ひばりのたまご

「森開き」



(――今、ワザ……と……?)
 テレビを通して見ている気がした。
 現実感もあるのに、身近にあるのに、見つめていると切なくなる瞬間がある。ブラウン管は、今では神秘という名のベールに変わって雲雀恭弥をつつむ。彼は盛んに肩で息をする。
(受け止められたのに)
 綱吉は棒立ちになっていた。
 驚愕に目を見開かせる。呼吸はまだままならない。
 恭弥の足元には男が二人、昏倒していた。
 警備員だ。増援をつれて駐車場に駆けつけたが――、今しがた、恭弥によって沈黙させられた。綱吉は制止もできなかった。
 ぜえぜえ、ぜえはあ、はあはあ。
 恭弥の呼吸は荒い。それが肉体的な疲労だけに起因していないのは明らか。
 生態的な限度もあって、綱吉は溜めていた呼吸を緩やかに開始させた。体が冷たい。息をする度に氷気が肺を痛める。
(ヒバリさん、受け取ることが、できたはずなのに。ヒバリさんなら。できたのに)
 信じられない思いで身を硬くする。
 綱吉の視線が我が身に刺さるのを感じるだろう。恭弥は頑としてふり向かず息をつめる。
 呼びかけるのに時間がかかった。
「ひ、ヒバリ……さん」
 喉がつっかえる。
 理由もなく涙がでそうだ。決して、そんなことを言いたくはなかった。しかし言わなければ。綱吉は強い思いに駆られた。
 視界の端にいる恐竜たちがみるみると薄くなるから、かもしれない。気づかないフリなどできなかった。それをしたら恭弥もきっと傷つくだろう。
「それでいいってヒバリさんが決めたんなら、オレは……」
 一分間に数回、鼻腔をふくらませる程度の呼吸だ。
 急に息苦しくなった。
「いいです。構わないです。ヒバリさん」
 月は高いところに光る。照らされた車の台数は僅かに一台で、他には恭弥のバイクだけ。駐車場は荒涼として綱吉の目に映る。
 幻想の森が遠くにあっても荒んで感じた。あのジャングルは確かに豊かだったが、それだけでは終われない存在だ。恐竜たちは寂しげに嘆声をあげた。
「ヒバリさん」
 何度となく名を呼んだ。
 あるところで、綱吉は顔をクシャリとさせた。心臓が破裂しそうだ。ついには抱きしめに行った。
「ヒバリさん!! 自分を責めないで!」
「…………」
 恭弥は唐突に呼吸を密やかに変えた。
 後ろからまわって、胸の前で抱く綱吉の両腕に触れた。手のぬくもりがぎゅうと握ってきたのでさらに力を込める。
 苦しげに息を呑む気配がした。恭弥の吐息には怯えが含まれていた。
「ご、めん。弱くてごめん」
 綱吉は首を横にふった。
「きみたちに会ってから、僕は、僕の中にある脆い場所を見ざるをえなかった。母さんと父さんに対する背徳心を知らずにはいられなかった……」
 綱吉はまだ首を横にふっていた。動きを報せるため、背中に強く額を押しつける。その動きに押しだされたように、恭弥が背中を反った。
 月光を顔面に浴びて、あごを上向けて、嘆声を漏らす。
「結局……、僕は……きみたちを迎えるフリをするだけで」
 体は微震して悲哀を訴えた。
「本当は……」
 綱吉にもすべてわかるワケではなかった。土壇場で恐竜たちを見捨てた理由も、このまま幻想も綱吉も捨てる気になっているかどうかも。
 ……それでもいいや、と、綱吉は思った。
 今は雲雀恭弥を支えたい一心でいる。それでいい。それがよかった。
「ヒバリさん」
 万感を込めて名をさえずる。
 今度は恭弥が首をふった。
「弱いんだよ……。僕は。ごめんね。自分が一番大事なだけのやつだよ」
「ううん。わかるもん。きっと。ヒバリさんは、ヒバリさんなんだから、ヒバリさんの今の生活を守ろうとして当然なんだと思います……」
 と、ぬるい風を覚えた。
 見上げればラプトルとサウロポセイドンが恭弥と綱吉をのぞき込んでいた。白い影が自らの立像をブレさせて、砂塵と変わろうとしていた。
 砂塵への浸食は足元から。ハッと恭弥が腕を伸ばした。指先は、白影を突き抜ける。彼はそれを見て切なげに呟く。
「母さん。父さん。ごめん」
 虚空を掻いた手は、恭弥自身の胸へ宛てられた。
 綱吉は眉をひそめた。彼の目尻が銀色に淡く光っていた。だが表情には出ないよう、必死になって驚きを押しとどめた。恐らくこれは最後の会話だ。邪魔したくない。
 クウウゥイ。大気が震える。
 幻聴に耳を傾けて恭弥は渋い顔をする。数秒のためらいを経たよう見えた。
「うん。そうだ、ね。この体はヒトだけど。こころは父さんと母さんの息子だ――、恐竜はまだ絶滅していない」
 最後に付け足した言葉は凛としていた。しゃんと立って恭弥は二匹を見上げる。
 深夜の駐車場。銀色の光を掻き分けて、宣告が響いた。夜明けのような旋律を伴う――、綱吉は目をやわらげた。まぶし、い。
「種族の最後として生きてみせるよ。父さん。母さん」
 影が揺らぐ。白い影は揃って恭弥に身を寄せる――、
 キスを送ってる、と、綱吉は思った。
 影たちからの口付けを受け止めてから、恭弥がうなだれる。
「…………」
 ピィ、と、鳥のさえずりが聞こえた。
 甲高い。透き通った呼び声だ。人喉を通したとは思えない音域にまで到達していた。彼らのやり取りを見守り、放心していた綱吉だったが、一気に現実に引き戻されて鳥肌をたてた。心臓がバクバクとする。
(ヒバリさん。雲雀さん? ……奇蹟?)
 綱吉は瞼をおろして外界を遮断する。
 落ち着こうと思った。動揺したくない。
(ううん。名前なんかいらないんだ。オレはこの人が好き)
 しばらく待ってから、瞼をあげる。
 雲雀恭弥は一人で立っていた。
 仁王立ちをして、短い黒髪を風に吹かす。風は乾いている。冷たくもある。温くは、なかった。
 平常心のヒトカケを取り戻せば、大気の冷たさを久しぶりに実感している。
 口角を噛んだ。視界にまったく見えないワケでもないからだ。ザワザワと、遠くから、太古の呼び声が聞こえる――。遠いようだけど、本当は、すぐ近くにあるとはもうわかっている。それでも聞こえないフリをしなくちゃ、とも、もうわかっている。
(ヒバリさんは今を生きようとしてる。オレはヒバリさんの傍にいたい。それなら、前を見なくちゃダメなんだ)
 視界が白く眩む。腹の底から熱意が込みあがってきた。
(ヒバリさんも、オレも、生きるためには前を見続けるしかないんだ)
 恭弥は、かなりの長い間を立ち尽くすだけで過ごした。
 待った。
 綱吉は夜風と幻影の波に耐えた。
 やがて、クルリと向きを変えて歩きだして、しゃがみこむと、恭弥は砕けた破片を手に取った。ジッと眺めた末に、両手を皿にして他のカケラを寄せ集めようとする。
 意図に気づいて、綱吉も手伝いに行った。
 向かいに屈み込むと、顔もあげずに尋ねてくる。
「袋とか、持ってる?」
「持ってないです」
「じゃあこれでいいか」
 片手で学ランをバサリとさせた。
 背広を表にしてコンクリートに敷く。その上に、二人で化石を積んだ。破片も、砂塵も。化石の本体は小さい。本体以上の面積があったのは古びた岩石だが(岩石といっても、地層が長い年月を経て凝固した土の化石である)、恭弥は、岩の破片もすべて集めた。
 彼はふと呟いた。両手で掬った破片を見つめながら、
「恐竜は、何で絶滅したんだろうね」
「え?」
 綱吉は困惑した。
 やや間を挟んでから、慎重に回答する。
「隕石が地球にぶつかったから……。です」
「何でだろうね。なんで? なんで隕石が? 父さんも母さんもずっと言っていたよ。この世界は不思議なコトだらけだって」
 フクイラプトルとサウロポセイドンにそんなこと言われても。
 とは、思ったが、戸惑い以上に深い感慨があった。
 綱吉は頷いて返す。
 上目で恭弥を見つめる。恭弥は静かに己の導きだした答えを述べる。
「どうして、なんで。なんでそうなるの。そういう疑念が、二人をこの世に留めたんだろうね。そして白亜紀の森が練り上げられていった――」
 砂塵が手のひらから滑り落ちるときれいだった。
 月光に反射して、パラパラ……、が、キラキラに変わる。恭弥の黒目にも光のカケラが宿った。無性に切なさを感じた。儚さも感じた。いつか、恭弥がいなくなるような予感を覚えた。
(なんで、ヒバリさんと会えたんだろう)
 指の腹でグッと圧して、微細なカケラを拾った。
 白っぽい。これは化石のつぶだ。
(疑念を持つことが幽霊の素質だっていうなら。オレも)
 もう大きいものは拾い終えた。残したものはないか、コンクリートを平手で撫でて恭弥が確認している。ほとんど無意識で――ほんの少しだけ意図的に、綱吉は恭弥の手を握った。
 黒目は驚いて綱吉を見返す。
 しばし沈黙。握り返しはしなかったが、恭弥はニコリと笑った。
「ありがと、綱吉」
 ジッ。綱吉を見つめる。
 思いだしたように付け足した。
「僕は隕石と似てるって思うけど。奇蹟って。綱吉は、どう思うの?」
「え――」
「今度、きかせてね」
 有無を言わせずに、恭弥は頑として決める。
 ……数秒遅れて、真意を悟れた。
 これは約束だ。次も会おうねっていう。
 驚きに口を丸くしている間に恭弥が言った。海に行こう。母さんと父さんを流しに。

◇◆◇◆◇

 彼のバイクで、再会を果たした海岸線にまで戻ってきた。
 面倒だったのか、恭弥はバイクに跨ったまま砂浜に突っ込みかなりの距離を疾走した。巻き上げられた砂が後方で大煙をつくるのが綱吉は気になった。
 化石の粒は夜の波に呆気なく消えた。手をお椀にして丁寧に掬い上げる。海面に浸せば、蝶結びがスルッとほどけるのと同じに簡単に指をすり抜けていった。
「…………」
 太古の意志が消えていく。
 綱吉は切なさに胸が絞まった。雲雀恭弥の両親が立ち去ったから、というよりも、何億年も前の魂が失われたことに対しての悲しみだった。
 すべてを流し終えても綱吉は腰を屈めたままですぐには立ち上がらない。恭弥は、スッと背筋を伸ばして立った。水平線を見た。太陽の白い光と重なっているから強烈にまばゆい。彼方は煙って見える。その煙の向こうに首長竜の影を見た気がした。蜃気楼のように揺らめいている。
「行こうか」
 恭弥が言った。
 砂地に広げた学ラン。その襟首を掴んで、バサバサさせると肩に引っかける。綱吉が立つと、向こうから手を握ってきた。
「……うん。って、ヒバリさん?」
 握られた左手に熱がこもる、が、彼が海岸線に沿って歩くので目を丸めた。バイクは後ろにあるのだが。
「少し、さんぽ」
 横に並ぶと、黒目が悪戯っぽく歪む。
 背丈の差を意識すると同時に、そういえば風紀委員長の雲雀恭弥は年下だと思いだした。綱吉は照れ臭さに頬を赤くする。
 恭弥は吹っ切れたように澄んだ面立ちをしていた。
(もしかしたら、これで、最後なのかな)
 恭弥を見ているとまた不安になる、が。
(っていうか、うわ、うわあ)
 明け方の海岸を二人で歩いている。
 このシチュエーションが恥ずかしく思えたし、それでドキドキしてしまって照れている自分も馬鹿に思えた。
 心音を鎮めるために、綱吉は横目で海に視線を向けることにした。
 化石を流したことも、奇蹟の現場になったことも知らないとばかりに、いつもと同じに波が引いては寄せる。海の無関心ぶりは何億年も前から同じだろうと考えると繋いだ手のあたたかさから目を背けることができた。
「ね、綱吉」
 彼は、波が届かないギリギリの位置を好んで歩いた。
「僕の後ろになにがみえる?」
「…………」
 頭を横に向けて、軽いほほえみ。
 恭弥の顔を真っ直ぐに見上げてしまった。綱吉は喉をつっかえさせた。もちろん恭弥の後ろに恐竜の影はないのだが。彼の笑顔と、問いかけの意味をぶつけられて怯えが沸いた。声の震えを必死に隠す。
「何も。ヒバリさんしか見えませんよ」
 少し寂しげに目尻をやわらげ、恭弥が頷く。
 ザワリ……、と、遠くで、太古の森が呼びかける。
 彼は声もひそめて言った。恭弥の凛としたしゃべり方は森に絡まる退廃とした大気とは真逆の性質が秘められてあった。
「もう僕はかたちのあるものしか見ない。いつか、こんなアヤフヤな綱吉との関係を断ち切りたくなるかもしれない」
 言葉が途切れた。
「それでも、綱吉はさ」
 実際にはつながっていたが、綱吉は途切れたと感じた。その瞬間、恭弥が、握っていた筈の手を放したから。
「…………」
 綱吉は微かに眉を寄せる。
 間髪入れずに恭弥はしゃべっていた。
「僕といるの? 君は君のいたとこにかえんないの?」
 一人で、手をこぶしに握った。
「帰りません。ヒバリさん。オレもかたちのあるものしか見ない」
 ザワリ、ザワリと奇蹟の残り香が――、太古の風が耳の裏をくすぐる。意識の隅に追いやろうと努力した。
 辺りは、昇ったばかりの朝日に照らされて明るい。
 砂浜が真っ白に見える。モヤに包まれてはいない。秋に熱風が吹くワケない。白亜紀なんて疾うに過ぎている。無性に、いたたまれないと感じた。足下から突き上げられるような衝動になった。
「ヒバリさん……」
 綱吉は手をだした。
 ゆるりと肘を折ったままでも両手を広げる。
「…………」笑いもしなかったが、訝しがりもしなかった。恭弥は綱吉の胸に体を預けた。その瞬間、ぽふ、と軽い重みが加わった。恭弥の両腕が綱吉の背中を抱いた。頭の後ろにまで手があがった。
 綱吉も軽く恭弥のシャツをつかむ。後ろから。
 彼のぬくもりを感じつつも、薄目を開けた。顔を横にして海岸を見つめれば、たしかに、
 ひたひた、と、太古の足音が忍び寄る。
 太古の森は友人をさがしてさまよっていた。雲雀恭弥のこころに残る恐竜の香りを嗅ぎつけて、ここの近くのはず、と、くすぶっている。天空にジャングルの影が浮かんでいる。
(これでも、)
 綱吉は目を閉じる。
 相手がどんなものであっても、決別には覚悟と勇気が必要だった。雲雀恭弥はココにいるのに、雲雀恭弥と別れを告げるようで名残惜しかった。そんなものは思い込みなのに。
(これでも、もういらない。みない。オレたちは生きてるんだから)
 少年二人は幻想を無視したままで抱き合った。抱き合うことで互いの目を隠していた。綱吉の後ろ頭を手でギュウと抑え、抱き込んだ姿勢のままで恭弥がささやいた。
「綱吉。僕のトコにきなよ。一人暮らし、寂しい」
「なっ?! な、なんか、照れますよ。そういわれると」
 ギクリとして綱吉は怯む。
 恭弥がうなだれた。
「ばかつなよし。照れるような意味なんだけどな」
「……は?」
「プロポーズ。男でもいいや。なんかもう、綱吉ならそれで」
「はっ?!」
 雲雀恭弥はいつの間にかクスクスしていた。背中を丸めて、笑いを抑えられないとばかりに発作的に漏笑させている。
 パッと恭弥が海を向いた。朝日を迎合するように胸を張って、両腕は前に伸ばす。朝日を浴びて黒髪が光る。目を白黒させていた。綱吉は動揺していた。
「ひ、ひばりさん?」
「夜明けだ!」
 澄んだよく響く声で、恭弥が叫んだ。
 朝の光が頼もしく世界を照らして、恭弥と綱吉の後ろに影をつくらせて、波の表面をキラキラ彩った。この町の海には、化石のつぶが混じっている。
















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>>あとがき(反転
しゅう、りょう! 完結です。お付き合いありがとうございましたっ!
前章・後章あわせて20×20原稿用紙で約180枚分でした。あわわ…っ、こ、ここまでお読みいただき幸いです。ありがとうございます。お疲れさまです…。久々のヒバツナでした
本気で鳥の雲雀なヒバリさんが書きたい…にはじまって恐竜に行き着いた話でした。前半は肯定的に奇蹟の力の大きさを、後半は否定的に奇蹟が通ったあとを〜とかなんたら伝わったらイイなぁと思いつつ書いてました。そして鳥のヒバリさんと恐竜…っっ。密かに表紙ページの壁紙で、ピンクの大きいたまごが恐竜で、黄色い大きいたまごがヒバリさんの両親で、脇のちっちゃなピンクがヒバリさんーとか一人で勝手に意味をつけて遊んだりとかしてました。「ひばりのたまご」、なにかしらの萌え、ヒバツナ、楽しさを感じていただけたなら本懐のいたりです。
この後は…、同棲したがってるヒバリさんと、どぎまぎしつつどーやって家をでてこようか両親に説明しようかを考えてるツナとかいると思います。ヒバリさんの出生にまつわる原始パワー(笑)が、時折り、みょーな奇蹟を呼び込んで騒動起こしたりしつつ、前向きに生きていこうとする二人かなと! 基本は学園コメディっぽいですね(笑)

お読みいただきありがとうございました♪
奇蹟やら幻想やらで怪しげな話ですが…っ! お気に召されましたらうれしいです。

08.4.11 完結