ひばりのたまご

「祭事アリ」


 

 テレビで南国の特集をやっていたのを見た。
 鳥が、色の付いた羽毛をなびかせて水平に飛んでいった。胸がスッとした。鳥は美しいものだ。
 デジタルファインダー越しの視界には、羽毛を剥かれ、簡単なボイル処理を施されたグロテスクな裸体があった。
 二つの眼球の上にまぶたが被さるが、ごくごく薄いものであるから、黒目が透けて見える。目を反らしたくなる。気味が悪い。
 ヤマト祭実行委員のバッジをつけた学生が解説をした。
「で、これを使うんだよ。太ってるだろ」
 上下を逆にして、養鶏の足を持っているので、首が振り子になってぶらんっと揺れる。
「地元の高級地鶏ってやつだ」
「おいしそうですね」
 相槌をうちながら、二歩を下がる。ウサギ小屋まで入るようにした。ウサギどもは、小屋内を我が物顔で歩く鶏から離れて、迷惑そうに巣穴近くでたむろしている。
 パシャッと電子音でシャッターが切られた。
「それ、持ったまま笑ってください!」
「ピース!」
 パシャッ、パシャッ。
 と、背中に悪寒が沸いた。
 ふり返れば、高いところに少年が立っていた。
 一風変わった美貌の学生だ。黒目に黒髪、冷ややかな眼差しをするのがサマになる。いささか鼻先が丸い。
 この山盛タナカ高校は、山中にめり込んだつくりが特徴になっている。山の中腹にある山高講堂から、図書館、体育館、第二教室棟、第一教室棟、部活棟と、蛇行した坂道を順々にくだって、校門にたどり着く。
 第二教室棟に至る道のなかばで、手すりに肘を置いて、彼はこちらを見下ろしていた。
「雲雀恭弥だ」
 広報部の学生がこぼした。怖じ気づいて後ずさりしているが、その気持ちはカメラを持つ少年にも共通する。だがそれだけではいられない理由がこの子にはある。
 急いで片付けを始めた。取材宣伝用のちらしを奪うようにして受け取る。
「オレ、もう行かなくちゃ」
 後ろから声がかかった。
「新聞部! うわさの転校生だろぉ、今の。美少年コンテストに出るのか出ないのかはっきり返答しろって言ってくンない?!」
「それを訊きに行くンですよ!」
 首から下げた取材表がはたはた揺れた。
 新聞部・一年二組・沢田綱吉。
 綱吉は、階段を駆け上がって、ハァハァ言いながら坂を走った。登り道が途切れて、平坦に変わる。雲雀恭弥に追いついた。彼は、綱吉を無視している。
 取材表を掲げて、荒い息で尋ねた。
「ひ、ひばり、雲雀恭弥さんっ。美少コンへの参加をどーゆーふうにお考え、で、すかっ」
「興味もてない。そういうの」
 恭弥は気まぐれに黒目を細くする。
「君がでたら? 同じクラスだろ」
「何のために投票したんですか、それじゃ!」
「知らない。君らが勝手にしたことだ」
 ジロリと睨んできて、歩調をあげる。
 雲雀恭弥。
 転校生。
 白い肌とほっそりした体つきからは想像できないほどの鋭い眼力の持ち主だ。
 口角を引きつらせながらも、綱吉はメモ帳とボールペンを取り出した。睨まれるのは新聞部部長のおかげで慣れている。
「待ってください! 出場しないってウワサがあるんですよ。どう考えているんです? せめてそこだけでも――」
「うるさいな、キャンキャンするなよ」
「じゃあせめて一言っ。意気込みを!」
 なけなしの勇気をふり絞って、恭弥の行く先に立ち塞がった。
 ぽつんと恭弥がうめく。
「生意気だね」
「す、すいません……」
 間髪を入れず、彼は微かに笑った。
「面白いよ。じゃあ僕からも質問してあげる」
「え?」
 と、戸惑う間に、
「奇跡についてどう思う? 信じるかい?」
「……な、なんて言いました?」
 綱吉は耳を疑った。恭弥はため息をした。気だるげに、腰に左手をあてる。
「やっぱいいか。むなしくなるね」
「あ、あのっ? ヒバリさん」
「バイバイ。次に気安く話しかけたら承知しないよ」
 未練のない足取りで恭弥が綱吉を追い越していく。
 取り残されて、またたきを繰り返した。
(奇跡?)
 何のことだ。
 結局、質問への回答もない。
 第二教室棟を通り過ぎて、雲雀恭弥は空の方へと登っていく。図書館に向かうようだ。
 綱吉は、目線をあげつづけて、空を見上げた。青が澄み渡っているから美しい。のどで唸る。
「……リボーンが興味持つのも納得かも……。変わった人だなぁ」
(面倒くさいけど、明日から、張ってみようかなぁ。好奇心をつつかれるや。なんか)
 心臓がドクドクと脈打っている。体の動きに驚いて、綱吉は胸中に呟いた。オレは興奮してるんだ?
(おもしろい……人だ。ヒバリさん)
 文化祭直前、時期を外した転校生。一匹狼。変わり者。
 転校初日、教師と生徒の視線を一身に集めて、恭弥は、教壇の前に立った。堂々とした佇み方をした。そして、芯の通った美しい声で名前だけしか喋らなかった。
 度肝を抜かれた。普通じゃそんなことはできない。
 今回、彼が選ばれたのも綱吉には納得だ。見目の良さと鷹のごとし存在感で他を圧倒している。むしろ綱吉も一票を投じた側だったりする。
 恭弥とは、今のが初めての会話だ。
 ありとあらゆる意味で、綱吉は恭弥のことを何も知らないでいた。

◇◆◇◆◇

 新聞部部長は、横から顔をだしてモニターを覗いた。低い声で朗読してみせる。
「美少年コンテストに新風くるか、突如として現れたミステリアスな転校生が注目を集めている。番長的な生活スタイルは幸とでるか凶とでるか。当方が把握するだけでもタバコを吸った生徒や態度の悪い生徒など、八名が病院送りにされている……」
 部室は狭い。小さい声でもよく聞こえる。テーブルを前に、並んで座り、沢田綱吉の前にはデスクトップパソコンがある。
「ほーお。で?」
「で? って、言われても……。雲雀恭弥さんの分の原稿だよ」
「誰が三流週刊誌をマネしろっつーた!」
「ぐあっ!」
 まさしく言葉でグサッと刺された。
「町中に配るぜ。父さん母さんも読むぞ。ああ、息子は、何をトチ狂って一人だけミョーなレビューを書いているのか……。とか嘆くだろうな。インタビューはどうした、インタビューは!」
「あ、ほら、これ! 頼まれた原稿っ!」
 向かいの長テーブルを引っかき回してクリアファイルを突き出した。頬には冷や汗が浮かぶ。
 新聞部部長は、仏頂面をしたがファイルを受け取った。
 部長の名前は沢田リボーン。
 シャツのボタンは、二つ目までを外してニヒルに格好良くブレザーを着こなしている。イタリア人とのハーフで、山校三年生で、沢田綱吉の従兄弟でもある。
「ふん。ま、ニワトリ追いはこんなもんだろな」
「あがり?」
 思わず声が弾んだ。
 だがリボーンは既に赤ペンを手に握る。びしばしと校正の指示を書き込んでいった。綱吉は、ジト目で見守る。
「…………。こっちは? 第六九回ヤマト祭・美少年コンテストのエントリー表、顔のアップと全身写真バージョン」
「一人だけ明らかに隠し撮りなのが気になるが……。ま、キャラとしてアリか」
 あくびをしているショットと、コンビニの袋を片手に空を見上げて歩いているショットの組み合わせだ。制服で、ブレザー姿。もちろん、被写体は雲雀恭弥だ。綱吉は顔を明るくした。
「大変だったんだよ。値下げ交渉が」
「おい待て。写真部産か」
 部長は、手にしていたものを投げた。
 ビシャリッ! と、校正原稿を顔で受け止めた段になって綱吉は口がすべったのを自覚した。
「だ、だってヒバリさんって勘もよくてオレじゃ写真撮れなかったんだよ!」
「クソが。ダメツナめ」
 イスの背もたれに肘を引っかけて、リボーンは怖い顔をする。
「その金は部費で落とす気か?」
「あ、来月、機材の貸し賃と一緒に請求がくるって」
「また勝手なことを……。ダメなやつはとことんダメにしか動かねえな!」
「ね、値下げ交渉を、だから……」
「ダメツナ!!!」
 問答無用で怒鳴りつけて、リボーンはノートパソコンを引っ張り出した。
「いいか、次からはセンパイに確認取ってから動けや。おら、一応、見せろ。撮ったんだろ。ヒバリを」
 言われてみて、確かに軽率なことをしたと理解できた。言葉を失い、落ち込み始めたところでの催促に綱吉はハッとする。後ろめたいことは何もないが、写真を見せたら余計に怒られるような錯覚がした。
「インタビューに使いまわすの?」
「当日まであと十日だ。ヒバリの写真がエントリー表と同じだったら格好ワリィだろ。ああ、インタビュー、さっさとあげろよ。その仕事をちゃんとこなせば今の失敗はチャラにしてやる」
「リボーン……」
「さっきの三流記事みてーなのを実際にだしたら即没な上にリンチするぞ」
「…………」
 感動が五秒で引っ込んだので、綱吉は醒めた顔をした。胃袋がキリキリと縮み上がるので青褪めてもいる。
 かちかちかち。
 マウスのクリックを繰り返す。リボーンが体を乗り出した。
「撮ったのはこれが全部か?」
「そーだよ。スライドショーにするぞ」
 どうせ大したものではない。どうも、うまい具合にタイミングが外れて、撮影ができなかった。恭弥の顔が写ったショットは一枚もない。
 綱吉はパソコンから視線を外して窓を見た。
 夕日に焼けた空が見える。
 一羽のトビが視界を横切った。鳥は、高校がある山とは反対側の海を目指して飛んでいく。
 海岸沿いではトンビ急襲・食物強奪事件が相次いでいる。
(またハンバーガーでも食いに行くのかな)
 海の手前には安いバーガーショップがある。綱吉も食べるから、なんだか親近感が沸く。トンビもあの添加物たっぷりな濃い味わいが好きなのだろう。とか、一瞬だけそんな風に思ったが、よく考えたらあんまり親近感も沸かなかった。襲う側と襲われる側ではないか……。
(今朝は、ヒバリさん、どこから来たんだろう)
 ボウッとした目で夕焼け色の海面を見た。町の向こうに海色絨毯がさざめく。
(校門で待ってたのにな)
 昨日のリベンジのつもりでいたのに、恭弥は来なかった。校門は通らず、いつの間にか教室にいた。そしていつの間にかいなくなっている。昼休みもしかり。
(どーなってんだ?)
 昨日は、まだマッチ棒程度の火力しかなかった好奇心が、今ではゴウゴウと大火をあげている。未知の興奮に、綱吉の頬は紅潮する。
(知りたいな。ヒバリさんのこと)
 明日からは恭弥へのアプローチを変えよう、と、そんなことを考え始めたところでモニターに目が釘付けされた。
「あれ?」
「なんだ。エントリー表の写真版はあれでいいぞ」
「リボーン、どこ見てるのさ」
 恭弥の写真はとっくに終わっていて、ニワトリ追いの取材写真になっている。だが、それだけで体を硬くしたワケでもない。
「今、おかしくなかったか?」
「おかしいぜ。ヒバリの肩のドアップとか。お前、写真撮るのヘタすぎだぞ?」
「そこはおかしくないんだよ!」
 多分、と、脳裏に付け足しつつ、スライドショーを巻き戻した。
 鶏とウサギが同居した小屋を前に、ボイル養鶏を掲げた学生がピースサインを向けている一枚にした。綱吉は改めてゾッとした。
「ここ、おかしくない?」
 指の腹をモニターに向けた。
「何がおかしいんだ?」
「こ、ここに……変な影が」
 学生の足元だ。淡いモヤが見えた。
 リボーンは目を丸くした。
「おいおい、またか。また霊感か? 幼稚園以来、見えなくなったんだろ」
「見えなくなったよ」
 ハナから疑ってかかった物言いにはムッとしつつも、綱吉は訝しがる。
「見えないの? リボーン」
「んー……。撮影がよくなかったんじゃねえの?」
 目を凝らし、新聞部部長は首をひねる。
 背中に冷たいものが走った。幼い頃、綱吉は変わった子どもだった。虚空を指差して、おばあちゃんが笑っているよとか言う児童だった。
 リボーンは冷えた目でもって綱吉を見、画面を見た。
「まあ確かに妙に一ヶ所だけブレちゃいるが……」
 他を引っ張り出し、吟味してから、元の写真に戻して表示させた。綱吉をふり返る黒い瞳は仕事人としてのそれだった。
「これ、使うぞ。縮小すりゃ見えないだろ」
「そ、そういう問題かなぁ……」
 頬を掻く。ハタと気がついた。
「そ、それじゃあっ!!」
 大慌てで校正原稿をたぐり寄せる。『鶏追い』が、読みにくいとの注釈がついて『ニワトリ追い』になっていた。他にもいくつか漢字の誤用や内容修正が入っている。
 パパッと直し、ビュウンッと風鳴り音がするほどの勢いで従兄弟の鼻先に訂正原稿を突き出した。
「か、完成?」
 リボーンは静かに原稿をチェックする。
「そうだな。あがりだな」
「は、初原稿があがりっ?」
「いっとくが、十月の今になってよーやく一人での仕事ができたバカ部員はお前だけ――」
「でもできたんだろっ」
「そーだな」
「やったーっっ!!」
 諸手をあげて喜ぶと、部長は顔の半分を手で覆った。ため息を吐いている。
「テメーの教育係は、苦労するぜ」
「オレ目線で考えたらすごいだろっ」
「本人の希望するレベルが低すぎて泣けてくらぁ」
「そうか?」
 笑顔で首を傾げてみせる。
 無邪気に喜びつづける綱吉だったが、次第にリボーンが本当に険悪な顔をするので黙ったとか、逃げたとか。
 ともかくも、部室を出た。
「ヒバリさんっっ!」
 廊下の窓に両手でかじりつき、目を剥いたのは数分後のことだ。

 後先は考えられず、考えたとすれば、朝は校門を通らなかったのに、彼はなぜ下校時に校門を通るんだろう、とかだが、それらはすべて横に投げて校門につづく長い下り坂を走っていた。肩に提げたカバンが跳ねる。
「い、一緒に帰っていいですか?」
「なんで」
 坂の下で、雲雀恭弥は目を丸くした。
 当然だ。クラスメイトではあるが綱吉と恭弥は親しくもなんともない。
「え、えーと、それは……」
 綱吉は口ごもった。今は取材表を下げていない。
「?」
 道の真ん中で足を止めて、恭弥は不審げに眉を顰める。威圧感のある仕草だった。
 ビビッとした怯えが体を走る。無意識の内に足裏でブレーキを踏んでしまった。あっという間に天地が逆転して、綱吉は派手に転倒した。
 恭弥の足元に滑り込んだ。恭弥はますます目を丸くして、下校中の他の生徒は小さく悲鳴をあげた。
「うわっ、ツナ? 何してんだ」
「いたそ……、って、おい。ダメツナ」
「おま、上履きだぞ」
「い、イタタ――、って、え?!」
 鼻頭を押さえつつ、赤面した。慌てて靴に触れば返るのは堅い布の感触だ。急ぐあまりに履き替え忘れている。
「あッ、そ、その、へ、へへへへ」
 くすくす、にやにや、からかい混じりの笑い声に、綱吉はへらへらして頭を掻いた。背中のシャツは湿る。
 恭弥は、いささか厳しい顔つきに変わって、綱吉を見下げていた。
 その視線の鋭さに、血の気が引いた。
「ス、スイマセン、何でもないです」
「そう」
 冷たい囁き声で、恭弥が目を反らした。
 小走りで坂を登る傍らで、全身がドクドクと脈打つのを感じた。羞恥心と後悔とが一緒になって、急速に、先ほどまで膨れていた熱の塊を蝕んでいく。
 些細なきっかけで、それまで夢中だったものが一気に嫌いになることがある。
 綱吉は落胆していた。部室棟の下駄箱にたどり着くなり下駄箱入れの取っ手に額をこすりつけた。綱吉の背丈には丁度いい高さにある。
「リボーンのお仕置き、あんまり痛くないといいんだけど」
 靴を履き替えて、とぼとぼと坂を下った。
 校門を出たところだ。
 驚きで声を失った。
 ややボサボサした黒髪――この野性味溢れる髪型が実によく似合うから格好いい――、白い肌、華奢な体つき、の割には、逞しい手足。雲雀恭弥は、門をでてすぐ右側のところで不動の体勢を取っていた。塀に背中を預けて腕組みしている。
 綱吉にはすぐに気がついて、低い声で尋ねてきた。
「何の用?」
「ひ、ヒバリさん?」
「僕に用があるんだろ。何の用だろ」
 今までと同じに、平坦な調子の声だったが綱吉はホッとした。ねじが緩んで涙まで出てきそうだ。
「一緒に帰っていいですか?」
 今、言いたいのはこれだけだった。
 恭弥は特別な反応をしなかった。数秒、無言になってから、うめく。
「次は、承知しないって言ったと思う。君は殺されたいのかな」
「……は? え?!」
 グッと上に引かれてカカトが浮いた。気づけば恭弥がシャツの襟を鷲掴みにして目で凄んできている。
 綱吉は顔色を失った。
 両手が伸びた。恭弥の片腕一本で吊られているこの体勢が苦しいから、咄嗟に彼の腕を掴んで引き剥がそうとする。
「なんて、ね」
 彼はフッと笑った。
 夕日に照らし出されて、顔の左側が翳って黒ずむ。右側は、夕日の色に光る黒髪がきれいだった。
「仕方のない子だね」
「…………?!」
 恭弥の笑顔は初めて見た。
 完全なパニックに突入する一秒前に、彼は手を離した。怯えたのを忘れて綱吉は真っ向から恭弥を見上げる。
 彼は面白がるように首を傾げた。
「視界に入ると邪魔くさいんだよ。じゃあね」
「あ……。ヒバリさん。あの」
「君は、どっちの道なの」
 校門を出て二十メートルばかり進むと別れ道がある。白い指が、右の道を指した。綱吉は内心ではしゃいだ。
「み、右です」
「ああ、そう。じゃあ僕は左」
「ぶっ!! な、何ですかそれ?!」
「じゃあね」
 二度目の別れ言葉をささやいて、クスリと笑みを残して、恭弥はさっさと左に曲がっていった。
 綱吉は唖然として見送った。
 ……遅れて、ゾクッと体を震わせた。恐怖と歓喜が混じって体の芯がしびれていた。雲雀恭弥。背筋を伸ばして歩き去っていく後ろ姿が凛としている。その視覚的な格好よさにまた綱吉の手足がしびれる。
 左の道をずっと行くと団地がある。彼はアパート住まいだろうか。
 空を渡った電線には、十羽を超えるカラスが停まっていて、カァカァと短く鳴いている。恭弥が、一瞬だけそれを見上げた。

◇◆◇◆◇

 ほんの少しの距離だったが、二人の並んで歩く姿は目撃されていた。
「ツナって、ヒバリさんと仲いいのか?」
 翌日、クラスメイトからのそんな問いかけがつづいた。友達関係がまるで既成事実で出来上がるかのようだ。
 初めはとまどったが、授業が終わる頃にはこそばゆい思いでいっぱいになった。クラスメイトの頭の中とはいえ、あの恭弥と並べて考えて貰えるだなんて光栄だ。
 昼休みのチャイムと共に、クラス委員長がやってきた。眼鏡をかけている。
「ヒバリくんがコンテストに出るか出ないか、教えてくれないか? 胸囲すらまだ測れてないんだよ。クラス対抗なのに衣装も用意できないよこれじゃ」
「お、オレに怒られても」
 本人に聞けば、と、至極当たり前のことを言ってみてすぐに悟る。多分聞き出せないのだ。雲雀恭弥の背中が、廊下に出て行った。
「ヒバリさん!」
「沢田!」
「聞くからっ」
(なんだこの素早さはっ)
 恭弥は歩幅が大きいのであっという間に廊下の端に行って階段を下がっていく。肩越しに、黒い瞳が綱吉を一瞥した。
 心臓が跳ねた。
 誘われているような心地になった。
 数メートル先の彼を小走りで追いかけていく内に、校舎を出て、坂の上を登って、講堂の裏手の林に突っ込んだ。
 来たことがない場所だ。
 どぎまぎとしながら、足を止めてもらおうと思って名を呼んだ。不意に、蒸し暑さを感じた。
(…………?!)
 大気がムワッと濁って熱帯雨林に突入した気になる。辺りの広葉樹は乾燥した葉をまばらにつけて、風に吹かれているから、寒々とした光景と体に感じる現実にギャップがある。綱吉は当惑した。
 走力が落ちる。夢でも見た気がした。次に吹いた風は冷たかった。
 その頃に、恭弥は開けた場所に立った。
 黒い瞳で「なんでついてきたの」とばかりに冷たく問いかけて、ブレザーの上を脱ぐ。足元に落とすと、無造作に、その上に頭を乗せて寝転んだ。木の根もと。
「……お昼ご飯は食べないんですか?」
 他に言葉が思い浮かばなかった。
 咎められているのか許容されているのか、わからないから、やけに居心地が悪い。今度は体が中から蒸れてきた。冷や汗が浮かぶ。
「君みたいなチマッこいのって殴る気も失せるんだけど」
 恭弥はイライラしたようにうめく。
「邪魔だよ。殺すよ? 近くに来ないでよ」
 ひっ、と、のどを引き攣らせた。綱吉がサッと血の気を引かせたが、恭弥は、尖った声音のままで先の質問に答えた。綱吉は困惑する。
「ご飯とか、あんまり食べる気がしない」
 空を眺めつつ、足組み。
 しばらく無言になってから、尋ねた。
「あの、オレ、ここで食べてもいいんですか」
「いちいち訊かないでよ」
 ふあ、と、大口であくびをして、恭弥が寝返りをうつ。恐る恐ると忍び寄って、彼の隣に腰を下ろした。
 手足がちりちりするのは恐怖心が故だろうか。
(い、いまだ。言うんだ)
 胸が熱くて、心臓が喉まできそうだ。
「し、新聞部の沢田綱吉です」
「知ってるよ」
「インタビューに、答えていただいて、いいですか? あの……ヤマト祭に参加しますよね? 美少年コンテスト、うちのクラスの代表はヒバリさんですよ」
「さあ」
 弁当箱の中身をつまむ傍らで、綱吉は膝の上にメモ帳を出していた。
 視線を感じて、下を見れば、雲雀恭弥は物憂げな目をしていた。頭の後ろに組んだ両腕を置いている。
「祭りは、通り過ぎるものだよ」
「はい?」
「一過性のつまらないものじゃないか……。たった一度きりの夢だよ」
 何の話だろうと思って、ヤマト祭の話だと気がついた。慌ててメモに取りつつ、視線だけは恭弥に返す。不思議な気分がした。なんでこんなことを言うんだろう。
「それが楽しいんじゃないですか?」
「わからないな」
「いつもとは違うのがいいんですよ。その日しかないから、皆、頑張るんですよ。準備とか。あの……クラスのヤツが、あなたがどうするかを気にしてます」
「……面倒くさいし、集団って嫌いだよ」
 これは記事にはできない。綱吉は手を止める。眉根を寄せていた。
「ヒバリさん……?」
 唐突にこの少年と友人だという気がした。
 恭弥は遠い目をする。空を見る。
「なんで? お祭りは楽しいのかい?」
「思い出になりますよ」
「思い出?」
 そうは思っていなかった、とばかりに、黒い瞳が輪郭を大きくする。
 恭弥は体を起こして、綱吉を見た。
 視線を落として弁当箱の中身を見る。伏し目がちの黒い瞳は、しおらしさすらある。
「祭りに参加すれば、僕を思い出にするの。沢田」
「え?」
 単調だった声音に、少しだけ熱がこもっていた。恭弥の目を見ていると困惑が深まった。綱吉は弁当箱に目線を向ける。そうしながら頷いた。
「そりゃあ、そうですよ。優勝できるといいですね」
「君は僕を美しいと思うの」
「えっ」
 ギクリと肩が跳ねた。
 みるみる赤面したので十分だったらしい。
 恭弥は目を細める。忍び笑いをして、綱吉の膝に手を置いた。
「ひ、ひばりさんっ?」
「何か、くれる?」
「ええ? うぃ、ウィンナー食べます? ウチの母さんがタコにしちゃうけど」
 箸で足を八つ切りにされたウィンナーを指差した。
 恭弥はしばらくタコ足を見つめた。
「うん」
 やがて軽く頷く。
 人差し指と親指にタコウィンナーをつまんで、ぺろりと一口にした。
 気恥ずかしさを堪えつつ、綱吉がぼそぼそ喋る。両目は必死になって足元の雑草を見つめた。
「う、美しいっていうか、格好いいですよね……。ヒバリさんは。あの、優勝、できると思いますか。参加の意気込みとかは」
「任せてよ」
 指に付着した醤油をなめ取りつつ、恭弥は高い場所を眺めていた。
 樹木より高くて空より低い位置。
 そこに、何かがいるのかと思えるほどに恭弥は熱心な眼差しを送りながら喋る。
「賭け事とか、負けたくないんだ」
「き、記事に書いていいですか? 今のコメント」
 興奮に声がうわずる。あの雲雀恭弥から、こんな言葉を引っ張り出すことができるなんてすごいことだ。
「好きにしたら」
「は、はいっ! うわ、オレ、応援しますから!」
 恭弥がまじまじと綱吉を見る。
「早速、書かないと……。ところでなんか暑くありません? 蒸す感じに」
 シャツの首元を引っ張って、手で自分の顔をパタパタと仰ぎながら、綱吉。恭弥は首を振る。そうしながら目を細めた。いささか危険なものと思えたが、この危うさが彼の魅力だろうと思うと綱吉の頬は紅潮した。
「あれ? おかしいですね。なんかジャングルの中みたい」
「今、十月だよ」
「ですよね」
 しばらくすると、今度は、恭弥は自分から卵焼きをねだった。
 うだるほどの暑さは校舎に帰るころには消えた。

 それから数日は、恭弥と二人きりで話すことはなかった。恭弥は、衣装の寸法取りなどで教室に残りがちになって、綱吉は記事を仕上げるために部室にこもった。
 その放課後、リボーンのオーケーをもらえて、綱吉は晴れ晴れした気分で坂をくだっていた。斜めに伸びた夕日の下に、黒い後ろ頭を見つけて声を弾ませる。
「ヒバリさんっ!!」
 追いつくと、彼は笑顔を見せた。
「やあ。綱吉」
「今から帰りですか? 聞いてくださいよ。ヒバリさんのとこ、オレが担当して仕上げましたからね!」
「いつ、刷り始めるんだっけ?」
「明日です」
「わお、期限ぎりぎり」
「……なんだか、また暑いですね」
 視線を明後日に飛ばしつつ、ひとまず、適当なことを口にしてみる綱吉である。口角は引き攣っている。
 しかし恭弥は片方の眉根だけを器用に動かした。
「前も言っていたね。本当に暑いの?」
「あつくないですか?」
「……まあね……」
 曖昧に頷いて、恭弥は、視線を上にあげる。木よりも高くて空よりも低い位置だ。今日は曇りがちだから太陽が見えない。
 帰宅が遅いために、生徒の数は極端に少ない。
 二人だけで長い坂をくだっている。それだけで綱吉には楽しい状況だった。憧れの同級生と仲良くなれただけでも嬉しいのに、他の人は知らない時間を今ここで共有できていると思うとますます嬉しい。
 恭弥の視線を追いかけて、綱吉は頭上を見上げた。薄いモヤが見えた。
「この頃、なんだか妙ですよね。オレ、雲も多い気がして」
「霊感、元から強いのかい?」
「…………え?」
 綱吉の歩調がゆるまった。
 黒い瞳が、左斜め上から突き刺さる。
「幽霊とか、見えるかと思うよ。それだと」
「ヒバリさん? なんでそんなことを」
「思ったことを言っただけ」
 素っ気なく呟いて、恭弥は逆に歩調をあげる。慌てて、綱吉は小走りになった。
「ヒバリさん! もしかして見えるんですかっ?!」
「知らない」
「待ってよ。ねえ、ヒバリさんってば!」
 声が裏返りかけた。
「幽霊って――、ヒバリさん!」
「綱吉、僕の名前、呼びすぎ」
 不機嫌な声で返されても、怯まなかった。
「ヒバリさん、幽霊なんでしょう!」
「!!」
 微かに恭弥が戦慄いた。
 ビクリと体をはねさせて、驚愕のまなこで綱吉を見下ろす。これには綱吉がビックリした。言い間違えた、と、思ったのだが。
「ひ、ヒバリさん?」
 恭弥の態度はおかしい。まるで隠匿したものを暴かれたかのようだ。
 一瞬遅れて、目を反らされた。失敗を認めるかのように苦い声が恭弥の口をつき、彼は顔をしかめる。
「……君は、鋭いのか馬鹿なんだかわからないや」
「…………?!」
 混乱して綱吉は目をしばたかせた。
 向き合った上に、流れるのは奇妙に緊迫した空気。恭弥に警戒されている気がしたが、どうしてそうなったのかわからない。
「ヒバリさん?」
 救いを求めるように、名前を呼んだ。
 雲雀恭弥は首を振った。
 些細な仕草だったが、噛みしめた口角は彼の苦悶を語る。
「僕は、静かに過ごそうと思って、この町に来たんだ」
「何をいってるんです、か」
 耳を澄ませるように恭弥は目を閉じる。そうしながら、綱吉の手首をつかんだ。暗闇の向こうに尋ねるようにして言う。
「君は僕が好きだろ?」
「え?」
 綱吉は動揺した。
「なっ、なななな、な、なにを?!」
「勘はいいんだ。聞いたんだけどさ、クラスのほとんどが僕に投票したって……。綱吉も僕に入れたんだろ?」
「え?! そ、そりゃあ……、え、えええ」
 思わず正直に同意して、自分の言動にギョッとして綱吉が赤面する。語尾の「えええ」は自分に対してだ。
 恭弥が笑った。
「もう少し、よく見えるようにしてあげようか」
 苦し紛れに笑うようなものだったが、腰を低くすると、ゆっくりと綱吉と唇を重ねた。
 一般的には、キスと呼べる行為だ。
 けれど綱吉にはキスと思えなかった。唐突で理由がわからなくて、理性では理解できない。感覚が理解してひどく恥ずかしいことをされたとわかる。
「な、なにすんですかっ!」
 反射的に両手で突っぱねていた。
 恭弥が後ろにたたらを踏む。半歩分だ。綱吉は後ろに四歩もたたらを踏んだ。
「直にわかるよ。綱吉」
 綱吉の瞳に昇る白光を見下ろしつつ、恭弥がひっそり呟く。静粛にして穏やかだったが、固唾を呑むほどに気圧されるものだった。
「君のこと、ちょっと好きだよ。だからキスしたの」
「は、はあっ?! ちょ、待って。ワケわかんないよ……?!」
 敬語が抜けた。それだけ綱吉には衝撃的だった。
 キスと混乱の余波で潤んだ両目がさらに潤む。言うだけ言って、恭弥がきびすを返すのでさらに泣きたい気分になった。
「ヒバリさんっ。何なんだよっ?!」
 慌てて横について、気づいた。今までと同じ下校路のようだが――全然違う。
 全身をヌルリと撫でる風があった。
 しかし風は吹いていなかった。木の葉は、動かない。蒸れるような熱が、静かに現実感もないまま、たしかに体に絡んでくる。
 ジャングルが脳裏に浮かんだ。その中を歩いているような錯覚がする。白いモヤが恭弥の膝くらいまでを埋めていた。そして、モヤの中で、濃い緑色のものが蠢いている。
「――――?!」
 絶句している内に、また風が吹きつけた。
「なっ……」
 白い影がさっと視界を横切った。
 素早い動きだった。二メートル近くの巨体だった。すぐに見えなくなったが、足が竦んだ。
「なに……これ……」
 声が枯れる。
 校舎の壁にくっついたり、塀を伝ったり、宙を漂ったりして、緑のつるが蠢いている。恭弥の後についていく。白いモヤは恭弥の足元から生まれている。彼が、見つめると、モヤはその方角を目指して動いていく。
 体にまとわりつくモヤを感じながら、綱吉は恭弥に視線を投げた。
 自分が震えていることはわかる。
 一歩を踏み出すたびに、坂道なのに階段を踏み外す瞬間の気持ちになる。ぞっとする。坂道の長さに落胆する。なんでこんなに長いのか。
「じゃあね」
 いつの間にか、校門を出て別れ道を曲がっている。背中に向けて、裏返った声で呼びかけていた。何でもいいから、説明と弁明が欲しかった。
「ひ、ヒバリさん?!」
「何?」
 ふり返る瞳は黒い。
 白く薄い影が彼の体を包んで囲む。
 口角に張り付いた薄っすらした笑みは、この世のものではないよう思えた。自分が何を喋っているのか、もはや、綱吉にもわからなかった。呆けていた。
「……あ……、あなたは……人間ですか?」
 恭弥はクスッとした。
「どうかな」
 巨大な、白い影が彼の後ろにあった。

 

つづく

 




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