第一章後日・化け物達の午後





「うっわあぁあああああーっ?!」
 両足を地面につけて立っていたところ、突如、右足のサンダルを引っこ抜かれたような衝撃に襲われた。
 為す術もなく空中に打ち上げられ、唖然と正面を見やる。
 六道骸が逆さまに見える――向こうからは綱吉が逆さまだ――、しぴぴぴぴっ!
「ひゃわ……っ?!」
 取りこぼした筈のホースが、目の前に。
 まずは鼻っ面にぶちまけられて、次は胸に下腹部とあがっていく。びしょびしょになった体から、多量の水滴が滴った。
「なっ……!」右足首で一本釣りされた綱吉は、困惑しながらめくれているパジャマの裾を両手で抑える。
「あ、朝っぱらから何なんだお前は――っ?!!」
「お尻がスキだらけなんですもん」
「花壇に水やってただけだろーが?! だあああっ、かけんな!」
「君にはそーゆうカッコが似合いますねえ」
 アネモネの触手から水道ホースを受け取り、骸は自らの手で綱吉の鼻先に水をしぴしぴと注ぎにかかる。
「ぶはっ! ちょ、ちょおおお、ヤメッ……、げほっ、けほけほっ」
「ほーらほらほら。苦しいですね?」
 骸が、片膝を立てながら座っているのはアネモネの球根だ。
 ギザギザの歯が出ている大口が備えついていて、背中から三十本ばかりの触手がうねうねしている。
 本来、沢田家の庭先にそんな魔性が棲んでいる筈もない。骸はニヤニヤしていた。ダボついたズボンを腰パン状態にしてシャツは前をぜんぶ開けてのだらしない格好で、我が物顔で人を食べるモンスターを尻に敷いている。
 顔をびちゃびちゃにしながら、綱吉はこめかみに青筋を浮かべる。
 頬は、赤味が差した。
「おまっ……、毎朝毎朝、いい加減にしろよなぁああああああ!! 変態ぃイイ――っっ!!」
 パジャマのズボンの後ろには、鞭が差し込んである――この頃は護身のために欠かさず携帯しているのだ。
 丘の上の一軒家に、落雷の激しい光が飛び散った。

 

「生き物を焼き殺すなんて君も残酷ですね〜」
「どのクチが言ってンだ?!」
 興醒めですとばかりに早歩きで戻っていく背中を、小走りで綱吉が追いかける。
 片手にはまだ鞭を持っていて、どこまでアタックするかを悩みあぐねていた。植物モンスターを焼き払っても、それを操っていた少年がアネモネを乗り捨てて共通の我が家に戻ってしまうのだから綱吉には問題だ。
 リビングを横切りながら、骸が思いだしたように言う。
「いいんですか、そんな濡れてるとフローリングがぐちゃぐちゃになりますよ。滑って転ぶのは君でしょう」
「おま……っ、どっか遊びに行く予定はないのかッ?!」
 最近の骸は、沢田宅にはいなかった。
 ヒバリは、一応は棲む気でいるのか、夜には帰宅する。骸はなんの断りもなく立てつづけで帰ってこなくなる時期があった。
(油断したな……っ。今日は帰ってきてるとは。別に、でてってくれても構わないのに)
 そもそもは綱吉がヒバリと骸を連れてきたのだが、当の本人の綱吉だって確固たる考えがあった故ではない。リボーンは、許しているみたいだけれど。
(意外だよな。化け物に右目を潰されてるのに……。オレが連れてきたから、この二人は、いいのか?)
 彼らは、空き部屋をすっかり自分の部屋にしてしまった。
 居候だったが家事を手伝うとかは一切ない。勝手気ままな生活だと綱吉には見えた。特に骸だ。今朝のように、邪魔をしてくる。
 綱吉はちょっと怨めしくなって骸を睨んだ。
 向こうは、しらっとしている。
「では一緒に遊びにいきます? イイトコロ、知ってますよ」
「別の人を誘ってください……」
「それがですね〜……」
 と、家に二人きりでいるワケでもない。
 リボーンはいなかったが、ヒバリはとっくに起きだしてリビングテーブルに私物を広げていた。ワイシャツに七分丈のスラックス姿。硬く搾った布を広げ、手元で粘土細工を始めている。
「やっぱりですね〜、ここ数日、ずっと思っていたんですけどぉ。田舎娘は物足りないんですよねえ〜。すぐ従順になってしまうんです、困ったものですよ、純朴なだけでは僕の相手は務まらないというのに」
「……また、喰ったの」
 嫌悪を籠めながら、ヒバリ。
 椅子の足元に置かれたバケツは、黒い粘土入りと赤い粘土入りで二つ。人間のカタチに捏ねている粘土からは目をあげない。
 窓からの日差しが、大きなテーブルの右半分にかかる。
 骸は綱吉の向かいにかけて腕組みして、硬いブーツの底でテーブルのへりを踏んでいた。そのため、椅子はナナメに傾く。
「人聞きが悪いですね。今回は帰してあげましたよ……。干涸らびてましたけど」
「どうせなら不死者に仕立てたら? 無意味すぎる」
「………………っ」
 うららかな日差しを半身で受け止めながら――綱吉は広げた本に上半身ごと突っ伏していた。
 普段着に着替えている。肩がヒクヒクしていた。
「と、ゆーわけです。綱吉く〜ん。僕と遊びません?」
「……まだ死にたくありません!」
 小首を傾げてかわいこぶってみせる少年に、綱吉がツバを飛ばす。青褪めながら叫いた。
「妙な世間話をせんでくださいっ!! レポートかかなくちゃいけないんですっ。リボーンは厳しいんだっ。おじいちゃんも! 邪魔しないでくださいっ!」
「勉強の息抜きも大事ですよ。ねッ?!」
「息抜きで惨殺する気だろお前はぁあああーっ?!」
 と。しゅっ、しゅっ。
 霧吹きのスプレー音だ。ヒトガタを固めるための固定液を吹きつけているのだとはわかるが、綱吉は、ついヒバリを一瞥した。
「僕もオススメしないな。綱吉、そいつの愛は使い捨てだよ」
「ほー? 酷いこといってくれますね」
「じゃ、使い切り? 一回だけ、時間制限付きで機能する爆弾みたいなもんだろ」
 黒い瞳が、気に入らなさそうに人形の右腕を睨め付ける。
「……うん。やっぱ省エネ使用かな。腕はいらない。フードを着せちゃえば人目にはわからないから」
「ふっ。ヒバリの言うことなんか放っておいて、ねえ、綱吉くぅん……」
「ひ、ひいいいいっ?!」
「めくるめく……、甘ぁい時間を僕といっしょに刻みませんか? この世の春が一息で感じられるほどきもちいいですよ?」
「やめろおおおお!!!」
 身を乗りだしてヒソヒソと耳に吹きこまれる裏声に、綱吉が絶叫する。頭の皮まで鳥肌が立ちそうだ。
「綱吉は……」
 と、ヒバリがここで初めて顔をあげた。
「いいワケ? そこのバカは巫女さんを犯し殺してきたばっかなんだけど」
「家に帰してあげたって言ってるじゃないですか」
「ミイラでだろ」
(こ、この化け物どもはっ!)
 一人の少女の不幸は綱吉も理解できてはいる。――制裁をくだせるという自信が欠けているから気付かないフリをしてたのだ。
 後ろに下がった。
 耳に残ってる感触が、本気で気持ち悪かったので無意識で自分の体を抱きしめてしまうが――ほんの一瞬だ。しぶしぶ、ベルトにかけたホルダーを漁った。ボンゴレの散弾銃が収まっている。
「おやおや、いいんですか」
 骸はいまだに楽しそうに笑えていた。
「ヒバリ。君が僕を甚振るというなら僕だってネタは持っていますよ? 綱吉くん、そこの粘土の赤いほう。精度をあげるために人間の肉を混ぜてるんですよ」
「ぶっ?!!」
「……ま、彼らの怨みつらみって粘着力が強いからさ」
「ボンドのよーに言わんでくださいっ!!」
「召還とか魔術とか、魔の道とはえてしてそーいうもの。文句ある?」
(ひ、開き直った――っっ!!)
 ちくしょうやっぱこの人も化け物だな!!
 内心で毒づきつつ、綱吉は両手を振り下ろしてピストルを構えてみせた。
「う、動かないでください二人とも! ボンゴレなんですからね一応っ。オレはっ。今、装填してあるのは銀弾ですけど当たったらヒバリさんや骸でも寝込むくらいの威力がありますよ!」
 ヒバリと骸は、それぞれ、相手を指差す。
「あいつのペット、他のは見たことある? エサは人間の――」
「ヒバリはヒトガタの出荷もしてるんですよ。五つ星魔術師の特別製だなんて大サギを――」
「か、勘弁してよ!!」
 聞くに堪えないとばかりに、トリガーを思いきり引っぱった。
 ぱぁんっ! 目を瞑っての発砲になる。
「……」「……」ヒバリと骸が黙っているので、綱吉も妙に思った。
 まさか、当たってはいないと思うが――。
「……あっ?!」
 予想外だ。玄関のドアが開いている。
 しかも、そこには二メートルに近い長身でなおかつスリムな青年が立っていた。
 買い出しの紙袋を片手から提げて、切れ長の黒瞳はいつになく丸みを帯びている。黒スーツ。山高帽子からカールした前髪が伸びていて、その一房が、まさにハラリッと床に落ちていくシーンである。
「……あ〜あ」
「……おしおきだねえ」
 骸とヒバリが、口々にイヤミっぽく口角を歪めた。さりげなく骸は壁際に後退したし、ヒバリは両手にバケツを持って部屋にひきあげようとする。
「い、いいいいや、あああの、これはっ――」
「ツナ」
 慌てて声をドモらせる綱吉に、青年リボーンは、ニッとしてみせる。
 目と唇もニコニコで、満面の笑みで言い切った。親指を下に向けながら。
「地獄に落ちろ」
「ギャアアアアーッ!!」
 兄のスパルタぶりも外道領域に入りかけている教育方針も知っているため、綱吉は文字通りにハダシで窓から逃げだした。
 そうして、今日も平和に午後を迎えようとしていた。




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