天濫



10.
  死者の記憶は、罪の思い出と似ている。
  死者の思い出から生を振り返れば、すべては一本になって繋がっている。まるで、逃れられない定めに従ったかのように、くっきり、はっきりとした一筋の道のりだ。
(僕は、僕の天分を知ってるはずだ……)訊かせるように、うめいて右目に触れた。
  全身の熱が抜けていく。指先の感覚がゼロに近くなる。
  数日前から引き摺っていた熱が、一気にぶり返して灼熱となる。骸は、思わず右目を撫でたことを恥じたが、信じられない思いで目前の男を見返した。
「何て言いました?」
  秋も中盤を過ぎた。ディーノと共にやってきた男は、骸に言った。
「イタリアに来い。お前の力が必要になった」中肉中背、鉤鼻には大きなホクロが染み付いている。ルッソーニに向けた眼差しが徐々に吊り上げられていく。
「随分勝手ですね。僕を都合のいい手ごまとでも考えて――」
「事実、そうだろう。余計な詮索はするな、どうせサワダがボンゴレに就任するまでだ」
「……初めからそのつもりだったな」
 千種と犬の二人が、近頃、下宿先の人間の悪口を言わなくなったことを思い出しながら、骸は舌打ちをした。言葉がすぐに出ないくらいに動揺した、それに気付くのは、東陶と語られるキャバッローネの苦境に口をだそうとしたときだった。綱吉が、戸惑ったようにルッソーニに尋ねる。
「でも、中学卒業まではウチにいるって話だったじゃないですか」
「事情が変わった。近々、抗争がおきかねん」
  瞬きをした。骸が、奥歯を食んで噛みついたのは綱吉だった。
「待ってください。君は、知ってたんですね? こういうシナリオだって」
 非難めいた物言いに、少年が驚いた顔をした。むしゃくしゃとした思いに追い討ちをかけるようにルッソーニが唇をめくらせる。
「荷物をまとめろ。明日の朝、経つぞ」
 男は、黙り込んでいたディーノへと視線を向けた。
 いつものラフなブルゾン姿で、テーブルを挟んだ骸と綱吉の向かいで胡座を掻く。
「いいんだろ? リボーン」やや疲れたような声音で、ディーノ。
 窓の下で夕日を浴びつつ、赤子は間を挟まずに頷いた。
 赤子を睨み付けたが、綱吉の視線を感じてもいた。何かを、求めるような眼差しだったがその意味を考えたくなかった。やがて、綱吉がしぶしぶとして立ち上がった。
「母さんに言ってくるよ。急な用事ができたとかで、いいよね……」
 時間が止まらない。当たり前のことを思いつつ、しかし、顔をあげた。
「綱吉くん」
(君は。いいんですか。僕が行っても)
 オッドアイと茶色い瞳が交差する。骸には、綱吉を見上げる経験が少なかったし、綱吉にも骸を見下ろす経験は少なかった。二人は、共に怯んだような眼差しをしてみせた。
『いいじゃないですか。欲しいものができるって』
 たった数日前の会話が、ウソのようだと骸は思う。
『骸さんってどこか人間味がないから。こう、元気なときは元気だしテンションあがってるみたいですけど、たまに表情ないし……。ものを欲しがるとか、そんな一面があったほうが人間らしくて、オレも好きですよ』
(……人間らしさ?)
 綱吉が去った後、一人で佇みながら、骸は換気扇を見上げた。ファン、ファン、唸り声が断続的に響く。機械的で、淀んだ音色が、霞みがかって脳裏に響きわたる。
(そんなもの、僕には無い)
(違う、)
 ――、いらない。
(いらない。いらないいらないいらない)
「骸、さん」綱吉は、わずかに瞳を揺るがせた。
  骸が思いのほかに強く見つめたからかもしれなかったが。詰まったような声で、俯いた為に、少年の前髪が彼自身の睫毛に触れた。骸には艶めいた仕草と映る。
「元気でいてくださいね。千種さんたちにもよろしく言ってください」
「――――!」すでに別れを了承した言葉。骸が目を見開く。止めることを期待した――そういうわけでは無かったが、それでも肢体に行き渡るものは裏切られたかのような絶望感だった。綱吉はマフィアにはならないと告白しているのに。
(それでも、ここで僕を行かせて。もう、二度と会わなくなる可能性が在るとわかって。わかってそれを言って――それでも行かせてもいいって言うのか。綱吉くん、君はそうだっていうのか)
 所詮、その程度の存在なのか。波のように強弱をつけて絶望が振れる。
 強く、強く力をこめて拳を作る。もはや憎らしいくらいだった。
「君だけ――」喉の震えを抑えて、俄かに膝が立った。
(僕は、君以外は何もいらないのに!)
 言葉にできなかった。歯がみするあいだに、綱吉が立ち去った。
 つづけて立ち去ったのはディーノとリボーンだった。何事かを相談する二人を、恨みがましい瞳で見送った末に、ルッソーニを振り返った。つまらなさそうに、骸を見つめている。監視であることは明白だ。湧き起こるものは、怒りというだけで済ませるには生易しすぎる感情だった。
「全てが一つの道になるなら。僕にくだされた天命に従うならば!」
「は? なに言ってやがる、てめえ」
 窓の外から、残り香のような夕日が延びる。星空が見たくなる。
 骸が両足を捻り挙げる。幸いにも武器になるものはたくさんあった。リボーンのコレクションの一つを鷲掴み、床板に向けて突き出した。確かに、弾力のあるものを突き刺した。彼は弱々しくも抵抗した。それをねじ伏せて、二撃目を叩き込む。がたっ。背後で、悲鳴のような物音がした。
 骸はゆっくりと振り返った。一息でナイフを引き抜けば、血飛沫があがって彼とのあいだにある全てのものを赤く染め上げる……。血に染まって、拳銃がおちていた。すでに亡骸となった男のものだ。骸は、綱吉を無視したままそれを拾い上げて懐に収めた。
「今、すごい……音。え? …………え?」
「おかえりなさい。本当に、今日でさよならですね」
「何をして……」骸のシャツに飛び散った血痕に、綱吉が呆然とする。
「何を驚いているのですか、ボンゴレ」
 綱吉は蒼白な面持ちでで扉に体重をかけた。瞳孔すらも小さく細めて、信じられないように、オッドアイの少年に眼差しを喰いこませる。まるで、(僕以外の存在はないかのように)
「もっとはやく、こうすれば良かった……」
 仄かな満足感に目を細め、ゆったり、緩やかな手つきで自らの胸元を辿る。
 いつになく高揚していた。いつになく、大きく心臓が動いている。これに名前をつけるなら、恋だと確信しながら骸は綱吉に向かい合う。
「なんで……。ディーノさんとリボーンは?!」
 骸は首を振る。さらに強い眼差しで、綱吉を見つめた。
「僕の名前も、貴方の名前も。二つともわかっているでしょうに。綱吉くん。僕は、こうして血塗れた道にある男なんですよ。そういった天命にある。それと、」
 綱吉が絶句する。骸は口角を吊り上げる。
 血濡れのナイフを手にしたまま歩み寄れば、ビクリとして後退ったが、彼はベッドに足を引っかけて倒れこんだ。ナイフを持った手を伸ばして、骸は綱吉の肩に体重をかけた。
「っ――」恐怖に侵された茶色の瞳を見つめる、骸の眼差しはやさしかった。
 くつくつと肩を揺らし、儚げな手つきで綱吉の前髪へと触れる。綱吉は目蓋をきつく引き合わせた。前髪の一筋を握り、浅く口づけても両目を閉じていた。
「君に」声がくぐもる。綱吉が訝しげに目をあけた。
 至近距離にいる彼と、彼のした行為とに驚くように、さらに目を開けた。
「愛を捧げることもまた、僕の天命にしてみせる」
「なに……。いっ、言っ」
 縮こまったまま、綱吉が喉をしゃくらせる。
 うっとりとしたまま見下ろして、骸が首を伸ばす。額に唇を押し付けた。こうして触れるのは、初めてのことだった。
「約束です。マフィアになってくださいね」
 う、と、慟哭じみた泣き声を諌めるように背中を叩いた。指先が冷える。
 体温に惹かれるように、綱吉の首筋を撫でながら骸は言葉を繋げた。
「僕は僕の道に戻る。僕なりに、君を見つめましょう……」
 ァッ、嗚咽をこぼす顔を両側から抑え付けて、自らの瞳と向き合わせた。
 腹の底から、滾るものがある。冷えているのに、氷のように全身が冷たい自覚はあるのに、全身が心臓になったように激しく脈動して、熱さをも感じていた。
「ああ、貴方の敵になるってことかもしれません。別に、そんな些細なことは構わないでしょうけど。君も。そんなもの……。僕を止める理由にも障壁にもならない。綱吉くん。僕だけを考えなさい。そうでないと、貴方が僕の裏をかくことはできない」
 べろり。生暖かいものを額に這わせてから、骸が身を翻した。
(僕は、ずっと君だけを考えているのだから)
「ゲームみたいなものですよ」
 窓枠に足をかけたところで振り返る。
 ベッドに倒れた上半身を、震える腕で起こしながら綱吉が戦慄している。
 瞳はうつろだった。信じられないのか、認めたくないのか、どちらなのかは見ただけでは判別がつかないが、骸にはどちらでも同じだ。
「こん、な……、ウソだ」
「鬼ごっこです。鬼は貴方。逃げるのは僕」
 自然と、語り口は優しくなった。愉悦の滲んだ語りかけではあったが。
「追いかけてこないと、死人がでるルールですけれどね」
「待っ。何で、こんな――、今のは」
「わからないですか。僕は君を愛することにした。君にも、僕を愛してもらうことにした。また会いましょう。約束、守ってくださいね」
「何、それ。そんなことのために殺して――。なっ、わ、ワケわから、わからなッ、アッ」
 光るものが綱吉の頬を伝う。綱吉くん。構わずに骸が嬉しげに目を細める。
「たのしみにしてます。あなたが、僕だけをずっと考えて追ってきてくれるのを」
 語尾に被さる形で、ドアが蹴り破られた。金髪を振り乱して飛び込んだ彼は、すぐには状況が理解できずに足を止めた。
「何で銃声が――、ルッソーニ?!」
 くすくすとした笑い声が響く中、部下の亡骸に気がつくと愕然とする。
「残念ですがもう時間はないようだ。綱吉くん。これは、最期に僕から――」
 虚空を裂いて、銀糸は一直線に左目を狙った。
「っっぁあぁあああ!!?!」
 ざくん。全員の耳に、突き刺さった濁音と綱吉の咆哮とが届いた。綱吉が仰向けに倒れこむ。四肢を引き攣らせて、左目を庇うようにしながら絶叫を捻りあげた。
「ツナ?!」取り乱して、ディーノが綱吉の腕を鷲掴んだ。
 少年の左目に、深々と、細身のナイフが突き刺さっていた。楽しげにそれを見届け、ベッドの上でもんどりをうつ綱吉を見守った。自らの右目に手が伸びる。強く、抑えつけながら窓の外へと体重を傾けた。右目も、彼自身も強烈な歓喜を味わっていた。
「手向けですよ……! 僕から! 君に!」
 落ちていく感覚。夕闇は消え、星明かり見えた。溢れかえらんばかりの空がある。
 耐え切れずに喉を反らせて哄笑をはじめた。体の底からこみ上げてくる笑いは、その衝動は、闇の底から悪魔が這い上がるようなものに思えた。笑いながら、右目に指を突っ込んだ。
「ははっ、くははははっは、はは!」
「――狂わずに済む道、あったんじゃねえのか」
「そんなものは無かった。最初から!」
 瞳がひっくり返り、『五』の文字を刻む。
 屋根に着地した格好が、そのまま拳銃を構えた格好だった。赤子は帽子の下から、悲しむようなため息をこぼした。
「お前は、死んだ方がいいな」
「クハハッ。貴様は――いつでも超越したフリをするな! なぜだ? 何者でいるつもりだ? 貴様に何がわかる。そんな――っ、そんな、何もかもを知ったふうな口を訊くなァ!」
 両腕を振りかぶったまま跳躍した。赤子が引鉄を引く、空は一面の黒を広げていた。少年たちがそろって見上げたものと同じ夜空ではなく、アンタレスはどこかに行ってしまっていた。




おわり

 

 

 

 




>> もどる

>>天濫あとがき(反転
「一旦はツナ宅に引き取られた骸さんが、自分から離反するようになるまで」
を、書くのが目的だったので、本当はここで完結にするつもりでした。しかしここまでやったら彼らの行く末まで書くべきだろう、というのと、別の話の骸さんに精神的な繋がりを見出したために三部作の一部になりました。
同一世界観のまま、「群青」にバトンタッチです。

UPする直前に衝撃の113話を読んで(笑)
正直、お蔵入りさせようかとも思ったのですがだしてしまいました。
原稿用紙で約104枚でした。お読み頂きありがとうございます!


06/09/17完結