魚の血脈:日常の便り
「あ」
骸は両目をしばたかせた。
目の前で人がパタリと倒れた。
咄嗟のことだったので、当の綱吉にも対処がしきれなかったのだろう。寸でのところで差し出した腕に、上半身を預けてぐったり手足を投げ出している。にわかなざわめきが少年二人を包みこんだ。
「大丈夫です。ただの貧血ですから」
(場所が悪い)眉間をシワ寄せながらも愛想笑いをみせる。
駅前の大交差点を前にしての珍事である。人だかりができれば最後だ。しかし、怒涛の素早さで人が人を呼び巨大な輪っかへと進化していた。顔を青褪めさせ、薄目をあける綱吉には事態が把握しきれていなかった。だいじょうぶか、と、スーツのサラリーマンが綱吉を覗き込んだ。
「う……?」「この子は平気ですから」
綱吉を背中に隠すが、後ろにも人がいる。
女子高生がまじまじと綱吉を眺めた。
携帯電話をとりだし、わずかに赤らめた顔で骸を見つめる。首を左右に振った。
「ほんっとに、大丈夫です。救急車は呼ばなくていい」
特殊な血液が体内にあるので、骸は病院には近寄ったことがない。
どうしたの、たおれたの? 死んだの? と、肥大していく雑踏と声とに顰め面を浮かべつつも骸は綱吉を背負った。信号機の青が点滅している。ダッと走り出して、渡りきったところで肩越しに覗いた。いまだに人の輪がある。後ろのほうの人間は何があったかも把握していなかった。
人をおんぶしたまま歩き回るわけにもいかず、骸はビルの側面に突き出た看板を見上げた。
綱吉が、しっかりと目を開けたのは三十分も後だった。
「どうなったんですか」ボンヤリした声音で、尋ねる。開くだけで焦点がない。
にやりと内心で笑ったが、骸は表面上にはきわめて冷静に綱吉を見下ろしていた。
「日曜にでかけるのは、やっぱりやめた方がいいですね。採血のあとは安静にすべきだ。君は倒れたんですよ、これはわかりますか?」
「それは、なんとか……。ここは?」
骸は、半眼で顎をしゃくった。巨大なテレビが二人の前にあった。
デッキの中には四角い機械。いくつかのボタンと、メーター。テーブルにはジュースが二つと、マイクが二つ。ウタホンとかかれた分厚い冊子が積み上げられてるのを見て、綱吉がうめいた。
「カラオケ」「ご名答」
「人目につかずに滞在できて安価なトコロといったら、ココですよね」
「骸さんって……。こういうとこ、来るんですか」
よろよろと上半身を起こしかけた綱吉だが、骸はにこやかに肩を押した。
骸の膝のうえに再び横たわる。俗にいう膝枕の格好だ。さらにはブラウンの毛筋を指で梳いたり頬を撫でたりと、好きに触るのを繰り返していたのだが、綱吉はやはりボンヤリと骸を見上げた。
「意外って言うか。歌えなさそうなんですけど」
「おやひどい。知識はありますよ、知識は」
「うたえないんだ」
「綱吉くんは?」
「友達とくる」
青い目を細くさせて、指で顎をくすぐった。
綱吉は眉を寄せてその手を払うが、追い払っても追い払っても戻ってくる。
逆に払う手が抑えつけられた。ゆっくりした低音が、尋ねた。
「寝ますか?
いいですよ、待ってますから」
「いや……。俺、今、ねたらけっこう寝そう。おきます……」
「無理はしないでいい。リボーンから聞いてますよ。三度ほど学校で倒れたそうじゃないですか。なんで、僕にそうと言わなかったんですか?」
「だって、言ったら、骸さんつらそうな顔……する。血をとるとき」
額の上を手のひらが滑る。前髪を掻き揚げられて、ブラウンの瞳が露になった。
潤みを帯びて、白みがかった蛍光灯の光を反射していた。青い瞳もわずかに潤んでいた。
「僕は、それで利益を得てる身なんですからいいんですよ……。さあ、寝てください」
「むくろさん」指が伸びて、遊ぶように目蓋をつまんだ。ビクリとゆるい痙攣を伴って綱吉が目を閉じる。顔の造形を確かめるように、指先でつつきながら骸は微笑んだ。
「約束がこうなったのは残念ですけど。三度目の正直って言葉もありますからね」
「むくろ……さ。おれのこと、きにしないで。うたってていいですよ」
「いえいえ。それよりも楽しいもの、目の前にありますから」
綱吉の唇が震えた。眺めるだけではわからない微量な動きだった。
唇に手を当てていたために骸はその動きを感じ取った。
そろそろと、その指を自らの首筋に押し当てる。体温が移るほどの時間は宛てていないので、あるのは自らの体温だけだ。しかし骸は長いため息をついた。
やがて、規則正しい寝息が聞こえてきて、骸はテーブルからジュースを引き寄せた。
先日にした約束がこのような形で潰れるたことを残念に思うのは事実だ、が。
「思いもよらずラッキーとか言っていいんでしょうかねー」
先の一件以来、リボーンは綱吉と骸を二人きりにしようとしない。どこまでバレているのか、恐らく全部バレているのだろうが、骸はしらを通すことを決めていた。今日は、前からの約束であるというので、綱吉も骸と二人で出かけるのを望んだのだ。彼曰く、
『約束をはたすのは男の仁義だ!』と、いうことらしい。
唇をうっすらと吊り上げて愉悦の笑みを浮かべた。見上げたブラウン管には人の悪さがにじみ出たような、とは、骸が思ったとおりの形容であるが、そんな顔が浮かんでいた。
「これでまた一緒にでかける口実ができたわけですね」
さらさらした髪を指でいじる。膝の重みは徐々に薄れていった。
頭の重みに耐え兼ねて、感覚が麻痺していっているのだ。しかし骸はどける様子もなく綱吉の体に触れては撫でて、くすりと目を笑わせた。飽きることなく続けて、二時間ほどしたところで綱吉が意識を取り戻した。血色も戻り、スッキリした顔で「今度こそ買い物に行きましょう!」と宣言する綱吉に、骸は待ってましたとばかりに頷いた。
「そうしたいのはヤマヤマなんですけど、すいません。足が痺れちゃって立てません」
「へっ? あっ?!」
「今回は延期ですねえ」
固まる綱吉に、骸はマイクを差し出した。
「どーぞ。なかなか起きないから、五時間も延長しちゃいました。綱吉くんで存分に歌ってください」
「ええっ?!! ご、ごじかんって。俺だけで?!」
「だって僕は歌ったことないですから。曲もしりません」
朗らかに事実を告げる骸は、ニッコリとして綱吉を見返した。
それから数時間。どっぷりと夜がフケたころに二人は沢田家へと向かった。
夕食に呼ばれた身である骸は途中でケーキを購入した。しかし、喉を潰し、ぜえぜえと苦しげに喋る綱吉を見てリボーンは思い切り眉根を顰めた。
「おまえら……。だから、どこをどう間違ったらそーゆーことになるんだよ!」
僕としてはとてもよい休日でしたと、骸が堂々と言い切るまではあと三分である。
リボーンとの口論になるまでは四分である。声のでない綱吉が、タックルをかけて二人を止めようとするのは四分と三十秒あとである。きっかり五分後に、台所からでてきた奈々が「仲良しねえ」と和んでみせた。ひとまず、三人は揃って黙り込んだ。
おわり
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>>つぶやき(反転
「泳ぐより歩く」から一週間くらいあとです。
これが本当のオマケ話というようないわないような。
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