっ。 口の中だけで叫んで、綱吉は扉をノブを回した。雨の中に走り出したと同時、
「綱吉くん!」腕が伸びた。
が、綱吉も伊達にボンゴレ十代目を世襲していない。ばさりっとコートを翻し、骸の顔面目掛けて叩きつけた。っつ、と、彼が足を止めたスキに庭の柵を乗り越えた。
家の裏手にある林に入ってしまえば追跡も楽ではないだろう。
綱吉くん! と、切るように叫ぶ声を背中にして、雨中に突っ込んだ。
(テンちゃんを隠そう。骸さんの様子じゃ見つかったときに逆ギレしかねないしっ。それから勘違いだって教えても手遅れじゃないはず――)にしても、サボテンとの逢瀬がどうして愛人との逢瀬になるのか。
綱吉はズキズキと痛むこめかみを意識しつつ、適当なところで方角を変えた。裏庭に飛び込むまでにはさほど時間はかからなかった、が。
「テンちゃん!」
揚々と声をかけてから、硬直した。
古びたテーブルの上に小鉢はなかった。雨がバシバシと表面を叩くだけだ。なっ、と、うめいてから綱吉はテーブルの下を覗き込んだ。
「ぁっ――――!」テンちゃんと名付けた彼は、横転して真下に転がっていた。風で飛ばされたのか、雨に殴られたのか。膝と両手をつくと、びちゃっと泥がシャツに飛び散った。落ちた衝撃が酷かったのだろう。根本から折れている。恐る恐ると、綱吉は丸みを帯びた上半分に手を伸ばした。が。
チクリとした痛みで震えた。トゲが刺さった。
「…………」ぷつぷつ、連続してトゲが肌を刺した。
サボテンを握りしめつつ、テーブルから這い出たところで呼び声がした。足跡を辿られたようだった。骸は、さすがにギョッとしたようで裏庭の柵を飛び越える前に足を止めた。
「……な、何してんですか? 君……」
珍しく、骸は動揺していた。綱吉が涙目で振り返る。
「む、むくろさん。……テンちゃんが」
「てんちゃん? 愛人の名前ですか? それが」
「いつまで馬鹿なこと言ってンですか! テンちゃんボロボロになっちゃったんだぞ!」
骸が柵を乗り越える。綱吉が握りしめているものを見て眉根を寄せた。我が目を疑うように、そろそろと食み出た緑色の物体に人差し指を向けてみる。
「……サボテン?」
「あ、雨の大馬鹿野郎……っっ」
ぐずぐずとする綱吉を前に、骸が呆然とした。
思考が停止したようなちょっと間の抜けた面持ちをすることは実に珍しく――、綱吉ですら初めて見るのでは、というくらいだったが、生憎、今の彼はそれどころではなかった。サボテンが死んでしまった。
ベッドの上で座り込み、向き合う形だ。カーテンも閉めて、ランプの仄かな明かりがそれぞれの横顔を照らしだしている。疲れた声と共に、骸は綱吉の右腕を引き寄せた。
「愛人じゃないなら愛人じゃないって言えばよかったんですよ。紛らわしい……、本当に」
軽くシャワーを浴びた後だ。綱吉も骸も、バスローブに着替えて首からタオルを下げていた。
「手、開きなさい。いつまで閉じるんですか」
「開けたら……、骸さん、捨てるだろ」
警戒を込めて綱吉がうめく。
骸はしばらく黙り込んだ。
「やっぱり捨てようとしてただろ」
確信を深めて、綱吉は右手にさらなる力を込めた。骸が薄くため息を吐き出す。
「……まるで僕を悪者みたいに言うんですね。手当てしてあげようとしてるんですよ。どう見たって、それ、トゲが刺さってるじゃないですか」
「そういう問題じゃない」
頑なですらある声音で綱吉が告げる。
「骸さんに無視されてる間、オレがどれだけコイツに慰められたと思うんですか。ダメですからね。捨てるっていうなら、開けない」
「綱吉くんって時々ものすごく憎たらしいこと言ってくれますけど……」
そろ、と、左側から髪を掻き揚げるように骸が手を差し入れた。頭部を撫で擦る動きに、綱吉は眉根を寄せる。雨に打たれた直後か、あるいは可愛がっていたものを失ってしまったショック故か、慰めようとする意図をもって触れる指先が心地良かった。
露わにした左耳に唇を寄せると、骸は唾液で濡れた舌先でフチをなぞった。
「それは、要するに僕が相手をしないから寂しかった、ってことでいいんですよね」
「〜〜〜〜っっ」綱吉が赤く腫れたまなこでそっぽを向いた。
「理不尽だよ。何でオレばっかこんな想いして――、勝手に勘違いして勝手に怒ってるばっかじゃん、おまえ。骸さん自分勝手すぎる!」
「はいはいはい、そうですね。今更すぎますけどね」
まるきり棒読みで答えつつ、首筋を舐めて辿る。綱吉はひくりと目尻を戦慄かせた。唇は肩を辿り、腕をなぞって、サボテンを握りしめたままの右手を捕らえた。
「僕の代わりに綱吉くんを慰めたっていうこの塊が……」
「塊っていわないでよ!」
「綱吉くんねえ……。たかが植物ですよ。人ですらない」
骸が不機嫌を眉間で主張した、が、綱吉も負けじと睨み返す。
「そりゃ骸さんは元々他人なんかどうでもいいだろうけど、でもオレはそうじゃない。オレを慰めてくれたって事実は変わらないんです。丁重に扱ってください」
「ほう」声音は平坦だったが、骸の眉間にはますます深い皺ができた。
考えるように、やや仰け反って呟いた。
「ある意味ヘタな人間より厄介ですね。 綱吉くん、人間なら多少警戒するくせに――植物には無防備なんですか? 知り合って数日くらいでしょう?」
「そ、そうだけど……」(知り合って数日? サボテンに?)
段々と話がズレていることには骸も自覚しているらしい。彼は、静かに喉を鳴らした。
「――まあ、もう死んでますから不問にしましょう。この植物がそんなに大事ならいいですよ。墓でも作ればいい。トゲの一本くらい取っておくのもいいでしょうね、遺品代わりに」
「も、燃やしたりしない?」
「……綱吉くんって僕を何だと思ってるんですか?」
憮然として骸が顔をあげる。そこで、ようやく綱吉は右手を開けた。
青年の興味はあっさりとそちらに移る。トゲが手の平中に刺さって血が滲んでいた。いたい、と、小さくうめくと骸は呆れた顔をした。
「そこの床に転がっててください。ベッドシーツにトゲが混じると面倒です」
「あ。待って。皿も持ってきて――、テンちゃん乗せておく」
「・……君の口から僕の名前以外の名前がでると……」
「も・や・す・な・よ!」
オッドアイを半眼にして、骸は小さく頷いた。
「いくら僕でも植物にまで嫉妬しませんよ、くふふふ」
(しそうだからさっきから心配してるんだよ!)
サボテンの亡骸はサイドテーブルに安置された。ピンセット片手に、どこかいそいそと――しているように、綱吉には見えた――、骸がトゲ抜きを始めた。いちいち、痛いですか? とか、これは? とか、聞いてくるので骸は愉しんでいるに違いないと綱吉は確信したが。
一時間ほど後に、ようやく、綱吉は多量にくじられた手の平を抱えつつベッドに倒れこんだ。
「い、ったぁ……っ、サボテンってけっこう刺さるんだね」
「ああいうものを鷲掴みにした上、握りしめるっていう根性が僕にはわかりづらいですがね」
救急箱を戻してきた骸がベッドルームにやってきた。ダブルベッドの中央に寝転んぶ綱吉を見て、オッドアイを細くしならせる。背後からゆっくりとベッドに乗り上げてきた彼の意思は数秒で綱吉にも伝達された。
「今日は疲れましたからね。雨の中、走ったし」
「そうですね。君にコートぶつけられましたし」
綱吉はドキリとして骸を見返す。彼はにこにことしていた。
「ま、まさか、恨みに思ってたりとか――」
「くふ。そこまでセコイ男ではありませんが。しかしね、綱吉くん、さっきから思ってたんですけど、何でサボテンなんかに慰みを求めるんですか? 僕がいるのに」
「だ、だって。喧嘩してたじゃないか」
「そう。いつも折れるクセに、今回はなかなか折れないと思いました。てっきり、別の要因が――浮気とかがあるのかと、だから、考えたんですけど」
「…………」
中央からどこうとした綱吉の足首をしっかりと掴んで、骸が手繰り寄せる。ずるずると引き寄せられながら、バスローブの裾を押さえつけていた。
「骸さん、あの……」上に圧し掛かる青年に、何と言えばいいのか。上手いことを思いつかねば。でなければ、これは、相当しつこく相手を強要される。綱吉は鳥肌をたてていたが、骸はその肌をうっとりとして撫で上げていた。
「すっかり体冷えちゃいましたね。暖めてくださいよ」
「あの――、あ、見られてるしね!」
ハッとして、綱吉はサイドテーブルに安置されてるサボテンを指差した。
骸が指の先を辿る。数秒ほどの沈黙。……ふ、と、小馬鹿にしたような笑みの後で骸は綱吉の体を抱えあげた。枕の上に落とすと、その両手首を捻り挙げる。
「い、っつ!」
「じゃあ見せ付けるとしましょうか」
骸は、ここにきて上機嫌に首を傾げてみせた。
「君が誰のもであるかとか、誰と一緒にいるのかとか、教えることはたっぷりありますね」
「む、骸さん?!」不穏な雲行きに綱吉が悲鳴を飲み込む。くす、と、軽く笑うと共にバスローブに手がかけられた。肩を剥き出しにされた。即座に、カリと歯が立てられる。
「ちょっ……、あっ、ど、どんなマニアックなプレイですか、それ!」
「大丈夫、綱吉くんはいつも通りにするだけです」
腹の上を二つの手の平が這いまわる。綱吉はぞくりとしたものを覚えて唇を引き結んだ。久方ぶりに――、人肌を直に感じる。徐々に弱まる抵抗に気を善くしたのか、はたまた、彼なりの謝意であるのか、盛んに顔中に口付けがあった。眉根を八の字にしながら綱吉が胸中でうめいた。
(骸さん、やっぱ嫉妬してるじゃないかぁっ)
おわり
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企画小説でもありました。
お題は「コメディ」な「天濫・群青・空孵」話