ひばりのたまご

「何度でも」


 

 ろくに眠れなかった。綱吉は寝ぼけまなこで廊下を歩く。音楽テキストとノート、筆箱を抱えている。思考にモヤがかる。答えは出そうになかった。
(考えたけどわかんない。ヒバリさんにとって、もしかして、オレって――)
 ものすごく……、
 その先で詰まる。
 知らずにため息を吐いた。そのときだ。
 前方に、長い足をキビキビ動かす少年。近づくなり、彼は不思議そうに眉を寄せる。
「えらく不景気なツラだな。ダメツナ」
「あ。リボーン」
 新聞部部長にして三年生の従兄弟は手に原稿を持っていた。
 丸めて筒状にしている。
「……それ、昨日できたやつ?」
「いや。これは次の号だ。準備中」
「なにかくの?」
 深く考えずに、単に呟く。
 リボーンは怪訝な顔をした。窓の外が晴れていることを確認する。
「テメーの頭だけ曇ってンのか? なんだ、それで博物館に居たんじゃねーのかよ。相変わらず寝ボケたヤツだぜ」
「博物館? あ、そーいやお前、昨日はあそこで何してた?」
「おまーなー。マジボケか?」
 部活をサボるから話題についていけないんだぞ、と、チクリと刺してからリボーンは原稿を広げた。
 綱吉は息を呑んだ。
 一面に大きく博物館の閉鎖が報道されていた。
「な……っっ、あ、あそこ、なくなっちゃうの?!」
「ああ。来場者は年々減少、町の予算削減のためで――」
「展示物は?!」
 金切り声にリボーンがギョッとした。
 慌てて、固唾を呑み込みのどをならした。チャイムが鳴ったが、相手のブレザーを掴んで情報をねだる。
「あれさ、ほら、海外から寄贈物とか、歴史的にも貴重なものが……あっただろ? そういうのはどーなんの?!」
「倉庫に引っ込むか町外の博物館に行くかするんじゃね?」
「か、化石! 化石は? アメリカからの寄贈品があっただろ?」
「化石だあ……?」
 新聞部部長は右斜め上を睨む。
「昨日、ヒバキョンと観てたゾーンだな? あそこらはまとめてアメリカに送られるって聞いたが。お礼も兼ねてだとか」
 従兄弟の声は、秒刻みに遠くなる。綱吉は目を見開かせた。
 恐る恐ると視線を窓に向ける――外に放りだす――となり町の、並盛町へと思いを馳せる。並盛中学校に行かなきゃ、すぐに! と、延々と脳裏にくり返した。

 ◇◆◇◆◇

 閉鎖の報せに恭弥は動揺した。
 綱吉は、昨晩からの疑問でまた胸が痛んだ。今の雲雀恭弥にとって、沢田綱吉という存在は邪魔なのでは?
「ヒバリさん?」
 並盛中は昼休みだった。
 綱吉の高校も昼休みの筈だ。もう終わる時間だろうが。抜け出してしまったし、綱吉はもう関係ないと思った。
 応接室のソファーに向かい合わせに座っていた。だが、今は恭弥はテーブルに両手をついていた。中腰だ。
 首を横に向けて、綱吉を眼中にいれないまま、愕然と震える。
「父さん。母さん。おいていくの?」
 ともすれば泣いているとも受け取れる声音だった。
「僕を置いてどこに行くのさ。……二人とも。どこに!!」
 白い影は、並んでゆらめく。
 綱吉には彼らの言葉は聞こえない――、恭弥の表情から推測するしかなかった。絶望に相好を崩していくから見るに堪えかねる。
 一方で綱吉の胸には色の異なる闇も広がった。
(フクイラプトルとサウロポセイドンは、ヒバリさんの両親だ。歓迎する部分はあるんだろう……でもオレと幻想は)
 ある朝、突然、親しい人間ができるというのはどんな気分だろう。
(迷惑なんじゃ――)
 辺りで緑のつるがうねうねとする。
 視界にいれて、苦い気持ちになった。綱吉は恭弥のシャツを掴んだ。暴れだしそうな剣幕なので止めようとした。
「ヒバリさん! 落ち着いて!」
 恭弥は興奮に声を荒げる。
「今更、僕を一人にするの?!」
「恐竜はもう絶滅してるんですよ」
「でも僕はここにいる!! 生きてる!!」
「うわっ?!」
 ブンッと腕の一振りで体が吹っ飛んだ。
 綱吉は、尻餅をついた。
 恭弥が肩で息をする。ぜえぜえした息づかいが獣を思わせる。その黒い眼光は恐竜たちに注がれていた。
「奇蹟とか言っておきながら……っ、その後は?! 終わり?! 無責任な!」
 胸の真ん中を裂いて、まっすぐに抉り込んでくる言葉だ。
 打った背中の痛みも忘れた。綱吉は息を呑む。
 恭弥は片腕で虚を凪いでみせる。
 何かを断罪するかのように。
「――奇跡的に助かりました、よかったああおめでとう、って、それだけ? それだけ?! それだけでこっちの人生終わりじゃないんだよ! ふざけるんじゃないっ!!」
 魂を搾るような怒号。恐竜の影が濃くなった。
 ラプトルに至っては綱吉の目にも輪郭が確認できる。
 テレビで見たのと同じ姿だ。太い後ろ足で体重を支えて、細い前足に鋭利なツメがついている。恭弥は一メートルほど上にあるラプトルを睨んで叫ぶ。魂が削れた哀願だった。
「行かないでよ……。奇蹟だっていうなら。続いてよ! ずっと続くべきなんじゃないの?!」
 うつろに呼びかけた。
「ヒバリさん」
「奇蹟って何だよ……! 一時の気休め?! そんなもの、僕は欲しくない!!」
「ヒバリさんっ!!」
 綱吉は叫ばずにはいられなかった。
 疑念が確信に変わる。胸が痛い。
(ヒバリさん。やっぱり――、この、状況を、奇蹟を喜んでないっっ!)
 涙がにじみそうだ。目尻に。必死に我慢して、綱吉は学ランへ掴みかかった。後ろから。そうして目一杯に引っぱった。
「ヒバリさん。オレは。少なくともオレはァッ、恨んだりしたくない。だってまたヒバリさんに会えた!」
「っ、知らない!」
 恭弥がまた綱吉をふり払う。
 茶色い瞳に絶望が宿る。綱吉の目を垣間見て、風紀委員長は僅かに黒目を張った。彼は口角を噛んで震声をもらす。
「綱吉――、は、何さ? 僕は君なんて知らなかった。ほんの二日前まで」
「ひ、ひばり、さ。オレだってあなたを知ったのは最近だよ。でも。それでもまた会えて嬉しいって……、思う、よ。奇蹟だって何度でも起きる……、ますよ」
 途中から声が揺れた。綱吉はうなだれる。
 黒い瞳が、まるで、憎悪でも交えたように激烈な感情を点したからだ。綱吉の恐怖を悟ってすぐ消えた。
 恭弥は頭を振る。拗ねたような声で、
「いい加減な保証はよせよ。知らない。口ききたくないっ。勝手だ、父さんも母さんも綱吉も神さまも全部勝手すぎる!」
「……ヒバリさん……」
 幻想が応接室の壁を這って天井にはびこる。恐竜たちの影が揺れる。ラプトルは、ただ佇みつづける。今ではサウロポセイドンの足も輪郭を持ち始めていた。
 静寂につつまれた。
「……うん。そうする」
 恐竜と会話をしたのか、恭弥の呟きは唐突だ。
 綱吉は自ら切りだした。
「化石、とりに行くんですか」
「止めるの?」
 首を振った。
「オレも行かせてください」
 しばらく見つめてきたが、好きにしたら言われた。やはり拗ねた声だった。

 ◇◆◇◆◇

 夜になると雲が増えた。風も強くなった。
 月光が注がれたり途絶えたりする中を、少年二人は靴音を忍ばせながら歩いていた。
 侵入は、博物館の裏側からだ。
 恭弥がピンセット一本で施錠を突破した。これくらいは風紀委員ならできて当たり前とかいう論理が彼の語るところだ。綱吉は思いきって尋ねた。
「並盛中の風紀委員は、何なんですか?」
「……自警団みたいなものだよ。僕が組織した」
「なんでそんなことを?」
「父さんが町長だった。あの町を大事にしたい」
「…………」
 返す言葉がすぐには出てこなかった。
 その間に、前を歩く少年が唸った。ううん? と、可愛げのあるのどの鳴らし方。
 白い影の片方が、恭弥をせっついていた。
「嫉妬しないでよ。もちろん、父さんのコトも愛してるよ」
 綱吉の踏んだ床板はぐらぐらする。
 雲雀恭弥。今の彼を知れば知るだけ、いかに、自分が異質であるかを――強引な理由で共にいるかがわかる。
 改めて思い直すと、目の前は真っ暗になる。
 館内も薄暗いから、ともすると転びそうだった。数メートル間隔で設置された緑白の非常ランプが唯一の明かりだ。暗さと不気味さが夜の学校に似ていた。
 秋の気配が肌をさいなむ。肌寒さに、綱吉はブレザーの肩を押さえた。
 恭弥の背中はともすると闇に消える。
 彼は警戒しながら二階に続く道を探していた。裏から入ったので、展示スペースまでが遠い。もう二つくらい保管庫や倉庫めいた部屋を通り抜けた。
 と、前方の暗がりから声が聞こえる。
「綱吉、とろとろしてると置いてくよ」
「は、はい」
 小走りをする。
 しかし綱吉の目の焦点はぼんやりしていた。
 幻想が濃さを増した気がした。
(奇蹟は無責任か……)
 数時間前だ。あの、身を切る叫びが鼓膜に残る。そんな風に考えられない分、ショックは大きかった。
(オレ、ヒバリさんの側にいない方がいいかな)
 と、フイに、目の前が白くなった。
 おまけに硬くなった。火花も走る。それで顔面が痛む。ゆるゆると手を伸ばして、壁に両手をつく姿勢になったので、ぶつかったと悟れた。
「あ、あれ?」
 非常灯の淡い光が室内を照らす。
 展示していない学芸品をしまうための場所だ。棚が並んでいた。ダンボールや骨董品が区分けしてしまってある。
 耳を澄ましたが、足音も人の気配も感じなかった。
 綱吉は口をパクパクさせた。驚いて声もでない。
「えっ……、い、言われた側から迷子ぉ?!」
 ひばりさん! と、声を張り上げようとして思い直した。警備員に見つかったら面倒だ。しかし黙るとシンとするので心細い。
 雲雀恭弥はいない。
 閉まったカーテンの足元が淡い銀色でくすぶっている。
 救いを求めて、綱吉は視線をさまよわせた。
 呼吸が荒くなる。恐竜の姿もなく、辺りには、幻想だけがはびこる。
「……え?」
(な、なんで?)
 サァッと血の気が引いた。
 鼓膜が独りでに震えて耳鳴りを脳裏にたたき込む。
 目眩を感じた。白いモヤと緑のつるが床を這って棚の間を通り抜けるが――、これらの幻想は、すべて恭弥と共に行動していた筈だ!
 両手をのぞき込めば、暗闇の中でも煙っているのを感じた。暖かな大気が体を包んでゆく。
「お、オレの体……から……?!」
 ドクドクと鼓動が早まった。
「お前ら」
 声が震える。
 綱吉は混乱していた。
「今のヒバリさんより、オレの方が居心地がいいの?」
 悲鳴より先に苦笑が漏れた。それが痛かった。顔の筋肉が引き攣っている。その引き攣り具合を痛く感じる。
 ふと、唐突に、綱吉は笑顔の作り方を忘れた気になった。
 苦渋にまみれた嘆声が滑りでる。
「と。とんだ皮肉だな」
 打ちひしがれた声。自分の声なのに初めて聞いた。
 カカトに体重を移す。綱吉は壁に背中を預けて天井を見上げた。
 自分が森の一部に変われた気がした。幻想から鳥の声がする。
(とり? 白亜紀に?)
 それはおかしくないか。
 でも何の生き物かわからない。このジャングルには生き物の気配がある――、姿は、見えない。でも大勢。ざわざわとしている。
(こんなもの……やっぱり邪魔だ。オレも幻想もヒバリさんにはもう必要なかったんだ)
 あの雲雀恭弥は一人で立てる。
 本人も望んでいる。そう思うと、泣きだしたくなった。恭弥の目の前であられもなく喚けば――、
(……バカじゃないか、オレ。そんな女々しいことしたら、ぶっ殺されちゃうよ。恥ずかしいの)
 自分の思考を嘲って、綱吉は額を抑えた。
 強く眉間をしわ寄せる。
(……雲雀さん……。ヒバリさん。オレは――)
 どこに消えたらいいの。
 その思念を形作る直前、怒号が響いた。
「綱吉!!」
「っ、ヒバリさん」
「なに――、して――、君っ」
 恭弥は驚愕に目を見張った。喉をつまらせる。
 倉庫の扉を開けっ放しにしたまま、つかつかと歩み寄ると、綱吉に抱きついた。急いで壁から離れて立ったのにまた綱吉は壁に背中をぶつけた。
 抱き潰すほどの力でもって恭弥は背中をかかえた。綱吉の胸板に顔を押しつける。
「綱吉――、待って。沢田綱吉。待ってよ。僕には君がなんなんだかよくわからないんだよ。もう少し待ってよ」
「なっ……、一体――、え……?」
 身じろごうとして、綱吉は表皮を粟立たせた。
 腕につるが絡みついている。
 何重にも巻かれている。よく見れば脚や胴もつるに覆われていた。綱吉が悲鳴をあげると、恭弥も体を離した。二人がかりで、すべてのつるをもぎ取った。
 軽く飛び跳ねて、恭弥の後ろに逃げつつ、綱吉は喉をひっくり返らせた。
「なにっっ、これ!!」
「…………。幻想だから……。誰かが幻想を直視してないと、太古の生き物は――生きていけない。だってここは二十一世紀なんだよ」
「?!」
「パラサイトする相手が欲しいんだ。この子たちは」
 単に事実を述べるといった調子で、恭弥。
 また肝が冷える。声が震えた。
「どうしてそんなことわかるんですか?」
「知らない。わからない。奇蹟ってやつに聞いてくれる?」
 苦悶に眉を寄せて恭弥は首を振る。
 ――ハッとして、憂顔を正面から見上げた。ようやく彼の苦しみの正体がわかった。腹の底が熱くうずいて悲しみに染まる。
 抑えたのは自分の胸だったが、綱吉は恭弥の胸を支える気で叫んだ。
「ヒバリ、さん。ごめん、もう何も訊かないから」
 黒い眼光は闇に透ける。溶ける。
 泣き笑うような顔をして恭弥が再び綱吉を抱いた。
「…………」
 綱吉も恭弥の背中から肩までを腕に抱く。
 互いの胸に相手を閉じ込めた――互いの間に隙間はない。
 ぬるい風が、やがて冷たくなった。秋の風は、無論、熱気など孕んではいない。
 綱吉は目を開ける。
「ヒバリさん。化石、取りに行かなくちゃ。あれは大事なものですよね」
「……うん。でも、」
 と、そこで恭弥は声を軽くした。
「もう持ってるけどね。ハイ」
「でえええっ?!」
 ズザリッ。後ずさったが、両手には既に重いモノを落とされた。
 鳥肌が立った。右手にあるのがフクイラプトルのツメで、左手にあるのがサウロポセイドンの歯……だ。
 恭弥の背後に、白い影が並ぶ。彼らはいつでも恭弥の味方だったのだと、綱吉は今頃になって深く理解した。
「父さんと母さんが案内してくれた。簡単だったよ」
 ニヤリという悪童めいた邪気が含まれていた。
 恭弥は来た道を戻ろうとする。
 それを追いかけようとした。勇んで後についたときなので、綱吉は心底からドキリとした。
「誰かいるのか?」
「!!」
 恭弥が戻ってきたところの扉は開けっ放しだ。
 懐中電灯のライトは間髪入れずに一面を照らしだした。綱吉は逆光に警備服の男が浮かぶのを見る。
 警備員は、ギョッとすると骨髄反射的に腰に手をやった。そこには警棒がある。
「?! きみたち、何してる!」
「ずらかるよっ!」
 泥棒のような台詞と共に(実際に泥棒なのだが)恭弥が走りだした。
「待て!!」
 警備員も走る。
 綱吉も走ったが、反応が遅かったことと両手に化石を持った状態だったことが災いする――、その上に、元々、足が遅かった。
 恭弥は迅速に状況を見極めた。
 こぶしを叩きつけて、窓ガラスを破壊した。
「綱吉、ついてきて。受け止めるから!」
 言うなり、ヒラッと体を投げる。
 窓の下は駐車場――、だが低い位置に作られていた。ビル三階分の高低差はある筈だ。
「ちょ、ちょっとぉおおお?!」
「はやく!」
 窓にかじりつけば、眼下から恭弥の声がした。
 駐車場に影が伸びている。
 恭弥は腕を広げて待っていた。傍らの白い影が、サウロポセイドンが窓のすぐ隣に顔を近づけて催促をする。
「う、うっそぉ……!」
 下を見てゾッとした。高い。
「待ちなさい!」
「うわ、わっ」
 綱吉はダイブを決行した。
 それが偶然だったのか、不幸な事故だったのか、運命だったのかはわからない。
 ただ警備員が伸ばした手のひらは中途半端に綱吉のジャケットを掴んだ。数秒保たずにすっぽ抜けたがバランスは崩れた。足が上になって頭が下になる。直後に、ズダァンッッとした衝撃で思考がぐらつく。壁の真下には生け垣があった。狭いスペースだ。ここに落ちたのは幸い――、だが、熱痛に肩を押さえてから、綱吉は顔色を失った。
 肩を、抑えている。
 手中がカラだ。化石を手放したと悟るとゾッと心胆が凍った。
 吼声が夜に響く。ふり返れば、月光を浴びて彼らはくるくるしていた。恭弥が走った。まだ空にある。――滑らかな弧を描き、隕石になる。
 体の痛みは頭から消えた。
 自分でも走りだしたが、間に合わない。その事実が信じられない。息ができなかった。風気委員長が飛びかかった。受け止めるべく伸ばした腕が、白光の中に浮き上がった。つるも白霧もジャングルもザザァッと音をたてて後ずさった。恭弥の指先から、数センチ先のところが太古の記憶の着陸点になった。着陸したとたんに、彼らはコナゴナになってはじけ飛んだ。
 バキィッ……、
 その音色は、少年二人を刺した。
 まだ息ができない。

 

つづく

 




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