ひばりのたまご

「奇蹟」


 

 テレビで南国の特集をやっていたのを見た……。
 鳥が、色の付いた羽毛をなびかせて水平に飛んでいった。胸がスッとした。鳥は美しいものだ。
 霞がかった視界には、クシャクシャに縮んだ羽根をつけた小鳥の亡骸があった。
 二つの眼球の上にまぶたが被さるが、ごくごく薄いものであるから、黒目が透けて見える。なんて残酷だろうと思えて、目を反らしたくなる。これはもう死んでいる。
「な……んで……」
 小鳥を掬い上げた両の手が震える。
 喉がカラカラになって痛んだ。
 その場にヘタリと尻餅をついて、綱吉は顔に手のひらを近づけた。
(は……外した?)
 奥歯がガチリと高鳴る。掻き毟られるような鋭い恐怖感で脳裏が占領される。ろくに思考ができない。
(恐竜じゃなくて……鳥……)
 手に乗るのは、白と、褪せた茶色とを混ぜた羽根を持つ小鳥だ。
(雲雀……、雲雀さん)
 気がつけば、雲雀の亡骸を握りしめていた。拍子に、指の間から羽根がボロボロと抜け落ちた。
「ひ、ヒバリさんは……?!」
 憔悴しきった面持ちをあげて、綱吉が訴える。
 幻想はまだ裏山を支配する。白いモヤに紛れたジャングルの奥には太古の生き物が潜む。恐竜の影がふたつ。
 悲鳴は掠れた。声がひっくり返る。
「なんで?! なんで?」
 彼らは応えない。
 パチパチと静電気が爆ぜる気がした。頭の中に。そんな音が聞こえる。綱吉は目眩をこらえる。
「と、トリ?! 本当はトリだったの――? この子は――、な、なんで死んで……、な、なんで?! 外したから?!」
 緑のつるが大地を這って綱吉に近づく。気がつけば白いモヤに囲まれていた。今や幻覚は沢田綱吉を中心として渦巻いていた。
「説明してよ!! 何なのこれェッ!!」
 かぶりを振って身悶え、絶叫した。
 クオオォ……、と、嘆声が空を覆う。
「!!!」
 綱吉の脳裏に、ブワリと白いモヤが流入した。
 その衝撃で後ろに倒れた。
「っ。あ……?」
 目を開ければ、青空が近くにあった。
(なっ?!)
 驚愕に応えるように、声が落ちた。
 ごめんね。と、そんな言葉が――、けれど鼓膜から感じたワケではなかった。感覚として、綱吉は声の持ち主の感情を理解した。こころに直接、手で触られたような、ザワリとする怖気を伴った。
(ごめんね……? 迷惑でしょう?)
 見えないものを手探りするような、奇妙な心地だ。
(生きられないでしょう。わたしたちは、既にこの世には――)
 綱吉は必死になって声を辿る。これが雲雀恭弥の秘密だと確信できるから、死に物狂いだった。感情が波打つ。
(この世には、いない……)
 眉をひそめて、足元を見た。
 高校の裏にある山だ。樹木の波間から、鳥のさえずりが聞こえる。一羽の雲雀が、飛び出していった。
「あ……」
 木の枝をより集めた小さな巣を見つけた。
 卵がある。目が離せない。一つだけ、白いモヤに霞む――、
 予感に駆られた。視線をあげれば、林からは白い影が伸びていた。
 彼が父親だと言っていただろうか。草食の首長恐竜。サウロポセイドン。
 母親だと言ったか。フクイラプトル。卵がある樹木の周りをのし歩いている。鼻をヒクヒクさせて、卵のにおいを嗅ぐ。
(幽霊……。恐竜の幽霊だ)
 空に浮かんで、見下ろして、綱吉は胸中に独りごちる。
(鳥は恐竜の末裔――。あの幽霊たちの胎児が、鳥の卵に宿った……?)
 段々と思いだす。
 幽霊かと尋ねられて、雲雀恭弥はえらく驚いていた。
 これだ。彼にとっては、恐竜の両親を指す言葉だったのだ。そして恐らくは、両親とは違って鳥である我が身を思いだす言葉――、
(あのこは恐竜のこころを持った鳥。わたしたちの子供)
 頭に流れた感情を読んで、綱吉は胸底からかゆくなった。
 苦しい感情だった。手足がチリチリとする。
 雲雀恭弥の正体は鳥だ。
(神様。今の世界でこの子は生きられないんです。奇蹟をください。この子が生きやすくなれるように)
 この感情は、あの二匹のものだ。
 恐竜に涙腺があるのかは知らないが、綱吉は、泣いていると思った。
(奇蹟を)
 その単語で胸がいっぱいになる。
 ケホッと堰をした。
 苦しい。どうにかして、吐き出さないと感情の塊が破裂する。塊は体内を掻き回す。
(ひ、雲雀さん……っっ。雲雀さん)
 つらいのを紛らわすように綱吉は彼の名を念じる。
 視界が白い光に覆われた。
 雲雀恭弥の姿が脳裏に浮かぶ。白すぎて、よくわからなかったが、
(奇蹟が、起きてるんだ)
 場面が変わった。
 ――生きやすくなれるように。
 確かに、あの雲雀は一般的に生きやすいだろうと思える生き物になった。人間の少年の姿をしていた。
 少年は、綱吉の知らない学校の制服を着て、道を歩いている。
『父さん。母さん。僕はどうなるの?』
 後ろをついてくる恐竜二匹をふり返る。淡々とした声に、感情の欠けた顔つき。
 胸が締めつけられた。
 黒髪に黒目、ヒトの姿。雲雀恭弥は、綱吉が知る姿よりも幼く見えたが確かにそこにいた。
『ホンで読んだ。雲雀の寿命は、七年だってね。僕は、まだ二年目だけど、七年経ったらどうなるの? 死ぬの?』
 場面がブレる。雲雀恭弥は、今度は、逆の方向から道を歩いてきた。通学路らしい。
 彼は夢を見たという。
『誰か一人、僕が鳥だって気づけばいいみたい。父さんと母さんのしがらみをほどくんだって。通過儀礼だって。僕が成人するための儀式だって』
 ラプトルがブルルと鼻を鳴らした。
 恭弥は苦い顔をする。しかし笑った。
『ウン。成人できないと、死ぬって。神様はずいぶん過酷なことを要求するんだね』
 場面がまた動く。恭弥の学校生活だった。
 彼は、転校をくり返して、日本を横断した。太古の力がいつでも彼の支えになった。めまぐるしく変わる生活の中から、綱吉の頭にまで、雲雀のうたが聞こえてくる。
(ぼくはとり。きづいて。ぼくはとり、おおきくてつよいはちゅうるい。ぼくはとり。そしてとりいじょうのいきもの。そのさいごのひとり)
 ……次第に、うたが遠のく。
 恭弥はさえずるのをやめた。綱吉はその理由を体に感じた。歯噛みしていた。ジクジクした痛みで胸が痺れる。
(ひ……ばり……さ、やめないで)
 諦めていたんだ。雲雀恭弥が、かつて、口にした。
(わかるワケない。そんなのわかるワケないよ!)
「無茶だよ!!」
 叫んだ途端に、綱吉の体が落ちた。
 背中を叩きつけた。
 顔をしかめ、大地に寝返りを打って、ハッと目を見開かせた。元の世界に戻っている。慌てて手のひらを開けた。
 ひっくり返って、薄汚れた白い腹を出して――くちばしを小さく開けて、両脚をちぐはぐな方角に投げて――、そんな惨めな格好を晒した雲雀が居る。肘が震える。ガクガクと全身が小刻みに前後に痙攣する。
 両手でそっと小鳥を包んだ。
 彼をひどい姿のまま晒したくない。そんな愛のないことができない。といっても、彼の愛情めいたものを潰したのもこちらだ。綱吉は身の毛がよだつほどの後悔に駆られた。
「…………っっ」
 固めた両手を祈るように額に押し当てる。
 目尻が熱い。涙していた。
 二匹の恐竜が、背後にゆっくりと寄り添った。そうしてまた弔いの咆哮をあげた。
 額が痛む。こみ上げてくる嗚咽を我慢することができない。魂も裂ける思いがした。
「ごめ、ごめんなさ、ごめんなさい。雲雀さん、ごめん、気づかなくてごめん」
 身内の悔思があふれてボロボロと両目からこぼれた。
「知ろうとしたって……。オレは興味があって……オレの、半端な好奇心で、雲雀さんが振り回されてたなんて、お、思わなくって」
 彼がどんな気持ちで側にいたかと思うと、全身の血が逆流する。期待と絶望を行き来して苦しむのはつらいだろう。恭弥は静かな余生を望んで町に戻った筈なのに。涙が出る。彼を踏みにじったよう思えた。
「最初、から、鳥だったのに。ヒバリさ、ん、あなたはどこか高潔だった……。その強さに、オレは、それが大好きで」
 ゲホゲホと咳き込んだ。涙が散らばる。
 大地にシミを作る。幻想のジャングルが波打って辺りを埋めようとする。綱吉は背中を縮めて喘いだ。目が痛い。
(そ、の、気高さが、絶望からきてるなんて思いも、しなかっ……)
「ごめん、ごめんなさい。雲雀さん」
 うつらと、目を開けた。手を開けた。
 手中の塊に頬を寄せる。
「……小さい……」
 漏れでた言葉に、また胸を抉られて嗚咽した。涙は熱すぎて悲しみをかき立てる。
 雲雀の体躯に涙がにじんだ。
(冷たい。あたたかくない。冷たい。雲雀さんが冷たい)
 遠くの方から、大きな音がした。
 ふり返れば、空には煙の花火があがっていた。ヤマト祭が終わった。
 綱吉は唖然とする。
 祭りの運行なんて本気で忘れていた。
(そのこの祭りもおわったの)
(おわった)
 脳裏に声が重なる。
 見上げれば、サウロポセイドンとラプトルが目の前に立っていた。綱吉は静かに腕を伸ばす。彼らは、綱吉の抱擁を受け入れた。
 この日は、どうやって家に帰ったのか、綱吉は覚えていなかった。
 祭りの翌日、クラスは騒然としていた。
 雲雀恭弥が唐突に転校したからだ。
「ひ、ヒバリくんはあれでけっこういじらしかったのか。一言くらい言ってくれてもいいのに」
「らしいっちゃあ、らしいのか?」
 委員長やクラスメイトの言葉に綱吉は反応しない。
 魂が抜けた顔で、空を見た。
 クラスメイトは顔を見合わせる。
「……重傷だな」
 学校が終わっても、綱吉は帰宅しなかった。
 家への帰り道なんて忘れた気がした。どの道が、どこにつながって、どこをどう行けばいつもの生活に戻るというのか。
(雲雀さん)
 頭から、少年の姿が消えない。
 空を飛ぶトビに導かれるようにして、海岸に向かった。綱吉は海岸線を歩いた。革靴のまま、何も考えずに歩くから足裏がジャリジャリし始める。
 ピューイ。トビの音色が頭上で響く。
 秋の海に人は少ない。
 海の向こうからやってきた風が髪をかき上げた。幻想のジャングルがなびいて、白いモヤはすぐに渦巻いて、辺りにはびこる。ピチチッというのは太古のさえずりだ。
 白い影の気配を感じる。たくさんの生き物の気配を感じる。この世界はなんて多様な生物に支えられて回るのだろうかと綱吉は思う。極めて規模の小さいこのファンタジーに生きる全てが、過去に死滅した存在だなんて。
「雲雀さん……。会いたい」
 ポツリと呻いた。
 雲雀の亡骸は山に埋めてきた。サウロポセイドンとラプトルによると、彼の生まれた場所だから。
 己の両手を見つめて、カラであることに胸が痛む。
 綱吉は手を握る。
 幻覚のモヤが指の間を通って消えた。カバンを砂地に置いた。靴も脱ぐ。水際へ進むとパチャパチャと澄んだ音。
「雲雀さん。思ったけど、生き物って海から出来たんですよね? だからこの海はあなたにも続いてるんじゃないですか?」
(……神様がいるなら……。届くんじゃないの?)
 幻想が、少し遅れてついてくる。
 白亜紀の熱帯気候が肌に絡みつく。両脚に絡みつくのは幻想のつる。太古の生き物の息吹が鼓膜にある。
 バシャッ。水が大きく跳ねた。
 視界の隅に、サウロポセイドンが水面を歩き出すのが見える。ラプトルは水に入らず、地平線に沈もうとする光源を見送る。
 涙腺が刺されて痛む。この二匹も幻想も、他にいく宛てがないからか綱吉についてくる。
『生きられないでしょう』
 ポセイドンかラプトルか、どちらかがそう言っていた。
 そこまでは思わないが、しかし生きづらい。彼が残した幻想と思うと綱吉は忌む気になれないが、でも、溢れんばかりの幻想が見えても、現実にはたった一人で暗い海に臨む馬鹿だろう。やるせなさで居たたまれない。恭弥は、本当には恐竜だったのか鳥だったのか人間だったのか。結局、どれにもなれなかった彼が不憫でたまらなかった。彼が真に望んだものを綱吉は知らないが、きっと、人だと思った。だって彼は好きだと言ってくれた。
 喉を通る声が、掠れたせいで余計に悲痛に聞こえた。
「忘れませんから。雲雀さんとの思い出、ゼッタイ、忘れませんから」
(神様、届けて。この声を)
 切なさから眉間にシワが寄る。
 遠くで鳥が鳴いた。
 それがジャングルから聞こえたのか、現実から聞こえたのか、わからない。
 神様。そんな存在を信じるべきなのかもわからない。
 クシャリと、顔面をひしゃげて、綱吉は手の甲で目を拭いた。
 水辺線に最後の光が消えていく。願わずにはいられなかった。
(奇蹟の中から生まれたんなら、奇蹟の中から戻ってきてよ)
「奇蹟の中から生まれたんなら――、」
 悔念から口角が引き攣る。全身が冷たくなってきた。
 世界は夜に変わる。力が抜ける。
「奇蹟の中から戻ってきて!」
 その声は、隙間を縫うようにして背後から流れてきた。
「確かに雲雀恭弥って名前だけどね」
「――――」
 ひくっと喉が鳴った。
 ジャングルの幻想も、鳥の声も、波の音色もわからなくなった。目を見開かせて、綱吉は光のない水辺線を見つめる。
「でも、あのままの僕ってわけでもないよ……。違う町に住んでるんだ。並盛町って言って。そこで風紀委員をやってる」
「――…………?!」
「こんにちは、はじめまして。沢田綱吉」
 肩越しに、ゆっくりと見やれば、防波堤を積み上げた上に学生が立っていた。
 同じ年くらいだ。厳しげな、けれど整った風貌をしている。
 彼は静かに浜辺に降りる。肩に引っかけた学ランがフワッと動く。黒髪、黒目。白い肌に鋭い眼光。前髪と後ろ髪が乱暴に短く切ってあって、その点が、綱吉の記憶にある恭弥とは違う。
 シンとした静寂が落ちる。
 海岸線に打ちつける筈の波が消えた。海の上を、砂の上を、するすると這って、緑のつるが少年の背後に向かう。
 砂を踏みしめて、濡れるのにも構わずに少年は綱吉の前まで歩いてきた。
 ゾクっとするほど冷えた黒い瞳がある。
 綱吉は言葉を失った。
 両目が潤む。
「…………っっ」
 熱い塊が喉に留まる。
 言いたいことがあるのに、言えなかった。目の前の光景が信じられなかった。体内が火照って思考がショートする。
 恐竜二匹が急いで少年の背後に回った。
 そちらに数秒だけ視線をやって、しかしまた綱吉に戻して、彼はフッと口角をゆるめた。
「ただいま。待たせた?」
「……う、ううん」
 奥歯を噛んだ。
 ますます目が潤む。一度、反射的に目を反らしたが、綱吉はすぐに恭弥を見上げた。泣き顔と笑顔がごっちゃになって何がなんだかわからないという顔になった。
「おかえりなさいっ!!」
 真正面から恭弥目掛けて飛び出した。綱吉の体は彼の胸中にきれいに収まった。

 

 

 


おわり

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>>前章あとがき(反転
「ひばりのたまご」はヒバリさんが本気で雲雀な話です。「ひばりのたまご」か「ひばたま」かでタイトルを悩みました(笑) シリアスなので前者で…っ。相当前から書きたい書きたいと密かに思っていた話です。実際に、ここまで書けて、大変満足です。復活後のヒバリさんは、十年後ビジュアルのイメージだったりします。

このヒバリさんとツナは、そのまま後章につづきます。
原稿用紙で約115枚分っ。お読み頂けて幸いです。ありがとうございましたっ!

08/3/26