リングとミリオン:後日談

 

「ある日常」






 それから。
 無事に、中学三年生へと進級して、沢田綱吉は十五歳の誕生日を過ごした。
 綱吉は、大盛校舎の窓辺にて、ぼーっと早咲きの桜を眺める。
 ――三年生も終わりに差し掛かっていようが、相変わらずの、冴えない少年ぶりである。
 けれど異常に冴え渡った数秒間の思い出はあった。
 綱吉は、それを、校舎のそこらに残っているヒビ割れなんぞを目にしたときにふと思い出す。今も、校舎の外壁を確かめてみる。
(……ガイさん、……元気にしてるかなー。はー。なんか、あの頃が懐かしーわな)
「ツナ!」
「うっわ!?」
 後ろから肩を叩かれて、綱吉は危うく窓から落ちそうになる。
 ぎょぎょっとふり向けば、彼は、途中から編入してきた同級生だ。顔見知り程度の仲ではある。
「オマエさー、すっげー先輩の知り合いなんだって? 紹介してくれよ!」
「え。えええっ……!?」
「知ってるー、骸せんぱい!」
 掃除用具を手に、女子は喉を弾ませる。
「マジやばかったよあの人は! オッドアイでー、めちゃ腰細くって足長くってー、そんでカッコイイわけよ!」
「つーか、この学校の伝説じゃん? なんか異様だったよね」
「屋上から飛び降りてからバク転してちょー余裕でグラウンドについたんだって?」
「なんか、消えて現れたりできたって」
「うちの校舎おんぼろにしたのも骸パイセンなんだよなぁ、これが」
「うっわ!! なんだよそれ、人間かよ! なあー、ツナ、紹介しろよ! なんかアクマ召喚できるんだろ?」
「あー、骸先輩がご在籍だった頃は楽しかったのになぁ……」
「てか、ダメツナ! 掃除手伝えよ!」
「ヒエッ!!」
(が、ガイさん、骸は無事に卒業できたんですけど、あれからすっかりウチの大盛中の伝説扱いですよぉ〜〜っっ!?)
 あのとき、学校に戻った骸は本当にすべてにしらを切ってみせたが、翌日からは全校生徒に挨拶されるような現実離れしたムーブメントを巻き起こした。
 一緒にいたはずの綱吉は、本人がぱっとしないからか、存在感の薄さのせいか、こうして骸へのツテをアテにされるぐらいだ。
 ショックを受ける、という反応を通り越して、ちょっと迷惑だった。
 なんだかなー、納得いかないです、……と、綱吉は、ガイかクロームかデイモンか、あのときの人々に思いを馳せたりする。
 そして、帰宅の傍ら、約束どおりに大盛町南スーパーの前に突っ立っていて、コートに両手を入れながら不満を垂れた。
「おっまえさ〜、骸! わざわざこっちを指定すんなよな、ウチから遠いんじゃ! それに毎度おまえ遅いんだよ!」
「そんなに待ちました? どうも、綱吉」
 遅れて現れた少年は、深緑色の新たな高校制服姿で、薄手のチェスターコートをその上から着ている。
 ――真っ青な、空のように澄み渡る色。
 そんな双眸は、いつも通りだ。
 整った顔立ちに、すらりとしたモデル体型、後頭部の房にじぐさぐの分け目。歩いていれば必ず人目を惹く、綱吉の昔っからの幼馴染みにして、
「なにしてたんだよ?」
「生徒会の仕事。書記なんですよね、今」
「おっま!! 一年生!! 高一だろ、まだ!!」
「その筈なんですがねぇ。人の口に戸は立てられぬって言うんでしょうか……」
「嫌味かよっ!?」
「今のどこにイヤミ要素が?」
 にこ、として何気なく距離を詰めて、骸は体で綱吉を押し出すようにしてからかう。
「!! ちょっ…、おいっ……!!」
 手がちょんっと触れるので、綱吉は慌てて小声でツッコミした。
 ごにょごにょしては、あからさまにすぐさま赤面する綱吉なので、骸はいつでもどこでもからかうのが趣味になっている。
「クハハハッ! あれ? 顔が赤いですけど? 綱吉、どうしたんですか?」
「ぐ、偶然をよそおうか、おまえ!」
「えーと。それで、今日の晩ご飯は特売の挽肉にするとしてー、ハンバーグなんて、どうです?」
「……いいんじゃんっ?」
 拗ねて、口は尖らせる。
 今日の帰宅先は、骸が新生活をスタートさせたマンションである。
 先週から、綱吉の母親はイタリアへと旅立った。
 つい、この間――。沢田綱吉の卒業を契機にしようと、前々から骸に相談されていた通りに、綱吉は大人しく話し合いの場をセッティングした。
 その結果がこれだ。沢田奈々は、幼馴染みの男子二人に交際を告白されても、そんなには動揺しなかった。
『それじゃ、骸くんもちゃんとしたウチの息子になるわけね……』
 妙に、感慨深そうに目は涙ぐませた。
『わたしはいいわよ? でもね、父さんはね〜……、息子を欲しがってたから。反対するかもしれないわよ』
 そして実際に、イタリアへと説得の旅に出かけていった。どうなることやら。
(……だから、オレたち、今ちょっと二人暮らしの予行練習って感じなんですよね)
 綱吉は、また、胸に残された彼ら彼女の面影へと語らう。
 ふたりして、買い物袋を引っ提げて帰宅する。
 マンション近くの街道にも、早咲きの桜が見えた。
 桜のつぼみもぽんぽんと色づいている。
「……オレ……、勉強も運動もいまだダメダメで……本当、あの頃とほとんど変わってないのかもしれない」
「なんなんですか、急に」
「いや、でも明らかにちがうんだなー、って思って」
 桜並木を抜けながら、綱吉は、寒空の向こうを探してみる。
 安心して欲しいなって胸中に囁いた。
(今の――、オレには――、…)
 ばたん、どさり、マンションに到着すると鍵を入れて肩でドアを開けて、骸は買物袋をおろしていく。
 そして、相変わらずの背の高さで、沢田綱吉を見下ろした。
 中学生の頃よりも、身長差がさらに広がっていた。
「……明らかに、どう違うんですか?」
「……うん」
 ドアの鍵を自分の手で閉めて、綱吉は頬を火照らせてはテレて――、彼ら彼女や学校の皆、母親などを回想する。
 そして、満面の笑みを向けた。
「今、一緒に笑ってくれるおまえがいる!! こ、コイビト、ってやつな」
「…………!」
 骸が、ぱっと顔を紅潮させて、胸がきゅううん……とでもしたように、変な顔になる。微妙そうな、複雑そうな。
 綱吉も最近、気づいた表情だ。
 さささ、すばやくその顔が近づいてくるので、綱吉は慌ててレジ袋を引っぱりあげた。
「ちょ、や、やめろ、襲うな玄関でっ!?」
「ん? そういう、合図じゃありませんでした? 今の」
 顰めっ面で照れている骸に、綱吉もまっ赤っ赤に耳まで染まってしまう。
 後頭部から湯気を昇らせて、思いっきりに喉を荒らげた。
「ち、ちがう!! 今のは、ちょっとしたっ確認っていうか――、ちょ!! 骸!! お、おまえの頭んなかは下心ばっかってのはもう分かってんだからなーっ!?」
「んなっ!」
 がんっ、と綱吉のように、骸がショックを受ける。
 春を目前にする、彼らのとある一日だ。




 おわり






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